【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.22“イルレタのスーペル・デポル(2)”コパ・デル・レイ戴冠/デポルティボ[2001-2002]
2019.04.14 12:00 Sun
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。
日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。

クラブ史上初となるリーグ制覇を成し遂げた1999-2000シーズン以降も、デポルティボの成功は続く。レアル・マドリーに次ぐ2位で終えた2000-01シーズンを経て迎えた2001-02シーズン、開幕からの9試合で6勝を挙げる好スタートを切ったデポルティボは、第13節までトップを快走する。しかし、シーズン半ばにアウェイ4連敗を喫するなど、 “内弁慶”ぶりは相変わらず。結局、シーズンを通した成績では、本拠地リアソールで13勝4分2敗という素晴らしい成績を残した一方、アウェイでは7勝4分8敗という厳しい結果。これが最終順位にも響き、バレンシアに勝ち点7及ばず。それでも、レアル・マドリー(3位)、バルセロナ(4位)の2大巨頭を抑えて2位の座は確保した。
リーガでは2シーズン連続2位という悔しい結果に終わったが、コパ・デル・レイでは躍進した。準決勝までは格下との対戦が多く、運に恵まれた感もあった。しかし、決勝では、ジダンやフィーゴ、ラウール、イエロ、ロベルト・カルロスらそうそうたるメンツが揃うレアル・マドリーを相手に、セルヒオとディエゴ・トリスタンのゴールによって2-1で勝利。熱戦を制して、1994-95シーズン以来2度目となるコパ・デル・レイ戴冠を果たした。
主力メンバーは、以前紹介した1999-2000シーズンから多くの変化はない。それでも、選手層は大幅に厚くなっている。
中盤の底では、マウロ・シルバからセルヒオへと中心選手が変化した。このシーズンにエスパニョールからデポルティボに加入したセルヒオは、豊富な運動量とボール奪取能力に長けた選手。また、機を見た攻め上がりで攻撃にも厚みを加えられることができた。セルヒトはその後、2010年まで9シーズンにわたってデポルティボの主力として活躍する。
アタッカー陣の層も厚かった。両サイドのビクトル&フランは代わり映えしなかったが、ジャウミーニョが君臨していたトップ下には、同じくテクニックに優れるファンタジスタ・バレロンが台頭。彼らは同タイプ、同ポジションだけに、基本的に両者が同時にピッチに立つことはなかった。
そして、ワントップには安定してゴールを挙げることができるマカーイに加え、ディエゴ・トリスタンが成長。さらには、途中出場が多かったパンディアーニも持ち前の決定力で得点を重ねたため、イルレタは頭を悩ませた。このシーズンはトリスタンがスターターとなる試合が多かったが、カウンター戦術を採用する時にはスピードのあるマカーイを起用したり、ときには2トップを採用したりと、イルレタは高いレベルのストライカー3選手をうまく使い分けた。
MFファン・カルロス・バレロン(26)
このシーズン、トップ下の定位置を確保し、公式戦53試合に出場。懐の深いボールキープ、繊細なタッチ、針に糸を通すかのようなスルーパスは、多くの観衆を魅了した。また、プレースタイルからジダンと比較されることもある天才肌の選手。日本でも彼のファンは多い。
日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。
vol.22
2001-2002シーズン/デポルティボ
〜イルレタのスーペル・デポル(2)〜

(C)CWS Brians,LTD.
監督:ハビエル・イルレタ(53)
獲得タイトル:コパ・デル・レイ
攻撃力8:★★★★★★★★☆☆
守備力7:★★★★★★★☆☆☆
タレント7:★★★★★★★☆☆☆
連係9:★★★★★★★★★☆
選手層8:★★★★★★★★☆☆
リーガではバレンシアの後塵を拝すも、コパ・デル・レイ戴冠
クラブ史上初となるリーグ制覇を成し遂げた1999-2000シーズン以降も、デポルティボの成功は続く。レアル・マドリーに次ぐ2位で終えた2000-01シーズンを経て迎えた2001-02シーズン、開幕からの9試合で6勝を挙げる好スタートを切ったデポルティボは、第13節までトップを快走する。しかし、シーズン半ばにアウェイ4連敗を喫するなど、 “内弁慶”ぶりは相変わらず。結局、シーズンを通した成績では、本拠地リアソールで13勝4分2敗という素晴らしい成績を残した一方、アウェイでは7勝4分8敗という厳しい結果。これが最終順位にも響き、バレンシアに勝ち点7及ばず。それでも、レアル・マドリー(3位)、バルセロナ(4位)の2大巨頭を抑えて2位の座は確保した。
ダブル・ファンタジスタ&多様なワントップ
主力メンバーは、以前紹介した1999-2000シーズンから多くの変化はない。それでも、選手層は大幅に厚くなっている。
ソンゴーに代わって守護神としてゴールマウスを立ったのは、このシーズンの初めに移籍したモリーナ。また、ナイベトを中心とするディフェンスラインでは、ロメロのバックアップにカプデビラを擁するなど、充実の選手層を誇った。このシーズンは、デポルティボ不動の右サイドバックであるマヌエル・パブロが、骨折によってほとんどの試合を欠場することになっていたが、その代役をスカローニが見事に埋めてみせた。
中盤の底では、マウロ・シルバからセルヒオへと中心選手が変化した。このシーズンにエスパニョールからデポルティボに加入したセルヒオは、豊富な運動量とボール奪取能力に長けた選手。また、機を見た攻め上がりで攻撃にも厚みを加えられることができた。セルヒトはその後、2010年まで9シーズンにわたってデポルティボの主力として活躍する。
アタッカー陣の層も厚かった。両サイドのビクトル&フランは代わり映えしなかったが、ジャウミーニョが君臨していたトップ下には、同じくテクニックに優れるファンタジスタ・バレロンが台頭。彼らは同タイプ、同ポジションだけに、基本的に両者が同時にピッチに立つことはなかった。
そして、ワントップには安定してゴールを挙げることができるマカーイに加え、ディエゴ・トリスタンが成長。さらには、途中出場が多かったパンディアーニも持ち前の決定力で得点を重ねたため、イルレタは頭を悩ませた。このシーズンはトリスタンがスターターとなる試合が多かったが、カウンター戦術を採用する時にはスピードのあるマカーイを起用したり、ときには2トップを採用したりと、イルレタは高いレベルのストライカー3選手をうまく使い分けた。
ピックアップ・プレイヤー
MFファン・カルロス・バレロン(26)
このシーズン、トップ下の定位置を確保し、公式戦53試合に出場。懐の深いボールキープ、繊細なタッチ、針に糸を通すかのようなスルーパスは、多くの観衆を魅了した。また、プレースタイルからジダンと比較されることもある天才肌の選手。日本でも彼のファンは多い。
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【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.22“イルレタのスーペル・デポル(2)”コパ・デル・レイ戴冠/デポルティボ[2001-2002]
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.22</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">2001-2002シーズン/デポルティボ 〜イルレタのスーペル・デポル(2)〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/2001-02deportivo.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ハビエル・イルレタ(53) 獲得タイトル:コパ・デル・レイ 攻撃力8:★★★★★★★★☆☆ 守備力7:★★★★★★★☆☆☆ タレント7:★★★★★★★☆☆☆ 連係9:★★★★★★★★★☆ 選手層8:★★★★★★★★☆☆ </p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">リーガではバレンシアの後塵を拝すも、コパ・デル・レイ戴冠</div> クラブ史上初となるリーグ制覇を成し遂げた1999-2000シーズン以降も、デポルティボの成功は続く。レアル・マドリーに次ぐ2位で終えた2000-01シーズンを経て迎えた2001-02シーズン、開幕からの9試合で6勝を挙げる好スタートを切ったデポルティボは、第13節までトップを快走する。しかし、シーズン半ばにアウェイ4連敗を喫するなど、 “内弁慶”ぶりは相変わらず。結局、シーズンを通した成績では、本拠地リアソールで13勝4分2敗という素晴らしい成績を残した一方、アウェイでは7勝4分8敗という厳しい結果。これが最終順位にも響き、バレンシアに勝ち点7及ばず。それでも、レアル・マドリー(3位)、バルセロナ(4位)の2大巨頭を抑えて2位の座は確保した。 リーガでは2シーズン連続2位という悔しい結果に終わったが、コパ・デル・レイでは躍進した。準決勝までは格下との対戦が多く、運に恵まれた感もあった。しかし、決勝では、ジダンやフィーゴ、ラウール、イエロ、ロベルト・カルロスらそうそうたるメンツが揃うレアル・マドリーを相手に、セルヒオとディエゴ・トリスタンのゴールによって2-1で勝利。熱戦を制して、1994-95シーズン以来2度目となるコパ・デル・レイ戴冠を果たした。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ダブル・ファンタジスタ&多様なワントップ</div> 主力メンバーは、以前紹介した1999-2000シーズンから多くの変化はない。それでも、選手層は大幅に厚くなっている。 ソンゴーに代わって守護神としてゴールマウスを立ったのは、このシーズンの初めに移籍したモリーナ。また、ナイベトを中心とするディフェンスラインでは、ロメロのバックアップにカプデビラを擁するなど、充実の選手層を誇った。このシーズンは、デポルティボ不動の右サイドバックであるマヌエル・パブロが、骨折によってほとんどの試合を欠場することになっていたが、その代役をスカローニが見事に埋めてみせた。 中盤の底では、マウロ・シルバからセルヒオへと中心選手が変化した。このシーズンにエスパニョールからデポルティボに加入したセルヒオは、豊富な運動量とボール奪取能力に長けた選手。また、機を見た攻め上がりで攻撃にも厚みを加えられることができた。セルヒトはその後、2010年まで9シーズンにわたってデポルティボの主力として活躍する。 アタッカー陣の層も厚かった。両サイドのビクトル&フランは代わり映えしなかったが、ジャウミーニョが君臨していたトップ下には、同じくテクニックに優れるファンタジスタ・バレロンが台頭。彼らは同タイプ、同ポジションだけに、基本的に両者が同時にピッチに立つことはなかった。 そして、ワントップには安定してゴールを挙げることができるマカーイに加え、ディエゴ・トリスタンが成長。さらには、途中出場が多かったパンディアーニも持ち前の決定力で得点を重ねたため、イルレタは頭を悩ませた。このシーズンはトリスタンがスターターとなる試合が多かったが、カウンター戦術を採用する時にはスピードのあるマカーイを起用したり、ときには2トップを採用したりと、イルレタは高いレベルのストライカー3選手をうまく使い分けた。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">MFファン・カルロス・バレロン(26)</span> このシーズン、トップ下の定位置を確保し、公式戦53試合に出場。懐の深いボールキープ、繊細なタッチ、針に糸を通すかのようなスルーパスは、多くの観衆を魅了した。また、プレースタイルからジダンと比較されることもある天才肌の選手。日本でも彼のファンは多い。 2019.04.14 12:00 Sun2
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デポルティボは14日、ヘタフェに所属する日本代表MF柴崎岳(27)の完全移籍加入を正式発表した。契約期間は4年となる。 日本代表の主力に定着する柴崎は、2017年1月に鹿島アントラーズからテネリフェに加入後、2017-18シーズンからヘタフェでプレー。初年度こそ公式戦23試合の出場数を記録したが、2018-19シーズンは序列が下がり、公式戦9試合の出番にとどまった。 そうした状況もあり、柴崎を巡っては今年1月にも移籍の可能性が取り沙汰され、その当時からデポルティボの関心が浮上。最終的に実現しなかったが、今夏の移籍市場でもデポルティボが再び獲得に乗り出していることが指摘されている状況だった。 1度のリーガエスパニューラ優勝歴を持つデポルティボは、2017-18シーズンに2部降格。昨シーズンは1部昇格プレーオフまで勝ち上がったが、決勝でマジョルカに2戦合計スコアで敗れ、1部復帰を逃している。 なお、スペイン『マルカ』が報じたところによれば、デポルティボはヘタフェと2年契約を残していた柴崎の移籍金として200万ユーロ(約2億4000万円)程度を支払うものとみられる。 2019.07.14 19:55 Sun3
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