日韓戦フル代表の対戦は11年以来10年ぶり/六川亨の日本サッカー見聞録

2021.03.11 21:15 Thu
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早いもので、東日本大震災から10年が過ぎた。10年前の今日は金曜日だった。自宅で原稿を書き終え、代々木第一体育館で開催されている第16回全日本フットサル選手権を取材するため準備をしていると、突然強い揺れを感じた。立っていられずベッドに腰掛けて揺れが収まるのを待った。

テレビをつけると、やがて信じられない光景が次々と目に飛び込んできた。津波に押しつぶされる家々。陸に打ち上げられる船。夕方には市原の石油コンビナートが燃え上がっている。この世のものとは信じられない光景の連続に言葉を失った。


フットサルを取材していた同業者は、最初は誰もが体育館の外に飛び出したそうだ。しかし体育館の中の方が安全だろうということで、三々五々、戻ったという。揺れが落ち着いたところで帰路に着いたが、当然ながら公共交通機関は全面ストップしている。タクシーを拾おうにも道路は大渋滞。仕方なく徒歩で家路に着かざるを得なかった。

神保町で仕事をしていた友人は、千葉県野田市の自宅まで徒歩で帰るのに8時間かかったと言っていた。自宅に帰れず、会社に泊まったという知人も多かった。しかし、被災地の惨状は筆舌に尽くしがたいことを、時間の経過とともに知った。

震災によって亡くなった方々とそのご遺族に対し、改めて哀悼の誠をささげます。

さて、昨日JFA(日本サッカー協会)は3月25日に強化試合として韓国戦を開催すると発表した。当初はW杯2次予選のミャンマー戦が行われる予定だったが、軍事クーデターによる政情不安から開催が見送られた。

しかし昨日の記者会見で反町技術委員長は、「飛び越えていないハードルはまだ7、8個ある」と厳しい状況であることを説明した。まず海外からの選手の来日についてはアスリートトラックの適用がマストだが、「100パーセントと言われると断定できない。それに近い形で粛々と準備している」と話すにとどめた。

観客の有無についても「21日に緊急事態宣言が解除されるなら」という条件付きで「有観客にしたい」とのこと。

試合開始時間も決まっていないため、開催に関してはかなり流動的と見ていいだろう。

そして日韓戦である。直近の試合を振り返ってみると19年12月(釜山)は0-1、17年12月(味スタ)は1-4、15年8月(武漢)は1-1、そして13年7月(蚕室)は2-1だった。いずれもEAFF E-1選手権(13年と15年は東アジアカップという名称)での対戦で、フル代表での対戦ではない。

13年はブラジルW杯へ向けて若手発掘の大会と位置づけられ、原口、齋藤学、柿谷、清武らが代表入りにしのぎを削った。韓国サポーターの掲げた横断幕が問題になった大会でもあった。

15年の武漢は、新型コロナが流行したことで知られるようになったが、とにかく暑かった記憶がある。そして17年は日本で開催されながら韓国に1-4と完敗し、ハリルホジッチ監督との契約解除の遠因になった試合でもあった。

こうして見ると、互いにフル代表で戦ったのは11年8月、札幌ドームで行われた10年前の試合まで遡る。この試合で日本は香川の2ゴールと本田のゴールで3-0の勝利を収めた。日本が韓国から3点を奪ったのは1974年の日韓定期戦(4-1)以来だが、スコアだけでなく試合内容でも圧倒したため、韓国メディアは「札幌の大惨劇」と報じ、危機感を強めていた。

11年は、1月のアジアカップ準決勝でも2-2からのPK戦で韓国は敗れ、日本に優勝を許している。ザッケローニ監督は韓国と4戦して2勝2分け(1PK戦勝ち)と無敗を誇った。そして、この11年の2連勝が13年の対戦で韓国サポーターが横断幕を掲げる一因になった可能性も高い。

10年ぶりとなるフル代表による日韓戦。しかし、韓国もソン・フンミンら海外組の出場は難しいだろう。それは日本も同じで、両国とも国内組による対戦になるのではないだろうか。加えて日本はU-24日本代表の試合もあるだけに、意外な選手が選考されるかもしれない。さすがに大久保嘉人はないと思うが……。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた
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W杯2次予選はスタジアム変更?/六川亨の日本サッカー見聞録

JFA(日本サッカー協会)の反町技術委員長が5月6日、定例の技術委員会後にリモートによる記者会見に臨んだ。質問は今月28日から始まるカタールW杯アジア2次予選と、U-24日本代表の活動に集中した。 まず28日のミャンマー戦は、AFCの発表では千葉県となっていたが、反町技術委員長と広報部長もフクアリ(フクダ電子アリーナ)での開催を認めた。問題は、対戦相手のミャンマーが来日できるかどうかである。 5年前のリオ五輪では、初戦の相手であるナイジェリアがサッカー協会の金銭問題からアメリカ・アトランタのキャンプ地から出発できず、出場が危ぶまれたことがあった。日本の有名な美容整形外科のT須院長が費用を出すと言って話題になったことを覚えている読者もいるのではないだろうか。 U-24日本を率いた手倉森監督(現仙台監督)も「ナイジェリアだけにナイと言われても。あれば、アルジェリア。いや、アルジェリアが来ちゃダメか」と得意のダジャレを飛ばしていたものだ(試合は日本が4-5で敗戦)。 しかしながら今回のミャンマーは、軍事クーデターで内乱状態とかなり深刻な状況である。このため反町技術委員長も試合開催に関して質問されても「わからない。こっちが聞きたいくらい。情報が入って来ない。情報があれば対応できるが、情報がない。AFC(アジアサッカー連盟)の発表を受けて準備しているくらい」とお手上げ状態だ。 試合は5月28日に予定されているので、当日に試合を開催できなければ「見なし開催」として日本の勝利になるのか。それともIMD(インターナショナルマッチデー)は6月15日まであるので、それまでに試合を消化すればいいのかについても、「AFCはミャンマーがゲームをする意思があると捕らえている。15日までに終えないといけないと互いに合意している。我々は最善の準備をするしかないし、調べようがない」と苦しい胸の内を明かした。 影響を受けるのは28日のミャンマー戦だけではない。当初の予定では、サムライブルーは6月3日の札幌ドームでのキリンカップで活動をスタートさせ、7日にパナソニックスタジアム吹田でW杯予選のタジキスタン戦、11日にノエビアスタジアム神戸でのキリンカップ、そして15日に再びパナソニックスタジアム吹田でキルギス戦という日程だった。 しかし東京、大阪、兵庫、京都の4都府県には緊急事態宣言が出されていて、現状では今月末まで延期される可能性が高い。さらに感染が拡大している愛知と福岡も対象に加えると同時に北海道、千葉、埼玉、神奈川、にもまん延防止等重点措置の適用や延長の可能性が出てきた。 これらがいつまで延長されるのか不明だが、サムライブルーは4試合すべてが、U-24日本は6月5日の博多での試合と12日の豊田での試合が、なでしこジャパンは14日の京都での試合に影響が出ることも予想される。 このことに関しても反町技術委員長は「試合の日程を発表できないのは、そういう背景があるから」と認めつつ、「Jリーグの大阪ダービー(5月2日)も無観客になった。状況はよくないのだと思う。我々はどこであろうと、しっかりやりきる準備があることを示すしかない」と先行きが不透明でも準備を進めるしかないことを強調した。 改めて言うまでもなく、すべては新型コロナの影響で、「大阪、千葉を再考せよと政府が言ってくるかどうか」(反町技術委員長)でスタジアムの変更を余儀なくされるかもしれない。それでも最悪なケースを予測しつつ、できる限りの準備(関西圏がNGなら関東圏を最検討するなど)を進めるしか乗り切る方法はないだろう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.05.07 16:50 Fri
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パルチザンと横山ジャパン/六川亨の日本サッカーの歩み

日本代表の俊足FW浅野拓磨が5月2日、自身のブログでパルチザン・ベオグラード(セルビアリーグ1部)との契約を解除したことを発表した。その理由として、たび重なる給料の未払いと、それに対する不誠実な対応を挙げた。 浅野は16年に広島からアーセナルへ完全移籍し、16-18年はシュツットガルト、18-19年はハノーファーに期限付き移籍。そして19年8月にパルチザンに完全移籍した。 今シーズンはここまで33試合に出場して18ゴールと、ヨーロッパ1部リーグで日本人最多となる得点を決めていて、記録更新が期待されていただけに残念でもある。それでも今シーズンの活躍で注目度が上がったのは確かだろう。このため契約解除がスムーズに進めば5大リーグへの移籍も可能かもしれない。 そのパルチザンだが、旧ユーゴではレッドスター・ベオグラードと並ぶ名門チームである。国内のタイトルではユーゴスラビアリーグ優勝11回、ユーゴスラビア/セルビア・モンテネグロリーグ優勝8回、セルビアリーグ優勝8回を誇っている(リーグ名の変遷からも複雑な国家であることが分かる)。 そんなパルチザンが91年7月に来日して、大宮サッカー場(現NACK5スタジアム大宮)では1-1、三ツ沢球技場(現ニッパツ三ツ沢)では1-0で日本を下している。 当時のパンフレットによると、オーディオ・ビジュアル機器メーカーのアイワ(aiwa)がパルチザンの胸スポンサーだったことから「日本 ユーゴスラビア親善サッカー」として開催されたことが紹介されている。 前年に開催されたイタリアW杯で、ユーゴは準々決勝でマラドーナ率いるアルゼンチンにPK戦で負けたものの、“ピクシー(妖精)”ストイコビッチが注目を集めただけに、タイミングとしてはマッチしていたのかもしれない(残念ながらストイコビッチはレッドスター所属)。 イタリアW杯でユーゴを率い、パルチザンでも監督として来日したのがイビチャ・オシム氏だったことを知ったのは、彼が日本代表の監督に就任してからだった。それよりも驚いたのは、ユーゴ大使館で開催されたパーティーだった。 ホールでの駐日ユーゴスラビア大使の挨拶が終わると、選手は急いで別室に用意されていたバイキング形式の食堂に駆け込み、タバコを吸いながらビールやワインを飲んでいる。紫煙で食堂がかすむほど、選手は一斉にタバコを吸っていた。 「プロなのに(厳密に言うと社会主義連邦共和国である旧ユーゴにプロは存在しないが、似たようなものだと思っていた)昼間からアルコールを飲んでタバコを吸っていいのか」と訝しんだものだ。 当時の記録によると、大宮での観衆は9500人、三ツ沢が1万人となっているが、正式にカウントしたのではなく、目分量で「だいたい、こんなところだろう」と記録係が決めた可能性が高い。それだけ注目度も低かったということだ。 当時の日本代表は横山ジャパンの時代で、日本国籍を取得したラモス瑠偉とブラジルから帰国した三浦知良が加わり、さらに大学生だった森山泰行(順天堂大)、礒貝洋光(東海大)らを抜擢するなど若返りを図っていた。 しかしこの2試合後、7月27日に長崎県諫早市で開催された日韓定期戦で0-1と敗退。その後のバルセロナ五輪アジア最終予選でもU-23日本代表は6チーム中5位に終わり、横山監督は更迭された。 93年に始まるJリーグを控え、続々と選手がプロ契約を結んでいくなかで、監督だけがアマチュアのボランティアでは限界があると、当時の川淵三郎技術委員長は考えていたのも当然である。 そして翌年の3月にハンス・オフト監督と契約するまで、9カ月近くも日本代表の活動は一切ないという異常事態(92年5月のキリンカップがオフト監督の初陣)だったが、当時はそれを誰もおかしいとは思わなかったこと自体、異常だったと言える。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.05.03 21:30 Mon
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カズがルヴァン杯で最年長出場記録を更新/六川亨の日本サッカー見聞録

ルヴァンカップのグループステージ8試合が28日に行われ、横浜FCの三浦知良(カズ)が54歳2カ月2日の最年長出場記録を更新した。 とはいっても、それほど大きな話題にならなかったのは、横浜FCが2-0とリードした後半45分からの出場だったからだろう。カズ自身の衰えぬ現役へのこだわりと、そのための厳しい修練には頭の下がる思いだが、それでも“引退のタイミング”を逃してしまった印象を拭えないのは私だけだろうか。 カズが横浜FCに加入したのは2005年のことだった。東京プリンスホテルで開催された入団会見で、「サントスでプロデビューし、イタリアのジェノアや神戸でプレーし、不思議と港町のクラブに縁があります」と話したことをいまでも覚えている。 この05年はカズにとってもクラブにとってもターニングポイントだった。学校や病院の給食、企業の社内食堂を展開するLEOCが筆頭株主になり、カズだけでなく山口素弘、望月重良ら元日本代表を補強。監督には元JAPANサッカーカレッジの足達勇輔を招聘した。 ところが翌06年3月4日のJ2リーグ開幕戦で愛媛に0-1で敗れると、足達監督はわずか1試合で解任される。これはいまでも最短記録である。そして後任にはコーチだった高木琢也が就任した。 高木監督は第2節から第18節まで15戦無敗(9勝6分け)などの記録で勝点を積み上げ、念願のJ2リーグ優勝とJ1昇格を勝ち取った。初めてのJ1リーグ開幕戦はアウェーの浦和戦。埼玉スタジアムでの試合は、この年から加入した“ドラゴン”こと久保竜彦の超ロングシュートで一時は1-1の同点に追いついたが、浦和の永井雄一郎に決勝点を決められた。 そして高木監督は8月の横浜ダービーで1-8と大敗後に解任され、チームも最下位に終わりJ2へと降格した。 その後、チームの指揮官はジュリオ・レアル、都並敏史、樋口靖洋、岸野晴之、山口素弘、ミロシュ・ルス、中田仁司、タヴァレス、下平隆宏と9人が務め、今シーズン途中で成績不振から下平監督は解任され、ユースチーム監督の早川知伸が指揮を執ることになった。 この間、カズは一選手として黙々とトレーニングに励み、出場に向けて準備をするだけだった。10年前は両親や叔父さんなどが試合観戦によく訪れたものの、近年はその回数もだいぶ減った。 LEOCのグループ会社の代表取締役社長である小野寺氏はカズの大ファンのため、「何歳になってもカズに引退を勧めることはない」とか、「カズを試合に起用しない監督は解任される」といった憶測も流布されているが、それはカズに失礼な話だろう。 いつ訪れるかわからない出場機会に備えてトレーニングを積むことほど、精神的に苦しいことはないと思うからだ。それでもカズが引退を決意するとしたら、それはゴールを決めた時ではないだろうか。ストライカーの矜持として、J1リーグでのゴールでサッカー人生を締めくくる。ダンスを踊るかどうかは別にして、その瞬間に立ち会いたいと思うのは私だけではないだろう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.04.29 19:25 Thu
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ESL構想はあっけなく崩壊/六川亨の日本サッカー見聞録

「大山鳴動して鼠一匹」ではないが、欧州スーパーリーグ(ESL)構想はたったの1~2日で崩壊したようだ。 イングランド・プレミアリーグのアーセナル、チェルシー、リバプール、マンチェスター・シティ、マンチェスター・ユナイテッド、トッテナムの6クラブ、スペインのレアル・マドリー、バルセロナ、アトレティコ・マドリーの3クラブ、そしてセリエAのユベントス、インテル、ミランの3クラブが参加して創設される予定だったESL。しかし創設の発表直後からUEFA(欧州サッカー連盟)とFIFA(国際サッカー連盟)はもちろんのこと、各国FA(協会や連盟)と各クラブの監督や選手、著名なOB選手、ファン・サポーター、さらにイングランドでは政界も巻き込んでの大ブーイングが起こった。 その結果、イングランドの6クラブは早々にESLからの離脱を表明。そしてインテルとミラン、アトレティコも6クラブに続き撤退を表明している。 このESL構想、過去にも何度か創設が噂に上ったものの、いずれも消滅してきた歴史がある。例えは古いが詐欺の口実に使われる「M資金(第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領下の日本で接収した財産などを基に、現在も極秘に運用されていると噂される秘密資金)」のようなものだ。 古くは1998年頃からESLの構想はあった。「強豪同士の試合を増やせばスタジアムは満杯になる」というビッグクラブのオーナーの発想で、それは今も変らない。そこでUEFAは各国のカップ戦の勝者が戦うカップ・ウィナーズ・カップを廃止して、CL(チャンピオンズ・リーグ)の出場チームを24から32に増やし、イングランドやイタリア、スペイン、ドイツといった実績のある国には出場権を4クラブに増やした。 次に創設が噂されたのは2010年のこと。今回と同様にレアルのフロレンティーノ・ペレス会長が創設を訴えた。彼曰く、「The best always play the best」(強豪は、いつも強豪と戦う)と、CLから脱退して欧州4大リーグの上位チームによる欧州スーパーリーグ構想をぶち上げた。 しかしこの時も具体的な参加チームなどが発表されるわけではなく(クラブからの参加の意思表示はなく)、ペレス会長のかけ声倒れに終わった。 そんなESL構想が、今回は12クラブが参加を表明したのは、ひとえにコロナ禍の影響に他ならないだろう。Jリーグは制限があるとはいえ有観客で試合を開催しているが、ヨーロッパの主要リーグはいまなお無観客だ。このため入場料収入はもちろんのこと、飲食やレプリカユニホームなどの物販からの収入もない。 にもかかわらず、選手とスタッフには賃金を払い、試合運営のための経費もかかる。昨年10月、バルセロナは約250億円の減収により、最終的に約120億円の赤字になったとAFP(フランス通信社)が報じていた。おそらく他のビッグクラブも似たような財政事情だろうし、現状では放映権料の引き上げ交渉も難しいだろう。 そのためのESL構想だったが、今回はファン・サポーターが「NO」の意思表示をしたことで、クラブも考えを改めざるをえなかったのではないだろうか。なぜなら彼を抜きにクラブの存続はありえないからだ。これはこれで、サッカー界にとって健全なリアクションではないだろうか。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.04.23 20:35 Fri
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Jリーグジャッジリプレイで原副チェアマンはレッドに理解を示す/六川亨の日本サッカー見聞録

今週の「Jリーグジャッジリプレイ#6」で最初に取り上げられたプレーが、4月7日に開催されたJ1リーグ第8節のFC東京対札幌戦の後半10分のプレーだった。スコアは0-0。しかしFC東京は前半29分にFW小柏の独走を体当たりで阻止したCB渡辺剛が1発レッドで退場となっていた。 FC東京はCB岡崎がカバーに入れたかもしれないが、渡辺剛のアプローチはボールではなく明らかに体をぶつけに行っただけに、VARを採用するまでもなく主審は退場処分とした。 当の渡辺剛は15日のズーム会見で、「失点につながるプレーだったので、自分としては食い止めたい、ピンチになるのを止めたかったので体をぶつけに行った」と先週のプレーを冷静に振り返りつつ、「もったいないことをしたが、恥じてはいません。結果として(札幌に)勝てたが、次の試合(川崎F)が出場停止でチームに迷惑をかけてしまった」と揺れ動く心境を素直に話した。 問題のプレーは後半10分、自陣バイタルエリア付近でルーズボールを拾ったディエゴ・オリベイラがドリブル突破を試み、札幌のペナルティエリアに迫ろうとしたところでCBキム・ミンテに倒された。 主審は最初、キム・ミンテにイエローカードを出したが、VARが採用され、オンフィールドレビューの結果、レッドカードに変更。守備の要を失った札幌は、このFKからディエゴ・オリベイラに先制点を許した。 このイエローからレッドに変わったカードについて、「Jリーグジャッジリプレイ」でJリーグウォッチャーの平畠啓史氏は、VARの介入条件である「明白な」シーンだったかどうかに疑問を呈しつつ、「僕の印象ではイエローでいいのかなという気がする」と主審の最初の判断を支持した。 面白かったのはJリーグ副チェアマンの原博実氏の見解だった。 原氏は「難しいけど、この試合のシチュエーション(前半にFC東京の渡辺剛が退場していた)で言うと、やはりドグソ(決定的な得点機会の阻止)になってしまうんだろうなという気がした」とコメント。これは、選手・監督経験者ならではの発想である。 VARを始めとする様々なテクノロジーが導入される以前は、主審のジャッジが最終判断だった。そこで、Aというチームに退場者が出たら、試合の公平性を保つために主審は数的優位にあるBチームから退場者を出すケースが往々にしてあった。 これはルールブックに明記されているわけではないし、試合後の主審もコメントを出すことはない。いわば万国共通の「暗黙のルール」のようなものだった。 だから数的優位にあるBチームの選手は、経験や肌感覚から主審が退場者を出すのではないかと察し、「余計なファウルはするな!」とお互いに声がけして気をつけ合ったものである。それは記者席から見ていても「それをやったらダメでしょ。イエロー2枚で退場だよ」というシーンを何度か目撃した。 だからこそ原氏も「この試合のシチュエーションで言うと、やはり」と、自身の経験からレッドになっても仕方がないと思ったのではないだろうか。 最終的な結論としては、深野悦子審判インストラクターの、メインスタンドからのカメラではイエローカードと思ったものの、ゴール裏に近いカメラからの映像を見てレッドカードと思ったということに落ち着いた。 深野インストラクターいわく「ポイントとなるのがペナルティエリアの角です。割と幅に近いところ、いわゆる45度ぐらいでした。そうすると、シュートに持っていけると思える。最初の印象では、もうちょっとタッチラインに寄っているので、角度がないのではないかと思ったんですけど、十分にいい角度だった。そういう意味では違う映像を見てドグソに変わりました」と、VARの介入と主審の判断を妥当だったと認めた。 このシーンについては、主審もオンフィールドレビューを3分近く繰り返し見ていた。それだけジャッジが難しいプレーだったということだろう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> <span class="paragraph-title">【動画】2選手が退場となったFC東京vs札幌ハイライト</span> <span data-other-div="movie"></span> <script src="//player.daznservices.com/player.js#44a12140e3dda008f998a5a1a9.1tybkqliqmgvi1ndbmyxnzxqc3$videoid=bptf6kfoayk21f13nas15x2bb" async></script> 2021.04.15 22:01 Thu
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