「PK戦は嫌だった」元日本代表GK川口能活氏が意外な告白、その理由とは?
2022.07.16 08:30 Sat
15日、天皇杯 JFA 第102回全日本サッカー選手権大会の準々決勝以降の組み合わせ抽選会がJFAハウスで行われた。東京ヴェルディvsジュビロ磐田のラウンド16が未消化となっている状態で行われた抽選会。決勝までのトーナメントの組み合わせが決定したが、ドロワーは元日本代表GKの川口能活氏が務めた。
日本代表としての活躍や、横浜F・マリノス、ジュビロ磐田、SC相模原といったJリーグクラブやヨーロッパでの活躍も知られる川口氏。しかし、天皇杯優勝とは縁がなく、優勝しないままキャリアを終えていた。
一発勝負のトーナメントでは、90分で決着がつかない場合には延長戦やPK戦にもつれ込むことがあるが、川口氏は「PK戦が嫌だった」と意外なことを明かした。
「GKがカギを握るのはトーナメントに限らず、現代サッカーではGKの活躍が重要になっています」
アジアカップで日本代表を救ったPKストップなど、印象深いシーンが多々ある川口氏だが、実は嫌だったとコメント。その理由はまた意外なものだった。
「早く試合が終わって欲しいというのもありました(笑)。本音としては、選手たちは90分で決着をつけたいという気持ちがあると思います」
「試合展開にもよりますけど、もちろん延長、PK戦でGKが活躍すればヒーローになれますが、なかなかそう上手くはいかないこともあります」
また、「90分で決着がつけば理想ですが、120分戦う体力と精神力が必要です」と難しい側面もあるとし、「勝ち上がっているチームのGKたちが、天皇杯で戦うチャンスがあるので、GK全員に頑張って欲しいと思います」と後輩のGKたちにエールを送っていた。
日本代表としての活躍や、横浜F・マリノス、ジュビロ磐田、SC相模原といったJリーグクラブやヨーロッパでの活躍も知られる川口氏。しかし、天皇杯優勝とは縁がなく、優勝しないままキャリアを終えていた。
「GKがカギを握るのはトーナメントに限らず、現代サッカーではGKの活躍が重要になっています」
「理想は90分で決着がつけば良いと思いますし、現役時代はPK戦になるのは正直嫌でした。本音としては90分で決着をつけたいと思います」
アジアカップで日本代表を救ったPKストップなど、印象深いシーンが多々ある川口氏だが、実は嫌だったとコメント。その理由はまた意外なものだった。
「早く試合が終わって欲しいというのもありました(笑)。本音としては、選手たちは90分で決着をつけたいという気持ちがあると思います」
「試合展開にもよりますけど、もちろん延長、PK戦でGKが活躍すればヒーローになれますが、なかなかそう上手くはいかないこともあります」
また、「90分で決着がつけば理想ですが、120分戦う体力と精神力が必要です」と難しい側面もあるとし、「勝ち上がっているチームのGKたちが、天皇杯で戦うチャンスがあるので、GK全員に頑張って欲しいと思います」と後輩のGKたちにエールを送っていた。
川口能活の関連記事
天皇杯の関連記事
|
|
川口能活の人気記事ランキング
1
「まさに死闘ってカンジ」歴史に残るバーレーンとの4-3の激闘!2004年大会プレイバックに反響「このゴールで中澤佑二に惚れた」
31日、日本代表はアジアカップ2023のラウンド16でバーレーン代表と対戦する。 過去の対戦成績は日本の8勝2敗となっているが、アジアカップの舞台で最後に対戦したのは2004年の中国大会での準決勝。記憶に残る激闘だった。 MF小野伸二、FW高原直泰ら当時の主力選手が欠場していた当時の日本は、開催国の中国サポーターにブーイングを浴びせられながらも決勝トーナメントに進出すると、準々決勝ではPK戦途中でのサイド変更とGK川口能活の神がかり的なセーブが印象深いヨルダン代表戦に勝利し、準決勝でバーレーンと対戦した。 しかし、バーレーン戦では開始6分に先制ゴールを許すと、40分にはMF遠藤保仁が不可解な判定で一発退場。日本はビハインドの状況で数的不利を負ってしまった。 数的不利の状況でもMF中田浩二とFW玉田圭司のゴールで逆転した日本だったが、その後2失点。2-3と1点ビハインドで試合終盤を迎えた。 それでも日本は最後まで諦めず。DFも攻めあがって同点ゴールを狙うと、90分にDF中澤佑二が値千金の同点ゴール。不屈の精神で同点に追いつくと、延長前半には玉田の独走ゴールが決まり、4-3で激闘を制していた。 なんとか決勝に進出した日本は、決勝で中国代表を撃破。見事に大会連覇を成し遂げていた。 久しぶりの対戦を前に『DAZN』は当時の試合映像をプレイバック。SNS上のファンも「このゴールで中澤佑二に惚れた」、「バーレーン戦といえばこの試合よな」、「痺れたね、玉田」、「まさに「死闘」ってカンジだった!」、「2004の大会は激熱だった」と当時を思い返している。 ベスト8を懸けた一戦は、31日の20時30分にキックオフ。『DAZN』で視聴が可能だ。 <span class="paragraph-title">【動画】当時の記憶が蘇る!2004年大会でのバーレーンとの激闘ハイライト</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet" data-media-max-width="560"><p lang="ja" dir="ltr">/<br>「バーレーンvs日本」<br>過去対戦をプレイバック<br>\<br><br>アジアカップ2004年大会で起きた<br>奇跡の大逆転劇<br><br><a href="https://twitter.com/hashtag/AFC%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#AFCアジアカップ</a> ラウンド16<br>バーレーン×日本<br>1/31(水)20:30(19:45配信開始)<br><a href="https://twitter.com/hashtag/DAZN?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#DAZN</a> 独占配信<br>出演:水沼貴史/小野伸二/佐藤寿人/下田恒幸/桑原学 <a href="https://t.co/x7Sals8iKu">pic.twitter.com/x7Sals8iKu</a></p>— DAZN Japan (@DAZN_JPN) <a href="https://twitter.com/DAZN_JPN/status/1752609401201189348?ref_src=twsrc%5Etfw">January 31, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.01.31 18:45 Wed2
日本代表が初めて感じた世界の壁、ストライカーが認める“9番”ガブリエル・バティストゥータ
遡る事22年前──1998年の6月は日本サッカーが初めて世界を知った1カ月だった。 “ジョホールバル”の歓喜で初めてワールドカップの出場権を獲得した日本代表。プロリーグがスタートしてから初めて実感した世界のサッカーは、次元の違うものだった。 当時から攻撃力に秀でていた南米の雄・アルゼンチン代表がワールドカップ初戦の相手。日本はディフェンシブな布陣で臨んだが、一瞬の隙を突かれてやられた。 前半28分、クリアミスを拾われるとパスを繋がれる。現在はアトレティコ・マドリーで指揮を執るディエゴ・シメオネからの縦パスが入ったところで当時の10番・名波浩がアリエル・オルテガのスルーしたボールに対応できないと、これが絶妙なパスとなってしまい、そのままゴールを許してしまった。 日本代表のワールドカップの歴史に最初に名を刻んだ男。それが、アルゼンチン代表のエース、ガブリエル・バティストゥータだった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆日本を沈めた“バティゴール” </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> フィオレンティーナでキャリアの全盛期を過ごしていたバティストゥータは、エースとして日本戦に先発出場。FWクラウディオ・ロペス、FWアリエル・オルテガとともに日本ゴールを脅かしていた。 そして日本に少し疲れが見え始めた28分にゴールを奪う。 名波が対応をミスしたボールを受けたバティストゥータは、飛び出してきたGK川口能活の上を通す冷静沈着なチップキックでゴールを決めた。 ゴール前でのこの落ち着きは、今の日本にも必要な要素。意図しないこぼれ球であったが、しっかりと胸トラップでコントロールし、名波のプレッシャー、川口の飛び出しにも冷静に対処した。まさに、ストライカーらしいゴールだった。 <div id="cws_ad">◆日本を沈めた“バティゴール” も!バティストゥータのゴール集<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJzTmlYUDBZeSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div><div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://ryan.onelink.me/C7cD/1fb76a70&c=sega_20201028_1">バティストゥータ、サネッティ、ベロンが<br />「サカつくRTW」に登場!</a><hr></div><div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆フィレンツェの英雄</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 1988年に母国のニューウェルズ・オールドボーイズにてプロデビューを果たしたバティストゥータは、リーベル・プレートを経て加入したボカ・ジュニアーズで才能を一気に開花させる。 ここでの活躍からセリエAの強豪チームの1つであったフィオレンティーナへ加入。ロベルト・バッジョ氏の後釜としての加入だった彼に不信感を抱く者もいたが、デビュー戦となった1991年9月1日のユベントス戦でいきなりゴールを記録。その後も得点を量産し、フィオレンティーナの旗手としてチームを牽引し続けた。 1992-93シーズンにフィオレンティーナがまさかのセリエBに降格した際には、誰もがチームを離れる事を予想したが、バティストゥータはチームに残留。1年でのセリエA復帰に貢献するだけでなく、1994-95シーズンには26ゴールを挙げて得点王も獲得している。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ローマで日本代表戦士と共に悲願のスクデット</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_5.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> しかし、フィオレンティーナでは本人の夢であるスクデット獲得には至らず、その夢を果たすため2000-01シーズンにローマへ電撃移籍。シーズン途中にケガでの離脱がありながら20得点を挙げる活躍を見せ、移籍1年目、そしてイタリア10年目にして祈願のスクデットを獲得した。 このシーズンは、前年の途中にペルージャから加入していた元日本代表MF中田英寿もローマに所属。フランチェスコ・トッティとのポジション争いもある中で、中田もスクデット獲得に貢献。1998年のフランスW杯で敵として黒星をつけた男と、2年後にはチームメイトになっていたのだから、中田の凄さも計り知れないところだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ストライカーから認められる “ストライカー”</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> その後もローマでプレーしたバティストゥータだが、2002-03シーズン途中、ローマにて出場機会を失いつつあった彼はインテルへレンタル移籍。母国の後輩であり、ケガで離脱していたFWエルナン・クレスポの穴埋めと期待されたが、12試合で2ゴールと期待された結果を残せず。翌シーズンにはカタールのアル・アラビへと完全移籍。2005年3月に現役を退いた。 アルゼンチンに収まらず、1990年代最高のストライカーの1人であったバティストゥータだが、その姿は現代で活躍するストライカーたちの目にも焼き付いている。 ウルグアイが誇る現代屈指のストライカーであるFWルイス・スアレス(アトレティコ・マドリー)は、バティストゥータの同胞フアン・パブロ・ソリンとのインタビューでその強烈な憧れを明かしている。 「子供の頃からアイドルだったということを伝えたい。あなたは私が今まで見たサッカー選手の中で最も偉大な存在だった。子供の頃から真似してみたけど、だからこそ憧れてしまう。あなたは私にとってアイドルです」 さらには、ウルグアイ代表でスアレスの相棒であるFWエディンソン・カバーニ(マンチェスター・ユナイテッド)もバティストゥータに憧れを抱いた1人だ。 「昔から憧れているストライカーを1人選ばなければならないのなら、バティストゥータを選ぶよ。フィオレンティーナの9番を背負った彼は最強だった。9番は特別な数字で得点を挙げる人間を表す。よく似合っていた」 破壊的な右足とヘディングに高い決定力を備え、どこからでもゴールを貪欲に狙う姿勢。最もゴールにこだわり、ゴールを決めてきたバティストゥータこそ、"9番”の象徴であり、“ストライカー”の神髄と呼べる存在だった。 <div style="text-align:left;" id="cws_ad"><hr>日本代表を沈める“バティゴール”を決めた1990年代最高のストライカーの一人であるバティストゥータが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br /><br />さらに日本戦にもフル出場していたMFファン・セバスティアン・ベロンとDFハビエル・サネッティも同時に登場している。『サカつくRTW』で“バティゴール”を観たい方は是非一度チェックしよう。</div><hr> 2020.10.30 15:30 Fri3
GK川島永嗣が偉大な先輩である川口能活コーチを語る「気持ち的にも大きな刺激になっている」
日本代表は6日、オランダのユトレヒトで2日目のトレーニングキャンプを実施。トレーニング前に、GK川島永嗣(ストラスブール)がメディアの取材に臨んだ。 昨年12月以来の代表活動となる日本代表。今回はオランダでカメルーン代表、コートジボワール代表との国際親善試合を戦う。 昨年11月以来の代表合流となった川島だが、今回の活動については「待ちに待った代表活動だと思います。選手、スタッフ含めてモヤモヤした気持ちでした。サッカーファンもこの時を待ち望んでいたと思います。みんなで合流できて嬉しいですし、試合に向けてみんなでやって行きたいと思います」と、久々の活動に気を引き締めた。 今回の遠征には、GKコーチとして日本代表で長らく守護神を務めた川口能活氏が帯同。かつて一緒にプレーした川島は「まずは僕も能活さんが引退されてから会うのが初めてですし、昨日話していて、2010年のワールドカップ以来会うのが初めてなんじゃないかというぐらい久々に会ったので、こういう場所で能活さんに会えるのは嬉しいですし、スタッフに入ってGK練習にいることは気持ち的にも大きな刺激になっています」とコメント。偉大な先輩からの指導を受けることが刺激になると語った。 今回はアフリカの2カ国との対戦となるが、川島は「アフリカの2チームということで、ヨーロッパの中でも大きなクラブでやっている選手も多いですし、経験も持ち合わせた良い2カ国だと思います」と印象をコメント。「それこそヨーロッパのチーム、南米のチーム、アフリカのチームという点では、アフリカのチームはリズムや技術的に優れた選手が多いので、自分たちがどう対応できるのか。ヨーロッパでやっている選手しかいない今回の中で、普通の基準として捉えてやらなければいけないかなと思います」と語り、日頃のチームでの経験、感覚を代表の場で見せる時だと語った。 コロナ禍では難しい日々を過ごしていた川島だが、その難しい時期については「多くの選手もそうですし、多くの人がそうですが、当たり前のことが当たり前でなくなったということは多かったと思います」とコメント。「ただ、色々な状況にやはり人は変化に対応していかなければいけません。その中で自分がアダプトできるかというのがあります」と適応していくことが重要だと語った。 また「難しいのはトレーニングできない、試合ができない、代表の活動ができないという中で、新しい環境の中でどれだけ高みを目指して、こういう期間を新たに物事を作る期間にできるかという意識でいました」とし、貴重な代表活動の場でしっかりと結果を残していきたいと意気込んだ。 今回の代表戦の意義については「僕自身は37歳ですが、子供たちが夢を抱くと同じように、日本代表というのはすべての人にとっての夢だと思います。そういう場所が1年間、多くの人に与えられなかったのは大きな時間のロスだと思います」とコメント。「試合をする姿を見せることが、子供達に一番良い影響を与えると思うので、試合をさせてもらえるのは僕たちにとっても多くの人にとって新たな希望になると思います」とし、希望を与えられる内容を見せたいとした。 2020.10.06 20:50 Tue4
「温かいのか、冷たいのか…」天皇杯抽選会のドロワー務めた川口能活氏が興味、実際のボールは?
15日、天皇杯 JFA 第102回全日本サッカー選手権大会の準々決勝以降の組み合わせ抽選会がJFAハウスで行われた。 東京ヴェルディvsジュビロ磐田のラウンド16が未消化となっている状態で行われた抽選会。決勝までのトーナメントの組み合わせが決定した。 準々決勝では、J1同士の対決がヴィッセル神戸vs鹿島アントラーズ、セレッソ大阪vsサンフレッチェ広島の2カードに。J2のヴァンフォーレ甲府はアビスパ福岡と、京都サンガF.C.は東京Vvs磐田の勝者と対戦することとなった。 この日のドロワーは、横浜F・マリノスやジュビロ磐田、SC相模原のJリーグクラブや、ノアシェラン、ポーツマスと言ったヨーロッパのクラブでもプレーし、日本代表の守護神として長らく活躍した川口能活氏が務めた。 川口氏は、ドローの前に「ボールが温かいのか、冷たいのか気になります」と語っていた中、抽選会後のメディア取材で改めて言及した。 「よく重要な試合において、抽選するドロワーの結果が話題になることがあるので、実際にそういうことがあるのか興味がありました。そういうことはないだろうなと思ってやっていました」 ワールドカップやチャンピオンズリーグの組み合わせ抽選会では、しばしば因縁の対決などが実現し、ボールの温度が違うことで恣意的に組み合わせているのではないかと疑われることがしばしばある。 川口氏もそのことを知っていたようで、初めてドロワーを務める上で、気になっていたとのこと。ただ、抽選会後には「常温でした」と触った時の差はなかったと語っていた。 また、組み合わせと、決勝までの道筋を決めるドローについては「楽しみでもありましたし、責任もあるというか、クラブが勝利することで得られる利益もありますし、クラブとしてのステータスも関わる。すごく楽しみなドロワーをやらせていただいたことに感謝しかないです」と語り、命運を握る思いもありながら、楽しんだようだ。 今大会については「この102回大会の準々決勝のカードが決まりました。天皇杯でこれまで勝てなかったチームがどんな成績を残せるか楽しみにしています」とコメント。初優勝チームが出るのか、それとも再びタイトルを獲得するチームがあるのか注目が集まる。 2022.07.16 06:45 Sat5
