ロナウジーニョが正式に現役引退! 来年8月以降にお別れイベント開催へ

2018.01.17 06:30 Wed
Getty Images
▽かつてバルセロナなどで活躍した元ブラジル代表FWロナウジーニョ(37)が、この度正式にスパイクを脱ぐことになった。同選手の実の兄であり代理人を務めるロベルト・デ・アシス・モレイラ氏が16日、ブラジル『O Globo』で発表した。

▽アシス氏は『O Globo』で弟ロナウジーニョの現役引退を公式にアナウンスした。

「彼はフットボールを辞める。キャリアは終わった」
「彼のお別れに関して何か素晴らしいことをやりたいと思っている。おそらく、ロシア・ワールドカップ終了後の8月あたりに考えている」
「現在、我々はブラジル国内はもちろん、ヨーロッパやアジアで幾つかのイベントを考えている。同様にブラジル代表チームとのイベントも考えているよ」

▽2015年に母国のフルミネンセでプレーにして以降はフリーとなっていたロナウジーニョ。2017年にはバルセロナの大使を務めるなど、現役引退こそ明言していなかったが、フットボールから離れた日々を送っていた。
▽そんな中、同選手は先月に記者会見を開き、「来年にフットボールに別れを告げることになると思う。これまでプレーしてきたチームで、引退試合を行うかもしれないね。そのことについてはすぐに考えたい」と、2018年での現役引退に関して言及していた。

▽1998年にグレミオでプロデビューを果たしたロナウジーニョは、2001-02シーズンにパリ・サンジェルマンに移籍。さらに2003-04シーズンからバルセロナに加入すると、リーガエスパニョーラ2回、チャンピオンズリーグ1回とタイトルを獲得。自身も2005年のバロンドールを受賞するなどキャリアの全盛期を過ごした。

▽その後は2008-09シーズンからミランに加入し、2012年からはフラメンゴ、アトレチコ・ミネイロといったブラジルのクラブや、メキシコのケレタロでプレー。2015年にフルミネンセでもプレーしていた。クラブレベルでは公式戦513試合に出場し、190ゴール126アシストの数字を残している。

▽また、1996年にはU-17ブラジル代表でプレーしU-17選手権で優勝。その後も各年代別の代表に選ばれると、1999年にはフル代表に招集。2002年に行われた日韓ワールドカップでは、FWロナウド、FWリバウドと形成する“3R”が躍動。ドイツ代表を下して優勝を果たしている。ブラジル代表では通算97試合に出場し33ゴールの記録を残している。

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浦和がバルサ、リバプールと並ぶ!! 『世界の熱狂的なサポーター5選』に浦和サポーターが選出!

▽世界各国のフットボールシーンにおいて、熱狂的なサポーターを抱えることで知られるクラブがいくつかある。日本を代表する熱狂的なサポーターと言えば、浦和レッズサポーターだが、『Fox Sports』が選ぶ『世界の熱狂的なサポーター5選』に見事選ばれた。 ▽浦和が選ばれた『世界の熱狂的なサポーター5選』には、リーベル・プレート(アルゼンチン)、ガラタサライ(トルコ)、リバプール(イングランド)、バルセロナ(スペイン)が入っており、浦和サポーターは世界でも“熱狂的”なファンで知られるクラブと肩を並べることとなった。 ▽浦和については「Jリーグの20シーズン中、14シーズンで最高の平均入場者数を誇り、サポーターが作る最高のコレオグラフィーがある」と紹介。「次東京に行く際は、埼玉スタジアムでの試合を観て欲しい」と、観戦を勧めている。以下、4クラブのサポーターの特徴を紹介。 ◆リーベル・プレート(アルゼンチン) ▽リーベル・プレートは、アルゼンチンで最もサポーターが多いクラブの1つで、ボカ・ジュニアーズとの激しいライバル関係は有名だ。ロス・ミジョナリオス(億万長者)の愛称でも知られ、ボカ・ジュニアーズとのダービーは、死人が出るほどの激しい試合になるとも言われている。 ◆ガラタサライ(トルコ) ▽ガラタサライは、ファンの大声援が地響きを起こすとも称されるほど。悪名高い「Wellcome to Hell(地獄へようこそ)」というバナーは広く知られている。1993年のマンチェスター・ユナイテッド戦、2001年のパリ・サンジェルマン戦ではサポーターが衝突し、まさに“地獄”となってしまった。 ◆リバプール(イングランド) ▽サポーターを「12人目の男」と考えるリバプール。「You'll Never Walk Alone」の大合唱は有名であり、スタジアムが素晴らしい雰囲気で包まれる。2005年のチャンピオンズリーグ決勝のミラン戦では、ビハインドで迎える後半にサポーターの大声援が選手の背中を後押しし、逆転での優勝に繋がったとも。 ◆バルセロナ(スペイン) ▽かつては「ソシオ」がチームを支えるほど、サポーターとの関係が重要視されているバルセロナ。近年、胸スポンサーを入れるようになったが、それまではサポーターの会員費と入場料収入でクラブは運営されていた。かつて、レアル・マドリーへ禁断の移籍をしたルイス・フィーゴが凱旋した時には、豚の頭が投げ込まれるほど熱狂的だ。 2017.10.12 22:45 Thu

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