ピム・ファーベーク Pim VERBEEK

ポジション 監督
国籍 オランダ
生年月日 1956年03月12日(68歳)
利き足
身長
体重
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京都も元指揮官・ファーベーク氏の死去を追悼「驚きと悲しみでいっぱいです」

京都サンガF.C.は29日、63歳で他界したピム・ファーベーク氏を追悼した。 ファーベーク氏は、2003年に京都パープルサンガの監督に就任。しかし、シーズン終盤には事実上の解任となっており、チームはJ2へと降格していた。 京都は、ファーベーク氏の死去を受け「2003シーズン京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)を率いた、ピム・ファーベーク氏の訃報にクラブスタッフ一同、驚きと悲しみでいっぱいです」と声明を発表。「ピム監督は統制された組織的なサッカーを展開され、サッカーに対して誰よりも誠実で、選手やスタッフに対して心配りをしてくださる、とても温かい指導者でした。今はただ、ピム・ファーベーク氏のご冥福をお祈りし、謹んで心より哀悼の意を表します」と哀悼の意を表した。 ファーベーク監督は、大宮アルディージャでも指揮を執り、2002年の日韓ワールドカップでは韓国代表のアシスタントコーチを務めていた。また、その後に韓国代表監督も務め、2010年の南アフリカ・ワールドカップにはオーストラリア代表を率いて出場していた。 2019.11.29 20:05 Fri

大宮、J参入時の監督・ファーベーク氏の死を追悼…J1参入POでは喪章を

大宮アルディージャは29日、かつて指揮を執ったピム・ファーベーク氏(63)の他界を受け、追悼の意を表明した。 ファーベーク氏は、1998年7月に佐々木則夫監督(現大宮アルディージャトータルアドバイザー)の後任として監督に就任。J2参入に向けて戦っていたJFLでチームを率いると、1999年のJ2参入シーズンを指揮。一時は首位争いを繰り広げるも、6位に終わり1年で退任していた。 大宮にとっては、プロ化に向けた一歩を踏み出す礎を築いてくれた指揮官であり、ファーベーク監督が植え付けた組織的なサッカーは現在もチームカラーとして受け継がれている。 大宮の森正志代表取締役は、クラブ公式サイトを通じてファーベーク氏を追悼した。 「ピム・ファーベック氏の突然の訃報に関係者一同、深い悲しみに包まれております。クラブを代表して哀悼の意を表するとともに、安らかにご永眠されますよう、心よりお祈り申し上げます」 「同氏は大宮アルディージャ初の外国籍監督として、1998年7月に就任されました。Jリーグ参入を翌年に控え、プロクラブとしてのチーム作りを進める中、ピッチ内外でプロフェッショナリズムを植え付け、現在に続くクラブの礎を築いてくださいました」 「同氏の思いや考え方は、大宮アルディージャに関わる多くのスタッフ、選手に確実に浸透し、今も引き継がれています。クラブを離れてからも、アカデミーの海外遠征時に現地に駆けつけていただくなど、常に大宮アルディージャを気に掛けてくださいました」 「昨年のクラブ創立20周年記念OBマッチやクラブ創立20周年記念パーティーでも、残念ながら日程調整がかなわなかったものの、来日に向けて最大限に調整してくださったと伺っております。同氏の多大なる功績に、あらためて敬意を表します」 「12月1日(日)、NACK5スタジアム大宮で行われる2019J1参入プレーオフ1回戦では、選手たちが喪章をつけ、キックオフ前には黙祷を行います。ご来場の皆さまにおかれましても、ご理解とご協力の程よろしくお願い申し上げます」 2019.11.29 11:18 Fri

大宮や京都を指揮したピム・ファーベーク氏が63歳で死去…長年ガンと闘う

かつて大宮アルディージャや京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)でも指揮を執り、韓国代表やオーストラリア代表でも指揮を執ったピム・ファーベーク氏が他界した。63歳だった。 ファーベーク氏は、長年にわたりガンを患っており、闘病生活を送りながらも古巣であるスパルタ・ロッテルダムの技術委員会のメンバーとして働いていた。 ファーベーク氏は、NACやローダ、スパルタ・ロッテルダムでプレー。しかし、24歳で度重なるケガの影響により現役引退を余儀なくされていた。その後はトレーナーへの道を歩み、1984年7月にユニタスで監督業をスタート。その後は、デ・フラーフスハップやフェイエノールト、ワゲネンヘン、フローニンヘン、フォルトゥナ・シッタートとオランダのクラブで監督を務めていた。 1998年7月に日本へやってきて大宮の監督に就任。大宮がJ2に参入した初年度に監督を務め1年半という短い期間だったが、オランダ式の組織的なサッカーを植え付け、現在の大宮の礎を築き上げた。その後はオランダ代表のスカウトを務め、フース・ヒディング監督の下で韓国代表のアシスタントマネージャーに就任。日韓ワールドカップでの4位に貢献していた。2003年7月から京都の監督に就任するも、残留争いの中で解任された。 その後も、韓国代表やオーストラリア代表で監督を務め、オーストラリア代表ではアジア予選を初めて戦う監督として就任。2010年の南アフリカ・ワールドカップでも指揮を執った。その後、モロッコの育成年代を指揮し、2016年12月からはオマーン代表の監督に就任するも、今年2月に退任していた。 古巣であり、技術委員を務めていたスパルタ・ロッテルダムもファーベーク氏の死を報告。「スパルタ・ロッテルダムは、家族、友人、知人、そしてスパルタのファミリー全員が、この大きな悲しみを乗り越えるための力になることを願っている」とコメント。週末のヴィレムⅡとの試合では喪章をつけることも発表した。 2019.11.28 22:45 Thu

大宮や京都、韓国代表などを指揮したファーベーク監督が引退…アジアカップではオマーンを指揮

オマーン代表監督を務めていたピム・ファーベーク監督(62)が、オマーン代表監督を退任するとともに、監督業からの引退を発表した。オマーンサッカー協会(OFA)が伝えた。 ファーベーク監督は、現役時代にNACやローダ、スパルタ・ロッテルダムでプレー。引退後は、ドルトレヒトでアシスタントコーチを務め、指導者のキャリアをスタートさせた。 初めて監督に就任したのは、ユニタス・ゴーリンヘム。その後、デ・フラーフスハップやフェイエノールト、フローニンヘンなどで監督を歴任すると、1998年に来日。大宮アルディージャの監督に就任した。 大宮では1年半監督を務めると、2001年からフース・ヒディンク監督の下、韓国代表でアシスタントコーチに就任。2002年の日韓ワールドカップではチームの準決勝進出に導いていた。 2003年7月には京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)の監督に就任。その後、オランダ領アンティルの代表監督に就任。その後、ディック・アドフォカート監督の下で、ボルシアMGのアシスタントコーチに就任すると、2005年10月に再び韓国代表のアシスタントコーチを務めた。 ドイツ・ワールドカップ後に韓国代表監督に昇格。しかし、成績が振るわずに2007年のアジアカップを持って解任。2007年12月にオーストラリア代表監督に就任すると、アジアサッカー連盟(AFC)に加盟したオーストラリアを2010年の南アフリカ・ワールドカップへと導いた。 その後は、モロッコで世代別の代表に携わり、2016年12月にオマーン代表監督に就任。2017年末に行われたガルフカップではチームを優勝に導く手腕を見せていた。 今年のアジアカップでは日本代表と同じグループFに入ったものの、1勝2敗でグループ3位に。ラウンド16に進むも、イラン代表に敗れ、大会を後にしていた。 2019.02.07 16:55 Thu
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