
バーレーン
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バーレーン戦で思い出す埼スタでのOG/六川亨の日本サッカーの歩み
1月28日から始まったアジアカップの決勝トーナメント1回戦、日本は31日に韓国でもなくヨルダンでもなくバーレーンと対戦する。グループE首位のヨルダンが3位のバーレーンに0-1で負け、なおかつ2位の韓国が2連敗中で最下位のマレーシアに3-3と引分けたためで、これには久保建英も「想定外」と驚いていた。 バーレーンという国の名前は知っていても、この国がアラビア半島のどこにあるのか知っている日本人は少ないのではないだろうか。かくいう僕も一度訪れたため知っているに過ぎない。ジーコ・ジャパン時代の2005年6月3日、ドイツW杯アジア2次(最終)予選で同国の首都マナーマを訪れた。 ペルシャ湾に浮かぶ王国で、面積は日本の琵琶湖ほど。そして隣国サウジアラビアとはキング・ファハド・コーズウェイという全長約24キロの橋で結ばれている。当時はレンタカーを借りてこの橋を渡り、サウジアラビアとの国境にあるイミグレーションや税関関連の施設前まで行って引き返した。 この橋を渡りサウジアラビア国内の海沿いを走ってカタールまで、クルマで3時間ほど、飛行機なら1時間もかからないという。このため日本戦には大勢のバーレーン・サポーターが訪れるかもしれない。 森保一監督は「イラク戦はアウェーをメチャクチャ感じました。乗せたらいけない。スタンドのサポーターも大きな力になっている。ほんと、アウェーでした」と“中東の洗礼”を体感しただけに、同じ轍は踏まないだろう。 そのバーレーン戦だが、過去の対戦成績はW杯予選とアジアカップの本大会と予選を含め、7勝2敗と大きく勝ち越している。この両国の対戦で最も印象深いのはジーコ・ジャパン時代の2005年3月30日、埼玉スタジアムで行われたドイツW杯アジア2次予選での一戦だ。 当時のバーレーンはフィジカルに優れた長身選手が多く、ロングボールを主体とした攻撃に日本は苦しめられた。前年の04年3月に行われたアテネ五輪アジア最終予選では、山本昌邦監督率いるU-23日本が、ダブルセントラル開催のUAEラウンドでは0-0、日本ラウンドでは0-1と敗れた。しかし西が丘サッカー場で開催された最終戦でバーレーンが最下位のレバノンと1-1で引分けたため、勝点2差で日本が五輪の出場権を獲得した。 そして埼スタでのバーレーン戦では、0-0で迎えた後半27分、ゴール前のこぼれ球をクリアしようとしたMFモハメド・サルミーンが自陣ゴールに蹴り込んでしまうまさかのオウンゴール。この1点が決勝点となり、日本は最終予選で2勝1敗と白星を先行させた(北朝鮮に2-1、イランに1-2だった)。 サルミーンは当時、「バーレーン史上最高の選手」と言われ、2次予選でチームは日本、イランに次いで3位になり、ウズベキスタンとの3次予選に進出。1-1、0-0のドローに終わったもののアウェーゴールでアジア地区5位となり大陸間プレーオフに出場したが、北中米カリブ海のトリニダード・トバゴに1分け1敗で初のW杯出場はならなかった。彼が現役だった00年代がバーレーンの黄金時代だったとも言える(04年のアジアカップ準決勝でも4-3と苦しめられた)。 現在のチームには1トップに194センチの巨漢FWアブドゥラ・ユスフ・ヘラルがいる。彼は空中戦だけでなく、ヨルダン戦ではストライドの大きいドリブルで抜け出し、GKの動きを冷静に見て決勝点を流し込んだ。まずは彼を自由にプレーさせないことが守備陣のタスクになることは言うまでもない。 2024.01.29 12:35 Mon2
「まさに死闘ってカンジ」歴史に残るバーレーンとの4-3の激闘!2004年大会プレイバックに反響「このゴールで中澤佑二に惚れた」
31日、日本代表はアジアカップ2023のラウンド16でバーレーン代表と対戦する。 過去の対戦成績は日本の8勝2敗となっているが、アジアカップの舞台で最後に対戦したのは2004年の中国大会での準決勝。記憶に残る激闘だった。 MF小野伸二、FW高原直泰ら当時の主力選手が欠場していた当時の日本は、開催国の中国サポーターにブーイングを浴びせられながらも決勝トーナメントに進出すると、準々決勝ではPK戦途中でのサイド変更とGK川口能活の神がかり的なセーブが印象深いヨルダン代表戦に勝利し、準決勝でバーレーンと対戦した。 しかし、バーレーン戦では開始6分に先制ゴールを許すと、40分にはMF遠藤保仁が不可解な判定で一発退場。日本はビハインドの状況で数的不利を負ってしまった。 数的不利の状況でもMF中田浩二とFW玉田圭司のゴールで逆転した日本だったが、その後2失点。2-3と1点ビハインドで試合終盤を迎えた。 それでも日本は最後まで諦めず。DFも攻めあがって同点ゴールを狙うと、90分にDF中澤佑二が値千金の同点ゴール。不屈の精神で同点に追いつくと、延長前半には玉田の独走ゴールが決まり、4-3で激闘を制していた。 なんとか決勝に進出した日本は、決勝で中国代表を撃破。見事に大会連覇を成し遂げていた。 久しぶりの対戦を前に『DAZN』は当時の試合映像をプレイバック。SNS上のファンも「このゴールで中澤佑二に惚れた」、「バーレーン戦といえばこの試合よな」、「痺れたね、玉田」、「まさに「死闘」ってカンジだった!」、「2004の大会は激熱だった」と当時を思い返している。 ベスト8を懸けた一戦は、31日の20時30分にキックオフ。『DAZN』で視聴が可能だ。 <span class="paragraph-title">【動画】当時の記憶が蘇る!2004年大会でのバーレーンとの激闘ハイライト</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet" data-media-max-width="560"><p lang="ja" dir="ltr">/<br>「バーレーンvs日本」<br>過去対戦をプレイバック<br>\<br><br>アジアカップ2004年大会で起きた<br>奇跡の大逆転劇<br><br><a href="https://twitter.com/hashtag/AFC%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#AFCアジアカップ</a> ラウンド16<br>バーレーン×日本<br>1/31(水)20:30(19:45配信開始)<br><a href="https://twitter.com/hashtag/DAZN?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#DAZN</a> 独占配信<br>出演:水沼貴史/小野伸二/佐藤寿人/下田恒幸/桑原学 <a href="https://t.co/x7Sals8iKu">pic.twitter.com/x7Sals8iKu</a></p>— DAZN Japan (@DAZN_JPN) <a href="https://twitter.com/DAZN_JPN/status/1752609401201189348?ref_src=twsrc%5Etfw">January 31, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.01.31 18:45 Wed3
「相当存在感があった」スタンドから見守った板倉滉が感じた冨安健洋の凄さ「相手だったら嫌」
日本代表DF板倉滉(ボルシアMG)が、コンビを組むDF冨安健洋(アーセナル)の凄さを語った。 アジアカップ2023を戦う日本。31日にラウンド16でバーレーン代表と対戦することが決定している。 グループステージでは苦戦した中で、しっかりとラウンド16に進出した日本だが、ラウンド16の相手は、最も可能性がなさそうだったバーレーンに決定。侮れない相手が多いことを示す結果となった。 27日に27歳のバースデーを迎えた板倉だが、グループステージ第3戦は体調不良の影響もありベンチ外に。スタンドから日本の勝利を見守ることとなった。 その板倉は、インドネシア戦について振り返り、センターバックでコンビも組んでいた冨安の凄さを改めて感じたという。 「相当存在感というのは外から見ていてもありましたし、チーム全体の基準を上げて、ポジショニングと予測、あれだけフィジカルを持った選手がやっているので、それは自分が相手だった嫌だなと感じます」 「ポジショニング1つ1つサボらずにやることは前回も表現してくれていたので、チーム全体でやらないといけないなと思います」 勝利しなければいけなかったインドネシア戦で、今大会初先発を果たした冨安。ディフェンス時のコンパクトさを保つだけでなく、ボールを持てば仕掛けてスペースやパスコースを作るなど出色の出来。チームの2点目の起点にもなり、チーム全体もコントロールするなど、まさにチームを牽引する活躍を見せていた。 板倉は体調も回復し、バーレーン戦に向けて準備をしているところだが、刺激を受けた中で出番を得れば負けじとプレーしてくれることが期待される。 2024.01.28 22:40 Sunバーレーンの選手一覧
1 | GK |
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サイード・シュッバール・アラウィ | |||||||
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1985年08月11日(39歳) |
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21 | GK |
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ユスフ・ハビブ | |||||||
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1998年01月09日(27歳) |
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22 | GK |
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アブドゥルカリーム・ファルダン | |||||||
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1992年04月25日(32歳) |
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2 | DF |
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サイード・バケル | |||||||
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1994年04月14日(30歳) |
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3 | DF |
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ワリード・アル・ハヤム | |||||||
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1991年02月03日(34歳) |
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5 | DF |
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ハマド・アル・シャムサン | |||||||
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1997年09月29日(27歳) |
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0 |
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6 | DF |
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アフメド・メルザ | |||||||
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1991年02月24日(34歳) |
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12 | DF |
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アフメド・アリ・ジュマ | |||||||
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1992年10月08日(32歳) |
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0 |
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16 | DF |
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サイード・リザ・イサ | |||||||
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1994年08月07日(30歳) |
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0 |
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17 | DF |
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アフマド・ブガンマル | |||||||
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1997年12月30日(27歳) |
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18 | DF |
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アフメド・アブドゥラ・アリ | |||||||
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1987年04月01日(38歳) |
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4 | MF |
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サイード・ジヤ・サイード | |||||||
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1992年07月17日(32歳) |
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7 | MF |
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アブドゥルワハブ・アリ・アルサフィ | |||||||
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1984年06月04日(40歳) |
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8 | MF |
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モハメド・マルフーン | |||||||
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1998年02月12日(27歳) |
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11 | MF |
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アリ・マダン | |||||||
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1995年11月30日(29歳) |
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14 | MF |
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アリ・ハラム | |||||||
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1988年12月11日(36歳) | 184cm |
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15 | MF |
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ジャシム・アル・シャイフ | |||||||
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1996年02月01日(29歳) |
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19 | MF |
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カミル・アル・アスワド | |||||||
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1994年04月08日(31歳) | 168cm |
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23 | MF |
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ジャマル・ラシード | |||||||
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1988年11月07日(36歳) |
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9 | FW |
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マフディ・アル・フマイダン | |||||||
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1993年05月19日(31歳) |
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10 | FW |
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アブドゥラ・ユスフ・ヘラル | |||||||
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1993年01月12日(32歳) | 194cm |
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13 | FW |
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モハメド・アル・ロマイヒ | |||||||
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1990年09月09日(34歳) |
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20 | FW |
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サミ・アル・フサイニ | |||||||
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1989年09月29日(35歳) |
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監督 |
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ミロスラフ・ソウクップ | ||||||||
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1965年11月13日(59歳) |
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