ルーマニアとの親善試合に向けてコンテ「継続したパフォーマンスを見せてもらいたい」
2015.11.17 11:23 Tue
▽イタリア代表を率いるアントニオ・コンテ監督が、17日に行われるルーマニア代表との国際親善試合に向けた意気込みを語った。『フットボール・イタリア』が伝えている。
▽13日に行われた国際親善試合のベルギー代表戦で、イタリア代表は1-3の逆転負けを喫している。しかしコンテ監督は、ベルギー戦の試合に内容に満足感を示しており、今回のルーマニア戦でも同様のパフォーマンスを選手たちに期待していると口にした。
「明日の試合では、ベルギー戦で見せてもらったパフォーマンスを継続して欲しいと思っている。ポゼッションに関しては満足しているんだ。ただ、金曜日の試合(ベルギー戦)ではこちらに運がなく、わずかなミスから失点してしまったね。今は目標に向って進んでいる状況だ。明日の試合でもベルギー戦でのパフォーマンスを継続してもらいたいね」
▽またコンテ監督は、フランスで起こった同時テロ事件についても言及した。13日にパリで起こった同時多発テロ事件の影響で、これまでに120人以上が亡くなり、300人以上が負傷した。コンテ監督は、テロ行為が人々の不安や恐れを引き起こすものだとコメント。しかしこの状況に立ち向かうためにも、前進することが大事だと語った。
「誰もが恐怖を感じ、ショックを受けている。テロリズムは不安と怖れを抱かせるものだ。しかし、我々はこの逆境から前進しなければいけない。それが悪を追放するための手段だ。今はどこの国も警戒態勢となっている。これを維持しなければいけない。時間が経ってもこの恐怖を忘れてはいけない」
▽13日に行われた国際親善試合のベルギー代表戦で、イタリア代表は1-3の逆転負けを喫している。しかしコンテ監督は、ベルギー戦の試合に内容に満足感を示しており、今回のルーマニア戦でも同様のパフォーマンスを選手たちに期待していると口にした。
「明日の試合では、ベルギー戦で見せてもらったパフォーマンスを継続して欲しいと思っている。ポゼッションに関しては満足しているんだ。ただ、金曜日の試合(ベルギー戦)ではこちらに運がなく、わずかなミスから失点してしまったね。今は目標に向って進んでいる状況だ。明日の試合でもベルギー戦でのパフォーマンスを継続してもらいたいね」
「誰もが恐怖を感じ、ショックを受けている。テロリズムは不安と怖れを抱かせるものだ。しかし、我々はこの逆境から前進しなければいけない。それが悪を追放するための手段だ。今はどこの国も警戒態勢となっている。これを維持しなければいけない。時間が経ってもこの恐怖を忘れてはいけない」
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