佐藤勇人

Yuto SATO
ポジション MF
国籍 日本
生年月日 1982年03月12日(43歳)
利き足
身長 170cm
体重 68kg
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佐藤勇人のニュース一覧

15日、元日本代表MF松井大輔の引退試合『松井大輔引退試合-Le dernier dribble-~STARSEEDS SPECIAL MATCH~』がニッパツ三ツ沢球技場で開催された。 京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)でプロキャリアをスタートし、フランスを始めとしたヨーロッパのクラブで活躍した松井。 2024.12.15 16:17 Sun
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Jリーグは11日、Jリーグ30周年記念企画として、これまでの30年を回顧する「J30ベストアウォーズ」を開催することを発表した。 「J30ベストアウォーズ」は、30年の歴史の中から「MVP」、「ベストイレブン」、「ベストマッチ」、「部門別ベストゴール」、「ベストシーン」を決定。ファン・サポーターの投票をもとに決ま 2023.04.11 14:05 Tue
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ジェフユナイテッド千葉は26日、イビチャ・オシム元監督追悼試合の出場メンバーを発表した。 今年5月1日に逝去されたオシム氏の追悼試合を11月20日(日)に開催。ジェフOBのオシムジェフレジェンドと日本代表OBのオシムジャパンレジェンドが対戦する。 千葉は、10月25日時点での出場メンバーを発表。ジェフOBで 2022.10.26 17:50 Wed
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ジェフユナイテッド千葉は30日、故イビチャ・オシム元監督の追悼試合を発表した。 千葉の監督として来日後、日本代表も指揮したオシム氏。日本サッカー界に多大な功績を残した名指導者として今も語り継がれるが、今年5月1日に80歳で亡くなった。 試合は11月20日の16時からフクダ電子アリーナで催され、千葉OBから構 2022.09.30 17:40 Fri
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ジェフユナイテッド千葉は2日、元指揮官であるイビチャ・オシム氏(享年80歳)の訃報を受け追悼した。 ユーゴスラビア代表監督や、パルチザン・ベオグラード、パナシナイコス、シュトゥルム・グラーツで指揮を執ったオシム氏は、2003年に千葉の監督に就任する。 当時低迷から脱却しつつあった千葉では、フィジカル面とメン 2022.05.02 10:13 Mon
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昨季現役引退の佐藤勇人が千葉のクラブユナイテッドオフィサーに就任!

ジェフユナイテッド千葉は22日、昨シーズン限りで現役を引退した元日本代表MF佐藤勇人氏(37)がクラブユナイテッドオフィサー(CUO)に就任することを発表した。 クラブ公式サイトによると、CUOとは、社長付として多岐にわたるクラブ内の組織同士や、クラブとクラブを応援してくださる皆さまをユナイテッド(結束)させ、クラブ全体が一丸となって活動するための推進役。佐藤氏は、アカデミーで6年間、プロとして20年間ジェフとともに歩んできた経験や見識を活かし、ジェフのクラブ理念である「ジェフユナイテッドライフの実現」に向け、活動していくようだ。 CUOに就任した佐藤氏はクラブ公式サイトを通じてコメントしている。 「このたび、ジェフの一員になってから27年目をクラブユナイテッドオフィサーとしてスタートできることを大変嬉しく思っています。私たちは1946年の古河電工サッカー部に始まり、その後古河電工と東日本旅客鉄道がクラブの母体となり活動している伝統あるクラブであります」 「その伝統と誇りを発信していきながら、これまで以上にクラブとホームタウンの結びつきやチームの団結を導くことも自分の役割だと考えております。またアカデミーから1人でも多く選手を育て、市原・千葉をはじめ地域の皆さま、ファンやスポンサーの皆さまが誇れるクラブになるため精進して参ります」 佐藤氏は同じ千葉に所属する元日本代表FW佐藤寿人の双子の兄。2000年にジュニアユース時代から過ごしてきた千葉でプロ生活をスタートさせ、2008年から2年間は京都サンガF.Cでプレーしたものの、2010年に千葉へ復帰し、2019シーズン限りで現役を引退した。キャリア通算成績では、J1リーグで220試合29得点、J2リーグで239試合8得点。2006年には日本代表デビューも飾っている。 2020.01.22 13:15 Wed
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千葉がタイトルもたらせたオシム氏の逝去を追悼…最後の言葉を紹介「大事なのはアイデアをだすこと」

ジェフユナイテッド千葉は2日、元指揮官であるイビチャ・オシム氏(享年80歳)の訃報を受け追悼した。 ユーゴスラビア代表監督や、パルチザン・ベオグラード、パナシナイコス、シュトゥルム・グラーツで指揮を執ったオシム氏は、2003年に千葉の監督に就任する。 当時低迷から脱却しつつあった千葉では、フィジカル面とメンタル面のアプローチで選手を指導。当時21歳の生え抜きだった阿部勇樹をキャプテンにおくと、1stステージで優勝争いをするも最後に失速。3位で終えると、2ndステージは2位で終えて、年間3位の成績を残す。 2004年にはさらに若手化が進む中、年間4位の成績を残すと、2005年にはナビスコカップを制覇。阿部の他にも、巻誠一郎や若手の水野晃樹、水本裕貴らを擁して結果を残していた。 2006年のシーズン途中には、ドイツ・ワールドカップ(W杯)を戦ったジーコ監督の後を継いで日本代表監督に就任。千葉の監督を退任すると、そのサッカーを継続しながら、若手にシフト。2004年のアテネ・オリンピック世代を重宝した。 千葉では、J1通算106試合を指揮し49勝35分け22敗、リーグカップは29試合で17勝5分け7敗。2005年と、途中まで率いた2006年は息子のアマル・オシム氏が監督を引き継いで優勝していた。 千葉はクラブを通じて「在任中はクラブの発展のために多大なるご尽力をいただきました。ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼した。 また、昨年の30周年記念事業として佐藤勇人CUOがインタビューを行った際にオシム氏からいただいた言葉の一部も紹介されている。 オシム氏: 「日本のみなさん一人ひとりにあいさつしたいが、日本は人口が多すぎる。よろしくといっているうちに舌が伸びてしまうかもしれない。ジェフはジェフだ。本来はJ1にいるのがふさわしいチームだ。どうしたらそこに戻れるのか、考えなければ。そのためには、チーム経費をできるだけ少なく、チームのクオリティをできるだけ高くしなければならないが、両立は簡単ではない」 「ぼやぼやしていると、給料の高いチームに移りたいと言い出す選手が出てくるかもしれない。残念ながら、サッカー界全体がお金に買われてしまったような状態だ。サッカー界が大地から離れて、ふわふわ浮き上がっている状態なのが心配だ」 「サッカーで勝つにはお金がかかるようになってきている。しかし大半のチームにはそんなに資金はない。よいアイデアを実行するにも先立つものが必要だ。しかし、そこで大切なことは、どんなポストについていても、明日の世界がどうなるのかを常に考えて、そなえることだ。 過去のことは過去にすぎない。くよくよしても仕方がない。しかし、明日のことを考える時に、過去の失敗の例を振り返ることは役に立つことがある。とくにサッカーのレベルアップをめざす時にはそうだ」 「サッカーには金がかかるようになった。日本のサッカー界も同じだ。そう感じるだろう。この前のオリンピックも、そのための国際会議も、莫大なお金が使われた。 使ったお金は返さなければならない。そのためには稼がなければ。大事なのはアイデアをだすことだ。頭を使うことだ」 「さまざまなアイデアを出すことが革新につながる。もちろん全部のアイデアが採用されるわけではないが、未来を予測して、それに見合ったアイデアを出すことが大切だ。 一歩一歩、進んでいくしかない」 勇人CUO: 「ブラボーと言ってください」 オシム氏: 「ブラボー。ありがとう。いい仕事をするためには、誰かいい相棒を見つける必要がある。何人かでアイデアを出し合えば、ひとりよりももっといいアイデアが出てくる」 「勇人と話せてよかったよ。元気そうでよかった。もし監督が必要ならここにいるぞ。選手がほしいならいってくれ。みんなによろしく! じゃあまた、チャオ!バイバイ!」 2022.05.02 10:13 Mon