アリ・ダエイ
Ali Daei
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| ポジション | 監督 |
| 国籍 |
イラン
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| 生年月日 | 1969年03月21日(56歳) |
| 利き足 | |
| 身長 | |
| 体重 |
| ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ | 代表 |
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史上初の“A代表通算100得点”から20年…人格者アリ・ダエイ氏「サッカーが人々を結びつける価値ある存在だと実感」
イラン代表のレジェンド、アリ・ダエイ氏が歴史的快挙から20年となった。 90年代のアジアNo.1ストライカー、アリ・ダエイ氏。中東での得点量産からドイツ・ブンデスリーガへ飛び出し、一時はバイエルンにも在籍した点取り屋で、サッカー史上初めて「A代表通算100得点」を樹立した男でもある。 近年では2022年暮れ、イラン国内の反政府デモに連帯し、出国を許可されなかったということが明らかに。少なくとも2023年2月にフランス・パリでのFIFAアウォーズに出席して以降は、その動向が伝わってこなかった。 そんなダエイ氏が17日のFIFA公式サイトに登場。17日はダエイ氏が史上初の「A代表通算100得点(※)」を樹立してからちょうど20年で、これに合わせたインタビューとなった。 (※)2004年11月17日のイラン代表vsラオス代表で樹立。7-0と圧勝したなか、ダエイ氏は4得点を叩き出し、99〜102得点目とした 「祝ってもらえて嬉しいよ。80得点あたりから100まで到達できそうな気がしていたのが懐かしいね。数字が近づくにつれて現実味とともにプレッシャーが増し、それでも頑張れば実現できると最後に知った…良い思い出だ」 「なんといっても、100得点到達はアザディ・スタジアムだったからね。忘れられない瞬間だし、イラン国民全体の勝利だよ。世界中のセレブからも祝福され、私はサッカーが人々を結びつける価値ある存在だと実感した」 その後、「A代表通算100得点」は稀代のスーパースター2人、クリスティアーノ・ロナウドとリオネル・メッシも樹立。今なお現役の両者は、ダエイ氏の通算109得点も超えていった。 ダエイ氏の目に映るCR7、メッシとは。 「C・ロナウド以上の努力家が存在するだろうか。その資質はキャリアを通じて幾度となく証明してきたが、私が彼に望むのは、若い子のロールモデルであり続けてほしいということだ」 「リオネル・メッシは天才かつユニークな存在として人々の記憶に刻まれた。類稀なるビジョンとインテリジェンスを併せ持ち、いつだって彼のプレーを見るのが楽しい。間違いなく、歴史上最高の選手の1人だね」 「彼らは無数の人々にインスピレーションを与え、私はたった3人しかいないグループ(A代表通算100得点)で、2人と並べられることを光栄に思う。努力が報われたと感じるよ」 “歴史的快挙から20年が経ちました” 「時の流れに沿って、いかなる記憶も瞬間も“儚い”ものであると感じるようになってきた。しかし、この誇らしい功績だけは、私を笑顔にしてくれる。私は自らがサッカー史の一部になれたこと、サッカーが私にかけがえのない時間を与えてくれたことに感謝しているよ」 2024.11.19 19:35 Tue2
「勇気に感謝」イラン出身のドイツ議員、反政府デモ連帯のアズムンらに感謝
イラン出身でドイツ連邦議会の議員を務めるオミド・ヌーリプール氏が、いち早く反政府デモへの連帯を示したイランのサッカー選手らへ感謝を述べている。 カタール・ワールドカップ(W杯)に参戦中のイラン代表は、21日のイングランド代表戦直前にスタメン全員が国歌斉唱を拒否するという異例の事態に。これは9月中旬からイラン国内で続く反政府デモへの連帯を示したものとされている。 ドイツ『キッカー』はこの一戦に合わせ、イラン系ドイツ人の連邦議会議員であるヌーリプール氏へのインタビューを実施。国政政党で共同党首も務める同氏は、イラン国内で政権と対峙する市民への支援を呼びかけた。 「ゼップ・ブラッター(元FIFA会長)はイランをW杯から除外するよう求めたが、この措置だけでは諸刃の剣と言える。国際的な圧力を高めるには役立つが、街頭に出て声を上げる人々を何らかの形で支援する方が大切だ」 「国内のサッカーリーグは政府によって中断され、『世界で最も悲しいリーグ』という見出しがSNSで広がった。カップ戦の優勝トロフィーを受け取る選手たちの表情は暗く、とても勝者には見えない」 自身が生まれ育った祖国の混沌とした情勢を嘆いた一方、イランのサッカー界からも少なからず勇気ある声が上がったことにも触れ、レジェンドたちの現在にも触れて感謝の言葉を述べている。 「アリ・カリミ氏は当局にマークされており、かつて彼と犬猿の仲だったアリ・ダエイ氏に至ってはパスポートを奪われ、出国を許可されていない。今では彼ら2人でさえ和解し、力を合わせている」 「サルダール・アズムンは最も明確に意志を表明した選手で、協会は彼をチームから外すよう望んでいた。だが、カルロス・ケイロス監督が辞任を仄めかしたためにW杯へ行くことができた。とはいえ、容易な決断ではなかっただろうし、監督の勇気にも感謝している」 2022.11.22 20:38 Tueアリ・ダエイの移籍履歴
| 移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
| 2007年7月1日 |
サイパ |
引退 |
- |
| 2006年7月1日 |
Saba Battery |
サイパ |
完全移籍 |
| 2004年8月25日 |
Piroozi FC |
Saba Battery |
完全移籍 |
| 2003年7月1日 |
アル・シャバーブ |
Piroozi FC |
完全移籍 |
| 2002年7月1日 |
ヘルタ・ベルリン |
アル・シャバーブ |
完全移籍 |
| 1999年7月1日 |
バイエルン |
ヘルタ・ベルリン |
完全移籍 |
| 1998年7月1日 |
ビーレフェルト |
バイエルン |
完全移籍 |
| 1997年7月1日 |
Al-Sadd |
ビーレフェルト |
完全移籍 |
| 1996年9月5日 |
Piroozi FC |
Al-Sadd |
完全移籍 |
| 1994年5月1日 |
Bank Tejarat |
Piroozi FC |
完全移籍 |
| 1991年5月1日 |
Taxirani Tehran |
Bank Tejarat |
完全移籍 |
| 1989年5月1日 |
|
Taxirani Tehran |
完全移籍 |
アリ・ダエイの監督履歴
| 就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
| 2017年7月1日 | 2019年5月2日 |
サイパ |
監督 |
| 2016年7月11日 | 2017年6月30日 |
ナフト・テヘラン |
監督 |
| 2015年7月16日 | 2016年6月30日 |
Sabaye Qom |
監督 |
| 2013年5月20日 | 2014年9月10日 |
ペルセポリス |
監督 |
| 2011年7月14日 | 2013年5月10日 |
Rah Ahan |
監督 |
| 2009年12月28日 | 2011年6月21日 |
Piroozi FC |
監督 |
| 2008年3月2日 | 2009年3月29日 |
イラン |
監督 |
| 2007年7月1日 | 2008年6月1日 |
サイパ |
監督 |
| 2006年10月5日 | 2007年6月20日 |
サイパ |
選手兼監督 |
アリ・ダエイの代表履歴
| デビュー日 | 引退日 | チーム |
| 1993年6月6日 | 2006年6月21日 |
イラン代表 |

イラン
Saba Battery
Piroozi FC
アル・シャバーブ
ヘルタ・ベルリン
バイエルン
ビーレフェルト
Bank Tejarat
ナフト・テヘラン
ペルセポリス
Rah Ahan
イラン