南雄太
Yuta MINAMI
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ポジション | GK |
国籍 |
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生年月日 | 1979年09月30日(45歳) |
利き足 | |
身長 | 185cm |
体重 | 82kg |
ニュース | 人気記事 | クラブ |
南雄太のニュース一覧
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Jリーグ史に残る珍事! 31歳でJリーグデビュー→GK2人が負傷し急造GKに抜擢、大宮MF栗本広輝が主役に
30年目を迎えたJリーグで、史上初の珍事が起きた。 事件が起きたのは26日に行われた明治安田生命J2リーグ第6節の大宮アルディージャvsファジアーノ岡山の一戦だ。 ここまでの5試合で未勝利の大宮が、好調維持する岡山をホームに迎えた一戦。この試合では、大宮はHonda FCやアメリカのチームを渡り歩き、今シーズン獲得したMF栗本広輝をセンターバックとして先発起用。31歳にしてJリーグデビューを果たすこととなった。 その大宮は13分に矢島慎也のゴールで先制。高い強度とハッキリとしたプレーを見せてリードを保っていく。 しかし40分にアクシデント。相手のシュートを顔面でブロックしたGK南雄太が負傷。残り時間はプレーを続行したが、右目が大きく腫れ上がる状況に。ハーフタイムにはGK上田智輝と交代を余儀なくされていた。 GKが交代するアクシデントに見舞われた大宮だが、その上田も後半早々のピンチを好セーブで防ぎ、チーム一丸となって初勝利を目指して戦っていた。 しかし、波の乗れないチームというのはこうも運がないのか。62分、バックパスを受けた上田が前線へフィード。しかし、軸足にした右ヒザを捻る形となり、キックした直後に悶絶。立ち上がることができない。 すでに南を交代させ、ベンチにいた上田が出ている状況。試合は30分弱残されている中、GKがいない状況に。その状況でGKを務めたのが、この日がJリーグデビューとなった栗本だった。 ベンチに戻り霜田正浩監督や北嶋秀朗コーチと話し合うと、上田の予備のユニフォームに着替える。さらに途中交代していた南からGKグローブを預かり、負傷によりピッチを後にした2人のGKの思いを背負ってゴールマウスに立った。 記念すべきJリーグデビュー戦でまさかの急造GKという想像を遥かに超える事態が舞い込んだが、栗本は安定したプレーを見せると、大宮守備陣も岡山にシュートを打たせず、粘り強く守っていく。 そのまま試合はアディショナルタイムに入り、大宮があと数分で逃げ切れるかと思われた95分、左からのクロスボールのクリアが小さくなると、途中出場のステファン・ムークが右足一閃。ゴール上に突き刺さるスーパーシュートが決まり、粘り続けた大宮守備陣がついに力付き、1-1の引き分けに終わった。 栗本は試合後「いろいろなことが初めてだったので、想定外のことが起きることは予想していたけど、まさかGKまでやるとは思っていなくてビックリしました」と、さすがにGKをやることは想像できなかった様子。ベンチに駆け寄ったのは、どうすべきかの判断を仰ぐためだったようだが、その時点でGKをやるとベンチに思われてしまった様子。それでもよく守っていた。 <span class="paragraph-title">【動画】31歳でJリーグ先発デビュー→急造GKに変身の瞬間</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="SWKX6C1DKCY";var video_start = 156;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2022.03.27 21:37 Sun2
「柏の子供は雄太の背中を見て育つ」名フレーズも生んだ古巣・柏のサポーターを南雄太が語る「特殊なサポーターだけど大好き」
今シーズン限りで現役を引退したGK南雄太が、27日に現役引退会見を行った。 東京ヴェルディの下部組織育ちで、静岡学園高校から柏レイソルでプロ入り。18歳でJリーグデビューを果たすと、その後はロアッソ熊本、横浜FCでプレー。2021年夏に大宮アルディージャへと期限付き移籍し、2022年からは完全移籍に切り替え。今シーズンをもって現役を引退した。 チームはJ3へと降格したが、南は最終節の東京V戦で久々に出場。J1で266試合、J2で400試合に出場し、GKとして歴代最多の666試合出場を果たし、スパイクを脱ぐこととなった。 「ゴールデンエイジ」と呼ばれる世代で、小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)や高原直泰(沖縄SV)、遠藤保仁(ジュビロ磐田)らと同世代。U-20日本代表としては、2度のワールドユース(現:U-20ワールドカップ)に出場し、1999年大会は彼らとともに準優勝も経験した。 その南は柏でプロデビュー。12年間にわたってプレーし、加入当初はGK土肥洋一が正守護神としてプレー。そのポジションを奪うと、最後はGK菅野孝憲(現:北海道コンサドーレ札幌)にポジションを奪われ、熊本へと移籍していた。 プロ入りの18歳から30歳まで過ごした柏。南にとっては柏のサポーターの存在は特別であり、サポーターからは「柏の子供は雄太の背中を見て育つ」という名フレーズも作られ、Tシャツまで完成していた。 南はそのフレーズについて「あのフレーズに関しては、今でも言ってくれる人が結構いまして、素直に凄く嬉しいです」とコメント。また、サポーターの存在についても語り、苦いエピソードもありながら、感謝を口にした。 「柏のサポーターには自分を育ててもらったというか、若い時から出て、忘れもしないんですが、18歳の時に自分の調子があまり良くない時に西野さん(西野朗監督)が使い続けてくれて、その前には土肥さんが試合に出ていて、サポーターから“土肥コール”をされたときは物凄く堪えました」 「そういう厳しさもありながら、降格した時は凄く残って欲しいと言ってくださって、実際に残って1年で昇格した時は凄くサポーターと一緒に戦って乗り越えた気持ちもあります」 「12年いたということもありますし、今でもレイソルのサポーターは凄くメッセージくれたり、応援してくれたり、最終戦もレイソルのユニフォームを着て座ってくれた人も何人もいたり、サッカー選手としての基本となる、一番大事となる土台を作ってくれたのは、レイソルでの12年なので、レイソルのサポーターは凄く変わったというか特殊なサポーターで、あれはあれで大好きだったので、凄く誇れるサポーターです」 プロデビュー、リーグカップ優勝、そしてJ2降格、J1昇格と、多くのことを共に経験してきた南と柏のサポーターの絆は、この先の人生でも繋がったままになるだろう。 2023.11.28 07:45 Tue3
引退会見の南雄太が伝説のオウンゴールを解説「やめようと思ったら入ってた」、サッカー人生を変えたプレーもSNSのない時代に安堵も「バズってやばかったと思う」
今シーズン限りで現役を引退したGK南雄太が、現役引退会見を行った。 東京ヴェルディの下部組織育ちで、静岡学園高校から柏レイソルでプロ入り。18歳でJリーグデビューを果たすと、その後はロアッソ熊本、横浜FCでプレー。2021年夏に大宮アルディージャへと期限付き移籍し、2022年からは完全移籍に切り替え。今シーズンをもって現役を引退した。 チームはJ3へと降格したが、南は最終節の東京V戦で久々に出場。J1で266試合、J2で400試合に出場し、GKとして歴代最多の666試合出場を果たし、スパイクを脱ぐこととなった。 「ゴールデンエイジ」と呼ばれる世代で、小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)や高原直泰(沖縄SV)、遠藤保仁(ジュビロ磐田)らと同世代。U-20日本代表としては、2度のワールドユース(現:U-20ワールドカップ)に出場し、1999年大会は彼らとともに準優勝も経験した。 その南は引退会見で多くを語る中、伝説的なシーンについても言及。それは、2004年5月22日、広島ビッグアーチ(現:エディオンスタジアム広島)で行われたサンフレッチェ広島戦の事件だ。 この試合に先発した南は、キャッチしたボールを味方に投げようとした際、手元を誤り、自陣のゴールに投げ込んでしまうというオウンゴールを記録した。 前代未聞のオウンゴールは大きな騒動となり、今なお語り継がれる伝説的なワンシーンの1つ。当時を振り返り、ワンプレーの大切さを学んだと語り、その後19年続くキャリアに影響を与えたとした。 「最初の2、3年は笑い話にもできなかったですけど、そのワンプレーでこれだけ影響があるんだとか、その怖さというのはあのオウンゴールで知ることができました」 「たった1つのミスで色々なものがこんなにも劇的に変化するんだということを感じました」 「だからこそ、自分は決してサイズがあるわけでもないし、能力が高いわけではないので、ずっとコンプレックスでしたけど、安定感とか、そういう部分で勝負していくしかないなと、歳を追うごとに感じていました」 「その中で1つのミスにこだわる、練習の中から1つのミスで色々なものを失うことを経験できたので、間違いなく自分のサッカー人生のその後に生きました」 「このオウンゴールで今頃になって仕事の案件で来たりとか、そういうのは、やっちゃいけないんですが、自分でも驚いています(笑)」 また、このオウンゴールについて自ら解説。「今でもハッキリ覚えている」と語り、あのスローに行った経緯を語った。 「こっち側(右側)に中澤聡太が居て、僕は転がそうと思ったら、聡太が『あっちフリー』って言って、(左側を)見たら近藤(直也)がフリーだと思って。投げようと思った瞬間にサンフレッチェの選手がスタート切ってダッシュしてきて、やめようと思ったらゴールに入ってました」 「半分ぐらい聡太のせいです(笑)」 中澤聡太のコーチングに従おうとした結果、ミスに繋がってえしまったと冗談まじりにも語った南。当時はSNSなどがなかったこともあり、この動画が拡散されることはなかったが、現代サッカーでやっていたら信じられない騒ぎになっていたはずだ。 南は「(SNSがなくて良かったと)心から思っています。バズってやばかったと思います。著作権を持ってれば、逆に凄くアレだったなと思いますけど・・」とコメント。「あってはいけないことなのでね。記憶に残るとか、覚えてくれる1つとしてはありがたかったですが…試合終わった後のレイソルのサポーターにバスを囲まれた時のことは今でも忘れないぐらい凄かったです。窓越しにめちゃくちゃ何か言ってました。めっちゃ怖かったです」とコメント。当時のシーンを思い起こしていた。 2023.11.27 18:27 Mon4
42歳でアキレス腱断裂からの復帰…来季もプレーしようと考えた南雄太が引退を決めた出来事「ショックでもあり、大きな出来事」「初めて辞めようかなと」
今シーズン限りで現役を引退したGK南雄太が、27日に現役引退会見を行った。 東京ヴェルディの下部組織育ちで、静岡学園高校から柏レイソルでプロ入り。18歳でJリーグデビューを果たすと、その後はロアッソ熊本、横浜FCでプレー。2021年夏に大宮アルディージャへと期限付き移籍し、2022年からは完全移籍に切り替え。今シーズンをもって現役を引退した。 チームはJ3へと降格したが、南は最終節の東京V戦で久々に出場。J1で266試合、J2で400試合に出場し、GKとして歴代最多の666試合出場を果たし、スパイクを脱ぐこととなった。 「ゴールデンエイジ」と呼ばれる世代で、小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)や高原直泰(沖縄SV)、遠藤保仁(ジュビロ磐田)らと同世代。U-20日本代表としては、2度のワールドユース(現:U-20ワールドカップ)に出場し、1999年大会は彼らとともに準優勝も経験した。 南は引退を決めた経緯についてコメント。来シーズンもプレーする気があったものの、今シーズン途中の出来事がキッカケとなり、その中で引退に気持ちが向いていったとした。 「去年アキレス腱を切って、今年1月に全体練習合流してキャンプからやらせてもらいました。アキレス腱を切った選手とか、色々な選手が連絡してくれる中で、復帰してから1年は自分のイメージと一致するまで時間がかかると言われていました」 「その中で最初の半年間はサッカーをやっていることがストレスで、イメージと身体が一致して来ないとか、切った右足のジャンプは7、8割しか自分の中で戻っている感覚がないです。その中で最初の半年は、リハビリ以上にサッカーやっている時の方がストレスというか、上手くいかないことにイライラしたりが凄く続いていました」 「夏以降にちょっと良くなってきたというか、色々な感覚が戻ってきている、ケガする前に少しずつだけど近づいているというのがありました。夏にクラブで面談した時に、『一応来季やらせていただけるならやりたいです』と原さん(原博実フットボール本部長)には話させてもらいました」 「35歳ぐらい、横浜FCに移籍したぐらいの時に、引退というのは年齢的にも常に隣り合わせで、自分の中でゲームに絡めないとか、自分でもピッチに立ってレベル、試合の水準に自分があるかとか、チームを勝たせられるプレーができるかどうかとかに凄くこだわっていました。できなくなった時は潔く辞めようとルールを決めていました」 「9月24日の徳島戦の前に、自分がベンチで笠原(昂史)選手が出ていたんですが、彼がインフルエンザになって今週は出られないということが週明けに決まっている中で、自分自身チャンスが来たかなと思っていたんですが、週中に監督に呼ばれて、『今回は志村(滉)で行きたい』と言われまして、それは結構ショックでもありましたし、大きな出来事でした」 「監督やコーチに不満があるとかその時は沸かなくて、そこにチョイスされない自分自身は何かが足りていない証拠ですし、それはショッキングな出来事でした。夏以降、自分の中で少しずつ良くなっているという実感があることと、周りの評価のギャップを凄く感じまして、自分自身が良いと思っていたものが周りに評価されていないということが大きかったです」 「自己評価は時に自分に甘くなってしまうこともありますし、自分自身が定めている水準、レベルが下がってきている証拠だなと凄く感じて、26年サッカー選手をやってきて、初めてサッカー選手を辞めようかなとふと思ったのがその時です」 「ただ、一時的な感情なのかなとか自分の中で思いましたし、10月2日か3日にずっと柏と熊本でやってきた北嶋秀朗と、去年まで大宮のGKコーチをやっていた松本拓也、彼は同級生なんですが、自分が一番やってきた中で一番信頼しているGKコーチでプライベートでも仲が良いということで、2人にお願いして食事の場を設けてもらって、そこで今自分が思っていることを話しました」 「自分自身でも、自分がその時どう思うかなとか、話したことでもう一回サッカーをやろうと思えるならと思いも少しありながら彼らと食事をして、『引退しようかなと思っているんだけど…』という話をしました。もちろん2人は引き止めてくれたし、絶対やった方が良いと言われましたが、それを話してスッキリしてしまったというか、辞めようかな。もう1回やろうという感情が止めてくれたのに生まれて来なくて、これはもう潮時かなと思って10月5日に奥さんに辞めるという話をして決断をしました」 奥さんや子供たちの反応は驚くほどなかったと明かした南。「家族はある程度の覚悟があったのでは」とコメントしていた。 その南がキャリアを通じて最も影響を受けたのは、柏時代の同僚であり今も現役でプレーしている北海道コンサドーレ札幌のGK菅野孝憲だという。 「影響を与えたのは自分では良く分からないですが、18歳からずっと試合に出させてもらっていて、自分自身大きく勘違いしていた時期もありましたし、自分に対してよく分かっていない時期もありましたけど、柏の時はそういう時期がずっと続いていました」 「今札幌の菅野(孝憲)がちょうど入ってきて、満了になるまでの2年間彼とやって、ポジションを取られて結局自分が出ていく形になったんですけど、最初はやっぱりなかなか受け入れられなくて、自分と菅野のプレースタイルが違うとか、監督の好みもあるだろうと思っていたんですが、やる監督やる監督みんな菅野を使うし、そこで初めて自分自身に矢印が向いたというか、俺が何か足りないんだなと思えて、そこから自分は凄く人の話を聞くようになりましたし、もっと上手くなりたいと純粋に思えた時はとの時でした」 「彼との出会いというのは、自分のサッカー人生を引き伸ばしてくれたと思いますし、多大なる影響を与えてくれたのは菅野なので。彼はまだ現役で600試合達成したというのを見ました。彼がいたから今の自分があると思いますし、凄く感謝していますし、僕の666試合はぜひ菅野に抜いてもらいたいと思います」 後輩に自身の記録を抜いて欲しいと語った南。キャリアで最も印象に残っている試合は、横浜FC時代にJ1昇格を決めた試合だと明かした。 「40歳の時にJ1に昇格した試合というのは自分の中で凄く印象に残っています」 「柏を満了になったのが30歳で、そこから10年かかって、J1でもう1回やるというのは自分の中でモチベーションになっていましたし、それは時間が経つことになかなか難しいかなとも思い始めていました」 「さらに前年度プレーオフでロスタイムに失点してヴェルディに負けてというのがあって、その時にもうこんなチャンスないなと感じていたので、1年後にそういう状況に巡り会えて、長くサッカーを続けて来て良かったなと思いました」 26年という長いキャリアを送った南。様々な試練を乗り越えてきた中で積み上げた666試合の記録は願い通り菅野が抜くのか。今後のキャリアは「色んなことに興味がある」と今は決めていないという。 2023.11.27 22:05 Mon5
「大輔のゴールに絡めて良かった」2点演出のカズ、引退試合の主役・松井大輔との思い出は「一緒に寮で暮らしていた」
アトレチコ鈴鹿の元日本代表FW三浦知良が、MF松井大輔との思い出を振り返った。 三浦は15日、ニッパツ三ツ沢球技場で行われた『松井大輔引退試合-Le dernier dribble-~STARSEEDS SPECIAL MATCH~』に参加。「MATSUI FRIENDS」の一員として先発し、自らのシュートで松井の先制点を演出。18分にもゴール前でのキープが主役の2点目に繋がった。 「大輔のゴールに絡めて良かったです」とゴール関与について語った三浦は、後輩の引退試合への思いにも言及。 「特別な準備はないですけど、楽しく、大輔をちゃんと送り出せたら良いかなと思って。20分間という出場でしたけど、最後20分間、大輔と一緒のピッチに立てて良かったなと思いました。立ちたいなと思っていたので、それが実現して良かったです」 横浜FCでもチームメイトだった三浦だが、後輩がプロデビューした京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)時代を回想。元韓国代表MFパク・チソンにも触れつつ、当時を懐かしんだ。 「大輔が1年目の2000年は一緒に寮で暮らしていたことがすごく懐かしいです。その時は面倒も見ましたし、パク・チソンもいました。豪華なメンバーで。サッカーはもちろんですけど、生活も含めて常に一緒にいました。やっぱり鮮明に覚えていますね」 一方、21日には元日本代表GK南雄太の引退試合にも参加する三浦。「これからまた大阪の方に戻らなければいけない」「20日までやって、21日のイベントに出ます」と、忙しい合間を縫っても仲間の晴れ舞台に駆けつける、さすがの心遣いを見せている。 <span class="paragraph-title">【動画】カズの左足シュートから松井大輔の先制点!</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet" data-media-max-width="560"><p lang="ja" dir="ltr">[速報] <a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%AB%E3%82%BA?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#キングカズ</a> から <a href="https://twitter.com/hashtag/%E6%9D%BE%E4%BA%95%E5%A4%A7%E8%BC%94?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#松井大輔</a> で先制!<br><br>/<br>キングカズが打ったシュートのこぼれ球に<br>松井大輔が反応し主役が先制点を決める!<br>\<a href="https://twitter.com/hashtag/%E6%9D%BE%E4%BA%95%E5%A4%A7%E8%BC%94%E5%BC%95%E9%80%80%E8%A9%A6%E5%90%88?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#松井大輔引退試合</a><br>-Le dernier dribble-<br>~STARSEEDS SPECIAL MATCH~<br> <a href="https://t.co/9ioJ3RDzDV">https://t.co/9ioJ3RDzDV</a><a href="https://twitter.com/yokohama_fc?ref_src=twsrc%5Etfw">@yokohama_fc</a> <a href="https://twitter.com/matsui_ld_1215?ref_src=twsrc%5Etfw">@matsui_ld_1215</a><a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E7%A5%AD%E3%82%8A?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#アベマサッカー祭り</a></p>— アベマサッカー (@ABEMA_soccer) <a href="https://twitter.com/ABEMA_soccer/status/1868167071118590188?ref_src=twsrc%5Etfw">December 15, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.12.15 22:56 Sun南雄太の移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2024年2月1日 |
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- |
2022年2月1日 |
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完全移籍 |
2022年1月31日 |
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期限付き移籍終了 |
2021年7月25日 |
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期限付き移籍 |
2014年2月1日 |
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完全移籍 |
2010年2月1日 |
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完全移籍 |
1998年2月1日 |
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完全移籍 |