ニコラ・アネルカ
Nicolas ANELKAポジション | FW |
国籍 | フランス |
生年月日 | 1979年03月14日(45歳) |
利き足 | |
身長 | 185cm |
体重 | 74kg |
ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
ニコラ・アネルカのニュース一覧
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前線の選手が多い?リバプールとチェルシー、両方でプレーした選手たち
例年より約1ヵ月遅れで開幕を迎えたプレミアリーグ。週末に行われる第2節では、いきなりチェルシーvsリバプールというビッグマッチが控えている。 今シーズンも優勝を争うであろう両チームだが、リバプールのエースであるエジプト代表FWモハメド・サラーは2014年冬にバーゼルからチェルシーに加入。チェルシーでは出場機会が限られ、フィオレンティーナ、ローマでの活躍を経てリバプールへと移籍した経緯を持つ。 また、チェルシーに所属するナイジェリア代表MFヴィクター・モーゼスも2013-14シーズンにレンタルでリバプールでプレーした経験を持っている。 他にも、サガン鳥栖にも在籍した元スペイン代表FWフェルナンド・トーレス氏を筆頭に、多くの名選手たちが二つのクラブでプレーしており、イギリス『DUGOUT』がそんな経歴を持つ選手10人を動画で特集している。 また、紹介されている選手以外にも、元イングランド代表FWダニエル・スタリッジらも両クラブでのプレー経験を持ち、全体的に見ると、前線の選手の割合が高いようだ。 <div id="cws_ad">◆リバプールとチェルシーでプレーした選手を映像でチェック<br /><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiI2WVJaQXNYVSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆リバプールとチェルシーでプレーした選手たち FWモハメド・サラー チェルシー(2014-2015)公式戦19試合2ゴール リバプール(2017-)公式戦154試合97ゴール 2012年夏に加入したバーゼルにおいて、チャンピオンズリーグでチェルシーから4試合で4得点を決めると、その後の2014年冬にチェルシーに引き抜かれた。チェルシーでは本領発揮とはいかなかったものの、イタリアでの活躍を経て、2017年にリバプールに加入すると、FWサディオ・マネ、FWロベルト・フィルミノと共に強力な3トップを形成。プレミアリーグ王者リバプールのエースとしてハイペースでゴールを量産している。 MFヴィクター・モーゼス リバプール(2013-2014)公式戦22試合2ゴール チェルシー(2012-)公式戦128試合18ゴール モーゼスは、2010年から所属したウィガンでブレイクし、2012年にチェルシーへステップアップ。しかし、選手層の厚いチェルシーでは充分な出場機会が得られずに、リバプールやストークなど多くのレンタル移籍を経験した。今季は昨季のレンタル先であるインテルからチェルシーに復帰しているが、その去就は不透明だ。 DFグレン・ジョンソン チェルシー(2003-2006)公式戦66試合4ゴール リバプール(2009-2015)公式戦200試合9ゴール ウェストハムの下部組織で育ったグレン・ジョンソンは、2003年にチェルシーへと移籍。しかし、チェルシーではパフォーマンスが安定せず、当時のジョゼ・モウリーニョ監督が連れてきた、DFパウロ・フェレイラにポジションを奪われた。2009年にリバプールへと完全移籍。DFアルバロ・アルベロアがレアル・マドリーへと移籍したために、右サイドのレギュラーポジションを確保していた。 FWフェルナンド・トーレス リバプール(2007-2011)公式戦142試合81ゴール チェルシー(2011-2014)公式戦172試合45ゴール 2007年にアトレティコ・マドリーからリバプールへ移籍。加入初シーズンから得点を量産し、一気にリバプールサポーターの心を掴み、爆発的な人気を誇った。しかし、2011年1月、ライバルクラブのチェルシーへ移籍すると、移籍後初ゴールまで実に903分を要するなど中々結果を残せなかった。それでも、2012年のチャンピオンズリーグ(CL)優勝を経験するなど、多くのタイトルを獲得した。 FWニコラ・アネルカ リバプール(2001-2002)公式戦22試合5ゴール チェルシー(2008-2012)公式戦184試合59ゴール チェルシーでFWディディエ・ドログバと共に一時代を築いたアネルカは、パリ・サンジェルマン在籍時の2001-02シーズンにローンでリバプールに加入。FWマイケル・オーウェンやFWエミール・ヘスキーらと共にプレーした。 MFラウール・メイレレス リバプール(2010-2011)公式戦44試合5ゴール チェルシー(2011-2012)公式戦48試合6ゴール 2010年夏にポルトからリバプールに加入したメイレレスは、シーズン途中でケニー・ダルグリッシュ監督が就任して以降はチームのキーマンに。ファンが選ぶ年間最優秀選手にも選ばれたが、シーズン終了後に同胞のアンドレ・ビラス=ボアス監督が率いていたチェルシーに加入、FAカップとチャンピオンズリーグの2冠に貢献している。 MFジョー・コール チェルシー(2003-2010)公式戦274試合38ゴール リバプール(2010-2011)公式戦42試合5ゴール 2003年にロマン・アブラモヴィッチ体制1年目のチェルシーに完全移籍を果たすと、その翌年に指揮官に就任したジョゼ・モウリーニョ監督の下、右ウイングの主力としてチームのプレミアリーグ2連覇に貢献。伝統的に強さや速さが重視されるイギリスでは珍しい、ファンタジスタタイプの選手として人気を博した。その後、チェルシーでの契約を満了すると、2010年にリバプールに移籍。ここでも10番を背負ったが、ロイ・ホジソン監督の戦術に馴染めず、期待されたような活躍は出来なかった。そのため、2011年夏にレンタル移籍でリール入りし、リバプールに戻ることはなく2013年夏にウェストハムに復帰している。 MFヨッシ・ベナユン リバプール(2007-2010)公式戦134試合29ゴール チェルシー(2010-2011)公式戦24試合1ゴール 攻撃的MFや左右のウイングを主戦場に卓越したテクニックとパスセンス、高いシュートセンスを武器とする、イスラエル史上最高のアタッカーは、ウェストハム、リバプール、チェルシー、アーセナル、クインズ・パーク・レンジャーズ(QPR)とプレミアリーグクラブを渡り歩いた。なお、リバプール時代にはプレミアリーグ、チャンピオンズリーグ、FAカップの3つのコンペティションでハットトリックを記録しており、これはマンチェスター・シティFWセルヒオ・アグエロ、トッテナムFWハリー・ケインの2人しか達成していない偉大な記録だ。 MFボーデヴィン・ゼンデン チェルシー(2001-2003)公式戦59試合4ゴール リバプール(2005-2007)公式戦47試合2ゴール 母国オランダのPSV出身のゼンデン氏は、バルセロナを経て2001年にチェルシーへと加入。スピードのあるサイドアタッカーとして活躍を見せた。その後はミドルズブラを経てリバプールに加入するなど、キャリアの多くをイングランドで過ごした。 MFナイジェル・スパックマン チェルシー(1983-1987、1992-96)公式戦208試合12ゴール リバプール(1987-1989)公式戦63試合0ゴール ボーンマスでプロデビューを飾ったスパックマン氏は、1983年にチェルシーへ移籍。豊富な運動量を武器に、主力として活躍した。1987年にリバプールに移籍した後、QPR、レンジャーズを経て、1992年にチェルシーに復帰。プレミアリーグでも活躍を見せた。 DFジョーイ・ジョーンズ リバプール(1975-1978)公式戦100試合3ゴール チェルシー(1982-1985)公式戦78試合2ゴール ウェールズのレクサムでデビューを飾ったジョーンズ氏は、1975年にリバプールに移籍。左サイドバックとして、1977年のチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)制覇など、クラブの黄金期を支えた。その後、レクサム復帰を経て加入したチェルシーでも活躍を見せた。 2020.09.19 17:00 Sat2
ナント、電撃就任のドメネク監督を解任へ…就任7戦未勝利
ナントがレイモン・ドメネク監督(68)を解任することが決定的となった。フランス『レキップ』など複数メディアが数日中の解任の可能性を報じている。 ナントは今シーズン、リーグ・アン第16節消化時点で3勝7敗6分けの15位に低迷。この成績不振を受けてクラブは昨年12月8日に、2019年8月からチームを率いていたクリスティアン・グルキュフ前監督を解任していた。 そして、後任としてかつてフランス代表を率いていたドメネク監督を招へいした。 しかし、今シーズン終了までの契約で古豪立て直しを託された同監督だが、ここまで指揮した7試合で3敗4分けと一度も勝利を挙げられず、チームの順位も自動降格圏手前の18位に落としていた。 現役時代にフランス代表DFとして活躍したドメネク監督は、1990年代半ばから2000年代前半にかけてU-21フランス代表を指揮し、2004年から2010年まではフランス代表も指揮。 2006年ドイツ・ワールドカップ(W杯)では準優勝に導いた一方、2010年南アフリカW杯ではニコラ・アネルカの代表追放をキッカケに選手たちがボイコット問題を起こす醜態を世界中に晒したことで、大きな批判を浴びた。 南アフリカW杯後に同国代表監督を退任以降はその強烈なキャラクターを武器に解説者などを務め現場から離れていたが、今回のナント指揮官就任によって1993年のリヨン時代以来となるクラブチームを率いることになる。 2021.02.10 22:50 Wedニコラ・アネルカの移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2016年1月1日 | ムンバイ・シティ | 引退 | - |
2015年7月3日 | 無所属 | ムンバイ・シティ | 完全移籍 |
2015年1月1日 | ムンバイ・シティ | 無所属 | - |
2014年9月15日 | 無所属 | ムンバイ・シティ | 完全移籍 |
2014年3月14日 | WBA | 無所属 | - |
2013年7月4日 | ユベントス | WBA | 完全移籍 |
2013年1月30日 | 上海申花 | ユベントス | 完全移籍 |
2012年1月1日 | チェルシー | 上海申花 | 完全移籍 |
2008年1月11日 | ボルトン | チェルシー | 完全移籍 |
2006年8月25日 | フェネルバフチェ | ボルトン | 完全移籍 |
2005年1月31日 | マンチェスター・C | フェネルバフチェ | 完全移籍 |
2002年7月1日 | PSG | マンチェスター・C | 完全移籍 |
2002年6月30日 | リバプール | PSG | レンタル移籍終了 |
2002年1月1日 | PSG | リバプール | レンタル移籍 |
2000年7月1日 | レアル・マドリー | PSG | 完全移籍 |
1999年7月1日 | アーセナル | レアル・マドリー | 完全移籍 |
1997年2月22日 | PSG | アーセナル | 完全移籍 |
1996年1月1日 | PSG U19 | PSG | 完全移籍 |
1995年7月1日 | PSG U19 | 完全移籍 |
ニコラ・アネルカの監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2024年1月25日 | ウムラニエスポル | CEO |
2021年2月3日 | 2021年5月4日 | Hyères FC | 監督 |
2018年11月7日 | 2019年6月30日 | リール | ユースコーチ |
2017年2月1日 | 2017年8月15日 | ローダJC | 監督 |
2015年7月3日 | 2015年12月20日 | ムンバイ・シティ | 監督 |
2015年2月7日 | 2015年6月30日 | NA Hussein Dey | スポーツ・ディレクター |
2012年4月14日 | 2013年1月30日 | 上海申花 | コーチ |