【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.1 “キンタ・デル・ブイトレ”前人未到のリーガ5連覇/レアル・マドリー[1989-90]
2019.04.03 22:00 Wed
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。
日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。

1985年にラモン・メンドーサ氏が会長に就任したマドリーは、エミリオ・ブトラゲーニョ、ミチェルらを下部組織であるカスティージャから昇格させ、夏の移籍市場でウーゴ・サンチェスを獲得する。そして、1985-86シーズンにリーガ・エスパニョーラ制覇とUEFAカップ2連覇を達成すると、ルイス・モロウニーからレオ・ベーンハッカーに指揮官が代わった翌年もリーガを制覇。さらに、1987-88シーズン、翌1988-89シーズンもスペイン王者に君臨し続けた。
迎えた1989-90シーズンには、ウェールズ人のトシャックが指揮を執ったが、国内での無双ぶりは相変わらずだった。第8節で首位に立つと、それ以降は一度も順位を下げることなく逃げ切り。38試合で107ゴールという得点力を誇り、前人未到のリーガ5連覇を達成してみせた。そして、この時代のマドリーを人々は、キンタ・デル・ブイトレと称するようになった。
キンタ・デル・ブイトレとは、1980年代に5人のカンテラ出身者に支えられたマドリーの呼称。5人のカンテラ出身者とは、エミリオ・ブトラゲーニョ、ミチェル、マルティン・バスケス、ミゲル・パルデサ、マヌエル・サンチスを指す。
ブトラゲーニョは、身長が170cmほどとFWとして体格に恵まれた方ではなかったが、ポジショニングセンスと瞬発力を武器に、クラブとスペイン代表の主力として活躍。ウーゴ・サンチェスとのコンビネーションが良く、相棒の決定力をうまく引き出した。なお、キンタ・デル・ブイトレの呼称の元となったハゲワシを意味する「エル・ブイトレ」の愛称を持っている。
そして、マルティン・バスケスも、当時のマドリーでは貴重な戦力だった。左サイドハーフのバスケスは、高い攻撃センスを有しながらも、豊富な運動量で守備にも貢献。攻守にハードワークができる働き屋だった。特に、1989-90シーズンには14ゴールを記録するなど、高い得点力で5連覇に貢献した。
サンチスは、キンタ・デル・ブイトレの中で最も長く現役を続け、5人のうち唯一、マドリーでキャリアを終えた選手だ。1993-94シーズンからはキャプテンを務め、キャリア通算で公式戦710試合に出場。ラウールが塗り替えるまで、マドリーの最多出場記録を保持していたレジェンドで、8度のリーグ制覇や2度のCL優勝をクラブにもたらした。なお、父親のマヌエル・サンチス・マルティネスもマドリーでプレーしていた。
そのほかにも、1989-90シーズンには、後のマドリーを支えるフェルナンド・イエロやドイツ代表の名プレーメーカーであり、後にマドリーで指揮を執るベルント・シュスターらが在籍。圧倒的なタレントと戦力を揃えていた。
FWウーゴ・サンチェス(31)
メキシコ史上最高のストライカーとして名高いサンチェスは、1985-86シーズンにアトレティコからレアル・マドリーに移籍すると、キンタ・デル・ブイトレの絶対的エースとして君臨し続けた。抜群の決定力を発揮して移籍初年度からゴールを量産すると、リーグ5連覇を達成した5シーズンのうち、4シーズンにわたって得点王を獲得するリーガ史上唯一の偉業を樹立。1989-90シーズンは38ゴールを記録し、テルモ・サラ氏と並んで当時のリーガ年間最多得点記録者となった。
日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。
vol.1
1989-90シーズン/レアル・マドリー
〜キンタ・デル・ブイトレ〜

(C)CWS Brians,LTD.
監督:ジョン・トシャック(40)
獲得タイトル:リーガ・エスパニョーラ(5連覇目)
攻撃力[10]:★★★★★★★★★★
守備力[8]:★★★★★★★★☆☆
タレント[10]:★★★★★★★★★★
連係[9]:★★★★★★★★★☆
選手層[7]:★★★★★★★☆☆☆
前人未到のリーガ5連覇
1985年にラモン・メンドーサ氏が会長に就任したマドリーは、エミリオ・ブトラゲーニョ、ミチェルらを下部組織であるカスティージャから昇格させ、夏の移籍市場でウーゴ・サンチェスを獲得する。そして、1985-86シーズンにリーガ・エスパニョーラ制覇とUEFAカップ2連覇を達成すると、ルイス・モロウニーからレオ・ベーンハッカーに指揮官が代わった翌年もリーガを制覇。さらに、1987-88シーズン、翌1988-89シーズンもスペイン王者に君臨し続けた。
迎えた1989-90シーズンには、ウェールズ人のトシャックが指揮を執ったが、国内での無双ぶりは相変わらずだった。第8節で首位に立つと、それ以降は一度も順位を下げることなく逃げ切り。38試合で107ゴールという得点力を誇り、前人未到のリーガ5連覇を達成してみせた。そして、この時代のマドリーを人々は、キンタ・デル・ブイトレと称するようになった。
キンタ・デル・ブイトレ
キンタ・デル・ブイトレとは、1980年代に5人のカンテラ出身者に支えられたマドリーの呼称。5人のカンテラ出身者とは、エミリオ・ブトラゲーニョ、ミチェル、マルティン・バスケス、ミゲル・パルデサ、マヌエル・サンチスを指す。
ブトラゲーニョは、身長が170cmほどとFWとして体格に恵まれた方ではなかったが、ポジショニングセンスと瞬発力を武器に、クラブとスペイン代表の主力として活躍。ウーゴ・サンチェスとのコンビネーションが良く、相棒の決定力をうまく引き出した。なお、キンタ・デル・ブイトレの呼称の元となったハゲワシを意味する「エル・ブイトレ」の愛称を持っている。
マドリーユースで育ったミチェルは1982年、19歳の時にトップチームデビューを果たしたが、それ以降は伸び悩んだ。しかし、1985-86シーズンから主力としてプレーし始めると、チームに欠かすことができないウインガーへと成長。抜群のクロス精度を誇り、多くのチャンスを演出した。引退後は、指導者の道を歩んでおり、ヘタフェやセビージャを指揮。2017-18シーズン途中まではマラガで指揮を執っていたが、現在は無所属となっている。
そして、マルティン・バスケスも、当時のマドリーでは貴重な戦力だった。左サイドハーフのバスケスは、高い攻撃センスを有しながらも、豊富な運動量で守備にも貢献。攻守にハードワークができる働き屋だった。特に、1989-90シーズンには14ゴールを記録するなど、高い得点力で5連覇に貢献した。
サンチスは、キンタ・デル・ブイトレの中で最も長く現役を続け、5人のうち唯一、マドリーでキャリアを終えた選手だ。1993-94シーズンからはキャプテンを務め、キャリア通算で公式戦710試合に出場。ラウールが塗り替えるまで、マドリーの最多出場記録を保持していたレジェンドで、8度のリーグ制覇や2度のCL優勝をクラブにもたらした。なお、父親のマヌエル・サンチス・マルティネスもマドリーでプレーしていた。
そのほかにも、1989-90シーズンには、後のマドリーを支えるフェルナンド・イエロやドイツ代表の名プレーメーカーであり、後にマドリーで指揮を執るベルント・シュスターらが在籍。圧倒的なタレントと戦力を揃えていた。
ピックアップ・プレイヤー
FWウーゴ・サンチェス(31)
メキシコ史上最高のストライカーとして名高いサンチェスは、1985-86シーズンにアトレティコからレアル・マドリーに移籍すると、キンタ・デル・ブイトレの絶対的エースとして君臨し続けた。抜群の決定力を発揮して移籍初年度からゴールを量産すると、リーグ5連覇を達成した5シーズンのうち、4シーズンにわたって得点王を獲得するリーガ史上唯一の偉業を樹立。1989-90シーズンは38ゴールを記録し、テルモ・サラ氏と並んで当時のリーガ年間最多得点記録者となった。
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