
ボスニア・ヘルツェゴビナ
Bosnia and Herzegovina国名 |
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ホームタウン | サラエボ |
今季の成績
UEFAネーションズリーグ リーグA グループ3 | 勝点 | 勝数 | 引分数 | 負数 | 得点 | 失点 | 得失差 | 試合数 | ||
3 |
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ハンガリー代表 | 6 | 1 | 3 | 2 | 4 | 11 | -7 | 6 |
4 |
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ボスニア・ヘルツェゴビナ | 2 | 0 | 2 | 4 | 4 | 17 | -13 | 6 |
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ボスニア・ヘルツェゴビナのニュース一覧
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1
ジェコがボスニア・H史上初の100キャップ達成!
ローマに所属するFWエディン・ジェコがボスニア・ヘルツェゴビナ代表史上初となる代表100試合出場を達成した。 ジェコは23日に行われたユーロ2020予選グループJ第1節のアルメニア代表戦で先発出場を果たし、同国代表史上初めて100キャップを刻むことに。 メモリアルゲームでゴールを奪うことはできなかったが、2-0でリードした試合終盤の88分にホームサポーターからのスタンディングオベーションの中でピッチを退いた。その後、チームが1失点を喫したものの、自身の偉業を2-1の勝利で飾った。 2007年6月に行われたトルコ代表戦で代表デビューを飾ったジェコは、以降絶対的なエースストライカーとして活躍。2014年ブラジル・ワールドカップ(W杯)欧州予選ではチームを初のW杯本大会出場に導くと、本大会のイラン代表戦では初勝利に貢献。 また、代表通算100試合で55ゴールという数字は同じく歴代最多だ。 2019.03.24 17:50 Sun2
記憶に残るオシム監督とA3選手権/六川亨の日本サッカーの歩み
日本代表の元監督であるイビチャ・オシム氏が5月1日、80歳の生涯に幕を閉じた。92年のハンス・オフト氏から始まった日本代表の外国人監督のなかで、病に倒れて短命に終わったが、これほど強烈なインパクトと名言の数々を残した監督はオシム氏が最初で最後だろう。 もしも彼が南アW杯を率いていたらどんな戦い方をして、どんな成績を残したのか。きっと胸躍るサッカーを披露したのではないかと思うと残念でならない。 オシム氏が注目を集めたのはジェフユナイテッド市原・千葉の監督に就任し、「ライオンに追われたウサギが逃げ出すときに、肉離れしますか? 準備が足らないのです」とのコメントだろう。 2006年に日本代表の監督に就任した際にも、「日本代表の“日本化"」を宣言した。 具体的には「近い将来、身長の高い選手を見つけることは難しいと思うが、日本はほかのチームにはないものを持っている」として、敏捷性を指摘した。その上で「走るスピード、展開のスピード」を求めた。 またある時は「日本人は間違いなく身体の大きさが欠けている。闘いに耐えられるだけの重さが欠けているのだ。60キロの選手が90キロの選手とぶつかったら、1対1で負けるのは当然である。それを補っていくにはどうしたらよいのか。まずできることは走ることである」と、走ることの重要性と1対1のボディコンタクトを避ける利点を説明した。 それが端的に表われたのが、06年のA3チャンピオンズカップだった。これは日本、韓国、中国のリーグ優勝チームとカップ優勝チームかリーグの準優勝チームの4チームによるカップ戦で、03年から07年まで開催された。 06年は日本で開催され、リーグ優勝のG大阪とナビスコ杯(現ルヴァン杯)優勝のジェフユナイテッド千葉が出場した。すでにオシム氏は代表監督に就任していてチームを離れていたが、千葉は蔚山現代戦で3-2の勝利を収めただけでなく、走力でも蔚山を圧倒。後半の千葉のカウンターに、蔚山の選手は疲労困憊で追いつけないシーンを見た衝撃は今でも忘れられない(優勝は蔚山)。 「フィジカルの韓国、テクニックの日本」というイメージが強かったが、スタミナとスピードでも千葉は蔚山を圧倒したのだった。後にも先にも韓国のチームがスタミナ負けしたシーンはこのときの千葉しか印象にない。まさに「試合中に走り過ぎて死ぬことはありません」を実践した千葉の選手たちだった。 そしてこのA3チャンピオンズカップには後日談もある。オシム監督は初陣となるトリニダード・トバゴ戦の招集メンバーを13人しか発表しなかった。というのも、代表の試合とA3チャンピオンズカップ、さらに鹿島とFC東京の海外遠征が重なったため呼びたい選手を呼べなかったからだ。 「(チームは)全体で20人くらいになるが、13人でも試合はできる。もう少し早く監督になっていれば、この試合は断っていた。(代表の)強化にもクラブ(の海外遠征)にも口出しできない。A3も同じで3つの日程が重なっている。該当チームほど代表候補が多く、代表とクラブの試合がバッティングしたから今回のメンバーになった。今後はこのようなことのないよう、お願いしたい」 いまでは考えられないが、クラブの日程と代表の日程のすりあわせが当時は行われていなかった。そのことに対し、オシム監督は、はっきりと“ダメ出し"をしたのだった。 ほかにも在任期間は1年間とちょっとだったものの、数々のコメントとエピソードには事欠かない。日本代表の監督として、いつまでも“記憶に残る"名監督だったことは間違いないだろう。改めて、心よりご冥福をお祈りします。 2022.05.02 16:30 Mon3
今日の誕生日は誰だ! 9月17日は、ブンデス得点王に輝いた元ボスニア・ヘルツェゴビナ代表FWのバースデー
◆セルゲイ・バルバレス 【Profile】 国籍:ボスニア・ヘルツェゴビナ 誕生日:1971年9月17日 現役時所属クラブ:ドルトムント、ハンブルガーなど ポジション:FW 身長:188㎝ ▽『今日の誕生日は誰だ!』 9月17日は、元ボスニア・ヘルツェゴビナ代表のセルゲイ・バルバレス氏だ。 ▽母国のベレス・モスタルというクラブの下部組織で育ったバルバレス氏は、1992-93シーズンにハノーファーでプロデビュー。その後、ウニオン・ベルリン、ハンザ・ロシュトク、ドルトムント、ハンブルガー、レバークーゼンとドイツのクラブのみを渡り歩いて現役生活を終えた。主将も務めたハンブルガー所属当時の2000-01シーズンには、31試合22得点を記録しブンデスリーガ得点王にも輝いている。 ▽大柄な体格でゴール前に君臨しつつも、視野の広さや秀でたテクニックでアシストも多く記録したバルバレス氏。同氏は多くの警告を受けていたことでも有名だ。ブンデスリーガ通算ではレッドカード計4枚、イエローカード計75枚を受け取っており、これは問題児として知られたシュテファン・エッフェンベルク氏に次ぐ数字だという。 ※誕生日が同じ主な著名人 バカリ・コネ(元サッカー選手) ビスマルク(元サッカー選手/ヴェルディ川崎、鹿島アントラーズなど) 舞行龍ジェームズ(サッカー選手/川崎フロンターレ) オリヴィエ・ブマル(サッカー選手/横浜F・マリノス) ベルンハルト・リーマン(数学者) 蝶野正洋(プロレスラー) 石川遼(ゴルファー) 宇佐美蘭(タレント) 中村アン(タレント) 北山宏光(アイドル/Kis-My-Ft2) なかやまきんに君(お笑い芸人) 2018.09.17 07:00 Monボスニア・ヘルツェゴビナの選手一覧
1 | GK |
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ニコラ・ヴァシリ | |||||||
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1995年12月02日(29歳) | 194cm |
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5 |
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0 |
12 | GK |
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オスマン・ハジキッチ | |||||||
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1996年03月12日(29歳) | 186cm |
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0 |
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0 |
22 | GK |
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マルティン・ズロミスリッチ | |||||||
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1998年08月16日(26歳) |
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0 |
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0 |
2 | DF |
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ニダル・チェリク | |||||||
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2006年07月17日(19歳) | 192cm |
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0 |
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0 |
3 | DF |
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エルミン・ビカクチッチ | |||||||
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1990年01月24日(35歳) | 185cm |
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3 |
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0 |
7 | DF |
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アマル・デディッチ | |||||||
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2002年08月18日(22歳) | 180cm |
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2 |
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0 |
16 | DF |
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アドリアン・レオン・バリシッチ | |||||||
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2001年07月19日(23歳) | 193cm |
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4 |
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0 |
18 | DF |
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タリク・ムハレモビッチ | |||||||
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2003年02月28日(22歳) |
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1 |
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0 |
19 | DF |
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ナイル・オメロビッチ | |||||||
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2002年10月20日(22歳) |
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2 |
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0 |
DF |
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セアド・コラシナツ | ||||||||
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1993年06月20日(32歳) | 183cm | 85kg |
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2 |
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0 |
DF |
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ニハド・ムヤキッチ | ||||||||
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1998年04月15日(27歳) | 189cm |
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1 |
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0 |
DF |
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ニコラ・カティッチ | ||||||||
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1996年10月10日(28歳) | 194cm | 80kg |
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4 |
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0 |
DF |
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ユスフ・ガジベゴビッチ | ||||||||
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2000年03月11日(25歳) | 174cm | 67kg |
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4 |
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0 |
DF |
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スティエパン・ラデリッチ | ||||||||
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1997年09月05日(27歳) | 200cm |
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0 |
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0 |
5 | MF |
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イバン・シュニッチ | |||||||
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1996年10月09日(28歳) | 183cm | 79kg |
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1 |
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0 |
6 | MF |
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ベンジャミン・タヒロビッチ | |||||||
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2003年03月03日(22歳) | 191cm |
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5 |
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0 |
8 | MF |
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デニス・フセインバシッチ | |||||||
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2001年07月03日(24歳) | 186cm |
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5 |
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0 |
13 | MF |
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イバン・バシッチ | |||||||
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2002年04月30日(23歳) |
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4 |
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0 |
14 | MF |
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イフェト・ジャコバツ | |||||||
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1997年12月05日(27歳) | 180cm |
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0 |
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0 |
15 | MF |
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アルミン・ギゴビッチ | |||||||
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2002年04月06日(23歳) | 187cm |
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5 |
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0 |
17 | MF |
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ジェニス・ブルニッチ | |||||||
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1998年05月22日(27歳) | 185cm |
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5 |
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0 |
20 | MF |
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ハリス・ハイラディノビッチ | |||||||
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1994年02月18日(31歳) | 178cm | 69kg |
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2 |
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0 |
23 | MF |
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エスミル・バイラクタレビッチ | |||||||
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2005年03月10日(20歳) | 175cm |
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5 |
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0 |
9 | FW |
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ルカ・クレノビッチ | |||||||
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1999年09月29日(25歳) | 190cm | 85kg |
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1 |
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0 |
10 | FW |
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エルメディン・デミロビッチ | |||||||
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1998年03月25日(27歳) | 184cm |
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4 |
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1 |
11 | FW |
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エディン・ジェコ | |||||||
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1986年03月17日(39歳) | 193cm | 84kg |
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4 |
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2 |
21 | FW |
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サメド・バズダル | |||||||
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2004年01月31日(21歳) | 186cm |
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1 |
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0 |
FW |
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ハリス・タバコビッチ | ||||||||
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1994年06月20日(31歳) | 194cm | 90kg |
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3 |
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0 |
監督 |
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セルゲイ・バルバレズ | ||||||||
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1971年09月17日(53歳) | 188cm | 83kg |
ボスニア・ヘルツェゴビナの試合日程
国際親善試合
2024年6月3日 | A |
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3 | - | 0 | vs |
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イングランド代表 |
2024年6月9日 | A |
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1 | - | 0 | vs |
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イタリア代表 |
UEFAネーションズリーグ リーグA グループ3
第1節 | 2024年9月7日 | A |
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5 | - | 2 | vs |
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オランダ代表 |
第2節 | 2024年9月10日 | A |
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0 | - | 0 | vs |
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ハンガリー代表 |
第3節 | 2024年10月11日 | H |
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1 | - | 2 | vs |
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ドイツ代表 |
第4節 | 2024年10月14日 | H |
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0 | - | 2 | vs |
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ハンガリー代表 |
第5節 | 2024年11月16日 | A |
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7 | - | 0 | vs |
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ドイツ代表 |
第6節 | 2024年11月19日 | H |
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1 | - | 1 | vs |
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オランダ代表 |