ブレーメン
Sportverein Werder Bremen国名 | ドイツ |
創立 | 1899年 |
ホームタウン | ブレーメン |
スタジアム | ヴェーザーシュタディオン |
愛称 | ヴェルダー |
今季の成績
ブンデスリーガ | 勝点 | 勝数 | 引分数 | 負数 | 得点 | 失点 | 得失差 | 試合数 | ||
7 | ドルトムント | 16 | 5 | 1 | 4 | 18 | 18 | 0 | 10 | |
8 | ブレーメン | 15 | 4 | 3 | 3 | 17 | 21 | -4 | 10 | |
9 | ボルシアMG | 14 | 4 | 2 | 4 | 15 | 14 | 1 | 10 |
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ブレーメンのニュース一覧
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ドルトムントやブレーメンで活躍した元トルコ代表DFトプラクが35歳で現役引退
元トルコ代表DFエメル・トプラク(35)が現役引退を発表した。 2024年6月にトルコのアンタルヤスポルを退団し、フリートランスファーとなっていたトプラクは、14日に自身のインスタグラムにこれまで在籍したクラブのユニフォームを纏った自身の写真と共に引退する旨のコメントを綴った。 「今日は特別な投稿をさせてもらう。16年間のキャリアに、笑顔と涙をもって終止符を打ちます」 「15歳で故郷のラーベンスブルクを離れ、フライブルクの下部組織に入団したことで、僕は夢だったプロサッカー選手としての足がかりをつかむことができた。そして実際にその夢をかなえることができた」 「一緒にブンデスリーガに昇格しフライブルクは僕にとって常に特別な存在だ。事故に遭い大変な時期に僕を無条件で支えてくれた」 「またブレーメンでは、恥ずべき降格争いを経験し、実際に降格を味わうこととなった。幸いなことに、翌年はキャプテンとしてチームを引っ張り、ブンデスリーガ昇格を果たすことができた」 「チャンピオンズリーグのデビューハレバークーゼンだった。彼らは事故後の僕に大きな信頼を寄せてくれたクラブで、キャプテンとしてピッチに立つさせてもらった」 「ドルトムントは黄色い壁。あの熱気あふれるスタジアムは、ブンデスリーガ、もしかしたら世界で一番熱いスタンドで鳥肌が立った」 「アンタルヤスポルは、母国でプレーする機会を与えてくれたチーム、僕はこのクラブでプレーすることが出来て本当に幸せだった」 「代表チーム、そこでプレーできたことは僕にとって最高の瞬間だった!」 「多くの勝利と多くの敗北があった。その過程で多くの友情が生まれた。私はそのことに限りなく感謝しているし、だからこそ私は笑っている。泣いているのは、小さい頃から何よりも好きだったスポーツをやめることになったからだ。自分の夢を叶えられたことを誇りに思うし、サッカー、クラブ、仲間、そしてファンの皆さんに心から感謝している」 2005年にフライブルクの下部組織に入団したトプラクは、2008年にトップチームに昇格。その後、レバークーゼンやドルトムント、ブレーメンでプレーし、ブンデスリーガ通算では263試合に出場、7ゴール50アシストを記録した。 2022年6月からは、母国のアンタルヤスポルに2年契約で加入。主力として公式戦46試合に出場し1ゴール2アシストを記録したが、2023-24シーズン後半戦はベンチを温める時間が増え、シーズン終了後に契約満了で退団していた。 2011年に22歳でデビューしたトルコ代表では27キャップを誇っているが、ユーロやワールドカップなど主要大会の出場はなかった。 2024.11.15 08:00 Fri2
「過激化はクラブの許容限度を超えた」ブレーメンもX(旧ツイッター)から撤退…ザンクト・パウリに続くドイツ2クラブ目
ブレーメンが、X(旧ツイッター)からの撤退を発表した。 現在60万のフォローを持つブレーメンの公式アカウントだが、今後はXのメディアサービスを終了し、代わりにBlueskyに切り替えるという。 ブレーメンは今回の決断に際して以下の声明を発表している。 「SVヴェルダー・ブレーメン首脳陣はソーシャルメディアX上でのメディアサービスを終了することを決定しました」 「表現の自由を装い、X上でのヘイトスピーチ、少数派への憎悪など極右翼のポストと陰謀論が同ソーシャルメディアで驚異的な速さで拡散されています」 「直近の同プラットフォーム上の過激化はクラブの許容限度を超えました。したがってクラブは直ちにX上でのサービスを停止します」 なお、ブンデスリーガではブレーメンに先駆けてザンクト・パウリが同様の理由でXからの撤退を発表しており、今後も両クラブに追随するクラブが出てくる可能性は高そうだ。 2024.11.19 10:40 Tue3
「リバプールファンは世界最高」「残念ながらケガで…」ナビ・ケイタが負傷続きだったリバプールでのキャリア振り返り、ブレーメンでの苦境は「残念」
ブレーメンで構想外となっているギニア代表MFナビ・ケイタが、負傷続きのキャリアやリバプールでの思い出を振り返った。 RBライプツィヒで頭角を現したケイタは、2018年夏にリバプールへ加入。クラブレジェンドであるスティーブン・ジェラード氏の8番を受け継ぐなど大きな期待が寄せられていたが、度重なる負傷や波のあるパフォーマンスもあってポジションを確保できず、2023年夏に契約満了で退団となった。 昨シーズンからフリーでブレーメンに加入したケイタだったが、ここでも負傷に悩まされる形に。そして今年4月にはメンバー入りを拒否する騒動を起こしたことで、シーズン終了までチームからの追放と罰金が発表された。 今シーズンもブレーメンの構想には含まれず、一方で移籍も成立しなかったことから現在はU-23のチームでトレーニングを続けるケイタ。イギリス『ガーディアン』のインタビューに応じたギニア代表MFは、まず負傷続きだったリバプールでのキャリアを懐かしく振り返った。 「もちろん、(リバプール時代は)ケガが多くて精神的には大変だった。最初にフラストレーションを感じたのは僕のほうだったよ。すべての試合に出場したかったのに、残念ながらケガが多く力を発揮できなかった。でも、それもフットボーラーの人生さ。僕は常にチームのため全力を尽くしたけど、ケガは仕事の一部なんだ」 「それでも、リバプールのファンは僕にたくさんの愛を与えてくれた。今もどこで会ったとしても、彼らは同じ愛を示してくれるんだ。世界最高のファンだと思う。リバプールは家族であり、決して一人ぼっちではない」 「僕の目標は、タイトルを獲得するという子供の頃からの夢を叶えることだった。30年ぶりにプレミアリーグで優勝し、チャンピオンズリーグでも優勝できた。これらは忘れられない素晴らしい瞬間だよ。ファンを喜ばせることができたし、それがもっとも重要だった」 「チームはハングリー精神にあふれていた。すべての試合に勝ちたかったし、ピッチでベストを尽くすよう僕たちを後押ししてくれるユルゲン・クロップがいたことは幸運だったよ。彼は素晴らしいコーチであり、チームの強さの源だった」 リバプールでの素晴らしい時期を振り返ったケイタだが、インタビューでは現在の苦境についても言及。望んでいた立場ではないと認めつつ、今後の状況を見守りたいとしている。 「リバプールでの契約を延長する選択肢もあったが、5年の在籍を経てもっと他の場所でプレーしたいと思ったんだ。オファーはいくつかあったけど、ドイツは僕がすでに知っている国だったからブレーメンと契約することにした。ブレーメンの監督と経営陣の言葉にも納得したんだ」 「僕はただフットボールをプレーしたい。ピッチに出てパスを出し、ゴールを決めたいだけだった。お金が欲しかったら、ブレーメン以外のどこかと契約していただろう。ここで毎週末プレーし、楽しみ、喜びを与える機会を得ることがモチベーションだったんだ。でも残念ながら、計画通りには進んでいない」 「リバプールでの最後の年、僕はあまりプレーしなかった。でも、ブレーメンに来たときはやる気に満ちていたんだ。帯同拒否の件については、いつか話さなければならないね。でも、僕を知っている人は皆、僕がプロフェッショナルであり、規律を乱す人間ではないと知っている」 「多くの人から『ナビ、ケガが多いのになぜプレーを望まないの?』と聞かれる。僕は『いや、問題はないんだ』と答えているよ。ファンとクラブのためプレーしたいけど、僕だけではどうにもならない。クラブは僕をU-23に入れると決めたんだ」 「僕は彼らと一緒にトレーニングして、若い選手が軌道に乗っていくのを助けている。ファンは僕にたくさんの愛情を示してくれたし、僕がその愛情をピッチで返す姿を見るべきだと思う」 「僕は今29歳で、最高の状態だ。トレーニングを続け、将来がどうなるか見守っている。体がもう無理だと感じた日が来たら引退するけど、今のところは問題ない。フットボールに捧げられる時間はあと数年あると思っている」 2024.10.19 18:35 Sat4
大迫の同僚DFトプラクがふくらはぎを負傷し開幕戦欠場が確定
ブレーメンは16日、元トルコ代表DFエメル・トプラクの負傷を発表。開幕戦を欠場することとなった。 ブレーメンの発表によると、トプラクは16日にダニエル・ヘルマン医師によるMRI検査を受けたとのこと。その結果、ふくらはぎの筋肉に損傷が確認された。 クラブは全治を明かしていないものの、リハビリの経過を見て、復帰時期を決定するとしている。 ブレーメンは19日に予定されている2020-21シーズンのブンデスリーガ開幕節でヘルタ・ベルリンを迎える。 トプラクは、2019-20シーズンはドルトムントからのレンタル移籍でブレーメンに加入したものの、ケガなどの影響もあり公式戦12試合の出場に留まることに。それでも、今シーズンは完全移籍し、DFBポカールのカール・ツァイス・イエナ戦にフル出場していた。 フロリアン・コーフェルト監督はトプラクの働きに期待を寄せていたが、しばらくは欠いて戦うことになりそうだ。 2020.09.17 18:35 Thu5
主砲クラインディーストが3アシスト、板倉滉フル出場のボルシアMGがブレーメンに4発快勝でホーム戦3連勝【ブンデスリーガ】
ボルシアMGは3日、ブンデスリーガ第9節でブレーメンをホームに迎え、4-1で快勝した。ボルシアMGのDF板倉滉はフル出場している。 前節マインツに引き分けた11位ボルシアMG(勝ち点10)は、4日前のDFBポカールではフランクフルト相手に板倉が一時同点となるゴールを挙げたものの、10人の相手に敗れてしまった。そのボルシアMGは板倉が[4-2-3-1]の左センターバックで先発となった。 9位ブレーメン(勝ち点12)に対し、立ち上がりからボールを持ったボルシアMGは11分、ショートカウンターから先制する。敵陣でクラインディーストがボールを奪取してラストパス。最後はプレアがシュートを決めきった。 さらに1分後、GKツェッテラーのミスパスをカットしたボルシアMGは、オノラの右クロスが相手DFのオウンゴールを誘って一気にリードを広げた。 主導権を握るボルシアMGは29分、CKからクラインディーストのヘディングシュートが枠を捉えたが、ゴールライン上のDFにクリアされた。 それでもハーフタイム間際の45分に3点目。ロングカウンターに転じた流れからクラインディーストのスルーパスを受けたオノラがGKとの一対一を決めきった。 迎えた後半、3選手を変更してきたブレーメンに開始2分、ケーンのシュートでゴールを脅かされるもGKニコラスがセーブ。 すると67分に4点目。ロングボールでボックス右に抜け出したクラインディーストのクロスをシュテーガーが合わせた。 その後、1失点を喫したボルシアMGだったが、ヴァイザーが2枚目のイエローカードを受けたブレーメンに4発快勝。主砲クラインディーストが3アシストを記録する活躍を見せ、ホーム戦3連勝とした。 ボルシアMG 4-1 ブレーメン 【ボルシアMG】 アラサン・プレア(前11) OG(前12) フランク・オノラ(前45) ケビン・シュテーガー(後22) 【ブレーメン】 ケケ・トップ(後30) 2024.11.04 03:27 Monブレーメンの選手一覧
1 | GK | ミヒャエル・ツェッテラー | ||||||||
1995年07月12日(29歳) | 187cm | 10 | 0 |
25 | GK | マルクス・コルケ | ||||||||
1990年08月18日(34歳) | 187cm | 0 | 0 |
30 | GK | ミオ・バックハウス | ||||||||
2004年04月16日(20歳) | 190cm | 0 | 0 |
3 | DF | アンソニー・ユング | ||||||||
1991年11月03日(33歳) | 186cm | 10 | 0 |
4 | DF | ニクラス・シュタルク | ||||||||
1995年04月14日(29歳) | 188cm | 6 | 0 |
5 | DF | アモス・ピーペル | ||||||||
1998年01月17日(26歳) | 191cm | 5 | 0 |
8 | DF | ミッチェル・ヴァイザー | ||||||||
1994年04月21日(30歳) | 176cm | 67kg | 9 | 1 |
13 | DF | ミロシュ・ヴェリコビッチ | ||||||||
1995年09月26日(29歳) | 188cm | 77kg | 3 | 0 |
19 | DF | デリック・ケーン | ||||||||
1999年02月04日(25歳) | 180cm | 8 | 1 |
22 | DF | フリアン・マラティーニ | ||||||||
2001年05月31日(23歳) | 191cm | 7 | 1 |
27 | DF | フェリックス・アグ | ||||||||
1999年09月27日(25歳) | 180cm | 10 | 2 |
32 | DF | マルコ・フリードル | ||||||||
1998年03月16日(26歳) | 184cm | 8 | 0 |
2 | MF | オリヴィエ・デマン | ||||||||
2000年04月06日(24歳) | 181cm | 5 | 0 |
6 | MF | イェンス・ステージ | ||||||||
1996年11月08日(28歳) | 187cm | 7 | 4 |
10 | MF | レオナルド・ビッテンコート | ||||||||
1993年12月19日(30歳) | 171cm | 6 | 0 |
14 | MF | セネ・ライネン | ||||||||
1999年02月19日(25歳) | 185cm | 9 | 0 |
20 | MF | ロマーノ・シュミット | ||||||||
2000年01月27日(24歳) | 167cm | 10 | 1 |
21 | MF | イサク・ハンセン=アーロン | ||||||||
2004年08月22日(20歳) | 173cm | 0 | 0 |
28 | MF | スケリー・アルヴェロ | ||||||||
2002年05月04日(22歳) | 202cm | 5 | 0 |
29 | MF | ディケニ・サリフ | ||||||||
2003年06月08日(21歳) | 191cm |
35 | MF | レオン・オピッツ | ||||||||
2005年04月11日(19歳) |
48 | MF | ウェズリー・アデ | ||||||||
2007年01月08日(17歳) | 0 | 0 |
7 | FW | マーヴィン・ドゥクシュ | ||||||||
1994年05月07日(30歳) | 191cm | 10 | 3 |
11 | FW | ユスティン・エンジンマー | ||||||||
2000年11月15日(24歳) | 182cm | 6 | 1 |
15 | FW | オリヴァー・バーク | ||||||||
1997年04月07日(27歳) | 188cm | 5 | 1 |
17 | FW | マルコ・グリュル | ||||||||
1998年07月06日(26歳) | 184cm | 8 | 1 |
26 | FW | ジョエル・イマスエン | ||||||||
2004年10月27日(20歳) |
33 | FW | アブデネゴ・ナンキシ | ||||||||
2002年07月06日(22歳) | 178cm | 0 | 0 |
42 | FW | ケケ・トップ | ||||||||
2004年03月25日(20歳) | 10 | 1 |
監督 | オレ・ヴェルナー | |||||||||
1988年05月04日(36歳) |
ブレーメンの試合日程
ブンデスリーガ
第1節 | 2024年8月24日 | A | 2 | - | 2 | vs | アウグスブルク |
第2節 | 2024年8月31日 | H | 0 | - | 0 | vs | ドルトムント |
第3節 | 2024年9月15日 | A | 1 | - | 2 | vs | マインツ |
第4節 | 2024年9月21日 | H | 0 | - | 5 | vs | バイエルン |
第5節 | 2024年9月29日 | A | 3 | - | 4 | vs | ホッフェンハイム |
第6節 | 2024年10月5日 | H | 0 | - | 1 | vs | フライブルク |
第7節 | 2024年10月20日 | A | 2 | - | 4 | vs | ヴォルフスブルク |
第8節 | 2024年10月26日 | H | 2 | - | 2 | vs | レバークーゼン |
第9節 | 2024年11月3日 | A | 4 | - | 1 | vs | ボルシアMG |
第10節 | 2024年11月9日 | H | 2 | - | 1 | vs | ホルシュタイン・キール |
第11節 | 2024年11月23日 | A | 26:30 | vs | フランクフルト |
第12節 | 2024年11月30日 | H | 23:30 | vs | シュツットガルト |
第13節 | 2024年12月7日 | A | vs | ボーフム |
第14節 | 2024年12月14日 | A | vs | ザンクト・パウリ |
第15節 | 2024年12月21日 | H | vs | ウニオン・ベルリン |
第16節 | 2025年1月11日 | A | vs | RBライプツィヒ |
第17節 | 2025年1月14日 | H | vs | ハイデンハイム |
第18節 | 2025年1月18日 | H | vs | アウグスブルク |
第19節 | 2025年1月25日 | A | vs | ドルトムント |
第20節 | 2025年2月1日 | H | vs | マインツ |
第21節 | 2025年2月8日 | A | vs | バイエルン |
第22節 | 2025年2月15日 | H | vs | ホッフェンハイム |
第23節 | 2025年2月22日 | A | vs | フライブルク |
第24節 | 2025年3月1日 | H | vs | ヴォルフスブルク |
第25節 | 2025年3月8日 | A | vs | レバークーゼン |
第26節 | 2025年3月15日 | H | vs | ボルシアMG |
第27節 | 2025年3月29日 | A | vs | ホルシュタイン・キール |
第28節 | 2025年4月5日 | H | vs | フランクフルト |
第29節 | 2025年4月12日 | A | vs | シュツットガルト |
第30節 | 2025年4月19日 | H | vs | ボーフム |
第31節 | 2025年4月26日 | H | vs | ザンクト・パウリ |
第32節 | 2025年5月3日 | A | vs | ウニオン・ベルリン |
第33節 | 2025年5月10日 | H | vs | RBライプツィヒ |
第34節 | 2025年5月17日 | A | vs | ハイデンハイム |