興梠慎三

Shinzo KOROKI
ポジション FW
国籍 日本
生年月日 1986年07月31日(39歳)
利き足
身長 175cm
体重 72kg
ニュース 人気記事 クラブ

興梠慎三のニュース一覧

浦和レッズへの復帰が決まった元日本代表FW興梠慎三の紹介VTRが話題だ。 2013年に鹿島アントラーズから浦和へ加入し、点取り屋として数々のタイトルをもたらした興梠だったが、今季は恩師のミハイロ・ペトロヴィッチ監督が率いる北海道コンサドーレ札幌へ期限付き移籍した。 札幌では明治安田生命J1リーグで21試合に 2022.12.17 21:25 Sat
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浦和レッズは17日、元日本代表FW興梠慎三(36)が期限付き移籍先の北海道コンサドーレ札幌から復帰する旨を発表した。 鵬翔高校出身の興梠は2013年に鹿島アントラーズから浦和入り。数々のタイトルとともに、浦和を点取り屋として引っ張る存在だったが、今季から出場機会を求め、恩師のミハイロ・ペトロヴィッチ監督が率いる札 2022.12.17 12:15 Sat
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12日、元日本代表MF阿部勇樹氏の引退試合が埼玉スタジアム2002で行われた。 阿部氏は1998年にジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド千葉)で、当時最年少の16歳と333日でJリーグデビュー。2000年にトップチームへと昇格し、その後は日本代表にも選出された。 2007年に浦和レッズへと移籍。レ 2022.11.12 20:02 Sat
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今年で30周年の節目を迎えるYBCルヴァンカップ。過去大会のパネルが新宿駅の構内にも展示されるなど、22日に行われる決勝戦を前に様々な施策が打たれている。 Jリーグ公式ツイッターも、『PLAY BACK FINALS』と題して過去の決勝戦の動画を公開。13日には旧・国立競技場で開催された2011年の浦和レッズvs 2022.10.14 20:30 Fri
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17日に行われた明治安田生命J1リーグ第22節の京都サンガF.C.vsサンフレッチェ広島において、J1リーグ戦通算2万4500ゴールが決まった。 メモリアルゴールを記録したのは広島の日本代表MF森島司。0-0で迎えた54分に記録した。 相手陣内右サイドでのスローインの流れからボックス右付近でボールを持った野 2022.07.17 22:10 Sun
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浦和レッズのニュース一覧

浦和レッズは29日、DF大畑歩夢(23)がジュピラー・プロ・リーグ(ベルギー1部)のOHルーヴェンへ完全移籍すると発表した。 福岡県出身の大畑はサガン鳥栖の下部組織に所属。2020年からトップチームに正式昇格となると、在籍2シーズンでJ1リーグ43試合に出場した。 2022シーズンから浦和に完全移籍すると、 2025.01.29 19:00 Wed
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浦和レッズは27日、クラブOBでもある岡野雅行氏(52)がレッズ・ブランドアンバサダーに就任することを発表した。 現役時代は浦和の他、ヴィッセル神戸、香港のTSWペガサス、ガイナーレ鳥取でプレー。日本代表としてもプレーし、ジョホールバルの歓喜では決勝ゴールを決めて、日本代表をワールドカップ初出場に導いていた。 2025.01.27 14:05 Mon
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浦和レッズは25日、ブラジルのECジュベントゥージからDFダニーロ・ボザ(26)の完全移籍加入でクラブ間合意に達したと発表した。背番号は「3」。今後のメディカルチェック等を経て、正式契約を結ぶ。 ダニーロ・ボザはセンターバックを主戦場とし、母国ブラジルのほか、ポルトガルでもプレー。2022年1月にジュベントゥージ 2025.01.25 11:19 Sat
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現地では浦和レッズへの移籍が伝えられているジュベントゥージのDFダニーロ・ボザ(26)が、ファンの前で別れの挨拶を行った。ブラジル『グローボ』伝えた。 ダニーロ・ボザはポルトガルのブラガにも所属経験があり、ミラソウからアトレチコ・パラナエンセ、フィゲイレンセ、サントスへレンタル移籍。ジュベントゥージ移籍後はヴァス 2025.01.24 12:53 Fri
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日本サッカー協会(JFA)は23日、2025年度の第1回理事会を開催。Proライセンス取得者9名を発表した。 Proライセンスは、これまでS級コーチライセンスと呼ばれていたもの。日本国内のすべてのサッカーチームの指導が可能となるライセンス。Jリーグクラブや日本代表などを指揮する際に必要となる。 今回認定され 2025.01.24 11:55 Fri
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「全員いなくなってる」ユンカーの写真で浦和の“大改革” が改めて明らかに…多くの選手が退団

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今シーズン限りでの現役引退を表明した元日本代表FW興梠慎三(38)が、浦和レッズへの思いを語った。 鹿島アントラーズでプロデビューを飾り、J1歴代2位の168ゴールを誇る興梠。浦和には2013年に加入し、エースとして君臨。鹿島時代の2012年から2020年まで9シーズン連続でJ1で2桁得点を記録した。 また、浦和ではAFCチャンピオンズリーグ(ACL)で2度優勝を経験し、リーグカップ1回、天皇杯2回で優勝。J1ではステージ優勝こそ経験したが、年間王者にはなれずに終わっていた。 31日に会見を実施し、シーズン終了後の引退を表明した興梠。11シーズンと最も長く過ごす浦和への思いを語り、鹿島から加入当時の心境も吐露した。 「20年間で僕は3チームに所属していました。どのチームも素晴らしいチームで、ここがいいとは言えないですけども、浦和レッズというチームは本当にやりがいがあって、何よりもサポーターの数がすごく多く、鹿島から浦和レッズに来る時も、なかなかサポーターの皆さんは、そう簡単に受け入れてくれない、応援されないということを聞かされていたので、どうにかしてサポーターの気持ちを、心を掴んで認めてもらうんだという気持ちで来ました」 「認めてもらったかどうかはわからないですが、自分のチャントができた時は嬉しかったのを覚えています。そういう厳しいチームに来られたこと、そこで自分がたくさんのゴールを決めたことを、すごく嬉しく思います。このビッグクラブに来て、本当に良かったと思います」 また、サポーターに吉野家で牛丼をご馳走したという逸話も持っている興梠。チームを後押ししてくれる人たちとの関係の重要性を強調している。 「吉野家だけ奢ったわけではないですが、行くお店、行くお店で僕が払いましたが、なぜかそこだけ取り上げられる形になりました。サポーターというのは、皆さんが思っている以上に、選手たちを後押ししてくれます。特に浦和レッズサポーターの皆さんは、どんな状況でも全力で応援していただき、不甲斐ない試合をしても、常に応援してくださる本当に素晴らしい人たちです」 「だからこそ選手たちはもっと頑張らないといけないし、タイトルとしてサポーターの皆さんにプレゼントするということは大前提だと思っています。もちろん、サポーターの皆さんと口論することはあるかもしれないですが、それはチームにとってすごく大事なことだと思いますし、お互いが一生懸命やっているからこそだと思っています」 「若い選手はサポーターと話す機会があまりないと思いますが、そういうサポーターとの触れ合いを僕はすごく大事だと思っているので、若い選手にはもっと色々なところでサポーターと触れ合って、口論になっても良いとは思います。僕もそうでした」 「色々喧嘩して、自分の意見をぶつけて、こうしてほしい、ああしてほしいと言いました。それで深い絆になっていったので、若い選手にはもっと交流の場を設けてもいいのかなと思います」 自らが去る、今後のクラブについてもコメント。“常勝軍団”となるべく、より一層の一致団結を願う。 「タイトルを獲るという難しさは重々承知していますが、常にタイトルを獲るべきチームであるべきだと思っています。Jリーグ、天皇杯、ルヴァンカップ、そして常にACLに出て行くというのが、浦和レッズであるべき姿だと思います」 「口では簡単ですが、タイトルを獲るということはとても難しく、選手だけが良いわけでは獲れないと思いますし、チームそのものが一体となってやっていかないと、タイトルはそう簡単に獲れるとは思いません。フロントをはじめ、選手、コーチングスタッフ、メディカルスタッフ、全てが一体となっていければ、強いチームでいられると思います」 期限付き移籍先の北海道コンサドーレ札幌でも共に戦った恩師である、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督についても言及。勝利を捧げたいと思わされる指揮官だったと振り返った。 「この人のためなら一生懸命頑張ろうと思う人に出会うことが大切だと思います。それがまさしく自分の中ではミシャでした」 「この人のためにタイトルを獲りたい、この人のために1試合1試合全力で戦い、勝ち点を積み上げていき、良いチームにしたいという一心で、ミシャの時はやっていました」 「そういう人と出会うことがすごく大切だと思うし、誰かのためにやれば、自分自身もすごく成長すると思うので、そういう出会いが大事だと思います」 自らの背番号「30」については、後継者として前田直輝を指名。一方、クラブ通算得点記録で自身が上回ったレジェンド、福田正博氏の「9」を意識していたことも明かしている。 「浦和で11年間やってきました。浦和のエース番号は9番と福田さんがつけていた番号、それがエース番号だと自分自身もわかっていましたし、どうにかしてそのエース番号を30番にしたいという一心でこれまでやってきました」 「遥か及ばなかったですけれど、福田さんが持っている記録を抜けたことはすごく嬉しく思います。後輩に託すつもりもないですし、それぞれの番号で、その番号が浦和のエース番号だと思いを持ってやってくれれば一番いいと思いますが、自分が一番可愛がっている前田直輝につけてもらうのが一番いいかなと思います」 さらに、興梠は改めて浦和サポーターへメッセージ。引退するシーズン終了まで優勝を諦めないと誓った。 「先ほども言ったように、サポーターの力はみなさんが思っている以上にすごいものです。この人たちのために頑張ろうと本当に選手たちは思っています。だからこそ、ダメな試合でも、どんどん愚痴を言ってもらって構いません。選手を後押ししてもらいたいです」 「僕たちはチームのために、サポーターのために、自分のために、家族のために一生懸命頑張っています。若い選手たちもそうです。また、埼玉スタジアムでタイトルを獲ってサポーターと喜び合える日が来ることを願っています」 「残り4カ月、14試合あります。14連勝したら優勝する可能性もあると思います。諦めずに頑張っていきたいと思います。サポーターの皆さんも、これまで以上の熱い声援をよろしくお願いいたします」 2024.07.31 19:44 Wed

興梠慎三の移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
2023年1月31日 札幌 浦和 レンタル移籍終了
2022年2月1日 浦和 札幌 レンタル移籍
2013年1月4日 鹿島 浦和 完全移籍
2005年2月1日 鹿島 完全移籍