名波浩
Hiroshi NANAMI
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ポジション | 監督 |
国籍 |
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生年月日 | 1972年11月28日(52歳) |
利き足 | |
身長 | |
体重 |
ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
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日本代表が初めて感じた世界の壁、ストライカーが認める“9番”ガブリエル・バティストゥータ
遡る事22年前──1998年の6月は日本サッカーが初めて世界を知った1カ月だった。 “ジョホールバル”の歓喜で初めてワールドカップの出場権を獲得した日本代表。プロリーグがスタートしてから初めて実感した世界のサッカーは、次元の違うものだった。 当時から攻撃力に秀でていた南米の雄・アルゼンチン代表がワールドカップ初戦の相手。日本はディフェンシブな布陣で臨んだが、一瞬の隙を突かれてやられた。 前半28分、クリアミスを拾われるとパスを繋がれる。現在はアトレティコ・マドリーで指揮を執るディエゴ・シメオネからの縦パスが入ったところで当時の10番・名波浩がアリエル・オルテガのスルーしたボールに対応できないと、これが絶妙なパスとなってしまい、そのままゴールを許してしまった。 日本代表のワールドカップの歴史に最初に名を刻んだ男。それが、アルゼンチン代表のエース、ガブリエル・バティストゥータだった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆日本を沈めた“バティゴール” </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> フィオレンティーナでキャリアの全盛期を過ごしていたバティストゥータは、エースとして日本戦に先発出場。FWクラウディオ・ロペス、FWアリエル・オルテガとともに日本ゴールを脅かしていた。 そして日本に少し疲れが見え始めた28分にゴールを奪う。 名波が対応をミスしたボールを受けたバティストゥータは、飛び出してきたGK川口能活の上を通す冷静沈着なチップキックでゴールを決めた。 ゴール前でのこの落ち着きは、今の日本にも必要な要素。意図しないこぼれ球であったが、しっかりと胸トラップでコントロールし、名波のプレッシャー、川口の飛び出しにも冷静に対処した。まさに、ストライカーらしいゴールだった。 <div id="cws_ad">◆日本を沈めた“バティゴール” も!バティストゥータのゴール集<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJzTmlYUDBZeSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div><div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://ryan.onelink.me/C7cD/1fb76a70&c=sega_20201028_1">バティストゥータ、サネッティ、ベロンが<br />「サカつくRTW」に登場!</a><hr></div><div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆フィレンツェの英雄</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 1988年に母国のニューウェルズ・オールドボーイズにてプロデビューを果たしたバティストゥータは、リーベル・プレートを経て加入したボカ・ジュニアーズで才能を一気に開花させる。 ここでの活躍からセリエAの強豪チームの1つであったフィオレンティーナへ加入。ロベルト・バッジョ氏の後釜としての加入だった彼に不信感を抱く者もいたが、デビュー戦となった1991年9月1日のユベントス戦でいきなりゴールを記録。その後も得点を量産し、フィオレンティーナの旗手としてチームを牽引し続けた。 1992-93シーズンにフィオレンティーナがまさかのセリエBに降格した際には、誰もがチームを離れる事を予想したが、バティストゥータはチームに残留。1年でのセリエA復帰に貢献するだけでなく、1994-95シーズンには26ゴールを挙げて得点王も獲得している。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ローマで日本代表戦士と共に悲願のスクデット</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_5.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> しかし、フィオレンティーナでは本人の夢であるスクデット獲得には至らず、その夢を果たすため2000-01シーズンにローマへ電撃移籍。シーズン途中にケガでの離脱がありながら20得点を挙げる活躍を見せ、移籍1年目、そしてイタリア10年目にして祈願のスクデットを獲得した。 このシーズンは、前年の途中にペルージャから加入していた元日本代表MF中田英寿もローマに所属。フランチェスコ・トッティとのポジション争いもある中で、中田もスクデット獲得に貢献。1998年のフランスW杯で敵として黒星をつけた男と、2年後にはチームメイトになっていたのだから、中田の凄さも計り知れないところだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ストライカーから認められる “ストライカー”</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> その後もローマでプレーしたバティストゥータだが、2002-03シーズン途中、ローマにて出場機会を失いつつあった彼はインテルへレンタル移籍。母国の後輩であり、ケガで離脱していたFWエルナン・クレスポの穴埋めと期待されたが、12試合で2ゴールと期待された結果を残せず。翌シーズンにはカタールのアル・アラビへと完全移籍。2005年3月に現役を退いた。 アルゼンチンに収まらず、1990年代最高のストライカーの1人であったバティストゥータだが、その姿は現代で活躍するストライカーたちの目にも焼き付いている。 ウルグアイが誇る現代屈指のストライカーであるFWルイス・スアレス(アトレティコ・マドリー)は、バティストゥータの同胞フアン・パブロ・ソリンとのインタビューでその強烈な憧れを明かしている。 「子供の頃からアイドルだったということを伝えたい。あなたは私が今まで見たサッカー選手の中で最も偉大な存在だった。子供の頃から真似してみたけど、だからこそ憧れてしまう。あなたは私にとってアイドルです」 さらには、ウルグアイ代表でスアレスの相棒であるFWエディンソン・カバーニ(マンチェスター・ユナイテッド)もバティストゥータに憧れを抱いた1人だ。 「昔から憧れているストライカーを1人選ばなければならないのなら、バティストゥータを選ぶよ。フィオレンティーナの9番を背負った彼は最強だった。9番は特別な数字で得点を挙げる人間を表す。よく似合っていた」 破壊的な右足とヘディングに高い決定力を備え、どこからでもゴールを貪欲に狙う姿勢。最もゴールにこだわり、ゴールを決めてきたバティストゥータこそ、"9番”の象徴であり、“ストライカー”の神髄と呼べる存在だった。 <div style="text-align:left;" id="cws_ad"><hr>日本代表を沈める“バティゴール”を決めた1990年代最高のストライカーの一人であるバティストゥータが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br /><br />さらに日本戦にもフル出場していたMFファン・セバスティアン・ベロンとDFハビエル・サネッティも同時に登場している。『サカつくRTW』で“バティゴール”を観たい方は是非一度チェックしよう。</div><hr> 2020.10.30 15:30 Fri2
沼津がヘッドコーチに鈴木秀人氏を招へい、中山雅史監督とは磐田黄金期に共に主軸として活躍「全てを捧げる覚悟」
アスルクラロ沼津は11日、ヘッドコーチに元日本代表DFの鈴木秀人氏(48)が就任することを発表した。 静岡県浜松市出身の鈴木氏は、浜松商業高校から1993年にジュビロ磐田の前身であるヤマハ発動機サッカー部に入団。1994年から名前が変更になると、2009年の引退まで一筋でプレーした。 引退後は、アカデミーのコーチや監督を務めると、2014年からはトップチームのコーチに就任。2015年からはヘッドコーチになると、2019年7月に解任された名波浩監督の後任として監督に就任した。 しかし、同年8月に体調不良となりその後に退任。2020年からは強化部長に就任したが、2022年途中に解任されていた。 沼津は今シーズンから中山雅史監督が就任したが、磐田の黄金期のチームメイトであり、多くのタイトルを獲得。再び一緒に戦うこととなった。 鈴木氏はクラブを通じてコメントしている。 「2023シーズンよりアスルクラロ沼津でヘッドコーチをやることになりました鈴木秀人です。アスルクラロ沼津、中山監督の躍進の為、全てを捧げる覚悟で頑張ります。よろしくお願いします」 2023.01.11 21:13 Wed名波浩の移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2009年1月1日 |
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- |
2007年12月31日 |
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レンタル移籍終了 |
2007年1月1日 |
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レンタル移籍 |
2006年12月1日 |
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レンタル移籍終了 |
2006年8月1日 |
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レンタル移籍 |
1999年12月31日 |
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レンタル移籍終了 |
1998年7月1日 |
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レンタル移籍 |
1995年1月1日 |
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完全移籍 |
名波浩の監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2023年2月1日 |
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コーチ |
2021年6月21日 | 2023年1月31日 |
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監督 |
2014年9月25日 | 2019年6月30日 |
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監督 |
名波浩の今季成績
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勝
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分
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負
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北中米W杯アジア最終予選 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
国際親善試合 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2026北中米ワールドカップ アジア2次予選 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
アジアカップ2023 決勝トーナメント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
アジアカップ2023 グループD | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
合計 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
名波浩の出場試合
北中米W杯アジア最終予選 |
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第1節 | 2024-09-05 |
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vs |
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中国代表 | ベンチ外 |
H
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第2節 | 2024-09-10 |
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vs |
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バーレーン代表 | ベンチ外 |
A
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第3節 | 2024-10-10 |
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vs |
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サウジアラビア代表 | ベンチ外 |
A
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第4節 | 2024-10-15 |
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vs |
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オーストラリア代表 | ベンチ外 |
H
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第5節 | 2024-11-15 |
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vs |
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インドネシア代表 | ベンチ外 |
A
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第6節 | 2024-11-19 |
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vs |
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中国代表 | ベンチ外 |
A
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第7節 | 2025-03-20 |
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vs |
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バーレーン代表 | ベンチ外 |
H
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第8節 | 2025-03-25 |
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vs |
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サウジアラビア代表 | ベンチ外 |
H
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国際親善試合 |
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2024-01-01 |
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vs |
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タイ代表 | ベンチ外 | |
H
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2026北中米ワールドカップ アジア2次予選 |
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第1節 | 2023-11-16 |
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vs |
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ミャンマー代表 | ベンチ外 |
H
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第2節 | 2023-11-21 |
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vs |
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シリア代表 | ベンチ外 |
A
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第3節 | 2024-03-21 |
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vs |
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北朝鮮代表 | ベンチ外 |
H
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第4節 | 2024-03-26 |
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vs |
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北朝鮮代表 | ベンチ外 |
A
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第5節 | 2024-06-06 |
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vs |
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ミャンマー代表 | ベンチ外 |
A
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第6節 | 2024-06-11 |
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vs |
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シリア代表 | ベンチ外 |
H
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アジアカップ2023 決勝トーナメント |
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ラウンド16 | 2024-01-31 |
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vs |
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バーレーン | ベンチ外 |
A
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準々決勝 | 2024-02-03 |
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vs |
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イラン | ベンチ外 |
A
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アジアカップ2023 グループD |
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第1節 | 2024-01-14 |
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vs |
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ベトナム | ベンチ外 |
H
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第2節 | 2024-01-19 |
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vs |
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イラク | ベンチ外 |
A
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第3節 | 2024-01-24 |
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vs |
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インドネシア | ベンチ外 |
H
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