フィリップ・トルシエ
PHILIPPE TROUSSIER
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| ポジション | 監督 |
| 国籍 |
フランス
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| 生年月日 | 1955年03月21日(70歳) |
| 利き足 | |
| 身長 | |
| 体重 |
| ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
フィリップ・トルシエのニュース一覧
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伊東純也のメンバー外で思い出したこと/六川亨の日本サッカー見聞録
3月14日、14時からの代表メンバー発表ということで、誰もが気になったのが背番号14の去就だろう。結論から先に言うと、森保一監督は「ひとことで言うと、彼を守るために招集しなかったという判断を、私自身がさせていただいた」と切り出した。 スタッド・ランスでは活躍しているため「彼のパフォーマンスと状況を踏まえたうえで招集は可能だと思っているし、招集したいと思っていた」ものの、日本では性加害疑惑で訴えられているため、「招集した場合に日本で彼を取り巻く環境がどういうものになるかと想像したときに、彼が落ち着いて生活できる、落ち着いてプレーできる環境にはならないことを私自身が想像している。彼が一番大切している家族、大切にしている方々への影響を考えたときに招集しない方がいまはいいのかなと思って判断した」と心情を吐露した。 もしも伊東純也が北朝鮮戦のために来日したら、テレビはもちろん新聞、雑誌などあらゆるメディアが空港や練習会場に押し寄せ、伊東のコメントを取ろうと躍起になるはずだ。しかしサッカーで注目されるならともかく、サッカー以外でのコメントは伊東も出しようがないだろう。ここは森保監督の判断を尊重したい。 今回の森保監督の“配慮”で思い出したのが、98年フランスW杯前の岡田武史監督だった。「ジョホールバルの奇跡」で日本を初のW杯へ導いた岡田監督。当時は多くのメディアが岡田監督の自宅に押しかけ、コメントを取ろうと必死になった。いわゆる「岡ちゃんフィーバー(もはや死語か)」である。 見知らぬ自称“友人”がたくさんできて、メディアでコメントを発していた。 残念ながらフランスW杯は3連敗に終わり、中山雅史が1ゴールを決めるのがやっとだった。そして、この時の「岡ちゃんフィーバー」を見たJFAの幹部会は、次の日本代表監督に日本人ではなく外国人監督を招聘することを決断した。 自国開催のW杯で、過去の例からホストカントリーは最低限グループリーグを突破しなければならない(2010年の南アは初のグループリーグ敗退)。しかし、万が一グループリーグで敗退したら、大会前の盛り上がりから一転、監督はサッカーファン・サポーターだけでなく国民からも厳しい批判を受ける可能性が高い。場合によっては日本で二度と監督はできなくなるかもしれない。 そうした危惧を抱きつつ、外国人監督だったらグループリーグで敗退しても自国へ戻れば監督業を続けられるだろう。そうした思惑もあり、Jリーグで監督経験のあるアーセン・ヴェンゲル氏にオファーを出し、彼が紹介してくれたフィリップ・トルシエ監督と契約した。結果はご存知の通りW杯はグループリーグを突破したし、99年のワールドユース(現U-20W杯)では準優勝という好成績を収めた。 その一方で、2014年のブラジルW杯後に日本代表の監督に就任したハビエル・アギーレ氏は、サラゴサ時代に八百長疑惑があったと報道されたことで、翌年2月に「契約解除」という異例のケースで日本を去った。 まだ裁判で有罪か無罪か確定していないにもかかわらず、JFAとしては「八百長」という言葉に敏感に反応したのだろう。いささか潔癖症かもしれないが、外国人監督なら日本を去ってもヨーロッパや中南米で監督業を続けられるだろうという目論見があったとしても不思議ではない。 伊東の場合は戦力として欠かせないし、日本人のため今後もフォローは必要になるが、疑惑が晴れるまで国内の試合に招集するのは森保監督も躊躇うだろう。しかし、今年の秋からは(2次予選を突破したら)最終予選が始まり、北中米W杯は2年後に迫っている。どこかのタイミングで、誰かが伊東の代表復帰を決断しなければ、日本サッカーにとって大きな損失である。 森保監督にその責を担わせるのではなく、ここは宮本恒靖JFA会長が理事会の総意として伊東の代表復帰を後押しして欲しい。 2024.03.15 08:30 Friフィリップ・トルシエの移籍履歴
| 移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
| 1983年7月1日 |
スタッド・ランス |
引退 |
- |
| 1981年7月1日 |
Rouen |
スタッド・ランス |
完全移籍 |
| 1978年7月1日 |
レッドスターFC |
Rouen |
完全移籍 |
| 1978年1月1日 |
AS Angoulême |
レッドスターFC |
完全移籍 |
| 1976年7月1日 |
RC Joinville |
AS Angoulême |
完全移籍 |
| 1975年7月1日 |
AS Choisy-le-Roi |
RC Joinville |
完全移籍 |
| 1974年7月1日 |
|
AS Choisy-le-Roi |
完全移籍 |
フィリップ・トルシエの監督履歴
| 就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
| 2023年3月1日 |
Vietnam U22 |
監督 |
| 2023年3月1日 |
ベトナム |
監督 |
| 2023年3月1日 |
ベトナムU23 |
監督 |
| 2019年9月9日 | 2021年5月31日 |
ベトナムU19 |
監督 |
| 2018年5月9日 | 2021年5月31日 |
PVF F. Acad. |
監督 |
| 2017年3月5日 | 2018年5月9日 |
重慶斯威 |
監督 |
| 2014年12月2日 | 2015年7月2日 |
HZ Greentown |
監督 |
| 2014年7月1日 | 2014年9月28日 |
CS Sfaxien |
監督 |
| 2011年2月23日 | 2013年11月6日 |
SZ Ruby |
監督 |
| 2008年1月1日 | 2010年12月31日 |
琉球 |
監督 |
| 2007年1月1日 | 2007年12月31日 |
FAR Rabat |
監督 |
| 2005年7月23日 | 2005年12月31日 |
U-23モロッコ |
監督 |
| 2004年11月28日 | 2005年6月1日 |
マルセイユ |
監督 |
| 2004年1月1日 | 2004年7月20日 |
カタール |
監督 |
| 2000年9月13日 | 2000年9月30日 |
日本オリンピック代表 |
監督 |
| 1998年7月1日 | 2002年8月1日 |
日本 |
監督 |
| 1998年7月1日 | 1999年6月30日 |
日本 U20 |
監督 |
| 1998年3月1日 | 1998年6月30日 |
南アフリカ |
監督 |
| 1997年9月1日 | 1998年3月1日 |
ブルキナファソ |
監督 |
| 1997年3月1日 | 1997年9月1日 |
ナイジェリア |
監督 |
| 1995年7月1日 | 1997年3月1日 |
FUSラバト |
監督 |
| 1993年7月1日 | 1994年6月30日 |
カイザー・チーフス |
監督 |
| 1992年4月1日 | 1993年6月30日 |
コートジボワール |
監督 |
| 1990年1月1日 | 1992年12月1日 |
ミモザ |
監督 |
| 1989年7月1日 | 1989年10月1日 |
US Créteil |
監督 |
| 1987年7月1日 | 1989年6月30日 |
AS Red Star 93 |
監督 |
| 1984年7月1日 | 1987年6月30日 |
US Alençon |
監督 |
| 1983年7月1日 | 1984年6月30日 |
INF Vichy |
監督 |

フランス
スタッド・ランス
Rouen
レッドスターFC
AS Angoulême
RC Joinville
AS Choisy-le-Roi
ベトナム
ベトナムU23
ベトナムU19
PVF F. Acad.
重慶斯威
HZ Greentown
CS Sfaxien
SZ Ruby
琉球
FAR Rabat
U-23モロッコ
マルセイユ
カタール
日本オリンピック代表
日本
日本 U20
南アフリカ
ブルキナファソ
ナイジェリア
FUSラバト
カイザー・チーフス
コートジボワール
ミモザ
US Créteil
AS Red Star 93
US Alençon
INF Vichy