マンチェスター・ユナイテッドのユニ苦情で障害者への気づき/六川亨の日本サッカー見聞録
2021.02.05 12:25 Fri
ちょっと前の出来事だが、1月17日のイングランド・プレミアリーグ、リバプール対マンチェスター・ユナイテッド戦のユニホームについてSNSに苦情が殺到した。それを毎日新聞の1月27日夕刊が一面で大々的に報じたことがあった。
苦情の内容は、リバプールがホームカラーである「赤」のユニホームを着用したのに対し、マンチェスター・Uはアウェーのユニホームとして「深緑」のユニホームを着用。これ自体は特に問題になるとは思われなかったが、色覚障害を持つ人々にとって「深緑」は「黒」に見え、同じく濃い色の「赤」と見分けがつきにくかったことが問題になった。
毎日新聞によると、国内では男性で20人に1人、女性で500人に1人、計約320万人以上に色覚障害があるという。そして冒頭の問題は14年のCL(チャンピオンズリーグ)でも発生し、プレミアリーグでは試合の10日前に対戦チームが着用するユニホームを提出し、色覚障害を持っていても識別できるかどうかをチェックしてきたそうだ。
今回も試合前に紛らわしいことが指摘されたものの、マンチェスター・Uがストッキングを「深緑」から「白」に変更することで許可されたという。しかし近年は「スマホなど小さな画面で試合を見るファンも増えているため、対応として不十分だった」との識者の声を掲載していた。
これらの記事を読んで思い出したのがテレビとサッカー(W杯)の関係である。
日本が銅メダルを獲得した68年メキシコ五輪でも、ブラジルが3度目の優勝を果たした70年メキシコW杯でも、この「白黒」ボールが試合球として初めて使われた。
この「白黒」のボールが登場したのは60年代と言われている。それ以前は「白」一色のボールが一般的だった(さらにその前になると「茶色」一色で革紐がついていたそうだが、さすがにそのボールを蹴った経験はない)。
ではなぜ「白黒」のボールが登場したかというと、テレビの普及と無関係ではないらしい。当時のテレビはもちろんモノクロだ。このため「単色」だとテレビでは見にくいこと、「白黒」だと土のグラウンドでも見分けやすいこと、選手(特にGK)にとってはボールの回転がわかりやすいことなどの利点があって急速に普及した。
そしてユニホームについてだが、FIFA(国際サッカー連盟)は近年まで「色つきユニホーム」同士の対戦を認めていなかった。どちらかが「色つき」なら、対戦相手は基本的に「白」を着用しなければならなかった。
これは元FIFA会長のジョアン・アベランジェの戦略として、「発展途上国へのサッカーの普及」があったからだ。
日本は64年の東京五輪を契機にテレビのカラー化が進んだものの、一般の家庭に普及したのは70年代後半だった。しかしながらアフリカを始めとする発展途上国では80年代に入ってもカラーテレビの普及は進まず、まだまだモノクロのテレビでW杯を視聴する人々が多かった。
このため「赤」対「青」のユニホームの試合では、濃淡の差こそあるものの見分けがつきにくい。このためFIFAは長らく「色」対「白」のユニホームの着用を義務づけてきた。例えば06年ドイツW杯決勝は「青(イタリア)」対「白(フランス)」、3位決定戦は「白(ドイツ)」対「エンジ(ポルトガル)」、準決勝なら「白(フランス)」対「エンジ(ポルトガル)」、「青(イタリア)」対「白(ドイツ)」といった具合だ。
それが10年南アW杯決勝では「赤(スペイン)」対「オレンジ(オランダ)」、14年ブラジルW杯決勝は「白(ドイツ)」対「青(アルゼンチン)」、18年ロシアW杯決勝は「青(フランス)」対「白と赤のチェック(クロアチア)」と「色」対「色」の試合が許されるようになった。
その詳細な理由はわからないが、発展途上国では大がかりな工事が必要な固定電話よりもスマホの普及率が高いように、カラーテレビよりスマホやタブレットで試合を視聴するファンが多くなったからかもしれない。
しかし今回の件で色覚障害者に配慮する必要が指摘された。
Jリーグは今シーズンから、視認性に優れたユニバーサルデザインの書体と色彩による背番号と選手名を導入する。過去の例ではデザインを優先した背番号のため「2」と「7」、「11」と「17」など区別のつきにくい番号があったし、縞模様のユニホームにより背番号が見にくかったり、濃い色だと汗をかくことによってさらに濃くなり背番号を判別できなかったりすることが多かった。
それらを解消し、色覚障害者にも判別しやすいよう専門家からアドバイスを受けて視認性を確保するようだが、今回の変更は背番号と名前に限られ、ユニホームの「色」までは規定されていない。こちらはシーズンが始まってからでも構わないので、実際の試合から専門家にアドバイスをもらうなど色覚障害者への配慮もお願いしたい。
苦情の内容は、リバプールがホームカラーである「赤」のユニホームを着用したのに対し、マンチェスター・Uはアウェーのユニホームとして「深緑」のユニホームを着用。これ自体は特に問題になるとは思われなかったが、色覚障害を持つ人々にとって「深緑」は「黒」に見え、同じく濃い色の「赤」と見分けがつきにくかったことが問題になった。
毎日新聞によると、国内では男性で20人に1人、女性で500人に1人、計約320万人以上に色覚障害があるという。そして冒頭の問題は14年のCL(チャンピオンズリーグ)でも発生し、プレミアリーグでは試合の10日前に対戦チームが着用するユニホームを提出し、色覚障害を持っていても識別できるかどうかをチェックしてきたそうだ。
これらの記事を読んで思い出したのがテレビとサッカー(W杯)の関係である。
いまでこそサッカーボールはカラフルになり、大会ごとに違うデザインのボールが使われたり、W杯やCLではデザインが一新されたりするのは通例となった。それ以前のサッカーボールはというと、五角形と六角形の革を貼り合わせた「白黒」のサッカーボールを思い出すのではないだろうか。
日本が銅メダルを獲得した68年メキシコ五輪でも、ブラジルが3度目の優勝を果たした70年メキシコW杯でも、この「白黒」ボールが試合球として初めて使われた。
この「白黒」のボールが登場したのは60年代と言われている。それ以前は「白」一色のボールが一般的だった(さらにその前になると「茶色」一色で革紐がついていたそうだが、さすがにそのボールを蹴った経験はない)。
ではなぜ「白黒」のボールが登場したかというと、テレビの普及と無関係ではないらしい。当時のテレビはもちろんモノクロだ。このため「単色」だとテレビでは見にくいこと、「白黒」だと土のグラウンドでも見分けやすいこと、選手(特にGK)にとってはボールの回転がわかりやすいことなどの利点があって急速に普及した。
そしてユニホームについてだが、FIFA(国際サッカー連盟)は近年まで「色つきユニホーム」同士の対戦を認めていなかった。どちらかが「色つき」なら、対戦相手は基本的に「白」を着用しなければならなかった。
これは元FIFA会長のジョアン・アベランジェの戦略として、「発展途上国へのサッカーの普及」があったからだ。
日本は64年の東京五輪を契機にテレビのカラー化が進んだものの、一般の家庭に普及したのは70年代後半だった。しかしながらアフリカを始めとする発展途上国では80年代に入ってもカラーテレビの普及は進まず、まだまだモノクロのテレビでW杯を視聴する人々が多かった。
このため「赤」対「青」のユニホームの試合では、濃淡の差こそあるものの見分けがつきにくい。このためFIFAは長らく「色」対「白」のユニホームの着用を義務づけてきた。例えば06年ドイツW杯決勝は「青(イタリア)」対「白(フランス)」、3位決定戦は「白(ドイツ)」対「エンジ(ポルトガル)」、準決勝なら「白(フランス)」対「エンジ(ポルトガル)」、「青(イタリア)」対「白(ドイツ)」といった具合だ。
それが10年南アW杯決勝では「赤(スペイン)」対「オレンジ(オランダ)」、14年ブラジルW杯決勝は「白(ドイツ)」対「青(アルゼンチン)」、18年ロシアW杯決勝は「青(フランス)」対「白と赤のチェック(クロアチア)」と「色」対「色」の試合が許されるようになった。
その詳細な理由はわからないが、発展途上国では大がかりな工事が必要な固定電話よりもスマホの普及率が高いように、カラーテレビよりスマホやタブレットで試合を視聴するファンが多くなったからかもしれない。
しかし今回の件で色覚障害者に配慮する必要が指摘された。
Jリーグは今シーズンから、視認性に優れたユニバーサルデザインの書体と色彩による背番号と選手名を導入する。過去の例ではデザインを優先した背番号のため「2」と「7」、「11」と「17」など区別のつきにくい番号があったし、縞模様のユニホームにより背番号が見にくかったり、濃い色だと汗をかくことによってさらに濃くなり背番号を判別できなかったりすることが多かった。
それらを解消し、色覚障害者にも判別しやすいよう専門家からアドバイスを受けて視認性を確保するようだが、今回の変更は背番号と名前に限られ、ユニホームの「色」までは規定されていない。こちらはシーズンが始まってからでも構わないので、実際の試合から専門家にアドバイスをもらうなど色覚障害者への配慮もお願いしたい。
マンチェスター・ユナイテッドの関連記事
J1の関連記事
|
|
マンチェスター・ユナイテッドの人気記事ランキング
1
元ユナイテッドSDがFAに復帰…新設のチーフ・フットボール・オフィサーに就任
元マンチェスター・ユナイテッドのスポーツディレクター(SD)、ダン・アシュワース氏が、イングランドサッカー協会(FA)に復帰することになった。 FAは14日、アシュワース氏が新設のチーフ・フットボール・オフィサーに就任すると発表。同職ではイングランド代表の男女チームと緊密に連携していくことになるという。 昨年12月にユナイテッドのSDをわずか5カ月で退任したアシュワース氏。それ以前にはブライトン&ホーヴ・アルビオン、ニューカッスルで手腕を発揮しており、国内外のクラブからのオファーも想定されていたが、2018年まで6年間に渡って勤務していたFAに復帰することになった。 アシュワース氏は、セント・ジョージズ・パークの再開発を監督し、2028年に開催されるユーロ2028の共催に向け、競技施設とピッチの改善を目指す。 さらに、この新役職は、男子フットボールのテクニカルディレクターであるジョン・マクダーモット氏と緊密に連携するとともに、FAの最高経営責任者(CEO)であるマーク・ブリンガム氏とも連携する。 また、イングランド国内の地元出身のコーチの育成にも携わる予定だという。 2025.05.15 16:30 Thu2
フレッチャー氏の双子の息子がユナイテッドとプロ契約 シティのアカデミーから昨夏加入
マンチェスター・ユナイテッドがクラブOBの息子たちとプロ契約を交わしたようだ。 そのクラブOBとは元スコットランド代表MFのダレン・フレッシャー氏だ。ユナイテッドではアカデミー出身の選手として2003〜2015年まで活躍。当時のチームが華やかなメンツで彩られるなか、豊富な運動量と献身性をもってして中盤の主力としてプレーした。 そんなフレッシャー氏も40歳となり、古巣ユナイテッドのテクニカルディレクターを務める傍ら、私生活では大きく育った息子たちのパパ。双子のジャックとタイラーは昨夏にマンチェスター・シティのアカデミーからユナイテッドのアカデミーに移籍し、話題を集めた。 イギリス『デイリー・メール』によると、2人はユナイテッド入りして以来、印象的で、ジャックの方はエリク・テン・ハグ監督に好印象を与えてシニアチームの練習に急きょ参加したほど。今年3月19日が17歳の誕生日だった両者は揃ってプロ契約にサインしたという。 今季のシニアチームではマーカス・ラッシュフォード、スコット・マクトミネイ、アレハンドロ・ガルナチョに続き、アカデミー出身選手からコビー・メイヌーが台頭。ジャックとタイラーも父を追うように将来のシニアチームで活躍が期待されるが、いかに。 2024.04.04 13:15 Thu3
ユナイテッドの組織改革続く! 新TDにサウサンプトンからウィルコックスFDを招へい
マンチェスター・ユナイテッドが新たなテクニカルディレクター(TD)を招へいした。 ユナイテッドは19日、ジェイソン・ウィルコックス氏(52)のTD就任を発表。今後、ウィルコックス氏はフットボール部門の技術分野に携わっていくという。同氏は昨夏からサウサンプトンのフットボールディレクターとして活躍。かつてはマンチェスター・シティでアカデミーディレクターなどを歴任した。 ユナイテッドでは共同オーナーに就任したジム・ラトクリフ氏のもと、組織改革の動きがあり、シティを束ねるシティ・フットボール・グループ(CFG)から最高執行責任者(COO)のオマル・ベラダ氏を新たな最高経営責任者(CEO)として引き抜きに成功済み。ウィルコックス氏はそれに続く入閣となった。 昨夏にウィルコックス氏を招へいしたばかりのサウサンプトン側もユナイテッド側と不本意ながらの合意を明らかに。納得のいく補償金を受け取るという。移籍市場に精通するイタリア人記者のファブリツィオ・ロマーノ氏によると、即時のユナイテッド行きとなり、夏の移籍市場にも関わっていく模様だ。 なお、ユナイテッドは新スポーツディレクター(SD)として、ニューカッスル・ユナイテッドからダン・アシュワース氏の招へいにも乗り出しており、ロマーノ氏いわく、こちらも話し合いが続いているそうだ。 2024.04.20 11:20 Sat4
“ジャンピングチョップ事件”いまだ和解なし、ファン・ニステルローイが宿敵との騒動を振り返る
▽現役時代にマンチェスター・ユナイテッドで活躍した元オランダ代表FWルート・ファン・ニステルローイ氏が、宿敵との騒動を振り返った。イギリス『インデペンデント』が伝えた。 ▽事件は約13年前のオールド・トラフォード、マンチェスター・ユナイテッドvsアーセナルで起こった。当時のプレミアリーグは、ユナイテッドとアーセナルの2強時代。MFロイ・キーン、MFパトリック・ヴィエラという闘将に率いられていた両者の直接対決は、常に意地と意地がぶつかり合う激闘だった。 ▽そして試合では、0-0で迎えたアディショナルタイムにFWディエゴ・フォルランがボックス内でDFマーティン・キーオンに倒されてPKを獲得。しかし、このPKキッカーを務めた名手ファン・ニステルローイは、シュートをバーに当ててしまった。 ▽そして、試合は0-0のまま終了。宿敵の絶対的エースがPKを失敗したことにより勝ち点を獲得してテンションが上がったアーセナルの選手たちは、試合終了の笛とともにファン・ニステルローイを囲んで挑発。試合中も激しくやりあっていたキーオンは、ファン・ニステルローイに“ジャンピングチョップ”を敢行した。 ▽オックスフォード大学での講義にゲストとして参加したファン・ニステルローイ氏は、「キーオンに街でたまたま会ったら、どのように振舞うのか?」と尋ねられると、冗談交じりに「彼は再び私の上に飛んでくるだろう(笑)。時代を生きていくには、クレバーじゃないといけないと思ったよ」と語り、会場の笑いを誘った。 ▽一方、この事件があった2003-04シーズンにプレミアリーグ無敗優勝を経験したキーオン氏は先月、当時について以下のように振り返っていた。 「おそらく、私は過剰な反応を見せてしまった。ルート・ファン・ニステルローイは、ブラックリスト入りする信用できない敵だった。彼はトッププレーヤーであり、ファイターだったが、どんな手を使ってでも相手を打ちのめそうとするような選手だった」 2016.02.08 20:42 Mon5
