生涯ローマを貫くトッティが過去の願望を告白「移籍したいと思ったのは世界でレアルだけ」
2016.10.10 17:00 Mon
18歳の時と同じように40歳になってもフランチェスコ・トッティはASローマのユニフォームをまといピッチで魔法を見せ続ける。ローマのトッティは永遠であり伝説といえる。
おそらく知られていない話だが、トッティはプレーすることなくローマに入団した。『コリエレ・デロ・スポルト』のインタビューでこう話す。「当時所属していたズミット・トラステヴェレと練習試合があった。僕はみんなよりもまだ小さかったから出場しなかったんだ。当時、ピッチの端で一人でドリブルをしていた。当時のローマにはエルメネジルド・ジャンニーニがいて、僕を見るとプレーさせることなく入団させてくれたんだ」
だが最初の頃、特にカルロス・ビアンチが監督だった頃は、そう簡単ではなかったという。
「ビアンチ監督とだけはそりが合わなかった。外国人選手をよく知っていたから、地元の選手にあまり納得できなかったのだろう。それに僕は若かったからどうしても他のチームへ移籍させたかったようだ。サンプドリアとは合意にまで至っていたが、移籍の前夜にアヤックス、ドルトムントとのカップ戦があって僕は 2試合とも2得点したんだ。すると試合後にフランコ・センシ会長が彼はここに残るべきだと言ってくれた。結局、サンプドリアへの移籍は破談となって僕はローマに残った。ビアンチ監督からトッティを取るか私を取るかと決断を迫られると、センシ会長はトッティを取ると答えた。それから全てが変わった」
2003年にもトッティは移籍目前だった。「あの時は特別だった。後ろ髪は引かれたがローマを去ってもいいと思えたのは世界で唯一レアル・マドリーだけだった。真剣に考えた。だけど最終的に僕の妻や家族、それに友人たちからいろんな意見を聞いた。その結果、ここに残ったんだ。この決断は幸運だったと思うよ。今となっては、ローマを去るなんてできなかったなんて言えるけど、あの時はほぼ決心を固めていたんだ。それに平凡なチームへの移籍話ではなくて、世界一のチームだったんだからね」
トッティがローマに貢献したのはピッチだけではない。「みんなは知らない事だけど、ローマに尽くしてくれたセンシ会長の家族のために何かをしたかった。恥ずかしいことは何もない。むしろ、あまり話題にならず良かったと思う。チームのために、僕にとって大切な人たちのために、僕を息子のように慕ってくれたセンシ一家のためにしたことだからね」
トッティとルチアーノ・スパレッティ監督との関係は良好のようだが、自身のキャリアで一番良かった監督は間違いなくズデネク・ゼーマン監督だと言う。「ゼーマン監督とは一番やりやすかった。他の監督とも上手くやれていたけどね。自分のやるべき事はやっていたし、監督と問題になったことはない。自分がローマから監督を追い出したことはないし、気に入った監督を要望したこともない。すべてクラブが決めたこと。外野がトッティが誰々を追い出したとか、誰々を欲しがったとか言ったって、僕が口出ししたことなんてない」
40歳を迎えてもローマでプレーを続けるトッティにとって今が一番充実した時間だという。「昨シーズンはあらゆる面で予期しない出来事が何度も起こって本当につらい年だった。それでも、誇りと情熱、決断力、それに勇気で最後には乗り越えられた。今はまるで若かった頃のように本当に充実していている。」
将来的には監督もあるのではないかと言われている。「まだこれからの事だが、みんな監督をやり始めていることだし、もしかしたら、僕にもチャンスが来るかもしれないね。何て言ったらいいかな? 性格や考え方を改めるよ」
提供:goal.com
おそらく知られていない話だが、トッティはプレーすることなくローマに入団した。『コリエレ・デロ・スポルト』のインタビューでこう話す。「当時所属していたズミット・トラステヴェレと練習試合があった。僕はみんなよりもまだ小さかったから出場しなかったんだ。当時、ピッチの端で一人でドリブルをしていた。当時のローマにはエルメネジルド・ジャンニーニがいて、僕を見るとプレーさせることなく入団させてくれたんだ」
だが最初の頃、特にカルロス・ビアンチが監督だった頃は、そう簡単ではなかったという。
「ビアンチ監督とだけはそりが合わなかった。外国人選手をよく知っていたから、地元の選手にあまり納得できなかったのだろう。それに僕は若かったからどうしても他のチームへ移籍させたかったようだ。サンプドリアとは合意にまで至っていたが、移籍の前夜にアヤックス、ドルトムントとのカップ戦があって僕は 2試合とも2得点したんだ。すると試合後にフランコ・センシ会長が彼はここに残るべきだと言ってくれた。結局、サンプドリアへの移籍は破談となって僕はローマに残った。ビアンチ監督からトッティを取るか私を取るかと決断を迫られると、センシ会長はトッティを取ると答えた。それから全てが変わった」
2003年にもトッティは移籍目前だった。「あの時は特別だった。後ろ髪は引かれたがローマを去ってもいいと思えたのは世界で唯一レアル・マドリーだけだった。真剣に考えた。だけど最終的に僕の妻や家族、それに友人たちからいろんな意見を聞いた。その結果、ここに残ったんだ。この決断は幸運だったと思うよ。今となっては、ローマを去るなんてできなかったなんて言えるけど、あの時はほぼ決心を固めていたんだ。それに平凡なチームへの移籍話ではなくて、世界一のチームだったんだからね」
トッティがローマに貢献したのはピッチだけではない。「みんなは知らない事だけど、ローマに尽くしてくれたセンシ会長の家族のために何かをしたかった。恥ずかしいことは何もない。むしろ、あまり話題にならず良かったと思う。チームのために、僕にとって大切な人たちのために、僕を息子のように慕ってくれたセンシ一家のためにしたことだからね」
トッティとルチアーノ・スパレッティ監督との関係は良好のようだが、自身のキャリアで一番良かった監督は間違いなくズデネク・ゼーマン監督だと言う。「ゼーマン監督とは一番やりやすかった。他の監督とも上手くやれていたけどね。自分のやるべき事はやっていたし、監督と問題になったことはない。自分がローマから監督を追い出したことはないし、気に入った監督を要望したこともない。すべてクラブが決めたこと。外野がトッティが誰々を追い出したとか、誰々を欲しがったとか言ったって、僕が口出ししたことなんてない」
40歳を迎えてもローマでプレーを続けるトッティにとって今が一番充実した時間だという。「昨シーズンはあらゆる面で予期しない出来事が何度も起こって本当につらい年だった。それでも、誇りと情熱、決断力、それに勇気で最後には乗り越えられた。今はまるで若かった頃のように本当に充実していている。」
将来的には監督もあるのではないかと言われている。「まだこれからの事だが、みんな監督をやり始めていることだし、もしかしたら、僕にもチャンスが来るかもしれないね。何て言ったらいいかな? 性格や考え方を改めるよ」
提供:goal.com
ローマの関連記事
セリエAの関連記事
|
ローマの人気記事ランキング
1
苦境のローマとともにくすぶり続けてきたフンメルスにようやくチャンス到来か…指揮官交代で前向きに
苦境のローマとともにくすぶり続けてきたドイツ代表DFマッツ・フンメルスだが、ようやくのチャンス到来へモチベーションを高めているようだ。 昨シーズン限りでドルトムントを退団したフンメルスは、9月初旬にローマへフリートランスファーで加入。開幕時点でチームを指揮していたダニエレ・デ・ロッシ監督の熱心なラブコールが加入決断の決定打となっていたが、その指揮官は自身がコンディション調整の時期に解任された。 その後、徐々にコンディションを上げてきたベテランDFだったが、先日に解任されたイバン・ユリッチ前監督の下では構想外に。マンツーマン守備を志向する新指揮官は3バックにスピードを求めており、“戦術的な判断”を理由にベンチを温める日々が続き、デビュー戦にして唯一の出場となったフィオレンティーナ戦では数的不利で投入された直後にオウンゴールで失点に関与する屈辱も味わった。 そのため、今冬の移籍市場での退団が決定的と見られていたが、ここにきてユリッチ監督の解任によって状況が好転している。 イタリア『コリエレ・デッロ・スポルト』によれば、ボローニャ戦の敗戦後に解任を伝えられたユリッチ監督から冷遇に対する謝罪を受けたとされるフンメルスは、直近に「この72時間の自分」とのキャプションとともにスマートフォンを微妙な表情で見つめる自身の写真を投稿。 この投稿に関してはユリッチ前監督の解任、クラウディオ・ラニエリ氏の新監督就任報道を巡る状況を注視し、新たな変化を歓迎する気持ちの移り変わりを示唆したものだとみられる。 ベテランの扱いにも長けたラニエリ氏の下で3バックを採用する場合は新たなディフェンスリーダーとなれる可能性は高く、4バック採用でも過密日程のなかで着実に出場機会が見込める状況であり、百戦錬磨のセンターバックがようやく新天地で本領発揮の予感だ。 2024.11.14 21:10 Thu2
W杯初出場へ視界良好のウズベキスタン…激動のローマで奮闘するエースがアジア王者撃破を誓う「敵地だが、必ずや勝つ」
ウズベキスタン代表のキャプテン、FWエルドル・ショムロドフがカタール代表戦へ意気込んだ。『Novosti Uzbekistana』が伝える。 2026年北中米W杯アジア最終予選A組で現在2位のウズベキスタン。3勝1分け0敗、首位イランと勝ち点で並び、史上初の本大会出場へ手堅いサッカーで好位置につけている。 15日は第5節でカタールとのアウェイゲームを戦い、19日には第6節で北朝鮮との第三国ゲーム。もしこの2試合で勝ち点「6」なら、イランとのリターンマッチを残して大きな前進だ。 チーム唯一の欧州5大リーグ組にして、激動のローマで奮闘するエースストライカー、ショムロドフ29歳は「カタール戦の戦果」が今予選で最も大事な要素のひとつになるだろうと語る。 「全選手がカタール戦へ準備できているよ。(主力MF)オストン・ウルノフがケガしてしまったことは残念だけど、彼以外の“全て”が揃っている。今回の目標は『カタールを遠ざけること』。敵地だが、必ずや勝つ」 「僕らが見据えるのは、初めてのW杯。良い機会に恵まれていると感謝すべきだし、神のご意志があれば、僕らがカタールに勝つ。そしてW杯への扉に手をかけることとなる。繰り返す…今回目指すのは『勝ち点3』だけだ」 ウズベキスタンは、前回10月を健康状態悪化で休養していたスレチコ・カタネッツ監督が復帰。選手からの信頼が厚いスロベニア人指揮官は、すでにチーム一行とドーハで合流し、もちろん来たるカタール戦でも指揮を執る。 なお、ウズベキスタンはアジア杯2023準々決勝でカタールと対戦し、1-1からPK戦の末に敗戦。それでも通算対戦成績は「9勝1分け4敗」と勝ち越し、近年の相性も決して悪くない。 ◆最終予選A組 1位 イラン | 勝ち点10 | +5 2位 ウズベキスタン | 勝ち点10 | +3 —本大会切符--- 3位 UAE | 勝ち点4 | ±0 4位 カタール | 勝ち点4 | -3 —アジアプレーオフ— 5位 キルギス | 勝ち点3 | -3 6位 北朝鮮 | 勝ち点2 | -2 2024.11.13 15:30 Wed3
イタリア復帰が報じられるキエーザ、インテルも獲得レースに参戦か
インテルがリバプールのイタリア代表FWフェデリコ・キエーザ(27)の獲得レースに参戦するようだ。イタリア『トゥットスポルト』が報じている。 今夏にユベントスから1200万ユーロの移籍金でリバプールに加入したキエーザだったが、コンディションが整わずここまで公式戦3試合の出場、プレミアリーグでは18分、チャンピオンズリーグ(CL)では1分の出番に留まっている。 現在は負傷もあって戦列を離れているキエーザに対し、リバプールは早くも見限り、ローマとミランが1月の移籍市場で獲得に乗り出すと報じられていた。 そんな中、インテルのジュゼッペ・マロッタ会長がキエーザのレンタル移籍を強く求めていると『トゥットスポルト』は主張。セリエAとチャンピオンズリーグ制覇を視野に入れるネラッズーロがFWラウタロ・マルティネス、FWマルクス・テュラムに次ぐFWとしてキエーザを迎え入れたいようだ。 750万ユーロの高額な年俸に関してはリバプールが一部負担する見込みでインテルとしては悪くない取り引きになると言えそうだ。 2024.11.18 07:30 Mon4
今夏にリバプール加入もコンディション整わずのキエーザ…1月にイタリア復帰の可能性も?
リバプールのイタリア代表FWフェデリコ・キエーザ(27)に、早くも移籍の可能性があるようだ。 これまでフィオレンティーナやユベントスで活躍してきたキエーザだが、今夏にユベントスから構想外の扱いに。多くの移籍先候補が浮上する中で、最終的にリバプールへの完全移籍が発表された。 しかし、ユベントスでプレシーズンに参加できなかった影響もあり、まったくコンディションが整っていなかったキエーザはリバプールでほぼ試合に出られず。ここまで公式戦3試合の出場、プレミアリーグでは18分、チャンピオンズリーグ(CL)では1分の出番に留まっている。 現在は負傷もあって戦列を離れているキエーザだが、ここまでの扱いもあって早くも去就は不透明に。イタリア『カルチョメルカート』によると、リバプールはこのままキエーザのコンディションが整わないようなら、来年1月の移籍市場でローマかミランにレンタルさせる可能性もあるようだ。 特にローマは今夏もキエーザ獲得を狙い続けてきた経緯があり、現在も動向はチェックしている模様。ただし、クラブはすでにダニエレ・デ・ロッシ監督とイバン・ユリッチ監督を続けざまに解任して後任選定中なこともあり、新たな指揮官がどのようなプランを持っているかにも左右されるという。 リバプールはアルネ・スロット監督の下でチームが順調なこともあり、1月に戦力を減らすことは基本的に消極的。とはいえ、この先もキエーザが戦力にならない状態が続く場合は再考の可能性があり、今後も動きは注目されることになりそうだ。 2024.11.13 10:55 Wed5