パルチザン
Fudbalski Klub Partizan| 国名 |
セルビア
|
| 創立 | 1945年 |
| ホームタウン | ベオグラード |
| スタジアム | スタディオン・FKパルチザン |
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パルチザンのニュース一覧
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浅野拓磨がパルチザンを電撃退団!大活躍の裏に給与未払い問題が…
日本代表FW浅野拓磨(26)は2日、自身のブログ内でパルチザンとの契約を解除したことを発表した。 浅野はブログで以下の声明を発表している。 「私、浅野拓磨はこの度パルチザン ・ベオグラードとの選手契約を解除しました 「この決断をするにあたり、凄く悩みましたがクラブによる度重なる給与等の未払い(今現在も相当額の未払いがあります)、またそれに対する不誠実な対応によりクラブからのリスペクトを感じられなくなってしまった事がこの決断の理由です」 「パルチザンは自分にサッカー選手としてのチャンスを与えてくれたクラブであり、とても大切なクラブです」 「ベオグラードに呼んでくれたサヴォ・ミロシェヴィッチ監督、いつも信頼して後押ししてくれたアレクサンダル・スタノイェヴィッチ監督。大好きなチームメイト、チームスタッフ。そしてどんな時も応援してくれたサポーター」 「ベオグラードで出逢った全ての人に感謝しています」 2013年にサンフレッチェ広島でプロデビューした浅野は、2016年夏にアーセナルへ一気にステップアップ。直後からシュツットガルトやハノーファーへのローンで武者修行に励むも、アーセナルでのデビューは果たせないまま、2019年夏にセルビア1部のパルチザンへ完全移籍した。 2年目を迎えていた今シーズンは、リーグ戦33試合の出場で18ゴール8アシストと大活躍。欧州1部リーグでは日本人最多得点で、8月に行われた第5節のインジヤ戦ではハットトリックを達成していた。 現行契約はあと1年残っていたが、本人曰く、給与未払いやクラブの不誠実な対応から契約解除を決断。リーグ戦を4試合残してチームを去ることになった。 なお、2位に付けるパルチザンと首位のツルヴェナ・ズヴェズタは12ポイント差のため、優勝はほぼ不可能となっている。 2021.05.02 14:50 Sun2
浅野拓磨がトラブゾンスポルと2年契約で合意、代理人は訴訟が起きないと見解
給料の遅延とクラブの不義理を理由にブログで退団を発表したFW浅野拓磨(26)だが、トルコのトラブゾンスポルと2年契約で合意に至ったようだ。トルコ『Fotospor』が伝えた。 浅野は2日、自身のブログで「給与の未払いやクラブの不誠実な対応」を理由に、パルチザン・ベオグラードからの退団を発表した。 突然の発表は大きな話題となり、パルチザンも追って声明を発表。浅野の退団を発表した一方で、契約違反だとして国際サッカー連盟(FIFA)に浅野を訴えると反論。泥沼の展開となっている。 そんな中、浅野とトラブゾンスポルは予備契約にサイン。したとのこと。一方で、パルチザンは移籍金600万ユーロ(約7億9200万円)を求めるとしており、トラブゾンスポルへ書面を送ったとされている。 しかし、浅野の代理人は、パルチザンが起こそうとしている訴訟について、訴訟に発展する可能性が低いとトラブゾンスポルに保証したとのことだ。 FIFAの規則では、2カ月以上給与を支払われなかった場合、最短15日以内に解決する必要があるとのこと。この期間を超えても対応されなかった場合は、選手は契約を終えることができるというもの。フリーとなり、新たな契約にサインできるという規則がある。 FIFAの判断に委ねられる部分はあるが、問題が生じなければトルコが新天地になることは間違いなさそうだ。 2021.05.12 10:20 Wed3
今回も荒れまくったベオグラードダービー…パルチザンが宿敵レッドスターに0-4惨敗でサポ大暴れ、指揮官はガラス破片で顔面負傷
ベオグラードダービーが今回も荒れに荒れた。スペイン『Relevo』が伝える。 ヨーロッパの火薬庫、バルカン半島。セルビアの首都を二分、「ベオグラードダービー」。 かつて欧州の頂点にも立った絶対王者ツルヴェナ・ズヴェズダ(レッドスター・ベオグラード)、パルチザン・ベオグラードが互いを削る、“世界一危険”とも言われるダービーだ。 この対戦で過去に起きた“事件”など、もう数えきれず、とにかく両軍サポーターが殺気に満ちた雰囲気・表情に。 23日、セルビア1部第9節で今季最初のベオグラードダービーが行われ、ホームのパルチザンが宿敵レッドスターに0-4と大惨敗。 試合は20分すぎ、主審がレッドスターの先制点となるPKを与え、この判定に激怒したパルチザンファン1名がピッチへ乱入。男はその場で治安当局に取り押さえられ、逮捕となった。 その他パルチザンファンは敗色濃厚となった試合終盤ごろから暴れ出し、自軍選手らに対して何らかを“発砲”する様子もあったとのこと。 何よりモノの投げつけが酷く、ロッカーへ急いで引き上げるパルチザンの選手らを警察官が警護していたなか、付近のガラスが割れてアレクサンデル・スタノイェビッチ監督が負傷。指揮官は顔中に絆創膏を貼っての会見となった。 「これ(絆創膏)か?ファンがガラスを割ったからだ。つらい敗戦となってファンへ謝罪の気持ちもあるが、不愉快だ。次戦で何が起こるか見てみよう。結果次第で、喜んで辞任してやる」 今回も荒れに荒れたベオグラードダービー。 昨年12月に対レッドスター3年ぶりの勝利を掴んだパルチザンだが、今回で対レッドスター3連敗に。4点差での敗戦は、少なくとも21世紀に入ってからは初という大惨敗だ。 <span class="paragraph-title">【写真】ロシア軍戦車が配置されたレッドスター本拠地</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">Outside Red Star stadium in Belgrade, there is a T-54 with Z markings. Red Star plays the last playoff match to Champions League on Wednesday.<a href="https://twitter.com/UEFA?ref_src=twsrc%5Etfw">@UEFA</a>, is this acceptable? <a href="https://t.co/etiGA3OMHj">pic.twitter.com/etiGA3OMHj</a></p>— Viking Fella (@VikingCoffie) <a href="https://twitter.com/VikingCoffie/status/1828506270170480665?ref_src=twsrc%5Etfw">August 27, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.09.24 16:10 Tue4
パルチザンと横山ジャパン/六川亨の日本サッカーの歩み
日本代表の俊足FW浅野拓磨が5月2日、自身のブログでパルチザン・ベオグラード(セルビアリーグ1部)との契約を解除したことを発表した。その理由として、たび重なる給料の未払いと、それに対する不誠実な対応を挙げた。 浅野は16年に広島からアーセナルへ完全移籍し、16-18年はシュツットガルト、18-19年はハノーファーに期限付き移籍。そして19年8月にパルチザンに完全移籍した。 今シーズンはここまで33試合に出場して18ゴールと、ヨーロッパ1部リーグで日本人最多となる得点を決めていて、記録更新が期待されていただけに残念でもある。それでも今シーズンの活躍で注目度が上がったのは確かだろう。このため契約解除がスムーズに進めば5大リーグへの移籍も可能かもしれない。 そのパルチザンだが、旧ユーゴではレッドスター・ベオグラードと並ぶ名門チームである。国内のタイトルではユーゴスラビアリーグ優勝11回、ユーゴスラビア/セルビア・モンテネグロリーグ優勝8回、セルビアリーグ優勝8回を誇っている(リーグ名の変遷からも複雑な国家であることが分かる)。 そんなパルチザンが91年7月に来日して、大宮サッカー場(現NACK5スタジアム大宮)では1-1、三ツ沢球技場(現ニッパツ三ツ沢)では1-0で日本を下している。 当時のパンフレットによると、オーディオ・ビジュアル機器メーカーのアイワ(aiwa)がパルチザンの胸スポンサーだったことから「日本 ユーゴスラビア親善サッカー」として開催されたことが紹介されている。 前年に開催されたイタリアW杯で、ユーゴは準々決勝でマラドーナ率いるアルゼンチンにPK戦で負けたものの、“ピクシー(妖精)”ストイコビッチが注目を集めただけに、タイミングとしてはマッチしていたのかもしれない(残念ながらストイコビッチはレッドスター所属)。 イタリアW杯でユーゴを率い、パルチザンでも監督として来日したのがイビチャ・オシム氏だったことを知ったのは、彼が日本代表の監督に就任してからだった。それよりも驚いたのは、ユーゴ大使館で開催されたパーティーだった。 ホールでの駐日ユーゴスラビア大使の挨拶が終わると、選手は急いで別室に用意されていたバイキング形式の食堂に駆け込み、タバコを吸いながらビールやワインを飲んでいる。紫煙で食堂がかすむほど、選手は一斉にタバコを吸っていた。 「プロなのに(厳密に言うと社会主義連邦共和国である旧ユーゴにプロは存在しないが、似たようなものだと思っていた)昼間からアルコールを飲んでタバコを吸っていいのか」と訝しんだものだ。 当時の記録によると、大宮での観衆は9500人、三ツ沢が1万人となっているが、正式にカウントしたのではなく、目分量で「だいたい、こんなところだろう」と記録係が決めた可能性が高い。それだけ注目度も低かったということだ。 当時の日本代表は横山ジャパンの時代で、日本国籍を取得したラモス瑠偉とブラジルから帰国した三浦知良が加わり、さらに大学生だった森山泰行(順天堂大)、礒貝洋光(東海大)らを抜擢するなど若返りを図っていた。 しかしこの2試合後、7月27日に長崎県諫早市で開催された日韓定期戦で0-1と敗退。その後のバルセロナ五輪アジア最終予選でもU-23日本代表は6チーム中5位に終わり、横山監督は更迭された。 93年に始まるJリーグを控え、続々と選手がプロ契約を結んでいくなかで、監督だけがアマチュアのボランティアでは限界があると、当時の川淵三郎技術委員長は考えていたのも当然である。 そして翌年の3月にハンス・オフト監督と契約するまで、9カ月近くも日本代表の活動は一切ないという異常事態(92年5月のキリンカップがオフト監督の初陣)だったが、当時はそれを誰もおかしいとは思わなかったこと自体、異常だったと言える。 2021.05.03 21:30 Monパルチザンの選手一覧
| 25 | GK |
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ミラン・ルカッチ | |||||||
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1985年10月04日(40歳) | 197cm |
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0 |
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0 | ||||
| 41 | GK |
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アレクサンダル・ポポビッチ | |||||||
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1999年09月29日(26歳) | 190cm |
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0 |
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0 | ||||
| 85 | GK |
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ネマニャ・ステファノビッチ | |||||||
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1992年05月08日(33歳) | 182cm |
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0 |
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0 | ||||
| 4 | DF |
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シニシャ・サニチャニン | |||||||
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1995年04月24日(30歳) | 190cm |
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0 |
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0 | ||||
| 5 | DF |
|
イゴール・ブヤチッチ | |||||||
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1994年08月08日(31歳) |
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0 |
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0 | |||||
| 6 | DF |
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スヴェトザル・マルコビッチ | |||||||
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2000年03月23日(25歳) | 184cm |
|
0 |
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0 | ||||
| 12 | DF |
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ズラタン・シェホビッチ | |||||||
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2000年08月08日(25歳) | 180cm |
|
0 |
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0 | ||||
| 17 | DF |
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マルコ・ジブコビッチ | |||||||
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1994年05月17日(31歳) | 173cm |
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0 |
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0 | ||||
| 26 | DF |
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アレクサンダル・フィリポビッチ | |||||||
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1994年12月20日(31歳) | 186cm |
|
0 |
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0 | ||||
| 72 | DF |
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スロボダン・ウロシェビッチ | |||||||
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1994年04月15日(31歳) | 183cm |
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0 |
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0 | ||||
| DF |
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マルコ・シムノビッチ | ||||||||
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2000年04月10日(25歳) | 177cm |
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0 |
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0 | ||||
| 7 | MF |
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パトリック・アンドラーデ | |||||||
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1993年02月09日(33歳) | 176cm |
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0 |
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0 | ||||
| 8 | MF |
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ハミドゥ・トラオレ | |||||||
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1996年10月07日(29歳) | 175cm |
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0 |
|
0 | ||||
| 10 | MF |
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ビブラス・ナトホ | |||||||
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1988年02月18日(37歳) | 175cm |
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0 |
|
0 | ||||
| 10 | MF |
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ラザル・パブロビッチ | |||||||
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2001年11月02日(24歳) | 171cm |
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0 |
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0 | ||||
| 13 | MF |
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アンドレス・コロラド | |||||||
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1998年12月01日(27歳) | 190cm |
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0 |
|
0 | ||||
| 15 | MF |
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リュボミール・フェイサ | |||||||
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1988年08月14日(37歳) | 185cm | 78kg |
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0 |
|
0 | |||
| 40 | MF |
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クリスティアン・ベリッチ | |||||||
|
2001年03月25日(24歳) | 177cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 45 | MF |
|
マテヤ・スティエパノビッチ | |||||||
|
2004年02月20日(21歳) | 185cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 90 | MF |
|
ミハイロ・ペトコビッチ | |||||||
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2004年03月27日(21歳) |
|
0 |
|
0 | |||||
| 9 | FW |
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クインシー・メニグ | |||||||
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1995年08月19日(30歳) | 174cm |
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0 |
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0 | ||||
| 11 | FW |
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リカルド・ゴメス | |||||||
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1991年12月18日(34歳) | 180cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 14 | FW |
|
サメド・バズダル | |||||||
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2004年01月31日(22歳) | 186cm |
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0 |
|
0 | ||||
| 18 | FW |
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フセニ・ディアバテ | |||||||
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1995年10月18日(30歳) | 175cm |
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0 |
|
0 | ||||
| 20 | FW |
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アンドリヤ・パブロビッチ | |||||||
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1993年11月16日(32歳) | 188cm | 82kg |
|
0 |
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0 | |||
| 29 | FW |
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ネマニャ・イリッチ | |||||||
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2005年04月20日(20歳) |
|
0 |
|
0 | |||||
| 38 | FW |
|
ヤンコ・イェブレモビッチ | |||||||
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2004年07月14日(21歳) | 181cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 50 | FW |
|
マルコ・ブルノビッチ | |||||||
|
2003年06月27日(22歳) |
|
0 |
|
0 | |||||
| 55 | FW |
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ダニーロ・パンティッチ | |||||||
|
(歳) |
|
0 |
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0 | |||||
| 77 | FW |
|
ネマニャ・ヨビッチ | |||||||
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2002年08月08日(23歳) |
|
0 |
|
0 | |||||
| 87 | FW |
|
ニコラ・ラクチェビッチ | |||||||
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1999年10月28日(26歳) | 173cm |
|
0 |
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0 | ||||
| 監督 |
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ゴルダン・ペトリッチ | ||||||||
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1969年07月30日(56歳) |
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0 |
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0 | |||||

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