ローマ、新守護神候補にカリウスをリストアップか
2019.06.13 22:30 Thu
ローマがリバプールからレンタル移籍でベシクタシュに加入しているドイツ人GKロリス・カリウス(25)の獲得に興味を示しているようだ。トルコ『fotoMac』の情報を引用してイタリア『Tuttomercatoweb』が伝えている。
昨夏にブラジル代表GKアリソン(26)がリバプールへ移籍したことで新守護神としてスウェーデン代表GKロビン・オルセン(29)を迎え入れたローマ。しかし、低調なパフォーマンスでシーズン終盤はベンチを温める日々が続き、今夏の有力な放出候補となっているようだ。
そのため、今夏に新守護神の獲得を目論んでいるローマは、カリアリのイタリア代表GKアレッシオ・クラーニョ(24)やアタランタのイタリア代表GKピエルルイジ・ゴッリーニ(24)の国内組に加えてベティスのスペイン代表GKパウ・ロペス(24)をリストアップ。その中に、カリウスも含まれているという。
2016年夏にマインツからリバプールへ加入したカリウス。昨年のチャンピオンズリーグ(CL)決勝のレアル・マドリー戦では致命的なミスを犯したこともあり、今シーズンはベシクタシュへ期限付き移籍で加入し、公式戦35試合に出場していた。
昨夏にブラジル代表GKアリソン(26)がリバプールへ移籍したことで新守護神としてスウェーデン代表GKロビン・オルセン(29)を迎え入れたローマ。しかし、低調なパフォーマンスでシーズン終盤はベンチを温める日々が続き、今夏の有力な放出候補となっているようだ。
そのため、今夏に新守護神の獲得を目論んでいるローマは、カリアリのイタリア代表GKアレッシオ・クラーニョ(24)やアタランタのイタリア代表GKピエルルイジ・ゴッリーニ(24)の国内組に加えてベティスのスペイン代表GKパウ・ロペス(24)をリストアップ。その中に、カリウスも含まれているという。
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