ディ・バイオがユベントスで決めた火を噴くような豪快ドライブボレー【インクレディブル・ゴールズ】
2020.09.27 21:30 Sun
サッカーファンなら誰もが一度は見たことがあるであろう歴史に残るスーパーゴール。今回の企画『Incredible Goals』(信じられないゴール)では、これまでに生まれた驚愕のゴールを紹介していく。
ラツィオでプロデビューを果たしたディ・バイオ氏は、多くのセリエAクラブを渡り歩き、2002年にユベントスに加入。リーグ優勝に貢献するなど、存在感を示した。
思い切りの良いシュートを武器に、ユベントスでは公式戦84試合で28ゴールを記録したディ・バイオ氏だが、2003年11月1日に行われたセリエA第8節のミラン戦では、豪快なボレーシュートを決めている。
0-1とミランにリードを許して迎えた84分、中央突破を図ったユベントスは、ディ・バイオが前線のFWダビド・トレゼゲにパスを送る。トレゼゲがこれをアウトサイドで叩き、浮き球のリターンパスを出すと、ディ・バイオが思い切りの良いボレーシュート。
試合はこのまま1-1のドローで終了。ユベントスは、敵地で貴重な勝ち点1を得た。
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今回は元イタリア代表FWマルコ・ディ・バイオ氏がユベントス時代に決めたゴールだ。◆ディ・バイオが決めた思い切りの良いドライブボレー
ラツィオでプロデビューを果たしたディ・バイオ氏は、多くのセリエAクラブを渡り歩き、2002年にユベントスに加入。リーグ優勝に貢献するなど、存在感を示した。
0-1とミランにリードを許して迎えた84分、中央突破を図ったユベントスは、ディ・バイオが前線のFWダビド・トレゼゲにパスを送る。トレゼゲがこれをアウトサイドで叩き、浮き球のリターンパスを出すと、ディ・バイオが思い切りの良いボレーシュート。
左足から放たれた強烈なシュートはドライブしながらゴール左上に突き刺さり、見事な同点ゴールとなった。
試合はこのまま1-1のドローで終了。ユベントスは、敵地で貴重な勝ち点1を得た。
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