プレミアでも笛を吹いた元世界最優秀主審、ロックダウン期間を利用しかつての輝きを取り戻す

2020.05.07 19:30 Thu
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かつてプレミアリーグで主審を務め、世界最優秀審判賞も受章したことのあるマーク・クラッテンバーグ氏が、コロナ禍であることを試みた。クラッテンバーグ氏は、2006年にイングランドでは当時の史上最年少となる30歳でFIFAレフェリーとなり、2016年には世界最優秀審判賞を受賞した。

主審としては2012年のロンドン・オリンピック男子決勝や、2015-16シーズンのチャンピオンズリーグ決勝、2016年のユーロ決勝などでも笛を吹いていた。
2017年からはサウジアラビア、2019年からは中国で仕事をしているクラッテンバーグ氏だが、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大を受けてロックダウン(都市封鎖)が行われる前に、植毛をしていたようだ。イギリス『サン』が伝えた。

クラッテンバーグ氏は、現在45歳。このロックダウン後には元の髪型を取り戻そうと目論んだようだ。
すでに8500本の植毛をしていたクラッテンバーグ氏は、頭頂部や周りにおよそ1700本を植毛したとのこと。イングランドのハロゲイトにあるMHRクリニックで施術したようだ。

クラッテンバーグ氏は「私は海外で働いている間、頭頂部の毛が薄くなった。そして、毛髪移植が必要だった」とコメント。「手順はとても簡単です。今、私は再び髪の毛全体を取り戻しました」と語り、植毛に満足しているようだ。

なお、このMHRクリニックは、マンチェスター・ユナイテッドで活躍し、現在はウェールズ代表監督を務めるライアン・ギグス氏も昔から利用していたとのこと。2019年12月には仲間とともに買収していた。

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