パリ・サンジェルマン
Paris Saint-Germain Football Club| 国名 |
フランス
|
| 創立 | 1970年 |
| ホームタウン | パリ |
| スタジアム | パルク・デ・プランス |
| 愛称 | PSG |
今季の成績
| リーグ・アン | 勝点 | 勝数 | 引分数 | 負数 | 得点 | 失点 | 得失差 | 試合数 | ||
| 1 |
|
パリ・サンジェルマン | 81 | 25 | 6 | 2 | 89 | 34 | 55 | 33 |
| 2 |
|
マルセイユ | 62 | 19 | 5 | 9 | 70 | 45 | 25 | 33 |
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| UEFAチャンピオンズリーグ | 勝点 | 勝数 | 引分数 | 負数 | 得点 | 失点 | 得失差 | 試合数 | ||
| 14 |
|
PSV | 14 | 4 | 2 | 2 | 16 | 12 | 4 | 8 |
| 15 |
|
パリ・サンジェルマン | 13 | 4 | 1 | 3 | 14 | 9 | 5 | 8 |
| 16 |
|
ベンフィカ | 13 | 4 | 1 | 3 | 16 | 12 | 4 | 8 |
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| ニュース | 人気記事 | 選手一覧 | 試合日程 |
パリ・サンジェルマンのニュース一覧
パリ・サンジェルマンの人気記事ランキング
1
クラブ最多得点記録更新のイブラ、ヘディングは苦手?
▽パリ・サンジェルマン(PSG)に所属するスウェーデン代表FWズラタン・イブラヒモビッチは、4日に行われたリーグ・アン第9節のマルセイユ戦で2得点を記録し、元ポルトガル代表FWペドロ・パウレタ氏が持つクラブの最多得点記録を110に更新した。 ▽PSGはパウレタとイブラヒモビッチが記録した得点の内訳を比較。ゴールを決めた右足、左足、頭に加え、PKやFKなどシチュエーション別でも比較している。 ▽パウレタとイブラヒモビッチの得点の大半は、右足から生まれた。共に右利きであるため当然のことではあるが、パウレタは74得点を、イブラヒモビッチは76得点を右足で決めており、似たような数字を記録している。逆に利き足ではない左足では、イブラヒモビッチが22得点を決め、13得点のパウレタに大差を付けている。 ▽一方で、頭でのゴールはパウレタが圧倒。180cmとイブラヒモビッチより15cmも低いパウレタだが、22得点を記録。イブラヒモビッチは10得点、胸で2得点を記録している。 ▽その他、PKではパウレタの16得点に対し、記録を達成したマルセイユ戦でも2得点をPKで決めたイブラヒモビッチは27得点を記録。PKでの得点もクラブ最多となっている。FKは両者ともに5得点を記録している。 ▽また、1試合の複数得点ではイブラヒモビッチが圧倒。パウレタは2得点が20回、ハットトリックが1回なのに対し、イブラヒモビッチは2得点が23回、ハットトリックが7回、4得点が1回となっている。内訳の詳細は以下の通り。 ◆通算得点 パウレタ:211試合109得点(2003-08) イブラヒモビッチ:137試合110得点(2012-) 【部位】 ◆右足 パウレタ:74得点 イブラヒモビッチ:76得点 ◆左足 パウレタ:13得点 イブラヒモビッチ:22得点 ◆頭など パウレタ:22得点 イブラヒモビッチ:10得点(+胸:2得点) 【シチュエーション】 ◆PK パウレタ:16得点 イブラヒモビッチ:27得点 ◆FK パウレタ:5得点 イブラヒモビッチ:5得点 【その他】 ◆1試合複数得点 パウレタ:2得点:20回、3得点:1回 イブラヒモビッチ:2得点:23回、3得点:7回、4得点:1回 ◆パルク・デ・プランスでのゴール パウレタ:77得点 イブラヒモビッチ:60得点 ◆リーグ・アンでの得点 パウレタ:76得点 イブラヒモビッチ:79得点 ◆ヨーロッパ大会での得点 パウレタ:7得点 イブラヒモビッチ:15得点 2015.10.05 11:54 Mon2
「神と神」メッシとイブラヒモビッチがパリで再会!笑顔での肩組みショットに「今はどんな関係性なんだろ」
2人の神の邂逅と言えるだろうか。パリ・サンジェルマン(PSG)のアルゼンチン代表リオネル・メッシとミランのスウェーデン代表FWズラタン・イブラヒモビッチが再会した。 "Goat"(Greatest of All Time=史上最高の意だが、直訳するとヤギ)やフットボールの神とも呼ばれるメッシ。はたまた自身を神とも称することもあるイブラヒモビッチ。どちらもフットボール界に名を残す現役のレジェンドだ。 1年間だけだったがバルセロナで一緒にプレーしたこともある2人。今回はPSGのイタリア代表MFマルコ・ヴェッラッティの誕生日パーティーで再会した。 PSGのチームメイトを含む多くの著名人が参加したパーティーだったが、イブラヒモビッチとメッシが肩を組んで集合写真を撮る場面もあった。 豪華な2人の共演には、「今はどんな関係性なんだろ」、「神と神」、「レジェンド」、「いい画」とファンも興味津々の様子だ。 バルセロナ時代にはメッシのサポート役に回ることも少なくはなかったイブラヒモビッチだが、過去にはメッシの能力について「プレイステーションのようだ」と絶賛しており、その類まれな実力を認めている。 <span class="paragraph-title">【写真】メッシとイブラが笑顔で肩組み!</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="fr" dir="ltr"> | Zlatan Ibrahimovic & Leo Messi à l’anniversaire de Marco Verratti <br><br> <a href="https://t.co/ywit76VMDH">pic.twitter.com/ywit76VMDH</a></p>— Canal Supporters (@CanalSupporters) <a href="https://twitter.com/CanalSupporters/status/1589553709897646081?ref_src=twsrc%5Etfw">November 7, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2022.11.11 16:55 Fri3
スパイク裏を顔面に受けたドンナルンマがひどい裂傷、数日間の離脱と追加検査に
パリ・サンジェルマンは18日、イタリア代表GKジャンルイジ・ドンナルンマが右頬の裂傷により数日間の離脱と追加検査を行うことを発表した。 ドンナルンマは同日、リーグ・アン第16節モナコ戦に先発。17分にDFウィルフリード・シンゴのシュートをブロックすべく飛び出すと、シンゴのスパイク裏が右頬に直撃。ひどい裂傷を負っていた。 その場で医療ホッチキスにより縫合を受けたドンナルンマはこのまま交代となっていた。 PSGは22日、年内最終戦でクープドゥフランス・ラウンド64のRCランス戦を控えるが、ドンナルンマは欠場することになりそうだ。 <span class="paragraph-title">【写真】ドンナルンマが顔面を踏みつけられた瞬間</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr"> <a href="https://t.co/Rlgh0qtGkY">pic.twitter.com/Rlgh0qtGkY</a></p>— 433 (@433) <a href="https://twitter.com/433/status/1869494812258554003?ref_src=twsrc%5Etfw">December 18, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.12.19 10:00 Thu4
38歳になっても“神”は衰え知らず…イブラヒモビッチが歴代クラブで決めた数々の“神ゴール”
今年1月に8年ぶりにミランに復帰した元スウェーデン代表FWズラタン・イブラヒモビッチ。38歳でもその得点能力は衰えず、これまで多くのビッグクラブでゴールを量産している。 母国のマルメで育ったイブラヒモビッチは、本人によると幼少期は小柄であり、ドリブラーとしてプレーしていたため、長身ながら足元にも秀でる現在のスタイルが完成したという。 少年時代から、6点ビハインドから途中出場して9ゴールを奪い勝利をもたらすなど、破天荒な伝説を残している。 母国リーグで活躍したイブラヒモビッチは、新天地にアヤックスを選びマルコ・ファン・バステン氏やパトリック・クライファート氏らが身に着けた背番号9を継承。入団後は印象的なゴールを多く決め“ファン・バステン2世”と称されるようになったが、2004年にユベントス、2006年にインテルと渡り歩き個人でセリエA5連覇を経験する頃には“ズラタン・イブラヒモビッチ1世”と認識されるようになっていった。 また、バルセロナ時代でプレーした2009-10シーズンには、ジョゼップ・グアルディオラ監督(現マンチェスター・シティ)の下で不遇を味わったものの、公式戦45試合21ゴール13アシストをマーク。その後、ミラン、パリ・サンジェルマン(PSG)、マンチェスター・ユナイテッド、ロサンゼルス・ギャラクシーと世界各国でプレーした中で、どのクラブでも衝撃的なゴールをサポーターにプレゼントしている。 今回はイブラヒモビッチがその名を世界レベルに知らしめたアヤックス時代以降の、彼のベストゴールを所属チーム別にご紹介する。 <div id="cws_ad"><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJicjJETUlISiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> <span class="paragraph-title">◆アヤックス時代(2001.7-2004.8)</span> 母国リーグで活躍したイブラヒモビッチは、新天地にアヤックスを選びマルコ・ファン・バステン氏やパトリック・クライファート氏らが身に着けた背番号9を継承。入団後は印象的なゴールを多く決め“ファン・バステン2世”と称されるようになった。在籍3年間で公式戦110試合に出場し66ゴールを決めた。 <span class="paragraph-title">◆ユベントス時代(2004.8-2006.8)</span> 2004年にユベントスへ移籍。在籍2年間で公式戦92試合に出場し26ゴールを記録、チームのセリエA2連覇に貢献した。 <span class="paragraph-title">◆インテル時代(2006.8-2009.7)</span> ユベントスがカルチョ・スキャンダルで降格したことで、2006年にインテルへ移籍。公式戦117試合に66ゴールを決めた。ここでもセリエAを連覇し、個人でセリエA5連覇を達成した。 <span class="paragraph-title">◆バルセロナ時代(2009.7-2010.8)</span> バルセロナでプレーした2009-10シーズンには、ジョゼップ・グアルディオラ監督(現マンチェスター・シティ)との確執もあったものの、公式戦45試合21ゴール13アシストをマークした。 <span class="paragraph-title">◆ミラン時代(2010.8-2012.7)</span> わずか1年でセリエAへ復帰する。ミランでも1年目から主力として活躍すると、ミランに7年ぶりのスクデットをもたらした。しかし、2シーズン目はユベントスにスクデットを奪われ、アヤックス時代から続いていた自身の国内リーグ連続優勝記録が8年で途切れた。 <span class="paragraph-title">◆パリ・サンジェルマン時代(2012.7-2016.7)</span> 2012年夏にミランからPSGへ移籍したイブラヒモビッチは、在籍4年間で公式戦122試合に出場して113ゴールをマーク。リーグ・アン4連覇に貢献し、得点王にも3度輝いた。 <span class="paragraph-title">◆マンチェスター・ユナイテッド時代(2016.7-2018.3)</span> インテル時代の恩師、ジョゼ・モウリーニョ監督が率いていた2016年に初めてのプレミアリーグ挑戦となった。2018年にかけて在籍した際に公式戦53試合29得点10アシストの数字を残した。 <span class="paragraph-title">◆ロサンゼルス・ギャラクシー時代(2018.3-2020.1)</span> 2018年3月にマンチェスター・ユナイテッドからLAギャラクシーに加入したイブラヒモビッチ。38歳になってもその得点力は衰えを見せず、在籍2シーズンに亘って公式戦58試合53ゴール15アシストとハイペースに得点を積み重ねた。 <span class="paragraph-title">◆ミラン時代(2020.1-)</span> 今年1月に、半年契約でロサンゼルス・ギャラクシーから古巣ミランに加入。復帰後はセリエAで8試合に出場し3ゴール1アシストを記録。戦力としてまだまだ計算できる結果を残している。 2020.05.25 21:05 Mon5
PSGが27年前は東京ドームで試合~野球場でサッカーが開催された/六川亨の日本サッカー見聞録
日本が6-0という大会最多ゴールで香港を下したEAFF E-1選手権。試合会場となったカシマスタジアムで観戦したファン・サポーターは4980人だった。平日のナイター(19時20分キックオフ)で、鹿嶋での開催となると宿泊施設も限られる。さらに当の日本代表には鹿島の選手が1人もいない。よく5000人近くも集まったと言っていいだろう。 横浜F・マリノスの選手が多く招集されているのだから、いっそ準ホームであるニッパツ三ツ沢球技場(約1万5000人収容)か、交通の便がいい都内の味の素フィールド西が丘(約7000人収容)で開催したほうが、まだ集客は見込めたかもしれない。 その一方で翌20日の川崎F対パリ・サンジェルマン(SG)戦が開催された国立競技場には6万4992人ものファン・サポーターが詰めかけ、6月の日本対ブラジル戦を上回る最多観客記録を更新した。 メッシはアルゼンチン代表やバルセロナ(クラブW杯)で来日しているし、ネイマールも11年のクラブW杯ではサントス(バルセロナに0-4で敗退)で、15年にはバルセロナの一員として来日しており、先月もブラジル代表の一員として来日している。 その一方でキリアン・ムバッペはイベント出演での来日はあるものの、日本でプレーするのは初めて。そして、この3人が前線に顔を揃えるだけでなく、彼ら以外にも各国の代表選手がいるだけに、多くの観客が“真夏の夜の夢"をエンジョイしようと国立に足を運んだに違いない。 そんなPSGの来日は27年ぶりだという。1995年6月に来日し、名古屋と西京極総合運動公園で、鹿島と東京ドームで対戦している。たしか「ペプシカップ1995」という名称の大会で、西京極の試合には取材に行かなかったが、東京ドームでの試合は人工芝の上に天然芝を敷いたものの、天然芝の土の部分についている肥料の匂いがとても臭く、それがドーム内に充満したことを覚えている。 来日メンバーもダビド・ジノラ、ジョージ・ウェア、ライー、パトリック・エムボマら主力選手はほとんど来日しなかった。にもかかわらず、鹿島に3-2で逆転勝ちしたはずだ。 サッカーの試合が東京ドームで行われるのは、当時としてもかなり珍しかった。当時の首都圏にはサッカー専用スタジアムというと西が丘サッカー場(現味の素フィールド西が丘)、大宮サッカー場(現NACK5スタジアム)、三ツ沢球技場(現ニッパツ三ツ沢球技場)の3つしかなかった。しかし、どのスタジアムもキャパシティが限られる。 駒沢公園オリンピック競技場は2万人を収容できるが、ナイター設備がなく、道路を挟んで病院もあるため大がかりなイベントとなると騒音の問題もあった。このため国立競技場(旧)以外となると首都圏には大人数を収容できるスタジアムは皆無に近い。このため当時は東京ドームでの開催となった。 ただ、野球場でサッカーの試合が開催されたのは95年が初めてではない。まだ大学生だった1979年8月、東京12チャンネル(現テレビ東京)開局記念10周年だったと思うが、前年のアルゼンチンW杯で優勝したアルゼンチンと、準優勝のオランダを招待して「ワールドサッカー79」という大会が、東京ドームの前身である後楽園球場で開催された。 しかしながら、いまでもアルゼンチン代表とオランダ代表を同時に招待することは、かなりハードルが高いだろう。 実際に来日したのはオランダのFCアムステルダムとアルゼンチンのCAウラカン(1940年代にはアルフレッド・ディ・ステファノが所属)。そして、なんとか78年のW杯得点王であるマリオ・ケンペスを呼ぶためスペインのバレンシアを招待し、これに日本代表と日本ユニバーシアード代表、釜本邦茂氏やラモス瑠偉氏、ジョージ与那城氏ら日本リーグ選抜の6チームによる大会が広島、大阪、東京で開催された。 東京では後楽園球場で2試合が開催されたが、大阪も試合会場は大阪球場で、かつてはプロ野球の南海ホークス、近鉄パールズ、大洋松竹ロビンスが本拠地として使用していたらしい。現在は大規模複合商業施設の「なんばパークス」として賑わっていることからもわかるように、日本において歴史のある野球場は都心のど真ん中に造られているのは羨ましい限りだ。 その後も1989年8月にはマンチェスター・ユナイテッドが来日し(主力はクラブのレジェンドで、代表ではキャプテンを務めたブライアン・ロブソン)、神宮球場で日本代表(横山ジャパン)と対戦し、1-0の勝利を収めている。 こうして振り返ると、Jリーグ誕生以前は野球場がサッカーの試合に意外と利用されていることがわかるだろう。それだけ多くの観衆を収容できるスタジアムがなかったことの裏返しでもある(さすがに甲子園球場は使用できていない)。 試合を観戦した印象としては、どの野球場も傾斜が少なく開放感があるので、サッカーの試合を見ていてもノンビリしてしまった記憶がある。攻守がはっきり分かれていて、インターバルのある野球を観戦するのには、開放感のあるボール・パークが適しているのかもしれない。 2022.07.22 22:30 Friパリ・サンジェルマンの選手一覧
| 1 | GK |
|
ジャンルイジ・ドンナルンマ | |||||||
|
1999年02月25日(26歳) | 196cm |
|
36 |
|
0 | ||||
| 30 | GK |
|
アレクサンドル・ルトゥリエ | |||||||
|
1990年12月11日(34歳) | 191cm | 93kg | |||||||
| 39 | GK |
|
マトヴェイ・サフォノフ | |||||||
|
1999年02月25日(26歳) | 192cm |
|
12 |
|
0 | ||||
| 70 | GK |
|
ルイス・ムーケ | |||||||
|
2004年07月21日(21歳) | 187cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 80 | GK |
|
アルナウ・テナス | |||||||
|
2001年05月30日(24歳) | 185cm | 85kg |
|
1 |
|
0 | |||
| 2 | DF |
|
アクラフ・ハキミ | |||||||
|
1998年11月04日(27歳) | 177cm |
|
39 |
|
6 | ||||
| 3 | DF |
|
プレスネル・キンペンベ | |||||||
|
1995年08月13日(30歳) | 183cm |
|
3 |
|
0 | ||||
| 5 | DF |
|
マルキーニョス | |||||||
|
1994年05月14日(31歳) | 183cm | 75kg |
|
35 |
|
1 | |||
| 21 | DF |
|
リュカ・エルナンデス | |||||||
|
1996年02月14日(29歳) | 180cm |
|
19 |
|
0 | ||||
| 25 | DF |
|
ヌーノ・メンデス | |||||||
|
2002年06月19日(23歳) | 176cm |
|
37 |
|
6 | ||||
| 34 | DF |
|
ノアム・カマラ | |||||||
|
2007年01月22日(18歳) | 183cm |
|
2 |
|
0 | ||||
| 35 | DF |
|
ルーカス・ベラウド | |||||||
|
2003年11月24日(21歳) | 182cm |
|
28 |
|
1 | ||||
| 42 | DF |
|
ヨーラム・ザーグ | |||||||
|
2006年05月15日(19歳) | 168cm |
|
4 |
|
0 | ||||
| 45 | DF |
|
ナウフェル・エル・ハンナシュ | |||||||
|
2006年12月07日(18歳) | 183cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 48 | DF |
|
アクセル・タペ | |||||||
|
2007年08月10日(18歳) |
|
2 |
|
0 | |||||
| 51 | DF |
|
ウィリアン・パチョ | |||||||
|
2001年10月16日(24歳) | 187cm |
|
42 |
|
0 | ||||
| DF |
|
セリフ・ニャガ | ||||||||
|
2005年09月01日(20歳) | |||||||||
| 8 | MF |
|
ファビアン・ルイス | |||||||
|
1996年04月03日(29歳) | 189cm |
|
44 |
|
4 | ||||
| 14 | MF |
|
デジレ・ドゥエ | |||||||
|
2005年06月03日(20歳) | 181cm |
|
44 |
|
9 | ||||
| 17 | MF |
|
ヴィティーニャ | |||||||
|
2000年02月13日(25歳) | 172cm |
|
42 |
|
7 | ||||
| 19 | MF |
|
イ・ガンイン | |||||||
|
2001年02月19日(24歳) | 173cm |
|
40 |
|
6 | ||||
| 24 | MF |
|
セニー・マユル | |||||||
|
2006年05月17日(19歳) | 179cm |
|
22 |
|
3 | ||||
| 33 | MF |
|
ウォーレン・ザイール=エメリ | |||||||
|
2006年03月08日(19歳) | 178cm |
|
39 |
|
2 | ||||
| 37 | MF |
|
ワシム・スラマ | |||||||
|
2008年09月26日(17歳) |
|
0 |
|
0 | |||||
| 87 | MF |
|
ジョアン・ネヴェス | |||||||
|
2004年09月27日(21歳) | 174cm |
|
43 |
|
4 | ||||
| 7 | FW |
|
クヴィチャ・クワラツヘリア | |||||||
|
2001年02月12日(24歳) | 183cm | 70kg |
|
20 |
|
4 | |||
| 9 | FW |
|
ゴンサロ・ラモス | |||||||
|
2001年06月20日(24歳) | 184cm |
|
29 |
|
13 | ||||
| 10 | FW |
|
ウスマーヌ・デンベレ | |||||||
|
1997年05月15日(28歳) | 178cm |
|
41 |
|
29 | ||||
| 29 | FW |
|
ブラッドリー・バルコラ | |||||||
|
2002年09月02日(23歳) | 182cm |
|
48 |
|
17 | ||||
| 44 | FW |
|
カンタン・ヌジャントゥ | |||||||
|
2007年07月23日(18歳) |
|
0 |
|
0 | |||||
| 49 | FW |
|
イブラヒム・エンバイェ | |||||||
|
2008年01月24日(17歳) |
|
9 |
|
1 | |||||
| 監督 |
|
ルイス・エンリケ | ||||||||
|
1970年05月08日(55歳) | |||||||||
パリ・サンジェルマンの試合日程
リーグ・アン
| 第1節 | 2024年8月16日 | A |
|
1 | - | 4 | vs |
|
ル・アーヴル |
| 第2節 | 2024年8月23日 | H |
|
6 | - | 0 | vs |
|
モンペリエ |
| 第3節 | 2024年9月1日 | A |
|
1 | - | 3 | vs |
|
リール |
| 第4節 | 2024年9月14日 | H |
|
3 | - | 1 | vs |
|
ブレスト |
UEFAチャンピオンズリーグ
| リーグフェーズ第1節 | 2024年9月18日 | H |
|
1 | - | 0 | vs |
|
ジローナ |
リーグ・アン
| 第5節 | 2024年9月21日 | A |
|
1 | - | 1 | vs |
|
スタッド・ランス |
| 第6節 | 2024年9月27日 | H |
|
3 | - | 1 | vs |
|
スタッド・レンヌ |
UEFAチャンピオンズリーグ
| リーグフェーズ第2節 | 2024年10月1日 | A |
|
2 | - | 0 | vs |
|
アーセナル |
リーグ・アン
| 第7節 | 2024年10月6日 | A |
|
1 | - | 1 | vs |
|
ニース |
| 第8節 | 2024年10月19日 | H |
|
4 | - | 2 | vs |
|
ストラスブール |
UEFAチャンピオンズリーグ
| リーグフェーズ第3節 | 2024年10月22日 | H |
|
1 | - | 1 | vs |
|
PSV |
リーグ・アン
| 第9節 | 2024年10月27日 | A |
|
0 | - | 3 | vs |
|
マルセイユ |
| 第10節 | 2024年11月2日 | H |
|
1 | - | 0 | vs |
|
RCランス |
UEFAチャンピオンズリーグ
| リーグフェーズ第4節 | 2024年11月6日 | H |
|
1 | - | 2 | vs |
|
アトレティコ・マドリー |
リーグ・アン
| 第11節 | 2024年11月9日 | A |
|
2 | - | 4 | vs |
|
アンジェ |
| 第12節 | 2024年11月22日 | H |
|
3 | - | 0 | vs |
|
トゥールーズ |
UEFAチャンピオンズリーグ
| リーグフェーズ第5節 | 2024年11月26日 | A |
|
1 | - | 0 | vs |
|
バイエルン |
リーグ・アン
| 第13節 | 2024年11月30日 | H |
|
1 | - | 1 | vs |
|
ナント |
| 第14節 | 2024年12月6日 | A |
|
0 | - | 0 | vs |
|
オセール |
UEFAチャンピオンズリーグ
| リーグフェーズ第6節 | 2024年12月10日 | A |
|
0 | - | 3 | vs |
|
ザルツブルク |
リーグ・アン
| 第15節 | 2024年12月15日 | H |
|
3 | - | 1 | vs |
|
リヨン |
| 第16節 | 2024年12月18日 | A |
|
2 | - | 4 | vs |
|
モナコ |
トロフェ・デ・シャンピオン2024
| 決勝 | 2025年1月5日 | H |
|
1 | - | 0 | vs |
|
モナコ |
リーグ・アン
| 第17節 | 2025年1月12日 | H |
|
2 | - | 1 | vs |
|
サンテチェンヌ |
| 第18節 | 2025年1月18日 | A |
|
1 | - | 2 | vs |
|
RCランス |
UEFAチャンピオンズリーグ
| リーグフェーズ第7節 | 2025年1月22日 | H |
|
4 | - | 2 | vs |
|
マンチェスター・シティ |
リーグ・アン
| 第19節 | 2025年1月25日 | H |
|
1 | - | 1 | vs |
|
スタッド・ランス |
UEFAチャンピオンズリーグ
| リーグフェーズ第8節 | 2025年1月29日 | A |
|
1 | - | 4 | vs |
|
シュツットガルト |
リーグ・アン
| 第20節 | 2025年2月1日 | A |
|
2 | - | 5 | vs |
|
ブレスト |
| 第21節 | 2025年2月7日 | H |
|
4 | - | 1 | vs |
|
モナコ |
UEFAチャンピオンズリーグ
| プレーオフ1stレグ | 2025年2月11日 | A |
|
0 | - | 3 | vs |
|
ブレスト |
リーグ・アン
| 第22節 | 2025年2月15日 | A |
|
0 | - | 1 | vs |
|
トゥールーズ |
UEFAチャンピオンズリーグ
| プレーオフ2ndレグ | 2025年2月19日 | H |
|
7 | - | 0 | vs |
|
ブレスト |
リーグ・アン
| 第23節 | 2025年2月23日 | A |
|
2 | - | 3 | vs |
|
リヨン |
| 第24節 | 2025年3月1日 | H |
|
4 | - | 1 | vs |
|
リール |
UEFAチャンピオンズリーグ
| ラウンド16・1stレグ | 2025年3月5日 | H |
|
0 | - | 1 | vs |
|
リバプール |
リーグ・アン
| 第25節 | 2025年3月8日 | A |
|
1 | - | 4 | vs |
|
スタッド・レンヌ |
UEFAチャンピオンズリーグ
| ラウンド16・2ndレグ | 2025年3月11日 | A |
|
0 | - | 1 | vs |
|
リバプール |
リーグ・アン
| 第26節 | 2025年3月16日 | H |
|
3 | - | 1 | vs |
|
マルセイユ |
| 第27節 | 2025年3月29日 | A |
|
1 | - | 6 | vs |
|
サンテチェンヌ |
| 第28節 | 2025年4月5日 | H |
|
1 | - | 0 | vs |
|
アンジェ |
UEFAチャンピオンズリーグ
| 準々決勝1stレグ | 2025年4月9日 | H |
|
3 | - | 1 | vs |
|
アストン・ビラ |
| 準々決勝2ndレグ | 2025年4月15日 | A |
|
3 | - | 2 | vs |
|
アストン・ビラ |
リーグ・アン
| 第30節 | 2025年4月19日 | H |
|
2 | - | 1 | vs |
|
ル・アーヴル |
| 第29節 | 2025年4月22日 | A |
|
1 | - | 1 | vs |
|
ナント |
| 第31節 | 2025年4月25日 | H |
|
1 | - | 3 | vs |
|
ニース |
UEFAチャンピオンズリーグ
| 準決勝1stレグ | 2025年4月29日 | A |
|
0 | - | 1 | vs |
|
アーセナル |
リーグ・アン
| 第32節 | 2025年5月3日 | A |
|
2 | - | 1 | vs |
|
ストラスブール |
UEFAチャンピオンズリーグ
| 準決勝2ndレグ | 2025年5月7日 | H |
|
2 | - | 1 | vs |
|
アーセナル |
リーグ・アン
| 第33節 | 2025年5月10日 | A |
|
1 | - | 4 | vs |
|
モンペリエ |
| 第34節 | 2025年5月18日 | H | vs |
|
オセール |

フランス