ロマニスタの愛を感じるモウリーニョ「私はローマにタイトルをもたらせたい」
2021.10.08 19:35 Fri
今シーズンからローマを率いるジョゼ・モウリーニョ監督が、クラブへタイトルをもたらせたいと意気込んだ。かつてはインテルを指揮していたモウリーニョ監督は、2009-10シーズンにセリエA、チャンピオンズリーグ(CL)、コッパ・イタリアの3冠を達成。その後もレアル・マドリーやチェルシー、マンチェスター・ユナイテッド、トッテナムで指揮を執り、今シーズンからローマを率いている。
今シーズンのローマは開幕からセリエAで3連勝と好スタート。その後、2敗を喫したものの5勝2敗で現在4位につけている。
そのモウリーニョ監督は、雑誌『エスクァイア』のイタリア語版でのインタビューに応じ、ミラノに続いて、ローマでの生活について語った。
「私は観光客としてローマを訪れたが、今では歴史的建造物の中で毎日を過ごしている。それは本当に特別なことだ」
「ミラノで場所を選ばなければならないとしたら、間違いなくサン・シーロだ。そこは我々が歴史を作った場所であり、インテルのファンと接した場所だ」
「ローマでは違う。私は中心部に住んでいるので、クラブがこの街にとってどれほど特別であるかを理解するのに役立っている」
ローマではミラノ時代とは違う生活を送っているモウリーニョ監督。2度目のイタリア挑戦を前に、各クラブで様々なタイトルを獲得してきた。
インテル時代からの10年間の変化についても語り、試合に向けて準備をしていくことが楽しみだと語った。
「あらゆる点だ。監督が成長しない場合、毎日学び続ける情熱やメンタリティを失ったと言うことだろう。この仕事では、年齢や体力は関係ない。経験を積むことによってのみ、改善できる」
「引退したらトロフィーを見る時間があるが、今は次の試合だけを考えたい。10年前、さらには20年前よりも今では監督だと感じている」
一方で、ローマは元日本代表MF中田英寿氏が在籍していた2000-01シーズンを最後にスクデットを獲得しておらず、タイトルも2007-08シーズンのコッパ・イタリアが最後となっており、14年間タイトルに恵まれていない。
モウリーニョ監督は、久々にタイトルをもたらせたいとコメント。ローマファンのクラブ愛をひしひしと感じており、それに応えることを目指すと誓った。
「クラブはタイトルを得ることで生き、ファンの情熱を刺激する。私はローマにタイトルをもたらせたい。ここでのローマへの愛は、トロフィーを超えていることがすぐにわかった。永遠の情熱であり、血の中にあり、家族の様なものだ」
「しかし、勝利は欠けているものであり、我々はそこに到達するためのプロジェクトを構築している。私が成し遂げられたら完璧だ」
「そうでなければ、この未来の構築に貢献したことを知るのは、素晴らしいことになる、誰にとっても夢である」
「私はイタリアに2年間住み、働いていた。情熱には驚かされなかった。ローマとも何度も対戦したので、その雰囲気は否めない」
今シーズンのローマは開幕からセリエAで3連勝と好スタート。その後、2敗を喫したものの5勝2敗で現在4位につけている。
「私は観光客としてローマを訪れたが、今では歴史的建造物の中で毎日を過ごしている。それは本当に特別なことだ」
「ミラノでは別の経験だった。私の家とインテルのトレーニンググラウンドがどちらも郊外にあった。それで、私の子供たちはルガーノの学校に通っていた」
「ミラノで場所を選ばなければならないとしたら、間違いなくサン・シーロだ。そこは我々が歴史を作った場所であり、インテルのファンと接した場所だ」
「ローマでは違う。私は中心部に住んでいるので、クラブがこの街にとってどれほど特別であるかを理解するのに役立っている」
ローマではミラノ時代とは違う生活を送っているモウリーニョ監督。2度目のイタリア挑戦を前に、各クラブで様々なタイトルを獲得してきた。
インテル時代からの10年間の変化についても語り、試合に向けて準備をしていくことが楽しみだと語った。
「あらゆる点だ。監督が成長しない場合、毎日学び続ける情熱やメンタリティを失ったと言うことだろう。この仕事では、年齢や体力は関係ない。経験を積むことによってのみ、改善できる」
「引退したらトロフィーを見る時間があるが、今は次の試合だけを考えたい。10年前、さらには20年前よりも今では監督だと感じている」
一方で、ローマは元日本代表MF中田英寿氏が在籍していた2000-01シーズンを最後にスクデットを獲得しておらず、タイトルも2007-08シーズンのコッパ・イタリアが最後となっており、14年間タイトルに恵まれていない。
モウリーニョ監督は、久々にタイトルをもたらせたいとコメント。ローマファンのクラブ愛をひしひしと感じており、それに応えることを目指すと誓った。
「クラブはタイトルを得ることで生き、ファンの情熱を刺激する。私はローマにタイトルをもたらせたい。ここでのローマへの愛は、トロフィーを超えていることがすぐにわかった。永遠の情熱であり、血の中にあり、家族の様なものだ」
「しかし、勝利は欠けているものであり、我々はそこに到達するためのプロジェクトを構築している。私が成し遂げられたら完璧だ」
「そうでなければ、この未来の構築に貢献したことを知るのは、素晴らしいことになる、誰にとっても夢である」
「私はイタリアに2年間住み、働いていた。情熱には驚かされなかった。ローマとも何度も対戦したので、その雰囲気は否めない」
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ガラタサライのイタリア代表MFニコロ・ザニオーロが古巣ローマと、元チームメイトに対する不満をぶちまけた。 ローマとの再三に渡る延長交渉が難航した末、ここ数カ月クラブ退団希望を公言したザニオーロ。今冬の退団が既定路線となっていた中、意中の移籍先だったミランやトッテナム行きは実現せず。 その後、ボーンマス行きでクラブ間合意に至ったものの、ザニオーロの不誠実な対応がイングランドクラブの怒りを買って破談となると、同じく怒り狂うローマは飼い殺しを決断した。しかし、最終的には欧州主要リーグのマーケットが閉幕した直後に届いたガラタサライからのオファーをクラブ、選手双方が受け入れて永遠の都からの脱出を果たすことになった。 その新天地では早速主力として活躍するなど充実した日々を送る23歳は、イタリア『ガゼッタ・デッロ・スポルト』で移籍の経緯について言及。約束を反故にされたとローマへの不満をぶちまけた。 「破られた約束について何時間でも話すことができる。彼らは僕がスターだと言っていたが、自分は常に単なるキャピタルゲインと見なされていた」 「2年間、新しい契約の準備ができていると言われた。昨年1月には、自分が稼いでいたよりも少し多めのサラリーで契約していただろうね。なぜなら、ローマで悪くない状況だったし、クラブがファイナンシャル・フェアプレーの問題を抱えていることを知っていたからさ」 「ただ、たくさん話しをしたあと、僕はうんざりしていた。僕が別れを振り返る必要があるならば、他の人も同じようにそうしなければならない」 「実際には、ボーンマスとガラタサライだけでなく、イングランド行きを受け入れなかったために僕は追い出され、ファンは僕を非難した」 「車で追いかけてきた人間もいれば、自宅に侵入しようとした人間もいた。家族も僕も心細く恐怖を感じていた。当時、脅迫的なメッセージを受け取っていたし、携帯電話の電源も切っていた」 また、普段からの素行不良や不真面目な練習態度もあって、移籍希望を公言した後はクラブに忠誠を誓うイタリア人選手を中心に関係悪化が伝えられたザニオーロ。とりわけ、移籍直後には別れのメッセージを送ったのが、DFクリス・スモーリング、FWタミー・エイブラハム、DFレオナルド・スピナッツォーラの3人のみだったとも報道されていた。 そして、元同僚との関係について問われた同選手は、「チームメイト? ほとんどの人間にがっかりしたよ。具体的な名前は挙げないけど、彼らは僕らが兄弟のようだと言っていたにもかかわらず、サヨナラを言うことさえしなかった」と、クラブ同様に不満を口にした。 2023.03.27 07:00 Mon3
【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.34“スパレッティの0トップ”セリエA記録となる破竹の11連勝/ローマ[2005-06]
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.34</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">2005-2006シーズン/ローマ 〜スパレッティの0トップ〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/2005-06roma.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ルチアーノ・スパレッティ(48) 攻撃力8:★★★★★★★★☆☆ 守備力7:★★★★★★★☆☆☆ タレント7:★★★★★★★☆☆☆ 連係10:★★★★★★★★★★ 選手層7:★★★★★★★☆☆☆ </p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">セリエA記録となる破竹の11連勝</div> クラブ史上初のスクデットをもたらしたカペッロ監督が去った2004-05シーズンは、結果が出ずに1シーズンで4人の監督交代が相次ぐなど低迷したローマ。そこで、ウディネーゼで3位という好成績を残したスパレッティ監督に白羽の矢を立てると、翌シーズンに復活を遂げる。 序盤戦こそ不安定な戦いが続いたが、“0トップシステム”を用いるスパレッティ監督の戦術が浸透し始めた第22節から当時のセリエA記録となる破竹の11連勝を達成。カルチョーポリの影響でユベントス、ミラン、フィオレンティーナの3チームがセリエB降格や勝ち点剥奪となったため、2位に繰り上がってシーズンを終えた。 スパレッティ監督に率いられた“ジャッロロッソ”は、その後の2006-07シーズンと2007-08シーズンにおいてもチームの完成度を高めて上々の成績を残した。セリエA・2位、チャンピオンズリーグ・ベスト8、コッパ・イタリア制覇をそれぞれ2年連続で成し遂げ、その称賛された戦術とともに素晴らしいチームとしてヨーロッパに君臨する。ただ、ユベントスが低迷していた当時のセリエAにおいて最強を誇ったインテルの後塵を拝し、スパレッティの下でスクデットを獲得することはなかった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">スパレッティの0トップ</div> 純粋なセンターフォワードがいなかったため、スパレッティが編み出した策がトッティを最前線に置く0トップシステム。このバンディエラのキープ力を軸に、2列目の選手が空いたスペースに飛び出していくという、当時は稀な戦術を用いた。 中盤に下りてボールを受けるトッティは、抜群の展開力で2列目の選手の飛び出しを生かしつつ、ゴール前に顔を出してチーム最多の得点数を記録。ペッロッタ、マンシーニ、タッデイといった2列目は機動力を生かしてボールを引き出し、縦に鋭いサイドアタックを披露した。 ボランチにおいても、巧みな配球を行うデ・ロッシやアクイラーニは前線に飛び出すプレーを披露。また、守備ではメクセスとキブが好連係で相手の攻撃を防ぎ、両サイドバックのパヌッチやクフレが攻守のバランスを取った。2006-07シーズンと2007-08シーズンはサイドハーフもこなせるカッセッティ、トネット、シシーニョらがサイドバックを務めて攻撃力を格段に高めた。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">MFシモーネ・ペッロッタ(28)</span> スパレッティ監督によって新境地を開拓したのがペッロッタだ。2001-02シーズンに躍進を遂げたミラクル・キエーボでは中盤を支えるハードワーカーだった2006年のW杯優勝メンバーは、ローマでトップ下の位置を与えられると完璧に順応。卓越したテクニックはなくとも、豊富な運動量と高度な戦術眼で周囲と絡みながら幾度もチャンスを演出し、司令塔タイプと異なる新たなトップ下像を印象づけた。 2019.04.20 12:00 Sat4
モウリーニョ解任のローマに“レジェンド”デ・ロッシが帰還! 監督就任に「この感動は言葉では言い表せない」
ローマは16日、新監督にダニエレ・デ・ロッシ氏(40)が就任することを発表した。 契約期間は2024年6月30日までの残りシーズンとなる。 デ・ロッシ新監督は、ローマ育ちでアカデミー出身者。2002年にファーストチームに昇格すると、2019年7月にボカ・ジュニアーズに移籍するまでプレー。ローマ時代には2007年、2008年にはコッパ・イタリアで優勝。2007年にはスーペル・コパも制し、フランチェスコ・トッティ氏が引退してからはキャプテンとしてチームを支えた。 引退後はイタリア代表のテクニカルコーチを務め、2021年のユーロ優勝に貢献。2022年10月から2023年2月まではSPALで指揮を執っていたが、半年でわずか3勝に終わり解任されていた。 ローマでは公式戦通算616試合に出場し63ゴール。18年間プレーしたクラブに監督として復帰することとなったデ・ロッシ新監督は、クラブを通じてコメントしている。 「ローマのテクニカル面でのリーダーシップの責任を私に託してくれたフリードキンファミリーに感謝したい。私としては、今からシーズン終了までの間に待ち受ける試練に立ち向かうため、日々の犠牲を払い、自分の中にある全てを捧げる必要があると思っている」 「ベンチに座ることができる感動は言葉では言い表せない。私にとってローマがどんな存在であるかは、誰もが知っているが、我々全員を待っている仕事は既に引き受けた」 「我々には時間がなく、選択肢もない。競争力を持ち、目標のために戦い、達成しようとすることがスタッフと私が自分たちに与える唯一の優先事項だ」 ローマは16日、4シーズン目を迎えていたジョゼ・モウリーニョ監督を解任。就任1年目の2021-22シーズンはヨーロッパ・カンファレンスリーグで優勝。2022-23シーズンはヨーロッパリーグで決勝に進むも、セビージャにPK戦の末に敗れて準優勝。今シーズンはリーグ戦で序盤から調子が上がらず、14日に行われたセリエA第20節でミランに敗れ、3戦未勝利となっており、9位と苦しんでいた。 2024.01.16 22:15 Tue5

