アーセン・ヴェンゲル

Arsene WENGER
ポジション 監督
国籍 フランス
生年月日 1949年10月22日(75歳)
利き足
身長
体重
ニュース 人気記事 監督データ

アーセン・ヴェンゲルのニュース一覧

▽今後の去就に注目が集まるフランス人名将のアーセン・ヴェンゲル氏(68)。複数の新天地候補が取り沙汰されてきたが、ここに新たにミランが加わった。 ▽ミランは、21日に行われたセリエA第9節のインテル戦に続き、26日に行われたヨーロッパリーグのベティス戦も敗れて公式戦2連敗。これにより、ガットゥーゾ監督の進退はより 2018.10.26 22:10 Fri
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▽アーセナルに所属するドイツ代表MFメスト・エジルが、かつての恩師であるアーセン・ヴェンゲル氏について語った。 ▽ヴェンゲル氏はナンシーやモナコ、名古屋グランパスでの指揮を経て、1996年3月にアーセナルの監督に就任。その後、約22年間にわたる長期政権を築城し、2003-04シーズンの無敗優勝を含む3度のプレミア 2018.10.26 09:55 Fri
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◆アーセン・ヴェンゲル 【Profile】 国籍:フランス 誕生日:1949年10月22日 クラブ:アーセナル、名古屋グランパスなど 役職:監督 身長:191㎝ ▽『今日の誕生日は誰だ!』 10月22日は、元アーセナル指揮官のアーセン・ヴェンゲル氏だ。 ▽選手としてのヴェンゲル氏は、16歳の頃に 2018.10.22 07:00 Mon
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▽フランス人名将のアーセン・ヴェンゲル氏(68)がJリーグ復帰を含めた来年1月の監督業再開を明言した。イギリス『FourFourTwo』が報じた。 ▽ヴェンゲル氏は、1995年〜1996年10月まで名古屋グランパスエイト(現・名古屋グランパス)を率い、その後にアーセナルの監督として約22年間にわたる長期政権を築城 2018.10.19 11:30 Fri
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▽2017-18シーズンまでアーセナルで指揮を執っていたアーセン・ヴェンゲル氏が、去就が騒がれているウェールズ代表MFアーロン・ラムジー(27)について語った。イギリス『FourFourTwo』が報じた。 ▽ラムジーは、2018-19シーズン終了後にアーセナルとの契約が満了を迎える。契約延長に向けて両者が話し合い 2018.10.14 15:00 Sun
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オフサイドのルールを大幅変更? ヴェンゲル氏が提案した「体の一部」から「全部」に変更をIFABが検討か…誤審被害も大幅に減少か

サッカー界に大きな革命が起こる可能性があるようだ。 サッカーのルールなどを制定する組織である国際サッカー評議会(IFAB)。これまでも様々なルールの変更や、その解釈の変更などを行ってきている。 VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)をはじめ、テクノロジーの導入も進んでいるサッカー界。ただ、あくまでも補助的な役割でもあり、権限は主審が握っている状況。一方で、明確な間違いには介入できるはずのVARが人的ミスを起こすことも世界中で頻繁に起きており、テクノロジーを導入したが故にミスが許されず、大きな批判の対象にもなっている。 多くの誤審が防がれる一方で、未だに問題が残っているのがオフサイド。VARが介入してもミスが続くなどしている。 そんな中、IFABがオフサイドの解釈を変更する可能性があるとスペイン『マルカ』が報道。かつてアーセナルを指揮し、現在は国際サッカー連盟(FIFA)の国際サッカー発展部門の責任者を務めているアーセン・ヴェンゲル氏の提案を支持する可能性があるという。 オフサイドのルールは明白。IFABの定義では「頭、体、足のいずれかの部分が、ボールと最後尾から2番目の相手選手の両方よりも相手ゴールラインに近い」場合は、オフサイドと判定されるという。 このルールは数十年変更されておらず、たまに生まれる勘違いがは、「手や腕」はオフサイドに関係ないものの、これをオフサイドと主張するもの。「脇よりも先」はプレーできる場所ではないため、オフサイドにはならない。 一方で、オフサイドになるのは「脇の下」が最後であり、このラインをVARではチェックすることが多くなる。 ただ、それを見極めることはなかなか難しいもの。そこでヴェンゲル氏が提案したのは、「選手の体全てが最後のDFを超えた場合」をオフサイドとするというものだ。 つまり、現行ルールの体の一部が「わずかにオフサイドラインを越える」という曖昧なものをやめ、「完全に越えたかどうか」がポイントになるとのこと。肉眼でも判別しやすいものであり、焦点となりそうなのは、踵が残るかどうかというところだろう。 オフサイドが試合結果に影響することは多く、特にタイトル争いや残留争いをするチームにとってはシビアな問題に。「あの勝ち点があれば」と、誤審の被害に遭ったチームの関係者はストレスを溜めることになるが、誤審も大幅に減ると期待されている。 報道によれば、2024-25シーズンにも導入する可能性があるとのこと。このルールに変更されれば、頭に思い浮かぶオフサイドの誤審はほとんどなくなるはずだ。 また、ディフェンスラインとの駆け引きが巧みな選手やスピードを武器とするストライカーはゴール量産が期待できる可能性も。ディフェンダーにとっては難しさが増しそうだが、選手や監督、審判、ファンなど多くの人にとってはプラスに働きそうだが、どうなるだろうか。 <span class="paragraph-title">【写真】変更される可能性のある新旧オフサイドルールの差</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr"> <a href="https://t.co/A7351jnMP7">pic.twitter.com/A7351jnMP7</a></p>&mdash; 433 (@433) <a href="https://twitter.com/433/status/1675597068839124994?ref_src=twsrc%5Etfw">July 2, 2023</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2023.11.19 22:11 Sun
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ウェールズの至宝、アーロン・ラムジー【ピックアップ・プレイヤー】

サッカーでは、GK、DF、MF、FWとそれぞれ役割の全く異なるポジションで、それぞれにスター選手がいる。今回の企画『Pick Up Player』では、現役を問わず各クラブを代表する選手たちをプレー動画付きで紹介していく。 今回はユベントスのウェールズ代表MFアーロン・ラムジー(29)だ。 <div id="cws_ad">◆ラムジー、ユベントスでの好プレー集<br /><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJ6ZXdnenl3dyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> 母国ウェールズのカーディフ・シティでキャリアをスタートさせたラムジーは、2006-07シーズンに当時クラブ史上最年少となる16歳と124日という若さでトップチームデビューを果たした。 そして、2008年にアーセナルに完全移籍。その理由を「アーセナルなら若手が多くの出場機会を与えてもらえるから」と語っている。デビュー戦は同年8月13日のチャンピオンズリーグ予選のトゥベンテ戦。1カ月後の9月13日にはブラックバーン戦でプレミアリーグデビューも果たした。当時、元アーセナル指揮官のアーセン・ヴェンゲル氏は「彼の才能に疑いの余地はない。将来的にキャプテンに据えたいと考えている」と、その活躍ぶりを絶賛していた。 しかし、2010年2月には右足の腓骨と頸骨の骨折という大怪我に見舞われる。約10カ月のリハビリを経て、徐々に本来のパフォーマンスを取り戻していくと、2013-14シーズン頃から完全復活。より逞しくなった姿を見せた。 ラムジーのプレースタイルはボックス・トゥ・ボックス。足元の技術が高く運動量も豊富だ。自身が「お手本としている」と認める、同胞のレジェンド、ライアン・ギグスとは少し異なるが、ギグス以来の逸材としてウェールズでは常に期待の目が向けられている。 そのギグスとも共演したウェールズ代表では、2008年10月のデンマーク戦がデビュー戦となった。2012年のロンドン・オリンピックの際にはイギリス代表としてもプレーした経験がある。ちなみに、イギリス代表のオーバーエイジ枠にはギグスも選出されていた。 アーセナル在籍11シーズンで公式戦361試合に出場し62ゴール64アシストを記録するなど、3度のFAカップ制覇に加え、3度のコミュニティ・シールド獲得に貢献したラムジーだったが、クラブとの契約延長交渉がまとまらず、2019年の夏にフリーでイタリア王者ユベントスへ加入。層の厚い中盤でポジション争いに励み、度重なる故障に苦労したが、最終的に公式戦35試合4得点1アシストの数字を収め、チームのセリエA9連覇に貢献し、自身初のリーグ優勝を経験している。 2020.09.15 11:00 Tue
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アーセナルのみが経験、ヴェンゲル監督やアンリらがバッキンガム宮殿に招待されエリザベス女王と対面

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ミラン再建に尽力のガジディスCEOが来月退任…「クラブを去るが、クラブは決して私を離れない…」

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アーセン・ヴェンゲルの監督履歴

就任日 退任日 チーム 種類
2019年11月13日 FIFA -
1996年10月1日 2018年6月30日 アーセナル 監督
1995年2月1日 1996年9月30日 名古屋 監督
1987年7月1日 1994年9月17日 モナコ 監督
1984年7月1日 1987年6月30日 ナンシー 監督
1983年7月1日 1984年6月30日 Cannes アシスタントコーチ
1981年7月1日 1982年6月30日 Strasbourg U19 監督