【欧文】このサッカー選手は誰?
2020.12.14 15:00 Mon
サッカー選手の名前を中国語で表記したら…?中国では、基本的に海外の選手名やチーム名を漢字による音訳をして表記していますが、そのまま漢字に置き換えることが難しい場合もあり、愛称が用いられることも多くあります。この企画では、現役を問わずあるサッカー選手の名前を中国語表記で出題します。それが誰を指すのか、当ててみてください!
問題:「迈克尔·欧文」
難易度:低
さすがにこれだけでは分からない方も多いと思うので、ここでヒントです!
ヒント①:現役引退後の今も、リバプールファンからは“裏切り者"の烙印を押されています。
ヒント②:中国語で「迈」は「mài」と発音し、距離を表す「マイル」も「迈」と表記するようです。
ヒント③:10代の頃からトップレベルで活躍し、“ワンダーボーイ"の愛称で名を馳せました。
ヒントを見て、もう分かった方もいるのではないでしょうか?それでは、正解発表です。
正解はこちら!
「欧文」の読み方は…「オーウェン」でした。そう、元イングランド代表FWのマイケル・オーウェン氏です。「文」を「wén」と発音することが予想できれば、比較的簡単だったのではないでしょうか?
リバプールユース出身のオーウェン氏は、1997年に弱冠17歳でファーストチームデビュー。クラブ、代表レベルで10代とは思えないプレーを見せ続け、“ワンダーボーイ"の愛称でリバプールファンのみならずイギリス国民から愛されていました。
その後2009年に、リバプールの永遠のライバルであるマンチェスター・ユナイテッドへ禁断の移籍。これにより、リバプールファンからは“裏切り者"の烙印を押され、今でもリバプールファンの多くは根強い怒りを持っています。
今日がオーウェン氏の41歳の誕生日ですが、リバプールの公式SNSでのお祝いはあるでしょうか。
サッカー選手クイズ、いかがでしたか?気になる方は他の選手の名前もチェックしてみてください!
問題:「迈克尔·欧文」
難易度:低
ヒント①:現役引退後の今も、リバプールファンからは“裏切り者"の烙印を押されています。
ヒント②:中国語で「迈」は「mài」と発音し、距離を表す「マイル」も「迈」と表記するようです。
ヒント③:10代の頃からトップレベルで活躍し、“ワンダーボーイ"の愛称で名を馳せました。
ヒントを見て、もう分かった方もいるのではないでしょうか?それでは、正解発表です。
「欧文」の読み方は…「オーウェン」でした。そう、元イングランド代表FWのマイケル・オーウェン氏です。「文」を「wén」と発音することが予想できれば、比較的簡単だったのではないでしょうか?
リバプールユース出身のオーウェン氏は、1997年に弱冠17歳でファーストチームデビュー。クラブ、代表レベルで10代とは思えないプレーを見せ続け、“ワンダーボーイ"の愛称でリバプールファンのみならずイギリス国民から愛されていました。
その後2009年に、リバプールの永遠のライバルであるマンチェスター・ユナイテッドへ禁断の移籍。これにより、リバプールファンからは“裏切り者"の烙印を押され、今でもリバプールファンの多くは根強い怒りを持っています。
今日がオーウェン氏の41歳の誕生日ですが、リバプールの公式SNSでのお祝いはあるでしょうか。
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相手が恐れる右手…ストライカーの完成形と呼ばれた男、アラン・シアラー
サッカーの試合で最もボルテージが上がる瞬間と言っても良いのがゴールシーン。どのカテゴリーの試合でも、間違いなく観る者、そしてプレーする選手のテンションを上げる場面だ。 そのゴールシーンでは、各選手が特徴的なゴールパフォーマンスを見せ、ゴールを多く決める選手ほど、その代名詞とも言えるパフォーマンスを持っている。 現代サッカー界で最も広く知られているのは、マンチェスター・ユナイテッドのポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドが見せるポーズだろうか。ゴールを決めた勢いのまま走り出すと、コーナーフラッグでジャンプし反転。「Siiiii!(イエース!)」と絶叫し、両手を広げながら着地する仁王立ちパフォーマンスは知られたものだろう。観客もパフォーマンスに合わせて「Siiiii!」というものだ。 その他にもゴールパフォーマンスを見せる選手は多く、バク宙をする選手や勢いをつけてヒザで滑るもの、ハートを手で作ったり、古くは指輪にキスをするなど様々。世のサッカー少年は、好きな選手のパフォーマンスを真似するのに必死なはずだ。 そのゴールパフォーマンスだが、右手を高く掲げるゴールパフォーマンスを見たことはあるだろうか。シンプルなパフォーマンスだが、対戦相手にとっては悪夢とも言えるこのポーズは、かつてイングランド代表のエースであったアラン・シアラーのものだ。 <span class="paragraph-title">◆商標登録されるパフォーマンス</span> 特段目立つパフォーマンスでもなく、むしろ地味でシンプルなものだが、ことシアラーの右手を掲げるパフォーマンスは誇り高きパフォーマンスとして愛されている。 このパフォーマンスは商標登録されるほど。もちろん、パフォーマンスをすることが他の選手に禁じられているわけではなく、シアラーが右手を高く掲げるこのパフォーマンスの写真等を使用した商品は、10%がチャリティに寄付されるというものだ。 それだけこのパフォーマンスの価値が高いということを示しており、イングランドにとって重要なパフォーマンスであることが知れるところ。プレミアリーグにおける最多得点記録保持者ということでも、どれほど多くの回数右手が掲げられたかがわかるだろう。 ニューカッスル出身のシアラーは、サウサンプトンの下部組織で育ち、1988年にアーセナル戦でプロデビューを果たす。 そのデビュー戦では、まさかのハットトリック達成。2点ビハインドから3点を奪い、チームに勝利をもたらせたことで一気に注目を集めることに。シアラーが17歳で成し遂げたことだった。 当時はプレミアリーグ発足前、ファーストディビジョンとして行われたリーグだが、1992-93シーズンに開幕したプレミアリーグで、一気にシアラーの得点力が花開くことに。スコアラーとしての地位を確立していくこととなる。 <span class="paragraph-title">◆大舞台で輝くストライカー</span> そのシアラーがイングランド代表としてデビューを果たしたのは1992年2月。フランス代表とのフレンドリーマッチだった。 フランスはエリック・カントナやジャン=ピエール・パパン、ディディエ・デシャンなど、往年のスター選手が出場していた中、シアラーは2トップで先発出場。43分に先制ゴールを記録し、こちらもデビュー戦ゴール。プロデビューに続いて、デビュー戦でいきなりゴールを決めるという勝負強さを見せる。 当時のエースは、後に名古屋グランパスに加入し、Jリーグでもプレーするギャリー・リネカー氏が務めていたが、新たなエース誕生という期待がシアラー氏にかけられていく。しかし、所属クラブとは裏腹に、イングランド代表ではシアラー氏は思うようにゴールを決められない。 シアラー氏がイングランド代表として最も輝いたのは、1996年に行われたユーロ。初戦のスイス代表戦でゴールを決めると、スコットランド代表戦で1ゴール、オランダ代表戦で2ゴールと3試合連続ゴールを記録。準決勝のドイツ代表戦でも1ゴールを決め、大会通算5ゴールで得点王に。チームはベスト4で終わったが、初めてイングランド代表でもその得点力を披露することとなった。 なお、ユーロ初戦でゴールを決めるまで、20試合ゴールを決めていないことも大きな話題となったが、大舞台での活躍で信頼を取り戻す。 その後も、日本代表が初めて出場した1998年のフランス・ワールドカップ(W杯)に向けた欧州予選ではゴールを量産。無事に出場権を獲得すると、本大会でも2ゴールを記録した。 シアラーは2000年のユーロにも出場し、2ゴールを記録。ユーロ予選も含めてゴールを決めた一方で、フレンドリーマッチではほとんどゴールを決めないという不思議な現象もあり、代表通算63試合で30ゴールという成績に。歴代8位という意外な数字で終わっているが、決めなければいけない試合でのゴールをしっかり決める勝負強さを発揮した。 <span class="paragraph-title">◆ストライカーの完成形</span> イングランド代表としては大きな輝きを放てなかったシアラーだが、クラブレベルでの活躍は素晴しいものだった。 プレミアリーグが発足した1992-93シーズンにブラックバーンへと移籍したシアラーは、21試合で16ゴール4アシストを記録。ケガなどもあり満足いく数字を残せなかったが、1993-94シーズンは40試合で31ゴール4アシストと得点を倍増させる。 さらに1994-95シーズンは42試合で34ゴール13アシストとアシスト数も増加。元イングランド代表FWクリス・サットンとのSASコンビでプレミアリーグ得点王に輝くと、チームを優勝に導くことに。ビッグ6と呼ばれるクラブ以外では、“奇跡の優勝”と言われた2015-16シーズンのレスター・シティと共にチャンピオンとして名を残している状況だ。 なお1995-96シーズンは35試合で31ゴール、ニューカッスルへと移籍した1996-97シーズンは31試合で25ゴールを記録し3年連続得点王に輝いていた。 当然その得点力にはビッグクラブが目をつけており、マンチェスター・ユナイテッドやバルセロナなどが獲得に動いたが、自身が愛する地元のクラブであるニューカッスルから離れることはなく、キャリアの終了までプレーした。 シアラーの特徴は、183cmと際立って大柄ではないものの、空中戦にめっぽう強く、ヘディングの技術は卓越したものがあり、多くのゴールにつなげた。 さらにシュートレンジも広く、様々なゴールパターンを持っていることからも、完成されたストライカーの1人として認識され、キャリアの晩年になってもゴールを決め続け、積み上げたプレミアリーグでのゴールは「260」。2位のウェイン・ルーニーが「208」と遠く及んでない。 そのシアラーの記録を抜く可能性を持っているのが、現在のイングランド代表のエースであるトッテナムのハリー・ケインと言われている。現時点で「167」ゴールを記録しており、記録までおよそ100ゴール。28歳のケインがプレミアリーグでプレーを続ければ間違いなく達成されるだろうが、イングランド人FWにとっての目指すべき姿として、今なお愛され続けている。 <div id="cws_ad"><hr>イングランド代表でも活躍し、ニューカッスルのレジェンドとしてプレミアリーグ歴代最多ゴール数を誇るシアラーが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>イングランド代表としてプレーしたDFソル・キャンベル、FWマイケル・オーウェンと共に現役時代に魅せたゴールが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。</div> <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD?pid=worldsoccer2110&c=worldsoccer2110&is_retargeting=true&af_inactivity_window=3d&af_dp=ryan.app%3A%2F%2F&af_web_dp=http%3A%2F%2Fsakatsuku-rtw.sega.com%2F" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20211027.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> <span class="paragraph-title">【動画】伝説のストライカー、シアラーのイングランド代表での技ありゴール集!</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">A huge congratulations to former <a href="https://twitter.com/hashtag/ThreeLions?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#ThreeLions</a> man <a href="https://twitter.com/alanshearer?ref_src=twsrc%5Etfw">@alanshearer</a> on becoming one of the first inductees into the <a href="https://twitter.com/premierleague?ref_src=twsrc%5Etfw">@premierleague</a> Hall of Fame! <a href="https://t.co/FpxSU7B2cK">pic.twitter.com/FpxSU7B2cK</a></p>— England (@England) <a href="https://twitter.com/England/status/1386592090247860224?ref_src=twsrc%5Etfw">April 26, 2021</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJzUmR6VnJiMiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2021.10.27 20:00 Wed2
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“裏切り者”の烙印を押されたオーウェンが、リバプール復帰を阻んだ意外な選手を明かす
元イングランド代表FWマイケル・オーウェン氏が、自身の移籍の舞台裏を明かした。 リバプールユース出身のオーウェン氏は、1997年に弱冠17歳でトップチームデビュー。クラブ、代表レベルで10代とは思えないプレーを見せ続け、“ワンダーボーイ"の愛称でリバプールファンのみならずイギリス国民から愛されていた。 <div style="margin:0 auto; min-width:300px; " id="cws_ad"><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJXQ3NHRUx2SiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div> 2004年に当時銀河系軍団と言われていたレアル・マドリーに移籍。スペインでは1シーズンのみを過ごし、2005年すぐにイングランドに復帰することになったオーウェン氏は、古巣リバプールへの復帰を希望していたものの、移籍先となったのはニューカッスルだった。 その後2009年に、リバプールの永遠のライバルであるマンチェスター・ユナイテッドへ禁断の移籍。これにより、リバプールファンからは“裏切り者"の烙印を押され、今でもリバプールファンの多くは根強い怒りを持っている。 オーウェン氏はイギリス『BBC』のポッドキャストに出演すると、自身の移籍の舞台裏について回顧。マドリーからリバプール復帰が成立しなかった理由として、オファー額が低すぎたと明かした。 「(2005年)リバプールは私を復帰させるために800万ポンド(約10億円)のオファーを提示していた。でも、ニューカッスルが1600万ポンド(約20億円)のオファーを提示したんだ」 「当時のレアル・マドリーの会長はもしプレミアに復帰したいのならばそれを許すが、ニューカッスルのオファーと同額を提示しない限りリバプールには行かせられないと言った」 「(両クラブの)提示額にはあまりにも大きな差があったから、彼らはリバプールには行かせられなかったんだ。だから私が『リバプール以外のところに行くなんてまっぴらごめんだ』といくら言っても、何もできなかった」 「私はニューカッスルに移籍したが、契約に毎シーズン夏に、一定のオファーがあればリバプールと契約できるという条項を設けていた」 しかし、ニューカッスル退団の際もオーウェン氏のリバプール復帰は成立せず。その理由は、元フランス代表FWダビド・エヌゴクにあったようだ。 「ニューカッスルの退団が決まったとき、まず最初に(ジェイミー・)キャラガーに電話して、監督に話してくれるよう言ったんだ。そしたら彼がかけ直してきて、(ラファエル・ベニテス)監督が既に別の選手の獲得に動いていると言われた。タイミング的にダビド・エヌゴクだったと思う」 この結果、オーウェン氏はユナイテッドへ移籍することに。3年間で公式戦52試合に出場し17ゴール3アシストを記録。その後、ストーク・シティへ移籍し、2013年7月に現役生活を終えている。 2020.05.13 18:35 Wed4
オーウェンがレアル・マドリーで「神だと思っていた」選手とは?
元イングランド代表FWマイケル・オーウェン氏がレアル・マドリー時代の同僚について語った。 リバプールで得点を量産したオーウェン氏は、2004年夏にレアル・マドリーへ移籍。在籍は1年のみであったものの、“ロス・ギャラクティコス(銀河系軍団)”の一員となった。 <div style="margin:0 auto; min-width:300px; " id="cws_ad"><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJ3RzZFdjdjRCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div> マドリーでは当時世界最高の選手の1人として評価されていた元フランス代表MFジネディーヌ・ジダン氏とも一緒にプレーしたが、その姿は「神」のようだったとイギリス『BBC』のポッドキャストで述べた。 「ジネディーヌ・ジダンは技術的に最も才能のある選手だった。彼はボールを足で持つために生まれた」 「彼がボールを走らせたときでも、常に同じ距離にあった。すべてのタッチ、左足、右足、彼がしたすべてのことはとても自然だった」 「ボールは副産物だった。彼が動けば、ボールは彼と一緒に動いた。彼は絹のようで、とても才能があった」 マドリー時代にはジダン氏以外にも、元ポルトガル代表FWルイス・フィーゴ氏や元ブラジル代表FWロナウド氏ともプレーしたが、それでもジダン氏は最も際立っいたようだ。 「彼は大きく、強く、ターンも素晴らしかった。視野と決定力も。彼は素晴らしい選手だった」 「おそらく、私がレアル・マドリーに加入した時に、練習中に見るのを止められなかった選手だ。多くの点で神だと思っていた」 2020.05.13 19:40 Wed5