ディエゴ・ミリート
DIEGO Alberto MILITO
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ポジション | FW |
国籍 |
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生年月日 | 1979年06月12日(46歳) |
利き足 | |
身長 | 183cm |
体重 | 78kg |
ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
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マテラッツィ“兄貴”、インテル時代にバロテッリへ鉄拳制裁を下したと告白
インテルのレジェンドである元イタリア代表DFマルコ・マテラッツィが、インテル時代のマリオ・バロテッリとのやり取りを回顧した。 マテラッツィは2001年から2011年インテルで活躍したDFで、ロッカールームをまとめる兄貴分としてチームの統率をとり、ファンからも愛されたレジェンドだ。 <div style="margin:0 auto; min-width:300px; " id="cws_ad"><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJscWZXakI1biIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div> そんなマテラッツィが16日、インスタグラムのライブ配信を使用したインタビューに応え、インテルでの経験を振り返り、2010年のチャンピオンズリーグ(CL)のバルセロナとの準決勝で起こったバロテッリとの事件についても回顧している。 この試合、途中交代で入ったバロテッリはピッチ上で精細を欠くパフォーマンスを見せたあげく、試合終了後にユニフォームを地面に投げつけていた。その後、ロッカールームに引き上げるバロテッリをマテラッツィが追いかけていく姿が目撃されている。 マテラッツィ氏は当時を振り返り、バロテッリを殴っていたことを明かした。 「彼をぶっ飛ばしたよ。本当だ。彼を愛しているが、あの日の彼はそれに相応しかった。今は友人だし、兄弟のような関係だが、マリオはあの日やってはいけないことをした」 「ベンチから出てきた後、カウンターのチャンスがあったのに彼はハーフウェイラインからロングシュートを打ったりしていた。ディエゴ・ミリートはカンカンだったよ」 「みんなマリオのポテンシャルを信じていたし、多くのゴールを決めて勝利にも貢献した。でも、その事件の1週間後、トレーニングで彼とマッチアップさせるようにモウリーニョに頼んだんだ。(対戦した後)一瞬で医務室送りにしてやったよ」 2020.04.17 16:30 Fri2
インテル栄光のエース…ディエゴ・ミリート氏がCL制覇を懐かしむ 表彰式でR・マドリー会長から「キミはウチに来るべき」
元アルゼンチン代表FWのディエゴ・ミリート氏が、インテル時代のチャンピオンズリーグ(CL)制覇を懐かしんだ。 2009-10シーズン、インテルに45年ぶりの欧州制覇、2024年現在イタリア勢最後の欧州制覇をもたらしたストライカー、D・ミリート。 チャンピオンズリーグ(CL)決勝戦、バイエルン戦で2得点を叩き込み、2-0勝利のインテルは欧州王者に。D・ミリート氏はUEFA年間最優秀選手、セリエA年間最優秀選手に輝いた。 地球上の全インテリスタが崇めるアルゼンチン人FWは現在45歳。母国のTV番組『TyC』に出演し、伝説のCL準決勝、決勝を懐かしんだ。 「サッカー少年の夢が凝縮されたファイナルだったね。だが、準決勝も思い出深い。あの準決勝で当時のペップ・バルサ、弟(※)の所属するバルセロナを撃破した時点で、我々インテルの優勝を確信していたと記憶する」 (※)ガブリエル・ミリート 「準決勝の前夜、両親もアルゼンチンから欧州へ来ていてね。インテルが滞在するホテルにも来て、私が会いに行ったら、そこへ監督のジョゼ・モウリーニョだ(笑)」 「モウは両親に『バルサとインテル、どちらを応援してくれますかね?』なんてニヤニヤしながら聞いていた(笑) まったく面白い男だよ。外ではいつも、選手の重圧を取り除くために悪者を演じるんだが(笑) それがモウリーニョだ」 そして、栄冠を掴んだサンティアゴ・ベルナベウでの決勝戦。表彰式ではメダル授与を担ったレアル・マドリーのフロレンティーノ・ペレス会長から、わずか数秒間の短い会話で、2010年夏の加入を促されたという。 「かの有名なペレス会長は私に『おめでとう』と語りかけ、続け様に『やはりキミはレアル・マドリーの一員になるべきだ』と言ったんだ」 「本気で私の獲得を目指していることは、あの日に前後して知っていた。レアル・サラゴサ時代のにもアプローチされ、ベルント・シュスター(当時監督)からも電話が来ていたよ。結局はインテルが譲らなかったということだ」 D・ミリート氏は最後に、古巣で自身の系譜を受け継ぐアルゼンチン人エース、ラウタロ・マルティネスにエールを送った。 「いまの私は、ラウタロに想いを馳せる。すでに私なんかと比べ物にならないほどの存在だよ。いつの日か、彼はインテルでバロンドールを受賞するかもしれないね。私にできないこと全てが、ラウタロにはできてしまう」 2024.11.13 17:15 Wedディエゴ・ミリートの移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2016年7月1日 |
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- |
2014年7月1日 |
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完全移籍 |
2009年7月1日 |
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完全移籍 |
2008年8月1日 |
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完全移籍 |
2006年7月1日 |
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完全移籍 |
2006年6月30日 |
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レンタル移籍終了 |
2005年7月1日 |
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レンタル移籍 |
2004年1月1日 |
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完全移籍 |
1998年7月1日 |
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完全移籍 |
ディエゴ・ミリートの監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2019年6月1日 | 2020年12月31日 |
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スポーツ・ディレクター |