フィオレンティーナ
ACF Fiorentina S.p.A.国名 | イタリア |
創立 | 2002年 |
ホームタウン | フィレンツェ |
スタジアム | スタディオ・アルテミオ・フランキ |
愛称 | ビオラ(紫) |
今季の成績
セリエA | 勝点 | 勝数 | 引分数 | 負数 | 得点 | 失点 | 得失差 | 試合数 | ||
2 | インテル | 28 | 8 | 4 | 1 | 31 | 14 | 17 | 13 | |
3 | フィオレンティーナ | 28 | 8 | 4 | 1 | 27 | 10 | 17 | 13 | |
4 | アタランタ | 28 | 9 | 1 | 3 | 34 | 16 | 18 | 13 |
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1
34歳デ・ヘアが驚異の“ショットストップ3連発”! 7連勝達成の指揮官も脱帽…「20歳のような反応でセーブ」
フィオレンティーナの元スペイン代表GKダビド・デ・ヘアが依然として輝きを放ち続けている。 2023年夏にマンチェスター・ユナイテッドを退団してから1年間の浪人生活が続き、この夏にようやくフィオレンティーナで新たなキャリアをスタートさせたデ・ヘア。セリエAでは第4節のアタランタ戦から先発で出続け、ミラン戦で2本のPKストップをやってのけたりと注目を浴びる。 フィオレンティーナからすれば、ギャンブル要素が強めな補強だったかもしれないが、ここまでの活躍ぶりをみれば大ヒット。チームとしもここまでのセリエAで首位ナポリを1ポイント差で追いかける先頭集団の一角を占め、24日に行われた第13節のコモ戦も2-0の勝利で飾っている。 そんなコモ戦でもデ・ヘアが輝き、1-0の60分に自陣右で許したFKチャンスのクロスから絶体絶命のピンチ。ゴール至近距離からエドゥアルド・ゴルダニーガ、フェデリコ・バルバ、そして再びゴルダニーガと立て続けにシュートを浴びるが、驚異的なレスポンスでいずれも弾き返した。 結果としてこのシーンをその後の追加点につなげ、7連勝のラッファエレ・パッラディーノ監督も活躍したルーカス・ベルトランやリッカルド・ソッティルとともにデ・ヘアも「まるで20歳のような反応でセーブする」と手放しで称賛している。 マンチェスター・ユナイテッド時代からショットストップに定評のデ・ヘア。まったくと言っていいほどブランクを感じさせない活躍ぶりで評価が上がっている。 <span class="paragraph-title">【動画】デ・ヘアが神がかったビッグセーブ3連発!</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="1HmKlx2csdY";var video_start = 187;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.11.25 18:40 Mon2
フィオレンティーナがデ・ヘアとの契約延長条項が発動か
フィオレンティーナが元スペイン代表GKダビド・デ・ヘア(34)との契約延長に動いている模様だ。イタリア『コリエレ・デロ・スポルト』が報じている。 2023年夏にマンチェスター・ユナイテッドを退団してから1年間の浪人生活が続き、この夏にようやくフィオレンティーナで新たなキャリアをスタートさせたデ・ヘア。セリエAでは第4節のアタランタ戦から先発で出続け、ミラン戦で2本のPKストップをやってのけたりと注目を浴びる。 そんな34歳GKは13日にホームで行われたセリエA第12節のヴェローナ戦でも最後の砦と最後尾からチームを支えると、92分にはモイゼ・ケアンのゴールアシスト、6連勝&8戦無敗となる勝利に大きく貢献した。 今回の報道によれば、自身初のセリエAで最高のパフォーマンを続けるデ・ヘアとフィオレンティーナの契約には、クラブ側が一方的に発動できる契約延長オプションが付随しており、フィオレンティーナはこれを行使するようだ。 なお、2026年までの新契約を結ぶデ・ヘアの年俸は現行の120万ユーロ(約2億円)から倍の240万ユーロ(約4億円)になるとのことだ。 2024.11.19 01:00 Tue3
最後の砦にセリエAトップのセーブ率誇る復活デ・ヘア 絶好調フィオレンティーナがクラブ3度目のアウェイ4戦連続無失点
フィオレンティーナの元スペイン代表GKダビド・デ・ヘアがクラブの記録に貢献した。 2023年夏にマンチェスター・ユナイテッドを退団してから1年間の浪人生活が続き、この夏にようやくフィオレンティーナで新たなキャリアをスタートさせたデ・ヘア。セリエAでは第4節のアタランタ戦から先発で出続け、ミラン戦で2本のPKストップをやってのけたりと注目を浴びる。 そんな33歳GKは3日にアウェイで行われたセリエA第11節のトリノ戦でも最後の砦に。41分にモイゼ・ケアンのゴールでリードしたチームを最後尾から支え、5連勝&7戦無敗となる1-0の勝利をプレゼントした。 フィオレンティーナはこれでアウェイで4試合連続の無失点となり、『Opta』の調べによると、1966年3月〜5月と2007年9月〜11月に続くクラブ史上3度目。デ・ヘアはその間のゴールマウスを守っており、この記録樹立にひと役買った。 先日にはセリエAでトップとなる82%のセーブ率が取り上げられたりと復活を印象づけるデ・ヘア。ここまでセリエA4位と上位争いに割って入るフィオレンティーナとともに今後の活躍から目が離せない。 2024.11.04 13:15 Mon4
「もう一人のダビデ」2本のPK止める大活躍のデ・ヘア、フィオレンティーナのユニークな投稿にも称賛殺到「受けるべき愛と評価だ」
フィオレンティーナが元スペイン代表GKダビド・デ・ヘアの活躍を称え、ユニークな投稿を行った。 マンチェスター・ユナイテッド退団後はフリーの状況が続いていたが、今年8月にフィオレンティーナ加入が決まったデ・ヘア。開幕からしばらくはベンチが続いたが、セリエA第4節のアタランタ戦で先発の座を得ると、以降はゴールマウスを守り続けている。 そんなデ・ヘアは7日に行われたセリエA第7節のミラン戦も先発。この試合、3連勝中のミランに対してチームは2つのPKを献上してしまう形となったが、なんとデ・ヘアが2本ともストップ。その後も好セーブを続けた新守護神の活躍もあり、フィオレンティーナは2-1で勝利した。 この活躍を受け、クラブは公式X(旧ツイッター)にて「町にもう一人のダビドがいる」とし、フィレンツェ市に保管されているミケランジェロの有名な「ダビデ像」にちなんだデ・ヘアの画像を投稿。守護神の活躍を称えると、デ・ヘア本人も絵文字で反応している。 この投稿には、守護神の活躍を称える反応が殺到。「世界トップのGKだ」、「君はこれに値する」、「彼が受けるべき愛と評価を受け始めて嬉しいよ」、「当然の評価だ」、「この天才的な投稿をした人は給料が上がるだろうね」など、好意的な声が相次いでいる。 <span class="paragraph-title">【画像】守護神デ・ヘアが彫刻に!?フィオレンティーナのユニークな投稿が話題に</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="it" dir="ltr">+++ C’è un altro David in città +++<a href="https://twitter.com/hashtag/forzaviola?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#forzaviola</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/fiorentina?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#fiorentina</a> <a href="https://twitter.com/D_DeGea?ref_src=twsrc%5Etfw">@D_DeGea</a> <a href="https://t.co/0YaS56YX2p">pic.twitter.com/0YaS56YX2p</a></p>— ACF Fiorentina (@acffiorentina) <a href="https://twitter.com/acffiorentina/status/1843283342583845268?ref_src=twsrc%5Etfw">October 7, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.10.08 11:40 Tue5
日本代表が初めて感じた世界の壁、ストライカーが認める“9番”ガブリエル・バティストゥータ
遡る事22年前──1998年の6月は日本サッカーが初めて世界を知った1カ月だった。 “ジョホールバル”の歓喜で初めてワールドカップの出場権を獲得した日本代表。プロリーグがスタートしてから初めて実感した世界のサッカーは、次元の違うものだった。 当時から攻撃力に秀でていた南米の雄・アルゼンチン代表がワールドカップ初戦の相手。日本はディフェンシブな布陣で臨んだが、一瞬の隙を突かれてやられた。 前半28分、クリアミスを拾われるとパスを繋がれる。現在はアトレティコ・マドリーで指揮を執るディエゴ・シメオネからの縦パスが入ったところで当時の10番・名波浩がアリエル・オルテガのスルーしたボールに対応できないと、これが絶妙なパスとなってしまい、そのままゴールを許してしまった。 日本代表のワールドカップの歴史に最初に名を刻んだ男。それが、アルゼンチン代表のエース、ガブリエル・バティストゥータだった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆日本を沈めた“バティゴール” </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> フィオレンティーナでキャリアの全盛期を過ごしていたバティストゥータは、エースとして日本戦に先発出場。FWクラウディオ・ロペス、FWアリエル・オルテガとともに日本ゴールを脅かしていた。 そして日本に少し疲れが見え始めた28分にゴールを奪う。 名波が対応をミスしたボールを受けたバティストゥータは、飛び出してきたGK川口能活の上を通す冷静沈着なチップキックでゴールを決めた。 ゴール前でのこの落ち着きは、今の日本にも必要な要素。意図しないこぼれ球であったが、しっかりと胸トラップでコントロールし、名波のプレッシャー、川口の飛び出しにも冷静に対処した。まさに、ストライカーらしいゴールだった。 <div id="cws_ad">◆日本を沈めた“バティゴール” も!バティストゥータのゴール集<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJzTmlYUDBZeSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div><div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://ryan.onelink.me/C7cD/1fb76a70&c=sega_20201028_1">バティストゥータ、サネッティ、ベロンが<br />「サカつくRTW」に登場!</a><hr></div><div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆フィレンツェの英雄</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 1988年に母国のニューウェルズ・オールドボーイズにてプロデビューを果たしたバティストゥータは、リーベル・プレートを経て加入したボカ・ジュニアーズで才能を一気に開花させる。 ここでの活躍からセリエAの強豪チームの1つであったフィオレンティーナへ加入。ロベルト・バッジョ氏の後釜としての加入だった彼に不信感を抱く者もいたが、デビュー戦となった1991年9月1日のユベントス戦でいきなりゴールを記録。その後も得点を量産し、フィオレンティーナの旗手としてチームを牽引し続けた。 1992-93シーズンにフィオレンティーナがまさかのセリエBに降格した際には、誰もがチームを離れる事を予想したが、バティストゥータはチームに残留。1年でのセリエA復帰に貢献するだけでなく、1994-95シーズンには26ゴールを挙げて得点王も獲得している。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ローマで日本代表戦士と共に悲願のスクデット</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_5.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> しかし、フィオレンティーナでは本人の夢であるスクデット獲得には至らず、その夢を果たすため2000-01シーズンにローマへ電撃移籍。シーズン途中にケガでの離脱がありながら20得点を挙げる活躍を見せ、移籍1年目、そしてイタリア10年目にして祈願のスクデットを獲得した。 このシーズンは、前年の途中にペルージャから加入していた元日本代表MF中田英寿もローマに所属。フランチェスコ・トッティとのポジション争いもある中で、中田もスクデット獲得に貢献。1998年のフランスW杯で敵として黒星をつけた男と、2年後にはチームメイトになっていたのだから、中田の凄さも計り知れないところだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ストライカーから認められる “ストライカー”</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> その後もローマでプレーしたバティストゥータだが、2002-03シーズン途中、ローマにて出場機会を失いつつあった彼はインテルへレンタル移籍。母国の後輩であり、ケガで離脱していたFWエルナン・クレスポの穴埋めと期待されたが、12試合で2ゴールと期待された結果を残せず。翌シーズンにはカタールのアル・アラビへと完全移籍。2005年3月に現役を退いた。 アルゼンチンに収まらず、1990年代最高のストライカーの1人であったバティストゥータだが、その姿は現代で活躍するストライカーたちの目にも焼き付いている。 ウルグアイが誇る現代屈指のストライカーであるFWルイス・スアレス(アトレティコ・マドリー)は、バティストゥータの同胞フアン・パブロ・ソリンとのインタビューでその強烈な憧れを明かしている。 「子供の頃からアイドルだったということを伝えたい。あなたは私が今まで見たサッカー選手の中で最も偉大な存在だった。子供の頃から真似してみたけど、だからこそ憧れてしまう。あなたは私にとってアイドルです」 さらには、ウルグアイ代表でスアレスの相棒であるFWエディンソン・カバーニ(マンチェスター・ユナイテッド)もバティストゥータに憧れを抱いた1人だ。 「昔から憧れているストライカーを1人選ばなければならないのなら、バティストゥータを選ぶよ。フィオレンティーナの9番を背負った彼は最強だった。9番は特別な数字で得点を挙げる人間を表す。よく似合っていた」 破壊的な右足とヘディングに高い決定力を備え、どこからでもゴールを貪欲に狙う姿勢。最もゴールにこだわり、ゴールを決めてきたバティストゥータこそ、"9番”の象徴であり、“ストライカー”の神髄と呼べる存在だった。 <div style="text-align:left;" id="cws_ad"><hr>日本代表を沈める“バティゴール”を決めた1990年代最高のストライカーの一人であるバティストゥータが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br /><br />さらに日本戦にもフル出場していたMFファン・セバスティアン・ベロンとDFハビエル・サネッティも同時に登場している。『サカつくRTW』で“バティゴール”を観たい方は是非一度チェックしよう。</div><hr> 2020.10.30 15:30 Friフィオレンティーナの選手一覧
1 | GK | ピエトロ・テラッチアーノ | ||||||||
1990年03月08日(34歳) | 192cm | 84kg | 3 | 0 |
30 | GK | トンマーゾ・マルティネッリ | ||||||||
2006年01月06日(18歳) | 194cm | 0 | 0 |
43 | GK | ダビド・デ・ヘア | ||||||||
1990年11月07日(34歳) | 192cm | 10 | 0 |
53 | GK | オリヴァー・クリステンセン | ||||||||
1999年03月22日(25歳) | 190cm | 82kg |
2 | DF | ドゥドゥ | ||||||||
1998年11月17日(26歳) | 166cm | 13 | 0 |
3 | DF | クリスティアーノ・ビラーギ | ||||||||
1992年09月01日(32歳) | 176cm | 75kg | 7 | 1 |
5 | DF | マリン・ポングラチッチ | ||||||||
1997年09月11日(27歳) | 189cm | 3 | 0 |
6 | DF | ルカ・ラニエリ | ||||||||
1999年04月23日(25歳) | 187cm | 12 | 0 |
15 | DF | ピエトロ・コムッツォ | ||||||||
2005年02月20日(19歳) | 11 | 0 |
21 | DF | ロビン・ゴセンス | ||||||||
1994年07月05日(30歳) | 181cm | 11 | 2 |
22 | DF | マティアス・モレノ | ||||||||
2003年09月24日(21歳) | 193cm | 0 | 0 |
28 | DF | ルーカス・マルティネス・クアルタ | ||||||||
1996年05月10日(28歳) | 181cm | 75kg | 9 | 1 |
33 | DF | マイケル・カヨデ | ||||||||
2004年07月10日(20歳) | 179cm | 3 | 0 |
60 | DF | エディー・クアディオ | ||||||||
2006年05月30日(18歳) | 0 | 0 |
61 | DF | レオナルド・バロンチェッリ | ||||||||
2005年08月13日(19歳) | 0 | 0 |
65 | DF | ファビアーノ・パリージ | ||||||||
2000年11月09日(24歳) | 183cm | 5 | 1 |
4 | MF | エドアルド・ボーヴェ | ||||||||
2002年05月16日(22歳) | 179cm | 11 | 1 |
8 | MF | ロランド・マンドラゴラ | ||||||||
1997年06月29日(27歳) | 183cm | 7 | 0 |
17 | MF | ニコロ・フォルティーニ | ||||||||
2006年02月13日(18歳) | 185cm | 0 | 0 |
23 | MF | アンドレア・コルパーニ | ||||||||
1999年05月11日(25歳) | 186cm | 13 | 2 |
24 | MF | アミル・リチャードソン | ||||||||
2002年01月24日(22歳) | 195cm | 8 | 0 |
29 | MF | ヤシン・アドリ | ||||||||
2000年07月29日(24歳) | 186cm | 10 | 2 |
32 | MF | ダニーロ・カタルディ | ||||||||
1994年08月06日(30歳) | 180cm | 70kg | 8 | 2 |
66 | MF | トンマーゾ・ルビノ | ||||||||
2006年11月10日(18歳) | 1 | 0 |
7 | FW | リッカルド・ソッティル | ||||||||
1999年06月03日(25歳) | 180cm | 9 | 0 |
9 | FW | ルーカス・ベルトラン | ||||||||
2001年03月29日(23歳) | 176cm | 9 | 2 |
10 | FW | アルベルト・グズムンドソン | ||||||||
1997年06月15日(27歳) | 177cm | 66kg | 4 | 3 |
11 | FW | ジョナタン・イコネ | ||||||||
1998年05月02日(26歳) | 175cm | 8 | 0 |
20 | FW | モイゼ・ケアン | ||||||||
2000年02月28日(24歳) | 183cm | 12 | 9 |
99 | FW | クリスティアン・クアメ | ||||||||
1997年12月06日(26歳) | 185cm | 10 | 0 |
監督 | ラッファエレ・パッラディーノ | |||||||||
1984年04月17日(40歳) | 182cm | 73kg |
フィオレンティーナの試合日程
セリエA
第1節 | 2024年8月17日 | A | 1 | - | 1 | vs | パルマ |
第2節 | 2024年8月25日 | H | 0 | - | 0 | vs | ヴェネツィア |
第3節 | 2024年9月1日 | H | 2 | - | 2 | vs | モンツァ |
第4節 | 2024年9月15日 | A | 3 | - | 2 | vs | アタランタ |
第5節 | 2024年9月22日 | H | 2 | - | 1 | vs | ラツィオ |
第6節 | 2024年9月29日 | A | 0 | - | 0 | vs | エンポリ |
第7節 | 2024年10月6日 | H | 2 | - | 1 | vs | ミラン |
第8節 | 2024年10月20日 | A | 0 | - | 6 | vs | レッチェ |
第9節 | 2024年10月27日 | H | 5 | - | 1 | vs | ローマ |
第10節 | 2024年10月31日 | A | 0 | - | 1 | vs | ジェノア |
第11節 | 2024年11月3日 | A | 0 | - | 1 | vs | トリノ |
第12節 | 2024年11月10日 | H | 3 | - | 1 | vs | エラス・ヴェローナ |
第13節 | 2024年11月24日 | A | 0 | - | 2 | vs | コモ |
第14節 | 2024年12月1日 | H | 26:00 | vs | インテル |
第15節 | 2024年12月8日 | H | vs | カリアリ |
第16節 | 2024年12月15日 | A | vs | ボローニャ |
第17節 | 2024年12月22日 | H | vs | ウディネーゼ |
第18節 | 2024年12月29日 | A | vs | ユベントス |
第19節 | 2025年1月9日 | H | vs | ナポリ |
第20節 | 2025年1月12日 | A | vs | モンツァ |
第21節 | 2025年1月19日 | H | vs | トリノ |
第22節 | 2025年1月26日 | A | vs | ラツィオ |
第23節 | 2025年2月2日 | H | vs | ジェノア |
第24節 | 2025年2月9日 | A | vs | インテル |
第25節 | 2025年2月16日 | H | vs | コモ |
第26節 | 2025年2月23日 | A | vs | エラス・ヴェローナ |
第27節 | 2025年3月2日 | H | vs | レッチェ |
第28節 | 2025年3月9日 | A | vs | ナポリ |
第29節 | 2025年3月16日 | H | vs | ユベントス |
第30節 | 2025年3月30日 | H | vs | アタランタ |
第31節 | 2025年4月6日 | A | vs | ミラン |
第32節 | 2025年4月13日 | H | vs | パルマ |
第33節 | 2025年4月20日 | A | vs | カリアリ |
第34節 | 2025年4月27日 | H | vs | エンポリ |
第35節 | 2025年4月27日 | A | vs | ローマ |
第36節 | 2025年5月11日 | A | vs | ヴェネツィア |
第37節 | 2025年5月18日 | H | vs | ボローニャ |
第38節 | 2025年5月25日 | A | vs | ウディネーゼ |