ファビオ・カペッロ
Fabio CAPELLOポジション | 監督 |
国籍 | イタリア |
生年月日 | 1946年06月18日(78歳) |
利き足 | |
身長 | |
体重 |
ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
ファビオ・カペッロのニュース一覧
ファビオ・カペッロの人気記事ランキング
1
イングランド新監督トゥヘル、年俸は約10億円 チェルシー時代の半額
イギリス『ミラー』によると、トーマス・トゥヘル氏がイングランド代表監督として受ける年俸はおよそ500万ポンド(約9億7000万円)になるようだ。 ユーロ2024を最後にガレス・サウスゲイト監督が退任したイングランド。9月、そして今月の活動までをリー・カーズリー暫定体制で繋ぐなか、ドルトムントやチェルシー、バイエルンと強豪クラブを率いした実績を持つドイツ人指揮官を招へいした。 日本円にして約9億7000万円の年俸というと、なかなかの額だが、チェルシー時代のトゥヘル氏は1000万ポンド(約19億4000万円)。それと比較すると、半額ということになる。 ちなみに、前任者のガレス・サウスゲイト監督は在任8年で、最終的に600万ポンド(約11億6000万円)近くの年俸を得たが、当初は160万ポンド(約3億1000万円)ほどだったようだ。 最初から10億円近くの年俸というのはクラブレベルでの実績を含め、期待の表れといってもよさそうだが、1966年のワールドカップ(W杯)を最後に遠ざかるメジャータイトルに導けるだろうか。 なお、トゥヘル氏はイングランド史において、スヴェン・ゴラン・エリクソン氏、ファビオ・カペッロ氏に続く3人目の外国籍監督となる。 2024.10.17 16:58 Thu2
「彼を雇用したことに驚いた」ルーニー監督がトゥヘル監督のイングランド代表監督就任に言及、自身は2人の外国人監督を経験「彼の幸運を祈る」
現役時代はイングランド代表のエースとして活躍したウェイン・ルーニー監督が、イングランド代表の指揮官にトーマス・トゥヘル監督が就任したことに驚いを隠さなかった。イギリス『BBC』が伝えた。 エバートンで鮮烈なデビューを果たし、その後はマンチェスター・ユナイテッドでエースとしてプレー。引退後は指導者にも転身しているルーニー監督。若くしてイングランド代表にも選出され、キャプテンも務め、最多得点記録も保持している。 現在はプリマス・アーガイルの監督を務めているルーニー監督だが、来年1月からトゥヘル監督がイングランド代表を指揮するという事実について言及。大きな驚きがあったとした。 「彼は非常に優れた監督だと思うが、FAが彼を雇用したことには驚いている」 ルーニー監督は、イングランド代表時代にスヴェン・ゴラン・エリクソン監督、そしてファビオ・カペッロ監督と2人の外国人監督の下でプレー。トゥヘル監督は史上3人目の外国人指揮官となるだけに、選手としてその状況は経験済みだ。 暫定的に指揮を執るリー・カーズリー監督は、世代別のイングランド代表で実績を残しており、U-21欧州選手権で優勝を経験していた。 ルーニー監督は、イングランドサッカー協会(FA)が指導者を育成している現状について言及。その中から新たなイングランド代表監督を選ばなかったことに驚いているとしたが、トゥヘル監督への期待も口にした。 「FAが築き上げてきたもの、そして私はその一員であり、彼らが過去10年、15年かけて築き上げてきたものを直接見てきたが、それは素晴らしいことだった」 「ここは若いコーチたちが活躍する素晴らしい舞台になっており、彼らが自らコーチを雇わないのは驚きだ」 「しかし、彼らは決断を下した。私は彼の幸運を祈るし、彼が我々のために頑張ってくれることを願っている」 2024.10.18 12:55 Fri3
カッサーノ、キャリア最大の後悔はレアル時代「ジダンやロナウドがいたのに…」
元イタリア代表FWアントニオ・カッサーノ氏が自身のキャリアを振り返った。イタリア『スカイ・スポーツ』が伝えている。 抜群のポテンシャルで“天才”と呼び声高かったカッサーノ氏。1998年にバーリでプロキャリアをスタートさせると、2001年にローマへステップアップ。そこでの活躍が認められ、2006年冬にマドリーへ移籍していた。 <div style="margin:0 auto; min-width:300px; " id="cws_ad"><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJsREJHVEpSUCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div> マドリーではコンディション不良による不調や、ローマ時代の恩師でもあったファビオ・カペッロ監督との確執により多くの出場機会は得られなかったが、カッサーノ氏は自分自身のせいでチャンスを潰してしまったと感じているようだ。 「最大の後悔は、(ジネディーヌ・)ジダンやロナウドといった素晴らしい選手がいたレアル・マドリーという素晴らしいチームでプレーするチャンスを生かせなかったことだ。レアル・マドリーではとてつもないチャンスを不意にしてしまった」 「バルセロナに行った方が良かったか?あそこにはロナウジーニョがいて(サミュエル・)エトーがいて(リオネル・)メッシがいた。レアル・マドリーではロビーニョとプレーし、俺は(ルイス・)フィーゴと(マイケル・)オーウェンの代わりだった。それは俺が世界最高の1人ということだが、多くの災いを呼んだ」 「カペッロは俺に多くのことをしてくれた。彼がレアル・マドリーに来てから俺は16キロ落とし、最初の3試合で2ゴールを決めたのに彼は俺を外した」 「俺は自分自身を見失って彼に敬意を欠いたことをした。それでも彼は再びチャンスをくれ、多くのことをしてくれたが、俺は少しのことしかしなかった」 結局、カッサーノ氏のマドリー在籍期間は約1年半にとどまり、公式戦29試合で4ゴール3アシストに終わった。その後は、イタリアに復帰し、最終的にはキャリアでセリエA400試合出場を達成し112ゴールを記録していた。 2020.04.23 20:30 Thu4
1チームに1人欲しかった“万能型サイドバック”、ジャンルカ・ザンブロッタ
現代サッカーにおいて、最も重要なポジションとも言われ、その重要性が高まっているのがサイドバックだ。 言わずもがな、4バック、または5バック時に最終ラインの両サイドに位置するポジション。3バックのシステムを採用するチームも増え、ウイングバックというポジションが増えたこともあるが、多くの役割を担うことが多いポジションだ。 かつてのサイドバックは、フルバックとも呼ばれ、守備を専門としてきた。そのため、高い技術や戦術眼よりも、上下動を繰り返せる持久力と、相手のウインガーに抜かれないための対人守備力が何よりも求められるポジションだった。 上手さよりも体力が求められたポジションだが、現代サッカーではそのイメージは全くと言っていいほどなくなった。むしろ、少し前のボランチが担っていたゲームコントロールをすることすら、サイドバックの選手が行うこともあるほど。戦術眼の高さが最も止められるポジションと言っても良いだろう。 時代の変遷とともに役割が変化してきたサイドバックだが、早い時期からチームに欠かせない役割を担っていた選手がいる。元イタリア代表のジャンルカ・ザンブロッタだ。 <span class="paragraph-title">◆今でこそ珍しくない両サイドバック</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/sega20210502zambrotta_2_tw.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> イタリアのコモで生まれたザンブロッタは、地元のクラブであるコモで1994年にプロデビュー。1997年にはセリエAのバーリへと移籍する。右利きのザンブロッタだが、プロ当初のポジションは左のウイング。攻撃的なポジションではあるが、左サイドでプレーしていた。 1999年にユベントスへと移籍するが、加入当時は中盤のサイドでプレー。左右のサイドハーフでプレーを続けていた。転機は2002-03シーズン。日韓ワールドカップにも出場したザンブロッタは、W杯のケガで出遅れると、マルチェロ・リッピ監督によって左サイドバックにコンバートされた。 元々攻撃的なポジションをやっていたザンブロッタは、クロス精度には定評があり、中盤でも左サイドを担っていたこともありプレー面に大きな影響はなかった。さらに、当初は心配されていた守備面も徐々に慣れることで向上。攻守にわたってプレーできるサイドバックとして大きく成長していくこととなった。 さらに、2005-06シーズンには現在もユベントスでプレーするDFジョルジョ・キエッリーニが加入。その影響もあり、ファビオ・カペッロ監督の下では右サイドにコンバート。その後に移籍したミランでも当初は右サイドでプレーするが、再び左サイドバックにポジションを移すなど、キャリアを通して両サイドバックを担っていくこととなった。 <span class="paragraph-title">◆チームを支えたユーティリティ性</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/sega20210502zambrotta_3_tw.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> そのザンブロッタは、左右の足が使える事はもちろんのこと、サイドバックとして必要な豊富な運動量を備え、対人守備も大きく成長した。何よりも、基本的なパフォーマンスが安定したことが最も重宝された理由だろう。 ユーティリティプレーヤーの中には、飛び抜けた才能がなく、器用が故に様々なポジションを務める選手もいる。主力にになりにくく、便利な控え選手という立ち位置で終わる選手も少なくない。 しかし、ザンブロッタはユーティリティという言葉以上に、万能という言葉が合う選手だろう。サイドバックだけでなく、1列前でもプレーが可能。どのポジションにおいても、遜色ないプレーを行える点は、チームにいてくれると助かる存在でありながら、チームの結果に寄与できる選手でもあった。 今ではマンチェスター・シティのジョゼップ・グアルディオラ監督が“偽サイドバック”としてサイドバックに置く選手を中盤でプレーさせる方式があるが、ザンブロッタもその役割を担えただろう。戦術眼、キックの精度、そしてそれを支える持久力もあった。 ミランの後に加入したバルセロナでは右サイドバックとしてプレー。キャリアを通しては最終的に右サイドでのプレーが多くなったザンブロッタだが、現代サッカーでも高い能力を発揮したレジェンドの1人と言えるだろう。 <div id="cws_ad"><hr>ユベントスやミラン、バルセロナとクラブチームで活躍し、イタリア代表としてもワールドカップを制したジャンルか・ザンブロッタが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せたユーティリティ性を『サカつくRTW』ででも再現。是非一度チェックしよう。</div> <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/4c7a9075" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20210428.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> <span class="paragraph-title">【動画】サイドバックとは思えない落ち着いた突破から左足ゴール</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJCWGpUcGI1byIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> ユベントスやミラン、バルセロナとクラブチームで活躍し、イタリア代表としてもワールドカップを制したジャンルか・ザンブロッタが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場! 現役時代に魅せたユーティリティ性を『サカつくRTW』ででも再現。是非一度チェックしよう。 <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/4c7a9075" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20210428.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> 2021.05.03 18:50 Mon5
「ガレスの土台に少しプラスアルファを」 イングランド新監督トゥヘルが所信表明! 「アメリカで夢叶える旅を始めるのがとても楽しみ」
イングランド新指揮官にトーマス・トゥヘル氏が就任した。イギリス『スカイ・スポーツ』が報じる。 ユーロ2024を最後にガレス・サウスゲイト監督が退任したイングランド。9月、そして今月の活動までをリー・カーズリー暫定体制で繋ぐなか、ドルトムントやチェルシー、バイエルンと強豪クラブを率いした実績を持つドイツ人指揮官を招へいした。 イングランド史でスヴェン・ゴラン・エリクソン氏、ファビオ・カペッロ氏に続く3人目の外国籍指揮官となるトゥヘル氏はウェンブリー・スタジアムの就任会見で心境を語る。 「大きな仕事だとすぐ理解した。私は日頃から自分が従事する仕事こそが最も大きな仕事だと思っている。比較はあまり好きじゃないが、とても大きなことで、名誉なことだと感じる。私はクラブフットボールの出身だから、リズムや責任、役割というのは新たなもので、エキサイティングだ。そういうのにもオープンになれたし、アイデアというのも気に入った」 また、「協会にトロフィーが欠けているのは知るところ。実現させる上で手助けになりたい」と1966年のワールドカップ(W杯)を最後にメジャータイトルから実に58年も遠ざかる現状の打破に意欲を示す。 そんな51歳指揮官に注目される1つのチームを作っていくか、だ。その点においては「ガレスの文化を土台に築いていく」と明言した上でこう続ける。 「安定感と一貫性という点で、彼らは素晴らしい仕事をした。最近の大会で残した結果を見ても素晴らしい。U-21はタイトルを掴んでいるし、若いチームもタイトルを争っている。女子チームだってタイトルを獲得している、我々もそこにいる」 「連盟もそう思っているし、それがこの仕事を引き受けた理由だ。私は好奇心旺盛だし、学ぶ意欲もある。クラブフットボールとは異なるスケジュールだが、連盟の質を味方に自分のアイデアを組み合わせていけるのは大きかった」 「ガレスの土台に少しプラスアルファを加えられればと思う」 なお、契約は2026年北中米ワールドカップ(W杯)までの1年半で、仕事始めは来年1月から。トゥヘル監督は「1月から特別な選手たちとアメリカで夢を叶える旅を始めるのがとても楽しみだ」と北中米W杯優勝を意識するコメントも残す。 2024.10.17 10:30 Thuファビオ・カペッロの移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
1980年7月1日 | ミラン | 引退 | - |
1976年7月1日 | ユベントス | ミラン | 完全移籍 |
1970年7月1日 | ローマ | ユベントス | 完全移籍 |
1967年7月1日 | SPAL | ローマ | 完全移籍 |
1964年7月1日 | SPAL | 完全移籍 |
ファビオ・カペッロの監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2017年6月11日 | 2018年3月28日 | 江蘇舜天 | 監督 |
2012年7月16日 | 2015年7月13日 | ロシア | 監督 |
2007年12月14日 | 2012年2月8日 | イングランド | 監督 |
2006年7月6日 | 2007年6月28日 | レアル・マドリー | 監督 |
2004年5月29日 | 2006年7月4日 | ユベントス | 監督 |
1999年6月6日 | 2004年5月28日 | ローマ | 監督 |
1997年7月1日 | 1998年6月30日 | ミラン | 監督 |
1996年7月1日 | 1997年6月30日 | レアル・マドリー | 監督 |
1991年7月1日 | 1996年6月30日 | ミラン | 監督 |
1987年7月1日 | 1991年6月30日 | ミラン | コーチ |
1987年4月5日 | 1987年6月30日 | ミラン | 監督 |
1986年7月1日 | 1987年5月31日 | ミラン | コーチ |
1982年7月1日 | 1986年6月30日 | ミランU19 | 監督 |