AEKアテネ
Athlitiki Enosis Konstantinoupoleos国名 | ギリシャ |
創立 | 1924年 |
ホームタウン | アテネ |
スタジアム | アテネ・オリンピックスタジアム |
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クロアチアの重鎮ヴィダが35歳で代表引退…「別れがどんなにつらくても、誇りと幸せを持って去る」
AEKアテネのDFドマゴイ・ヴィダ(35)がクロアチア代表を引退した。 2010年5月に行われたウェールズ代表でA代表デビューを飾ったヴィダは、ここまで105試合に出場。ユーロ2012から7大会連続で主要大会本選のメンバー入りを果たし、ピッチ内外でチームを支えた。 とりわけ、準優勝した2018年ロシア・ワールドカップでは6試合に出場し、開催国との準々決勝では延長戦でのゴールに加えてPK戦でもきっちり成功し、大きな仕事を果たしていた。 ただ、近年はピッチではなくトレーニング場やベンチから裏方としての役割が増え、直近のユーロ2024は1度も出番がないままグループステージ敗退となっていた。 ヴィダは21日、クロアチアサッカー連盟(HNS)の公式サイトを通じて14年間の思い、クロアチア国民への感謝を伝えた。 「2010年5月23日、家族、友人、そしてスラヴォニア人の仲間の前でクロアチア代表デビューしたとき、僕はフットボールの夢を実現したと思った」 「それから14年余りが経ち、それが自分のフットボール人生で最も美しい物語の始まりに過ぎなかったことを知っている。そして、僕にとってとても大切なものから自分を切り離すのは難しいので、これらの言葉を言ったり、書いたり、口にしたりするのはどんなに難しいことであっても、自分が経験したすべてのことで自分がどれだけ豊かになったかを知っていると、それはより簡単になる」 「また、キャリアにおいて1度でも世界で最も美しいジャージを着て、母国を代表することは名誉なことだった。そして、それを105回も達成し、7つの主要な大会でプレーし、クロアチアで3つの主要なメダルを獲得したとき、そのような特権に限りなく感謝するしかない」 「勝利と成功は記録に残るが、僕の記憶にはさらに多くのものが残っている。すべての困難な瞬間は、チームの団結、個性、相互関係を強化するため、同様に貴重で重要だ。近年、僕らは素晴らしい成功に慣れてきたけど、それ以前には失望、監督交代、敗北、厳しい批判も経験した。僕らはそれらからより強くなり、成功はより甘いものとなった」 「クロアチアのためにピッチで戦うことを楽しんだし、あの忘れられないロシアでのシルバーチーム(準優勝チーム)の最初のチームメンバーになれたことを光栄に思う。だけど、僕は過去数年間、以前ほど熱意を持ってプレーしていなかった。なぜなら、最初から最後まで、成功には誰もが重要であることを学んだからだ。トレーニングでベストを尽くし、チームメイトをサポートして励まし、叫び、慰め、抱きしめ、チームを笑わせ、歌をリードする。さまざまな方法で代表チームの成功に貢献することができ、クロアチアの副キャプテンとしてこのように貢献できたことを誇りに思う」 「このファミリーで過ごした14年間、どうやって全員に感謝し、誰かを忘れずにいられるだろうか。最初のチャンスを与えてくれたスラベンから、イゴール、ニカ、アンテ、そして前例のない素晴らしい成功を達成してくれたズラトコまで、すべての監督に感謝する。同様にスタッフのコーチ全員にも感謝したい」 「クロアチア史上最高のプレーヤーたちと、最高のプレーヤーたちの指揮のもと、ドレッシングルームで一緒に過ごせたことは光栄だった。クロアチアのために常に全力を尽くし、代表チームを神聖なものと見なしてくれたことに感謝したい。だからこそ、僕らはいつも集まり、お互いに交流し、同じジャージをめぐって戦うことを楽しみにしていた」 「すべての成功に大きな功績を残したサポートチーム全員、理学療法士、医師、経済学者、そして「叔母」イヴァ率いる協会の皆さんにも感謝している。連盟が代表チームに常に与えてくれた素晴らしいサポートに対して、会長、故ヴラトコ、ダヴォル、そして今日のマリヤンにも感謝している」 「偉大なファンのみんなにも感謝している。今年はドイツで史上最大の応援を受けたのに、より多くのことを達成できなかったことを特に残念に思う。だけど、みんなの応援は、このような瞬間であっても僕らにとって大きな意味を持っている。なぜなら、みんながいつも僕らと一緒にいて、僕らが最善を尽くしていることを認めてくれているからだ。2018年と2022年の祝賀会は決して忘れない。そのとき感じた一体感と愛は、代表チームの成功のために僕らが注いだすべての努力に対する最大の報酬だった」 「フットボールを紹介してくれた父、家族、友人、そしてすべてのコーチのサポートと、キャリアの中で教えてくれたことすべてに感謝する」 「代表チームでプレーすることは、幸せ、誇り、名誉、特権だ。だけど、それらすべてには、家族が支払う大きな代償が伴うものだ。だからこそ、最も重要な感謝は、自分の最大の支え、慰め、支えであり、自分なしでこの『代表での時間』の多くを過ごしてくれた妻のイヴァナと息子のデイビッドに捧げる。彼らと最も美しい瞬間を共有できたことを嬉しく思っているし、これから一緒に過ごす時間がさらに増えることを楽しみにしているよ」 「試合、勝利、交流、笑い、マッサージルーム、応援、お祝い、緊張、そして失敗さえも、すべてが恋しくなる。なぜなら、失敗すれば自分が何者かがわかるからだ。そしてクロアチアは強いキャラクターのもとにできている」 「ただ、若い力の時代が来ていることは理解しているし、年長者の中には彼らを新たな成功に導くことができる人がいることも理解している。2010年5月23日に僕が夢見る権利があった以上のことを成し遂げた、この世代の足跡を、彼らが辿り続けてほしいと心から願っている」 「だからこそ、別れがどんなにつらいものであっても、僕は誇りと幸せを持って去るよ」 2024.07.21 22:10 Sun2
シント=トロイデンのFWコイタがAEKアテネに完全移籍、5年契約
ギリシャ・スーパーリーグのAEKアテネは13日、シント=トロイデンのモーリタニア代表FWアブバカリ・コイタ(25)を完全移籍で獲得したことを発表した。 契約期間は2029年夏までの5年間となる。 コイタはヘントの下部組織出身で、コルトレイクやワースラント=ベフェレンでプレーした後、2021年7月にシント=トロイデンに完全移籍で加入した。 左ウイングを主戦場に、シント=トロイデンでは公式戦94試合で19ゴール7アシストを記録。ジュピラー・プロ・リーグでは通算で146試合27ゴール11アシストを記録していた。 また、モーリタニア代表としても2023年11月にデビューし、9試合1ゴールを記録していた。 コイタはクラブを通じてコメントしている。 「AEKの一員になれて感謝している。AEKのような素晴らしいチームでプレーできることは、僕と家族にとって名誉なことだ」 2024.07.14 11:35 Sun3
ユナイテッド退団マルシャルがAEKアテネ加入…ギリシャ強豪と3年契約締結
AEKアテネは19日、マンチェスター・ユナイテッドを退団した元フランス代表FWアントニー・マルシャル(28)の加入を発表した。背番号は「26」に決定。契約期間は2027年6月30日までの3年となる。 ギリシャに新天地を求めた28歳FWは「とても嬉しいよ。AEK移籍は僕にとってチャンスだ。ベストを尽くして目標を達成し、トロフィーを獲得し、チームに喜びをもたらしたい」と意気込みを語った。 リヨンのアカデミー出身のマルシャル。モナコで才能の片鱗を見せると、2015年夏からユナイテッドに引き抜かれ、通算317試合で90得点47アシストをマークした。 2019-20シーズンには加入後ベストの公式戦23得点11アシストの活躍を披露。だが、以降は負傷やパフォーマンスの問題を抱えてメインキャストを担うことはできず。セビージャへのレンタル移籍も経験した。 ユナイテッドでの最終年となった昨季も公式戦19試合で2得点1アシスト止まりだった。 なお、AEKアテネでは今季から元アルゼンチン代表MFエリク・ラメラもプレー。ギリシャ・スーパーリーグでは首位を走っている。 2024.09.20 06:30 FriAEKアテネの選手一覧
1 | GK | シカン・スタンコビッチ | ||||||||
1992年11月04日(32歳) | 0 | 0 |
30 | GK | ヨルゴス・アサナシアディス | ||||||||
1993年04月07日(31歳) | 191cm | 0 | 0 |
39 | GK | パナギオティス・ギニス | ||||||||
1999年01月23日(25歳) | 190cm | 0 | 0 |
99 | GK | ゲオルギオス・テオカリス | ||||||||
2002年06月30日(22歳) | 188cm | 0 | 0 |
2 | DF | アロル・ムクディ | ||||||||
1997年11月27日(26歳) | 191cm | 0 | 0 |
3 | DF | ミラド・モハマディ | ||||||||
1993年09月29日(31歳) | 178cm | 0 | 0 |
12 | DF | ラザロス・ロタ | ||||||||
1997年08月23日(27歳) | 180cm | 0 | 0 |
17 | DF | スタヴロス・ピリオス | ||||||||
2000年12月10日(23歳) | 175cm | 0 | 0 |
21 | DF | ドマゴイ・ヴィダ | ||||||||
1989年04月29日(35歳) | 184cm | 76kg | 0 | 0 |
24 | DF | イェラシモス・ミトグル | ||||||||
1999年10月20日(25歳) | 195cm | 85kg | 0 | 0 |
28 | DF | エフサン・ハジサフィ | ||||||||
1990年02月25日(34歳) | 178cm | 0 | 0 |
29 | DF | ジブリル・シディベ | ||||||||
1992年07月29日(32歳) | 182cm | 73kg | 0 | 0 |
37 | DF | ヴェダド・ラドンヤ | ||||||||
2001年09月06日(23歳) | 182cm | 0 | 0 |
55 | DF | コンスタンティノス・クリソプーロス | ||||||||
2003年05月21日(21歳) | 193cm | 0 | 0 |
DF | アレクサンデル・カジェンス | |||||||||
1992年05月04日(32歳) | 183cm | 0 | 0 |
4 | MF | ダミアン・シマンスキ | ||||||||
1995年06月16日(29歳) | 181cm | 0 | 0 |
6 | MF | イェンス・ヨンソン | ||||||||
1993年01月10日(31歳) | 182cm | 78kg | 0 | 0 |
8 | MF | ミヤト・ガチノビッチ | ||||||||
1995年02月08日(29歳) | 175cm | 0 | 0 |
10 | MF | シュテファン・ツバー | ||||||||
1991年08月17日(33歳) | 182cm | 79kg | 0 | 0 |
13 | MF | オルベリン・ピネダ | ||||||||
1996年03月24日(28歳) | 169cm | 64kg | 0 | 0 |
19 | MF | ニコラス・エリアソン | ||||||||
1995年12月07日(28歳) | 178cm | 0 | 0 |
20 | MF | ペトロス・マンタロス | ||||||||
1991年08月31日(33歳) | 176cm | 0 | 0 |
22 | MF | パオロ・フェルナンデス | ||||||||
1998年08月09日(26歳) | 167cm | 0 | 0 |
25 | MF | コンスタンティノス・ガラノプーロス | ||||||||
1997年12月28日(26歳) | 172cm | 0 | 0 |
5 | FW | ノルディン・アムラバト | ||||||||
1987年03月31日(37歳) | 179cm | 79kg | 0 | 0 |
7 | FW | レビ・ガルシア | ||||||||
1997年11月20日(27歳) | 0 | 0 |
9 | FW | トム・ファン・ウェールト | ||||||||
1990年06月07日(34歳) | 183cm | 0 | 0 |
11 | FW | セルヒオ・アラウホ | ||||||||
1992年01月28日(32歳) | 180cm | 0 | 0 |
14 | FW | エセキエル・ポンセ | ||||||||
1997年03月29日(27歳) | 178cm | 0 | 0 |
26 | FW | アントニー・マルシャル | ||||||||
1995年12月05日(28歳) | 181cm | 0 | 0 |
70 | FW | ロドルフォ・ピサーロ | ||||||||
1994年02月15日(30歳) | 177cm | 0 | 0 |
90 | FW | ジン | ||||||||
2002年07月03日(22歳) | 181cm | 0 | 0 |
監督 | マティアス・アルメイダ | |||||||||
1973年12月21日(50歳) | 0 | 0 |