ロベルト
ROBERTO
|
|
| ポジション | GK |
| 国籍 |
ポルトガル
|
| 生年月日 | 1982年05月01日(43歳) |
| 利き足 | 右 |
| 身長 | 180cm |
| 体重 | 80kg |
| ニュース | 人気記事 |
ロベルトのニュース一覧
ロベルトの人気記事ランキング
1
精度・威力・変化、全てが揃ったロベルト・カルロス氏の絶品FK【ビューティフル・フリーキック】
サッカーにおいて、試合を決める大きな要素の一つであるフリーキック(FK)。流れの中ではなく、止まった状態から繰り出されるキックがそのままゴールネットを揺らせば、盛り上がりは一気に最高潮へと達する。 この企画『Beautiful Free Kicks』(美しいフリーキック)では、これまでに生まれたFKの数々を紹介していく。 今回は、元ブラジル代表DFロベルト・カルロス氏がレアル・マドリー時代に決めたフリーキックだ。 <div id="cws_ad">◆精度・威力・変化、全てが揃ったロベルト・カルロス氏の絶品FK <br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiIwNWwwZEFkaiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> 1996年夏にレアル・マドリーへ移籍したロベルト・カルロス氏。超攻撃的なSBとして積極的な攻撃参加を見せた他、“悪魔の左足”と称される左足から放たれる破壊的な威力のFKで、セットプレーの度に相手チームの脅威となっていた。 2001年4月14日に行われたラ・リーガ第30節のビジャレアル戦では、威力だけでなくコントロールも抜群の直接FKを沈めている。 2-0で迎えた53分、マドリーはバイタルエリア左でFKを獲得する。ゴールまでは少し距離があったものの、ロベルト・カルロスが思い切りの良い助走から左足を振り抜くと、スピードのあるシュートは弧を描き、相手GKの手を弾きながらネットを揺らした。 “悪魔の左足”が威力だけではないことを証明するFKを沈めたロベルト・カルロス氏。2000-01シーズンは公式戦52試合に出場し10ゴール13アシストと、FW顔負けの数字を残している。 2020.09.20 09:00 Sun2
元神戸のダビド・ビジャ氏がインドのオディシャFCのアドバイザーに就任!
2019シーズンにヴィッセル神戸で現役を引退した元スペイン代表FWのダビド・ビジャ氏(39)が、インディアン・スーパーリーグに所属するオディシャFCのグローバル・フットボール・アドバイザーに就任した。6日、オディシャが公式サイトを通じて発表した。 クラブの発表によると、ビジャ氏はクラブのフットボール委員会に参加すると共に、グローバル・フットボール・アドバイザーとして20年に渡るプロフットボーラーとしての経験をクラブに還元していくことが期待されているという。 今回、オディシャのプロジェクトに参画することになった元神戸FWは、新天地での意気込みを口にしている。 「自分の経験を生かしてみたいと思う。もちろん、私はインドでプレーしたわけではないが、プロとして20年間フットボールをしてきたし、その前はアカデミーでプレーしていた。そして、このチームが関わっているすべてのプロジェクトにおいて、私が持っているフットボールに関する経験をすべて提供しようと思っている」 ビジャ氏は、スポルティング・ヒホンの下部組織で育ち、2001年7月にトップチームへ昇格。その後、レアル・サラゴサ、バレンシアへとステップアップを果たし、2010年7月にはバルセロナへ完全移籍。同クラブでは在籍期間に公式戦119試合に出場し48ゴール24アシストを記録。ラ・リーガでは2010-11、2012-13シーズンの2回、コパ・デル・レイでは2011-12シーズン、チャンピオンズリーグでは2010-11シーズンで優勝を経験していた。 その後、2013年7月に移籍したアトレティコ・マドリーでも2013-14シーズンのラ・リーガ制覇に貢献。アトレティコ退団後はスペインを離れ、MLS(メジャーリーグ・サッカー)のニューヨーク・シティFC、オーストリアのメルボルン・シティでプレー。2019年1月に加入した神戸ではJ1リーグで28試合に出場し13ゴールを挙げていた。 また、スペイン代表では2005年2月からプレーし、通算98試合に出場し63ゴールを記録。ワールドカップには2006年のドイツ大会、2010年の南アフリカ大会、2014年のブラジル大会に出場。ユーロも2008年大会に出場。ワールドカップで1度、ユーロで1度優勝を経験し、2008年のユーロ、2010年のワールドカップでは得点王に輝いていた。 一方、デリーに本拠地を置いたデリー・ディナモスFCを前身とするオディシャは、2019年にオリッサ州のブバネーシュワルへ移転した際に現名称へ変更。 デリー時代にはロベルト・カルロス氏やジャンルカ・ザンブロッタ氏が監督を務め、過去にはアレッサンドロ・デル・ピエロ氏もプレーヤーとして在籍していた。 2021.05.07 06:30 Fri3
バイエルン、ニコ・コバチ監督との契約を解消!
バイエルン・ミュンヘンは3日、ニコ・コバチ監督(48)との契約を双方合意の下で解消したことを発表した。 なお、後任人事が決定するまではアシスタントコーチを務めるハンス=ディーター・フリック氏(54)が暫定指揮官を務めることになり、6日に行われるチャンピオンズリーグ(CL)のグループステージ第4節のオリンピアコス戦は暫定体制で臨むことになる。 クラブの発表によると、今回の決定に関してはコバチ監督とウリ・ヘーネス会長を始め、カール=ハインツ・ルンメニゲCEO、ハサン・サリハミジッチSDの4者の合意に基づくものだという。 そして、バイエルンの公式サイトではヘーネス会長を除く3人の以下のようなコメントを伝えている。 ◆カール=ハインツ・ルンメニゲCEO 「ここ数週間のチームのパフォーマンスと結果は、何らかの行動を起こさなければならないことを示していた。日曜日にはヘーネス、サリハミジッチと共にオープンな状況の中でニコと真剣な話し合いを行い、ニコがバイエルンの監督の座から降りるという結論に達した。我々は今回の決断を残念に思うが、FCバイエルンの代表としてニコ・コバチのこれまでの仕事に感謝を示したい。とりわけ、昨シーズンは国内2冠を達成してくれた」 ◆ハサン・サリハミジッチSD 「現在、我々のプレーヤーたちの前向きな発展、、今シーズンの我々の目標を達成する絶対的なモチベーションを期待している」 ◆ニコ・コバチ監督 「現時点ではこれがクラブにとって正しい決断だと思う。ここ数週間の結果、我々の直近の試合(フランクフルト戦)でのパフォーマンスを考慮して今回の結論に至った。弟のロベルトと共にFCバイエルンで過ごしたこの1年半に感謝したい。この間に我々はチャンピオンシップ、DFBポカール、DFLスーパーカップを優勝することができた。それはとても良い時間だったし、クラブとチームの今後の成功を心から祈っている」 クロアチア代表監督、フランクフルトの監督の指揮官を経て昨夏、現役時代を過ごしたバイエルンに指揮官として復帰を果たしたコバチ監督。就任1に年目となった昨シーズンはブンデスリーガ、DFBポカールの国内2冠を達成。 しかし、昨シーズンから一部主力選手との確執、ビッグクラブに相応しくないプレースタイルなどに批判の声が挙がっていた。さらに、今シーズンはCLのグループステージで3連勝を飾っている一方、ブンデスリーガではここまで5勝3分け2敗の4位と低迷。2日に行われたブンデスリーガ第10節のフランクフルト戦では1-5という屈辱的な大敗を喫していた。 2019.11.04 05:36 Mon4
“ファンタジスタ”の象徴バッジョが相手GK無力化の完璧FK【ビューティフル・フリーキック】
サッカーにおいて、試合を決める大きな要素の一つであるフリーキック(FK)。流れの中ではなく、止まった状態から繰り出されるキックがそのままゴールネットを揺らせば、盛り上がりは一気に最高潮へと達する。 この企画『Beautiful Free Kicks』(美しいフリーキック)では、これまでに生まれたFKの数々を紹介していく。 今回は元イタリア代表FWロベルト・バッジョ氏がユベントス時代に決めたフリーキックだ。 <div id="cws_ad">◆バッジョが相手GK無力化の完璧FK <br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJjM0JZY0hDZSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> 1981年にセリエC1のヴィチェンツァで15歳にしてプロデビューしたバッジョ氏は、1985年にフィオレンティーナへと移籍。ケガに悩まされながらも結果を残すと、1990年に当時最高額の150億リラ(約16億5000万円)でユベントスへと移籍した。 ユベントスではキャリアの絶頂期を過ごし、1992-93シーズンはユベントスをUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)優勝に導くと、FIFA最優秀選手賞とバロンドールを同時受賞した。そして、ユベントスをリーグ優勝に導いた1994-95シーズンのUEFAカップ準決勝、1995年4月19日に行われたドルトムントとの2ndレグでは見事なFKを決めている。 1-1で迎えた31分、ユベントスはゴールのほぼ正面の位置でFKのチャンスを獲得すると、キッカーのバッジョが長めの助走から右足を一閃。スピードを保ったまま、ゴール左上へと吸い込まれる絶妙なFKに相手GKも成す術はなかった。 その後は、ミラン、ボローニャ、インテル、ブレシアとイタリアのクラブを渡り歩いたバッジョ氏。「偉大なるポニーテール」と称され、今なお“ファンタジスタ”の象徴的な存在となっている。 2020.07.29 11:00 Wed5

ポルトガル