ロイ・ホジソン

Roy HODGSON
ポジション 監督
国籍 イングランド
生年月日 1947年08月09日(78歳)
利き足
身長
体重
ニュース 人気記事 クラブ 監督データ

ロイ・ホジソンのニュース一覧

クリスタル・パレスのロイ・ホジソン監督は、マンチェスター・シティに所属するイングランド代表MFカルヴァン・フィリップス(28)の加入の噂を歓迎した。イギリス『デイリー・メール』が伝えている。 フィリップスは2022年7月にリーズ・ユナイテッドからシティへ加入。即戦力として大きな期待が寄せられていたが、ケガやコンデ 2024.01.17 13:05 Wed
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クリスタル・パレスのU-21フランス代表MFマイケル・オリーズが、ハムストリングの負傷でしばしの離脱を強いられる見込みだ。イギリス『BBC』が伝えている。 オリーズは先月30日に行われたプレミアリーグ第20節のブレントフォード戦でチームを3-1の勝利に導く2ゴールを挙げる活躍を見せた。しかし、試合終了間際の守備対 2024.01.04 08:04 Thu
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クリスタル・パレスのロイ・ホジソン監督が、マンチェスター・シティ戦を振り返った。クラブ公式サイトが伝えた。 16日、プレミアリーグ第17節でクリスタル・パレスはシティとアウェイで対戦した。 3連覇中の王者に立ち向かうクリスタル・パレス。ケガ人も抱える中で厳しい試合になることが予想された。 その予想通り 2023.12.17 12:10 Sun
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クリスタル・パレスのロイ・ホジソン監督に対するスタンドからの投擲物に関して警察が捜査に乗り出しているようだ。イギリス『スカイ・スポーツ』が報じている。 クリスタル・パレスは6日、セルハースト・パークで行われたプレミアリーグ第15節でボーンマスと対戦し、0-2で敗戦した。 同試合後、ホームでの敗戦に憤るホーム 2023.12.08 00:38 Fri
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クリスタル・パレスのロイ・ホジソン監督(76)が年内に退任する可能性もあるという。 70代後半を迎えても衰えることのないフットボールへの情熱。昨シーズン途中、チャンピオンシップ(イングランド2部)降格の危機に瀕していたC・パレスに監督業引退を撤回して再登板したホジソン監督。ホジソン・イーグルスは今季もプレミアリー 2023.12.07 17:03 Thu
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クリスタル・パレスのニュース一覧

アーセナルのミケル・アルテタ監督が、クリスタル・パレス戦に向けて意気込みを語った。クラブ公式サイトが伝えた。 23日、アーセナルはプレミアリーグ第34節でクリスタル・パレスと対戦する。 本来は週末に予定されていた試合だったが、FAカップの準決勝にクリスタル・パレスが勝ち上がったことで、試合が前倒しで開催され 2025.04.23 14:45 Wed
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クリスタル・パレスは18日、コロンビア代表DFダニエル・ムニョス(28)との契約延長を発表した。新契約は2028年夏までとなる。 ダニエル・ムニョスは、2024年1月にヘンクから完全移籍で加入。ここまで公式戦54試合で6ゴール10アシストを記録している。 右サイドハーフをメインに、今シーズンもプレミアリーグ 2025.04.18 22:20 Fri
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プレミアリーグ第29節延期分、ニューカッスルvsクリスタル・パレスが16日にセント・ジェームズ・パークで行われ、ホームのニューカッスルが5-0で圧勝した。なお、パレスのMF鎌田大地は57分から途中出場した。 前節、マンチェスター・ユナイテッドに4-1で圧勝し、公式戦5連勝で4位に浮上したニューカッスル。悲願の初優 2025.04.17 05:32 Thu
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クリスタル・パレスは15日、MFウィル・ヒューズ(29)との契約延長を発表した。新契約は2027年夏までとなる。 ヒューズはダービー・カウンティの下部組織育ちで、2012年7月にファーストチームに昇格。2017年7月にワトフォードに完全移籍すると、2021年8月からクリスタル・パレスでプレーしている。 ボラ 2025.04.15 23:35 Tue
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2024-25シーズンの2度の移籍期間で最も代理人手数料を支払ったクラブが判明した。その金額は6038万4449ポンド(約114億2000万円)とのことだ。 シーズンも佳境に迫る中、イングランドサッカー協会(FA)は2024年2月2日から2025年2月3日までの期間で、FAに登録されているクラブおよびサッカーエー 2025.04.15 15:40 Tue
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「私はファンに望まれていなかった」かつてリバプールで失格の烙印押されたDFコンチェスキ…当時を振り返り「ブーイングを浴びるのは辛かったけど…」

かつてリバプールに所属していた元イングランド代表DFのポール・コンチェスキ氏が、批判にあふれていたリバプール時代を振り返った。イギリス『リバプール・エコー』が伝えている。 コンチェスキ氏は現役時代、チャールトン・アスレティックやウェストハムでプレーし、フルアムでは左サイドバックの主軸に定着。そこで指導を受けたロイ・ホジソン監督がリバプールに引き抜かれると、後を追うように2010年にリバプールへ完全移籍した。 しかし、リバプールでは力不足を露呈してしまい、ファンからは批判の的に。こうした批判に対して同氏の母親がSNSに「リバプールのクズども」と投稿し、火に油を注ぐ一幕などもあった。そしてホジソン監督が半年足らずで解任となると、コンチェスキ氏も居場所を失いノッティンガム・フォレストへ去ることとなった。 その後はレスターなどでプレーし、2018年に現役引退となったコンチェスキ氏。『リバプール・エコー』のインタビューでリバプール時代を振り返り、批判を受けた辛さはあったとしつつも、当時の決断に後悔はないと語っている。 「聞いてほしい、私は自分のキャリアで後悔していることはあまりないんだ。今振り返ったら、後悔するだろうか。でも私は当時29歳で、素晴らしい歴史を持つ最大のクラブの一つに行くことになったんだ。そのチャンスを断れはしないよ」 「今振り返ってみると、当時彼らはロイ・ホジソンを監督として本当に望んでいなかったように思う。そして私は、そんなロイが契約した選手の一人だった。だから、常に大変だったんだよ。分かってくれるだろう?」 「本当に良い成績を収めたいと願って加入したんだ。でも、すぐロイにとって少し不利な状況になった。そんな彼に望まれた私は、ファンが期待していたような契約ではなかったと思う。彼らはビッグネームが好きで、ここはビッグクラブだからね」 「ビッグクラブであれば、ビッグネームや大物選手の獲得が期待されるものさ。そして、おそらく私はその条件に当てはまらなかった。大変だったよ」 「でも、もし誰かが29歳で、リバプールのような長い歴史を持つクラブからオファーが来たら、誰だって喜んで受けるだろう。それは夢の実現だった。そしてそこから、多くを学んだよ。素晴らしい選手たちと一緒にプレーして、その過程で素晴らしい人々に出会えた」 「スティービー(スティーブン・ジェラード)は素晴らしい選手だとわかっていた。そして彼は、いわばマネージャーのような存在だったと思う。彼の基準に全員が従わなければならず、そうでなければ彼はすぐそれを告げてきて、クラブで嫌われることとなる」 「それでも、私はそこで素晴らしい選手たちと一緒にプレーした。ルーカス・レイバは素晴らしい選手だったがあまり注目されていなかったね。ラウール・メイレレス、マルティン・シュクルテル、ダニエル・アッガーとのプレーは大好きだった。当時の全員の名前を挙げられるよ。素晴らしいグループだった。だから、うまくいかなかったのは残念だ」 「もちろん、加入時に私を応援してくれたファンには今でも感謝している。おそらく大多数の人は私がそこにいることを望んでいなかったと思うが、中には望んでくれる人もいた。そして望んではいなくとも、私を支持してくれた人たちに心から感謝しているし、彼らの幸運を祈っている」 「(母親の投稿について)確かストークとのアウェイ戦だったと思う。起きたら誰かがメールを送ってきていて、母がこう言っていたと知った。その日、私は練習場に行き、広報担当者と座ってそれを確認しなければならなかったんだ」 「おそらく母も後悔しているし、それは過ちだった。でも彼女は、可愛い息子を擁護したかっただけかもしれない。今はみんなが言いたいことを言い、逃げ切ってしまうからね。私はそれに対処しないといけなかったが、うまくいかなかった」 「ファンからブーイングを浴びるのは辛かった。個人としてだけでなくグループとしてとても悪い時期を過ごしていれば、選手は簡単に標的にされる。私は標的にされやすい一人だった。ブーイングに対処しなければならないのは、良いことではない。でも、それもフットボールの一部だ」 「それでも、アンフィールドでリバプールのためプレーするのは信じられないことだった。アンフィールドがどんなところか、誰もが知っている。ピッチに出れば、KOPが歌っているんだ。リバプールの選手としてそれを聞くと首筋の毛が逆立ち、誰もが立ち上がれる。信じられないことだった」 「最初の6カ月間、本当に楽しかった。すべての試合に出場したが、ロイが去ってからはもちろん大変だったよ。でも、たくさんのことを学び、より強い人間、より強い選手になれたと思う」 2025.03.06 18:25 Thu
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監督探しのC・パレス、元ドルト指揮官のファブレと近く交渉

クリスタル・パレスが新たな監督として、ルシアン・ファブレ氏(63)に興味を示しているようだ。イギリス『ガーディアン』が報じた。 C・パレスは今季限りでロイ・ホジソン監督が退任。後任候補として、元チェルシー監督のフランク・ランパード氏や元ウォルバーハンプトンのヌーノ・エスピリト・サント氏、そしてバーンリーのショーン・ダイチ監督も挙がったが、ファブレ氏を招へいする動きが強まっているという。 ヌーノ氏との交渉が破談に終わったとされるC・パレスはファブレ氏の代理人と連絡を取り、近く会談を行う見込み。今もダイチ監督を候補に含む共同会長のスティーブ・パリッシュ氏だが、攻撃面の構築や若手育成に定評のあるスイス人指導者を最有力の後任に挙げている模様だ。 そんなパリッシュ氏はスポーツディレクター(SD)のドギー・フリードマン氏とともに主導する監督探しについて、先日のイギリス『BBC』でクラブの方針に沿った人物を見つけるとなると時間を要するものと述べている。 「適切な人物を見つけなければならない。即戦力だけでなく、我々が育てたいと思う若い選手たちにも力を貸してくれるような人をね。だから、大きな決断であり、思ったよりも時間がかかるものなのだ」 2021.06.18 14:20 Fri
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ロイ・ホジソンの移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
1976年7月1日 Carshalton Ath. 引退 -
1974年7月1日 Berea Park FC Carshalton Ath. 完全移籍
1973年7月1日 Ashford Town Berea Park FC 完全移籍
1972年7月1日 M. Invicta Ashford Town 完全移籍
1971年7月1日 GNFC M. Invicta 完全移籍
1969年7月1日 Tonbridge GNFC 完全移籍
1966年7月1日 クリスタル・パレス Tonbridge 完全移籍
1965年7月1日 クリスタル・パレス 完全移籍

ロイ・ホジソンの監督履歴

就任日 退任日 チーム 種類
2023年3月21日 2024年2月19日 クリスタル・パレス 監督
2022年1月25日 2022年6月30日 ワトフォード 監督
2017年9月12日 2021年6月30日 クリスタル・パレス 監督
2017年4月6日 2017年6月30日 メルボルン・シティ 監督
2013年7月31日 2013年8月21日 イングランド U21 監督
2012年5月1日 2016年6月27日 イングランド 監督
2011年2月11日 2012年5月15日 WBA 監督
2010年7月1日 2011年1月7日 リバプール 監督
2007年12月28日 2010年6月30日 フルアム 監督
2006年1月1日 2007年11月29日 フィンランド 監督
2004年7月12日 2005年12月31日 バイキング 監督
2002年4月11日 2004年4月30日 UAE 監督
2001年7月1日 2001年12月10日 Udinese 監督
2000年7月1日 2001年6月30日 コペンハーゲン 監督
1999年8月2日 2000年6月30日 グラスホッパー 監督
1999年4月27日 1999年6月30日 インテル 監督
1997年7月1日 1998年11月21日 ブラックバーン 監督
1995年10月16日 1997年5月23日 インテル 監督
1995年7月1日 1995年10月15日 インテル コーチ
1992年7月1日 1995年6月30日 スイス 監督
1990年7月1日 1991年12月31日 ヌーシャテル・ザマックス 監督
1988年7月1日 1989年6月30日 Pergocrema 監督
1987年7月1日 1988年6月30日 Vigor Lamezia 監督
1986年7月1日 1987年6月30日 Legnano 監督
1985年7月1日 1986年6月30日 マルメ 監督
1984年7月1日 1985年6月30日 Isernia 監督
1983年1月1日 1984年6月30日 エーレブルーSK 監督
1982年1月1日 1982年6月30日 ブリストル・シティ 監督
1981年7月1日 1981年12月31日 Sant'Angelo コーチ
1976年7月1日 1980年9月30日 ハルムスタッズBK 監督