ローマ

Associazione Sportiva Roma S.p.A.
国名 イタリア
創立 1927年
ホームタウン ローマ
スタジアム スタディオ・オリンピコ
愛称 ジャッロロッソ(黄色と赤)、ラ・マジカ(魔法)

今季の成績

セリエA 勝点 勝数 引分数 負数 得点 失点 得失差 試合数
6 ラツィオ 55 16 7 8 52 42 10 31
7 ローマ 53 15 8 8 46 31 15 31
8 フィオレンティーナ 52 15 7 9 48 32 16 31
UEFAヨーロッパリーグ 勝点 勝数 引分数 負数 得点 失点 得失差 試合数
14 ガラタサライ 13 3 4 1 19 16 3 8
15 ローマ 12 3 3 2 10 6 4 8
16 ビクトリア・プルゼニ 12 3 3 2 13 12 1 8
ニュース 人気記事 選手一覧 試合日程

ローマのニュース一覧

セリエA第27節、ローマvsコモが2日にスタディオ・オリンピコで行われ、ホームのローマが2-1で逆転勝利した。 前節はモンツァに4-0で圧勝を収めて今季初の3連勝での10戦無敗とした9位のローマ。週明けにヨーロッパリーグ(EL)のアスレティック・ビルバオ戦を控えるなか、今節は前回対戦で敗れた13位のコモとのホーム 2025.03.03 03:56 Mon
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ズデネク・ゼーマン氏(77)が脳卒中で緊急搬送。容態は安定しているとのことだ。 チェコスロバキアが生んだ鬼才、ズデネク・ゼーマン氏。プロサッカー選手歴を持たぬ指揮官として、30代の頃からイタリアサッカーに身を置き、のちにトッププレーヤーとなる無名の若者を掘り起こしたいくつもの功績が眩しい。 氏は2023-2 2025.03.02 18:30 Sun
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今冬の移籍市場でフリートランスファーでコモに加入した元イングランド代表MFデレ・アリ(28)が、新天地デビューに近づいているようだ。 一時はレアル・マドリーを始め、国内外のメガクラブからの関心を集め、フランク・ランパードやスティーブン・ジェラードに続くイングランド屈指の攻撃的MFへの成長も期待されたデレ・アリ。 2025.03.02 12:15 Sun
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リーズ・ユナイテッドがミランの元イングランド代表FWタミー・エイブラハム(27)をリストアップしているとのことだ。 チェルシー時代にはプレミアリーグで15得点をマークしたシーズンもあるタミー・エイブラハム。今シーズンはローマからのレンタル移籍でミランに所属し、途中出場が多いながらも公式戦35試合で8得点4アシスト 2025.02.28 19:46 Fri
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ラニエリ後任探すローマ、トッティはモウリーニョと並ぶ稀代の名将を推す

ローマのレジェンドであるフランチェスコ・トッティ氏が、古巣の新指揮官候補と目されるレアル・マドリーのカルロ・アンチェロッティ監督を推している。 今シーズンはダニエレ・デ・ロッシ、イバン・ユリッチと2人の指揮官をすでに解任するなど厳しいシーズンとなったローマ。それでも、現在はクラウディオ・ラニエリ監督の下ではチャンピオンズリーグ(CL)出場圏内の4位と4ポイント差の7位まで盛り返している。 ただ、ラニエリ監督は来シーズンの続投を否定しており、クラブアドバイザーとして新指揮官の選考にも深く関与している。 理想的な候補として当初から報じられているのは、現役時代にジャッロロッシでカピターノを務め、スクデット獲得に貢献した現マドリー指揮官。 マドリーとの現行契約は2026年までとなっており、招へいは現実的ではないとの見方が強いが、ここにきてラ・リーガ、CLでの苦戦によって今季限りでの解任の可能性も取り沙汰されており、わずかながらチャンスも出てきた状況だ。 そんななか、クラブレジェンドのトッティ氏はイタリア『La Repubblica』でラニエリ監督の後任人事について意見を述べ、アンチェロッティ監督を歓迎している。 「アンチェロッティとモウリーニョは世界最高の指揮官だ。どちらが好みか? モウリーニョはすでに試した。もしアンチェロッティが検討しているなら、歓迎するだろうね」 なお、アンチェロッティ監督以外ではアタランタのジャン・ピエロ・ガスペリーニ監督などイタリア人指揮官を中心の複数の候補の名前が挙がるなか、渦中のラニエリ監督はイタリア『Il Messaggero』で「新監督の決定は間近だ」と具体的な名前は挙げていないものの、交渉が進んでいることを明かしている。 2025.04.10 07:30 Thu
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中田英寿氏が波乱万丈のサッカーキャリア回想…『The Atletic』のロングインタビューに答える

元日本代表MFの中田英寿氏が、『The Atletic』のロングインタビューで自身のサッカーキャリアを振り返った。 中田氏はベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でプロキャリアをスタートし、以降は2006年の現役引退までペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナのイタリア5クラブ、イングランドのボルトンでプレー。 また、日本代表としては1998年フランス大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会と3度のワールドカップに出場し、通算77キャップを刻んだ。 そのアジアを代表するレジェンドは『The Atletic』で29歳での現役引退を始め、キャリアにおけるトピックについて語った。 2006年ドイツW杯のグループステージ最終節のブラジル代表戦での1-4の敗戦後、スパイクを脱ぐ決断を下したMFは、その突然の引退から19年を経たなかで改めて決断の理由に言及。 「プロのサッカー選手になる夢は一度もなかったが、どういうわけかそれが実現し、ワールドカップでプレーし、イタリアとイングランドに行った。情熱のためにいつもプレーしていた。私はサッカーのファンではなく、サッカーをプレーするのが好きだった。それが私が引退した理由だ。情熱を失っていたし、情熱がなければ、自分に嘘をついているようなものだった」 「私が好きなのはプレーすることであり、コーチやコメントをすることではない。それが引退後に『別の情熱を見つけなければならない』と言った理由だった」 インタビュー冒頭で、サッカーキャリアの終わりについて語った元日本代表はここからキャリアの最初期に立ち戻り、「当時は、プロサッカー選手になることを夢見る人は誰もいなかった。日本で一番人気のスポーツは野球だった。だけど、結局、私は漫画『キャプテン翼』が大好きだったから、サッカーをやろうと決めた」と、サッカーを始めた理由を明かした。 続けて日本代表が初めてW杯に出場した1998年フランスW杯での奇抜な髪色については「(W杯前でさえ)毎日髪の色を変えていたが、海外でプレーしたかったので世界に知られることが重要だった。だから注目されたいと思っていた」と、振り返る。 その目論見通り、W杯直後にはセリエAのペルージャへ完全移籍。イタリアでのキャリアをスタート。その新天地では加入1年目から鮮烈な輝きを放ったが、プレーすること以外でサッカーに関心がなかったことが良い意味でプラスに働いたという。 「私はサッカーの大ファンではなかったし、サッカーを見たり新聞で読んだりもしなかった。そういう人間ではないんだ。ただサッカーをするのが好きで、毎日もっといい選手になりたいと思っていた」 「イタリアに来たときは、セリエAが世界最高のリーグで、ジネディーヌ・ジダンやアレッサンドロ・デル・ピエロのような選手がいたが、私は選手をあまり知らなかった。リーグのチームの半分も知らなかった」 「でも、そのおかげで自分のプレーに集中できたし、それが私の強みだった。とにかく恐れがなかった」 そのペルージャでの活躍によって2000年にはローマへステップアップ。当時、頭角を現わしていたフランチェスコ・トッティとのポジション争いで苦戦を強いられた一方、2005年1月のユベントス戦ではクラブ史に刻まれた圧巻のロングシュートを突き刺し、ジャッロロッシのスクデット獲得に大きく貢献した。 中田氏はそのローマ時代について「ローマに戻るたびに、ファンのみんなが私のところに来て『ありがとう、ナカタ』と言ってくれる」と、自身の重要な働きに満足感を示した。 その後、1年でイタリアの首都を離れてパルマに活躍の場を移すと、コッパ・イタリア優勝に貢献。2年連続のタイトル獲得を経験。そして、日韓W杯では大会の目玉選手の一人として日本代表史上初の決勝トーナメント進出に貢献した。 「もっといい結果を出せたはず」トルコ代表に敗れてのベスト16に不満を示しながらも、「雰囲気は素晴らしかった」と、自国開催のW杯をポジティブに振り返った。 「日本では誰もが、私たちがグループリーグを突破して決勝トーナメントに進出するだろうと期待していたが、それはとても大変だった」 「私たちはとても若いチームで、ほとんどのメンバーがワールドカップでプレーしたことがなかった。当時、海外でプレーしていたのは数人だけで、プレッシャーは大きかった。しかし同時に、国全体が私たちを応援してくれたので、雰囲気は素晴らしかった」 その後、チェーザレ・プランデッリ監督との衝突を機に、ボローニャ、フィオレンティーナとイタリア国内での移籍を繰り返した後、2005年に7年間過ごしたイタリアを離れ、プレミアリーグのボルトンへレンタル移籍。 自身最後のクラブとなったマンチェスターのクラブではキック&ラッシュでお馴染みのサム・アラダイス監督が率いたチームということもあり、イタリアと大きく異なる環境面を含めて難しい日々を過ごした。 「イタリアから来たので、サッカーはまったく違っていた。多くのチームがロングボールをプレーしていた。それは少しショックだった。そしてイタリアからマンチェスターに来て、食べ物の面でも違ったし、雨も多かった。そういった意味で少し大変だった」 その後、前述のドイツW杯での現役引退で中田氏の波乱万丈のサッカーキャリアは締めくくられた。 そして、自身のサッカーキャリアを通じて「どのように記憶されたいか?」との問いに対して、中田氏は「私は美しいプレー、優雅さが好きだ。ジネディーヌ・ジダンのようなプレーが美しい。スピードやパワーではなく、美しいパス、美しいプレー。ゴールである必要はない。私は優雅さが好きで、サッカーだけでなく人生でもそうだ。優雅で美しいものが好きだ。つまり美しい服、美しい建築物、デザイン、景色…」と返答している。 現役引退後は3年間に渡っておよそ100カ国以上を巡る放浪の旅に出て、以降は魅了された日本酒造りや日本茶のブランド立ち上げなど、日本の文化や食文化の発信者として活躍する48歳。 今回のロングインタビューの最後には改めて自身の生き方について語り、これからも自身の情熱の赴くがままに様々なことにチャレンジしたいと結んだ。 「29歳で引退したとき、たくさんの人から『まだプレーできるよ』とか『サッカー業界で働いてコーチでもしたらどうだ』と言われた」 「でも、できるからやることを選んでいるわけではない。やりたいからやっている」 「私は好きなことをやっている。だからファッションが好きならファッションをやるし、他の文化が好きなら他の文化。日本酒が好きなら日本酒をやる」 「他の人は時々その理由が理解できないことがある。それは私が情熱を持ってやっているからだ」 2025.03.19 00:14 Wed
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ラ・リーガで躍動のルーマニア代表SBを巡ってリバプール、シティが争奪戦か?

ラージョ・バジェカーノで躍動するルーマニア代表DFアンドレイ・ラティウ(26)を巡り、プレミアのビッククラブが争奪戦を繰り広げているようだ。。イギリス『デイリー・メール』が報じている。 ルーマニア生まれもアンドラ、ビジャレアルとスペインのクラブでユース年代を過ごしたラティウ。183cmの右サイドバックはビジャレアルのCチーム、Bチームを主戦場にファーストチームでも1試合プレーしたが、ADOデンハーグへの武者修行後にセグンダのウエスカへ完全移籍した。 その後、セグンダ屈指のラテラルとの評価を確立した後、2023年夏にプリメーラのラージョへステップアップ。昨シーズンはバックアッパーにとどまったが、今シーズンは開幕からレギュラーに定着。傑出したスピードと攻守両面での安定したパフォーマンスによって高い評価を得ている。 今回の報道によれば、ルーマニア代表でも主軸を担うラティウに関して、イングランド代表DFトレント・アレクサンダー=アーノルドの退団が予想されるリバプールと、イングランド代表DFカイル・ウォーカー(34)の後釜を探すマンチェスター・シティが獲得に動いているという。 また、バルセロナ、アトレティコ・マドリーの国内2強に加え、トッテナム、ローマといった右サイドバックの補強を狙うビッグクラブも動向を注視しているとのことだ。 なお、ラージョと2028年まで契約を残すルーマニア代表DFに関しては2500万ユーロ(約41億1000万ユーロ)の契約解除条項が設定されているが、クラブはその金額を軸により高い金額での売却を考えているようだ。 2025.04.04 18:30 Fri
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フンメルスが今季をもって現役引退、2014年ブラジルW杯優勝に貢献

ローマの元ドイツ代表DFマッツ・フンメルス(36)が4日、今季をもって現役引退することを発表した。 フンメルスは自身のSNSにて「今、自分の感情と格闘している。サッカー選手であれば避けられない瞬間が来ている。18年以上サッカーに携わり、サッカーが僕に与えてくれた多くのものを経てこの夏、キャリアに終止符を打つ。この旅、この道のりが自分にとってどれほど大きな意味を持つか、僕はわかっている。それを経験できたことがどれほど素晴らしいことだっただろう。適切な監督とチームメートが居て、適切な体調を整えるだけでも多くのことが必要だ。僕は多くのチームメート、監督に恵まれた。彼らには多大な恩を感じているよ」とコメント。 バイエルンの下部組織出身であるフンメルスは2008年に移籍したドルトムントでユルゲン・クロップ監督のもと飛躍。現セレッソ大阪MF香川真司らと共に2度のブンデスリーガ優勝に貢献した。2016年夏にはバイエルンに復帰し、3度のブンデスリーガ優勝に貢献した。 その後、ドルトムントに復帰したフンメルスは昨季、ドルトムントで2度目のチャンピオンズリーグ決勝進出に貢献。いずれも優勝には届かなかったが、ドルトムントでは公式戦508試合38ゴール23アシストを記録した。そして契約満了により今季から国外初挑戦でローマに移籍していたが、公式戦18試合の出場に留まっていた。 2010年5月にデビューしたドイツ代表では78試合出場5ゴールをマーク。2014年ブラジル・ワールドカップでは6試合に出場して2ゴールをマークし、1990年大会以来4度目となる優勝をドイツにもたらしていた。 2025.04.05 08:00 Sat
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ラニエリ監督の下で復活のローマ、DFアンへリーニョは指揮官続投を希望「僕たちはみんな監督を愛している」

ローマのスペイン人DFアンへリーニョがクラウディオ・ラニエリ監督の続投を希望しているようだ。 今シーズンは開幕から調子が上がらず、ダニエレ・デ・ロッシ、イバン・ユリッチと2人の指揮官を相次いで解任してきたローマ。大混乱に陥ったチームは監督業引退を表明していたラニエリ監督に助けを求め、古巣からのオファーに“老将”は指揮官復帰を決断した。 就任直後は苦戦が続いたが、2025年は宿敵ラツィオとのデルビー勝利を皮切りに9勝2分けと圧巻の戦績。低迷していた状況から一気に欧州カップ出場権争いができるところまで復調させ、チームに自信を取り戻させている。 そんなローマの主力として、公式戦42試合4ゴール6アシストの成績を残すアンへリーニョも、イタリア『スカイ・スポーツ』にて指揮官への感謝を表明。現在の充実ぶりはラニエリ監督のおかげだとして、今季限りでの退任を表明している指揮官の続投を願った。 「これはチームのおかげであり、僕だけの功績ではない。ラニエリ監督はいつも僕を最高のコンディションでプレーさせてくれるんだ。そして僕は今、自分の特性により適した役割でプレーしていると思う」 「彼の自信とチームのパフォーマンスが、今は違いを生んでいると思う。僕はローマで本当に幸せだし、この道を歩み続けたいね。今は僕のキャリアで最高の時期を迎えていて、ここに長く留まりたい」 「僕たちはみんな監督を愛している。彼は僕たちのため素晴らしいことをしてくれたよ。彼が残ってくれればチームは幸せだ」 「マンチェスター・シティにいたとき、ペップ・グアルディオラをトレーニングで見ることはあまりなかったけど、それでもチームの中で彼の働きが感じられていた。クラブを変えるとよりそれを実感するし、彼からも何かを学べる」 「イタリアでは守備が基本になる。どのチームも戦術的によく準備されていて、得点のチャンスを作るのは難しいね。そしてその面においても、僕は本当に成長したと感じている」 2025.03.25 11:05 Tue

ローマの選手一覧

70 GK ジョルジオ・デ・マルツィ
2007年04月18日(17歳) 0 0
73 GK アレッシオ・マルカッチーニ
2008年10月01日(16歳) 0 0
89 GK レナト・マリン
2006年07月10日(18歳) 190cm 0 0
95 GK ピエルルイジ・ゴッリーニ
1995年03月18日(30歳) 188cm 80kg 7 0
99 GK ミレ・スヴィラル
1999年08月27日(25歳) 189cm 43 0
2 DF デヴィン・レンシュ
2003年01月18日(22歳) 179cm 15 0
3 DF アンヘリーニョ
1994年01月04日(31歳) 176cm 42 4
5 DF エヴァン・エンディカ
1999年08月20日(25歳) 190cm 42 1
12 DF サウード・アブドゥルハミド
1999年07月18日(25歳) 171cm 69kg 8 1
15 DF マッツ・フンメルス
1988年12月16日(36歳) 191cm 92kg 18 1
19 DF メーメト・ゼキ・チェリク
1997年02月17日(28歳) 180cm 34 1
23 DF ジャンルカ・マンチーニ
1996年04月17日(28歳) 191cm 39 2
25 DF ヴィクトル・ネルソン
1998年10月14日(26歳) 185cm 75kg 8 0
34 DF アナス・サラー=エディン
2002年01月18日(23歳) 181cm 3 0
66 DF ブバ・サンガレ
2007年08月06日(17歳) 183cm 0 0
72 DF フェデリコ・ナルディン
2007年02月18日(18歳) 0 0
4 MF ブライアン・クリスタンテ
1995年03月03日(30歳) 186cm 82kg 31 2
7 MF ロレンツォ・ペッレグリーニ
1996年06月19日(28歳) 186cm 29 3
16 MF レアンドロ・パレデス
1994年06月29日(30歳) 180cm 27 2
17 MF マヌ・コネ
2001年05月17日(23歳) 185cm 37 2
27 MF リュカ・グルナ=ドゥアト
2003年08月05日(21歳) 185cm 3 0
35 MF トンマーゾ・バルダンツィ
2003年03月23日(22歳) 170cm 33 1
56 MF アレクシス・サーレマーケルス
1999年06月27日(25歳) 180cm 25 6
61 MF ニッコロ・ピジッリ
2004年09月23日(20歳) 180cm 34 3
11 FW アルテム・ドフビク
1997年06月21日(27歳) 184cm 76kg 38 13
14 FW エルドル・ショムロドフ
1995年06月29日(29歳) 190cm 28 5
18 FW マティアス・スーレ
2003年04月15日(21歳) 182cm 31 3
21 FW パウロ・ディバラ
1993年11月15日(31歳) 179cm 75kg 35 8
92 FW ステファン・エル・シャーラウィ
1992年10月27日(32歳) 178cm 72kg 33 3
監督 クラウディオ・ラニエリ
1951年10月20日(73歳)

ローマの試合日程

セリエA
第1節 2024年8月18日 0 - 0 vs カリアリ
第2節 2024年8月25日 1 - 2 vs エンポリ
第3節 2024年9月1日 0 - 0 vs ユベントス
第4節 2024年9月15日 1 - 1 vs ジェノア
第5節 2024年9月22日 3 - 0 vs ウディネーゼ
UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第1節 2024年9月26日 1 - 1 vs アスレティック・ビルバオ
セリエA
第6節 2024年9月29日 2 - 1 vs ヴェネツィア
UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第2節 2024年10月3日 1 - 0 vs エルフスボリ
セリエA
第7節 2024年10月6日 1 - 1 vs モンツァ
第8節 2024年10月20日 0 - 1 vs インテル
UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第3節 2024年10月24日 1 - 0 vs ディナモ・キーウ
セリエA
第9節 2024年10月27日 5 - 1 vs フィオレンティーナ
第10節 2024年10月31日 1 - 0 vs トリノ
第11節 2024年11月3日 3 - 2 vs エラス・ヴェローナ
UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第4節 2024年11月7日 1 - 1 vs ユニオン・サン=ジロワーズ
セリエA
第12節 2024年11月10日 2 - 3 vs ボローニャ
第13節 2024年11月24日 1 - 0 vs ナポリ
UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第5節 2024年11月28日 2 - 2 vs トッテナム
セリエA
第14節 2024年12月2日 0 - 2 vs アタランタ
第15節 2024年12月7日 4 - 1 vs レッチェ
UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第6節 2024年12月12日 3 - 0 vs ブラガ
セリエA
第16節 2024年12月15日 2 - 0 vs コモ
コッパ・イタリア
ラウンド16 2024年12月18日 4 - 1 vs サンプドリア
セリエA
第17節 2024年12月22日 5 - 0 vs パルマ
第18節 2024年12月29日 1 - 1 vs ミラン
第19節 2025年1月5日 2 - 0 vs ラツィオ
第20節 2025年1月12日 2 - 2 vs ボローニャ
第21節 2025年1月17日 3 - 1 vs ジェノア
UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第7節 2025年1月23日 1 - 0 vs AZ
セリエA
第22節 2025年1月26日 1 - 2 vs ウディネーゼ
UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第8節 2025年1月30日 2 - 0 vs フランクフルト
セリエA
第23節 2025年2月2日 1 - 1 vs ナポリ
コッパ・イタリア
準々決勝 2025年2月5日 3 - 1 vs ミラン
セリエA
第24節 2025年2月9日 0 - 1 vs ヴェネツィア
UEFAヨーロッパリーグ
プレーオフ1stレグ 2025年2月13日 1 - 1 vs ポルト
セリエA
第25節 2025年2月16日 0 - 1 vs パルマ
UEFAヨーロッパリーグ
プレーオフ2ndレグ 2025年2月20日 3 - 2 vs ポルト
セリエA
第26節 2025年2月24日 4 - 0 vs モンツァ
第27節 2025年3月2日 2 - 1 vs コモ
UEFAヨーロッパリーグ
ラウンド16・1stレグ 2025年3月6日 2 - 1 vs アスレティック・ビルバオ
セリエA
第28節 2025年3月9日 0 - 1 vs エンポリ
UEFAヨーロッパリーグ
ラウンド16・2ndレグ 2025年3月13日 3 - 1 vs アスレティック・ビルバオ
セリエA
第29節 2025年3月16日 1 - 0 vs カリアリ
第30節 2025年3月29日 0 - 1 vs レッチェ
第31節 2025年4月6日 1 - 1 vs ユベントス
第32節 2025年4月13日 27:45 vs ラツィオ
第33節 2025年4月19日 27:45 vs エラス・ヴェローナ
第34節 2025年4月27日 vs インテル
第35節 2025年4月27日 vs フィオレンティーナ
第36節 2025年5月11日 vs アタランタ
第37節 2025年5月18日 vs ミラン
第38節 2025年5月25日 vs トリノ