レーティング: ミラン 1-0 ラツィオ《セリエA》
2019.04.14 05:32 Sun
セリエA第32節、ミランvsラツィオが13日に行われ、1-0でミランが辛勝した。超WSの選手採点結果と寸評は以下の通り。
▽ミラン採点
25 レイナ 6.0
開始早々のピンチをファインセーブで凌いだ
DF
2 カラブリア 5.5
守備面でやられることはなかったが、攻撃面で雑だった
(→ラクサール 5.5)
左サイドバックに入って終盤は攻撃面で仕事
22 ムサッキオ 6.5
値千金のPK獲得。守備もそつなし
的確なカバーリングを見せていたが、負傷交代
(→サパタ 6.0)
緊急投入だったが、思いがけぬチャンスメークなど存在感
68 R・ロドリゲス 5.5
守備に重点を置いて破綻を防ぐ。ロマニョーリ負傷後はセンターバックでプレー
MF
79 ケシエ 6.0
プレッシャーのかかるPKを決め切って決勝点
14 バカヨコ 6.0
好調を持続。攻守に存在感を示す
10 チャルハノール 5.5
やや軽いプレーも散見されたが、ミドルシュートの意識が高かった
FW
8 スソ 5.5
ややボールをこねて攻撃をトーンダウンさせる場面もあったが、ミドルシュートでゴールを狙った
19 ピョンテク 6.0
動きの質は高かった。だが、3戦連続ゴールはならず
(→クトローネ -)
11 ボリーニ 5.5
打開するプレーはほぼ見られなかったが、守備はさぼらず
監督
ガットゥーゾ 6.0
押し込み続けて終盤にPKで勝ち切った
▽ラツィオ採点
1 ストラコシャ 6.0
スソのミドルシュートを止め、ピョンテクとの一対一も凌いだ
DF
3 ルイス・フェリペ 6.0
ボリーニを零封
33 アチェルビ 6.0
守備を統率。安定していた
15 バストス 6.0
対人の強さを見せつけていた
(→パローロ -)
MF
27 ロムロ 5.5
右サイドで攻守に奮闘
21 ミリンコビッチ=サビッチ 5.0
ほぼ消えていた
6 ルーカス・レイバ 5.5
中盤のバランスを取った
10 L・アルベルト 5.5
前半はミドルシュートやスルーパスで好機演出
19 ルリッチ 5.5
相変らずの泥臭いプレーでサイドに蓋をした
(→ドゥルミジ 4.5)
痛恨のPK献上
FW
17 インモービレ 5.5
入ってもおかしくないシュートを数本打った。後半は消える
11 コレア 5.5
ドリブルでアクセントを付けていたが、後半早々に負傷交代
(→カイセド 5.0)
仕事ができなかった
監督
S・インザーギ 5.5
堅実な守備から一刺しを狙うも、あと一歩及ばず
★超WS選定マン・オブ・ザ・マッチ!
ムサッキオ(ミラン)
PK獲得に加え、守備面でもぎりぎりのプレーでピンチを凌いでいた。
ミラン 1-0 ラツィオ
【ミラン】
ケシエ(後34)【PK】
▽ミラン採点

(C)CWS Brains,LTD.
GK25 レイナ 6.0
開始早々のピンチをファインセーブで凌いだ
DF
2 カラブリア 5.5
守備面でやられることはなかったが、攻撃面で雑だった
左サイドバックに入って終盤は攻撃面で仕事
22 ムサッキオ 6.5
値千金のPK獲得。守備もそつなし
13 ロマニョーリ 6.0
的確なカバーリングを見せていたが、負傷交代
(→サパタ 6.0)
緊急投入だったが、思いがけぬチャンスメークなど存在感
68 R・ロドリゲス 5.5
守備に重点を置いて破綻を防ぐ。ロマニョーリ負傷後はセンターバックでプレー
MF
79 ケシエ 6.0
プレッシャーのかかるPKを決め切って決勝点
14 バカヨコ 6.0
好調を持続。攻守に存在感を示す
10 チャルハノール 5.5
やや軽いプレーも散見されたが、ミドルシュートの意識が高かった
FW
8 スソ 5.5
ややボールをこねて攻撃をトーンダウンさせる場面もあったが、ミドルシュートでゴールを狙った
19 ピョンテク 6.0
動きの質は高かった。だが、3戦連続ゴールはならず
(→クトローネ -)
11 ボリーニ 5.5
打開するプレーはほぼ見られなかったが、守備はさぼらず
監督
ガットゥーゾ 6.0
押し込み続けて終盤にPKで勝ち切った
▽ラツィオ採点

(C)CWS Brains,LTD.
GK1 ストラコシャ 6.0
スソのミドルシュートを止め、ピョンテクとの一対一も凌いだ
DF
3 ルイス・フェリペ 6.0
ボリーニを零封
33 アチェルビ 6.0
守備を統率。安定していた
15 バストス 6.0
対人の強さを見せつけていた
(→パローロ -)
MF
27 ロムロ 5.5
右サイドで攻守に奮闘
21 ミリンコビッチ=サビッチ 5.0
ほぼ消えていた
6 ルーカス・レイバ 5.5
中盤のバランスを取った
10 L・アルベルト 5.5
前半はミドルシュートやスルーパスで好機演出
19 ルリッチ 5.5
相変らずの泥臭いプレーでサイドに蓋をした
(→ドゥルミジ 4.5)
痛恨のPK献上
FW
17 インモービレ 5.5
入ってもおかしくないシュートを数本打った。後半は消える
11 コレア 5.5
ドリブルでアクセントを付けていたが、後半早々に負傷交代
(→カイセド 5.0)
仕事ができなかった
監督
S・インザーギ 5.5
堅実な守備から一刺しを狙うも、あと一歩及ばず
★超WS選定マン・オブ・ザ・マッチ!
ムサッキオ(ミラン)
PK獲得に加え、守備面でもぎりぎりのプレーでピンチを凌いでいた。
ミラン 1-0 ラツィオ
【ミラン】
ケシエ(後34)【PK】
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「サッカーが大嫌いだった」偉大な父を持つ18歳M・イブラヒモビッチ、父ズラタンとの比較は「嫌だった」
ミラン・フトゥーロのU-18スウェーデン代表FWマキシミリアン・イブラヒモビッチが自らのキャリアについて語った。スウェーデン『Aftonbladet』が伝えた。 現在はミランのシニアアドバイザーを務めるズラタン・イブラヒモビッチ氏の息子、マキシミリアン。7月にはミランとプロ契約を交わし、下部組織で父と同じプロサッカー選手の道を歩み始めている。 主に左ウイングとしてプレーする18歳は、プリマヴェーラ1でここまで7試合4ゴールと好発進のシーズンに。10月にはU-18スウェーデン代表に初招集された。 マキシミリアンは代表活動中に取材に応じると、9歳から始まったサッカーキャリアを回想。父親が所属したパリ・サンジェルマン(PSG)、マンチェスター・ユナイテッド、ロサンゼルス・ギャラクシー(LAギャラクシー)のアカデミーを渡り歩くと、その後は母国スウェーデンのハンマルビーでプレーし、2022年8月にミランへ行き着いた。 「どこの国でも良い思い出があるけれど、ミランが一番居心地の良い場所だった」 「始めたのは9歳の時でかなり遅かった。パリの地元クラブで」 「でも(サッカーに)一目惚れしたからじゃない。その逆だ。11歳くらいまではサッカーが大嫌いだった。最悪だった。すべてが間違っていて嫌だった。父と比較されるのも嫌だった」 「でもある日、サッカーへの愛に目覚めた。突然ピンと来たんだ」 また、昔は嫌だったという父との比較についてさらにコメント。今では自分の道を見つけているようだ。 「比較については考えない。僕は僕だし、彼は彼だ。同じポジションをプレーしているわけでもないから、比べることはあまりない」 好きな選手はブラジル代表FWネイマール、先輩のポルトガル代表FWラファエル・レオン、ミランにも所属した元ブラジル代表FWロナウジーニョ氏だとも明かしたマキシミリアン。ともに練習したことがあるレオンについては「初めて彼を見た時、まるでお菓子屋さんにいる気分だった」というが、「今はむしろ競争相手として見ている」と頼もしいコメントも残した。 <span class="paragraph-title">【動画】U-18代表入り! 取材に応じるマキシミリアン</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="vuIK6ScqWUg";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.10.17 15:50 Thu4
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