マルディーニ家の次男がセリエAデビュー! 2000年代の選手としてミラン初
2020.02.03 12:25 Mon
偉大な系譜を息子も継いでいるのだろうか。イタリアサッカー界において名門一家であることを示してきたマルディーニ家から、新たな歴史がスタートする。かつて、イタリア代表としても活躍し、ミラン一筋で現役を引退したパオロ・マルディーニ氏の次男がセリエAデビューを果たした。
ミランのプリマヴェーラに所属するMFダニエル・マルディーニがセリエAデビュー。2日に行われたエラス・ヴェローナ戦で後半アディショナルタイムにサム・カスティジェホと交代。ついにデビューを果たした。
祖父にあたるチェーザレ・マルディーニ氏は、1954年から1966年までミランに在籍。セリエアで3度、チャンピオンズカップで1度優勝を経験。父のパオロは、言わずと知れた名手。ミランの黄金期を支え続け、チャンピオンズリーグ(チャンピオンズカップを含む)で5度、セリエAで7度、コッパ・イタリアで1度優勝を経験。現在はクラブのテクニカル・ディレクターを務めている。
なお、父のパオロは16歳でデビュー。18歳でデビューを果たしたダニエルをも上回る若さでデビューし、その後一線で活躍を続けたから、その偉大さが際立つ。
ダニエル・マルディーニは、ディフェンダーとして名を馳せた祖父、父とは違い、攻撃的MF。このデビューは、ミランでデビューした2000年代生まれの最初の選手となった。
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ダニエル・マルディーニは、ディフェンダーとして名を馳せた祖父、父とは違い、攻撃的MF。このデビューは、ミランでデビューした2000年代生まれの最初の選手となった。
背番号「98」を背負った、新たなマルディーニ。祖父、父のように伝説となれるだろうか。
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