女性暴行で逮捕のギグス監督が出廷、暴行容疑を否定
2021.04.28 21:41 Wed
ウェールズ代表のライアン・ギグス監督が法廷に出廷。暴行容疑を否定した。イギリス『BBC』が報じた。
ダークスーツを身に纏ったギグス監督は、3つの罪状が読み上げられる前に、自身の住所、生年月日を口にした。
法廷資料によると、ギグス監督は「暴力、孤立、軽蔑、屈辱、嫌がらせ、品位の低下、虐待など、支配的または威圧的な行動を繰り返し、または継続的に行っていた」とされている。
その後、13分間に渡る公聴会は中止に。ギグス監督は5月26日にマンチェスター市警察裁判所に出廷する予定。次の裁判までは保釈されるものの、条件として被害女性に近づかないこと、またその女性がいると思われる場所に近づかないことが挙げられている。
ウェールズ代表は今夏行われるユーロ2020に出場するものの、ギグス監督は指揮が執れず。アシスタントコーチのロバート・ページ氏がユーロ2020本大会を指揮することが決定していた。
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ギグス監督は、昨年11月にマンチェスターのウォースリーにある自宅で、ガールフレンドのケイト・グレヴィルさんと、20代の女性に対する暴行の疑いで、地元警察に逮捕されていた。また、妹のエマさんに対しても暴行を加えた罪に問われていた。ギグス監督は、2017年から2020年までの期間に威圧的に相手をコントロールしようとする不適切な行動に対して起訴されていたが、28日にマンチェスターの裁判所に出頭した。法廷資料によると、ギグス監督は「暴力、孤立、軽蔑、屈辱、嫌がらせ、品位の低下、虐待など、支配的または威圧的な行動を繰り返し、または継続的に行っていた」とされている。
なお、検察側はギグス監督がグレヴィルさんに対して「意図的な頭突き」をしたとし、それが「家庭内の環境」と「飲酒」によって悪化したことを主張していた。
その後、13分間に渡る公聴会は中止に。ギグス監督は5月26日にマンチェスター市警察裁判所に出廷する予定。次の裁判までは保釈されるものの、条件として被害女性に近づかないこと、またその女性がいると思われる場所に近づかないことが挙げられている。
ウェールズ代表は今夏行われるユーロ2020に出場するものの、ギグス監督は指揮が執れず。アシスタントコーチのロバート・ページ氏がユーロ2020本大会を指揮することが決定していた。
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