横浜FM退団の飯倉大樹、神戸移籍の決断を涙ながらに語る「こんな日が来るんだなあ」
2019.07.26 21:39 Fri
横浜F・マリノスは26日、翌日に控えるマンチェスター・シティとの親善試合に向けて、本拠地である日産スタジアムで公開練習を行った。
同日にヴィッセル神戸への移籍が発表されたGK飯倉大樹が練習後、囲み取材に対応。9歳の頃からユースで育ち、33歳のこの日まで20年以上過ごした横浜FMを離れるという決断について涙ながらに話してくれた。
「20年以上、育成からやってきてこんな日が来るんだなあと思ってます。記者会見で泣くやつわかるなあ。みんなの前では泣かなかったんですけど」
「記者のみんなが発信してくれて俺の言葉が出ると思うとすごい感慨深い。メディアの中には長く一緒にやってくれた人も、短い人もいる。ファンやサポーター、スタッフ、チームメイトにも感謝なんだけど、俺の声を届けてくれることはすごく感謝してます」
「プロ生活は15年間、マリノスでやってますけど、良いも悪いも記憶や印象は多い。ファンのみんなもそうかもしれない。みんなの印象に残ってもらえて、良い悪いを言ってもらえて本当に幸せだったし、みんなの記憶の中に残ってくれたらすごく嬉しい。マリノスがこれから強くなって優勝争いして…。自分がそういう土台になれたんじゃないかとちょっとは思っています」
神戸移籍は自分一人の決断ではなかったと飯倉は語る。
「自分自身でこの移籍を決めたわけじゃないというか。このオファーを貰った時に相談した先輩やチームメイトからもらった言葉が俺を押してくれて決断することが出来たんだけど、今はそれがマリノスの選手として本当に正しかったのか毎日自問自答している。本当に眠れないことがあるんだなあと」
「でもサッカー人生が終わったときに、チャレンジしたことや大切な仲間が近くにいたことが大事だと思う。だから今は毎日寂しさがあるけど、その中でもチャレンジすることを選びました。みんなのおかげです」
しかし、やはり横浜FMを離れることに心残りはあるようだ。飯倉にとって横浜FMというクラブの存在は「朝起きて歯磨きしたりご飯食べるように、当たり前のように俺の傍にあった」という。
「マリノス愛って言ったらすごく簡単ですけど。今33歳でマリノスのスクールに入ったのが9歳の時。3分の2以上マリノスとともに歩んできて、朝起きて歯磨きしたりご飯食べるように、当たり前のように俺の傍にはマリノスがあった。辛くても苦しくてもずっとマリノスがいてくれた。こんなに良いチームを離れることが一番心残りだったかな。とにかくタイトル獲りたいという気持ちが一番強かった。それを簡単に言うとマリノス愛だったのかな」
チームメイトの栗原勇蔵や大津祐樹、和田拓也ら年齢の近い選手に相談したという飯倉。中村俊輔も「背中を押してくれた」という今回の移籍。記者からの『今後どんなサッカー人生を送りたいか』という質問にこう答えた。
「マリノスで終わらせたいと思ってたし、試合に出なくなってからは契約を全うして引退してもいいかなと思ってた。それをみんなの後押しで神戸に行くと決めた以上、神戸には自分のすべてを出しながら向上して、それでもだめなら引退を考えるけど」
「サッカー人生を終えたときに、あの時移籍しておけばよかったなあという思いをしたくなかった。マリノスが良かったと思うかもしれないけど、神戸が良かったと思うこともあるかもしれない。それは引退するときしかわからない。消極的な決断をして良い結果は生まれないので、引退まではチャレンジしたいと考えた。引退を考える年だけど、神戸が出してくれた契約年数は精一杯頑張って、引退か続行か考えたい」
このマンチェスター・シティ戦が横浜FMでの最後の試合となる飯倉。相手は自身も尊敬するチームだが、それでも「ファンのために出れたらいいな」と、最後まで“マリノス愛”を貫いた。
同日にヴィッセル神戸への移籍が発表されたGK飯倉大樹が練習後、囲み取材に対応。9歳の頃からユースで育ち、33歳のこの日まで20年以上過ごした横浜FMを離れるという決断について涙ながらに話してくれた。
「記者のみんなが発信してくれて俺の言葉が出ると思うとすごい感慨深い。メディアの中には長く一緒にやってくれた人も、短い人もいる。ファンやサポーター、スタッフ、チームメイトにも感謝なんだけど、俺の声を届けてくれることはすごく感謝してます」
「プロ生活は15年間、マリノスでやってますけど、良いも悪いも記憶や印象は多い。ファンのみんなもそうかもしれない。みんなの印象に残ってもらえて、良い悪いを言ってもらえて本当に幸せだったし、みんなの記憶の中に残ってくれたらすごく嬉しい。マリノスがこれから強くなって優勝争いして…。自分がそういう土台になれたんじゃないかとちょっとは思っています」
「退場したりチョンボしたり前に出過ぎだと言われたり、テツ君(榎本哲也/現・カターレ富山)と勝負して試合に出たり出なかったり。シゲさん(松永成立)と喧嘩したり。このプロ生活っていうのを経験豊かなものにさせてもらったという気持ちです」
神戸移籍は自分一人の決断ではなかったと飯倉は語る。
「自分自身でこの移籍を決めたわけじゃないというか。このオファーを貰った時に相談した先輩やチームメイトからもらった言葉が俺を押してくれて決断することが出来たんだけど、今はそれがマリノスの選手として本当に正しかったのか毎日自問自答している。本当に眠れないことがあるんだなあと」
「でもサッカー人生が終わったときに、チャレンジしたことや大切な仲間が近くにいたことが大事だと思う。だから今は毎日寂しさがあるけど、その中でもチャレンジすることを選びました。みんなのおかげです」
しかし、やはり横浜FMを離れることに心残りはあるようだ。飯倉にとって横浜FMというクラブの存在は「朝起きて歯磨きしたりご飯食べるように、当たり前のように俺の傍にあった」という。
「マリノス愛って言ったらすごく簡単ですけど。今33歳でマリノスのスクールに入ったのが9歳の時。3分の2以上マリノスとともに歩んできて、朝起きて歯磨きしたりご飯食べるように、当たり前のように俺の傍にはマリノスがあった。辛くても苦しくてもずっとマリノスがいてくれた。こんなに良いチームを離れることが一番心残りだったかな。とにかくタイトル獲りたいという気持ちが一番強かった。それを簡単に言うとマリノス愛だったのかな」
チームメイトの栗原勇蔵や大津祐樹、和田拓也ら年齢の近い選手に相談したという飯倉。中村俊輔も「背中を押してくれた」という今回の移籍。記者からの『今後どんなサッカー人生を送りたいか』という質問にこう答えた。
「マリノスで終わらせたいと思ってたし、試合に出なくなってからは契約を全うして引退してもいいかなと思ってた。それをみんなの後押しで神戸に行くと決めた以上、神戸には自分のすべてを出しながら向上して、それでもだめなら引退を考えるけど」
「サッカー人生を終えたときに、あの時移籍しておけばよかったなあという思いをしたくなかった。マリノスが良かったと思うかもしれないけど、神戸が良かったと思うこともあるかもしれない。それは引退するときしかわからない。消極的な決断をして良い結果は生まれないので、引退まではチャレンジしたいと考えた。引退を考える年だけど、神戸が出してくれた契約年数は精一杯頑張って、引退か続行か考えたい」
このマンチェスター・シティ戦が横浜FMでの最後の試合となる飯倉。相手は自身も尊敬するチームだが、それでも「ファンのために出れたらいいな」と、最後まで“マリノス愛”を貫いた。
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