ジャンルカ・ヴィアッリ

Gianluca Vialli
ポジション
国籍 イタリア
生年月日 1964年07月09日(60歳)
利き足
身長
体重
ニュース 人気記事 クラブ 監督データ 代表

ジャンルカ・ヴィアッリのニュース一覧

ユベントスを率いるマッシミリアーノ・アッレグリ監督が6日、翌日に控えるセリエA第17節ウディネーゼ戦に向けた前日会見に臨んだ。 この席でアッレグリ監督は同日に膵臓がんのため58歳の若さで亡くなった元イタリア代表FWジャンルカ・ヴィアッリ氏に1分間の黙とうを捧げた。 ヴィアッリ氏は現役時代、サンプドリアやユベ 2023.01.06 23:20 Fri
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トッテナムを率いるアントニオ・コンテ監督が6日、翌日に控えるFAカップ3回戦のポーツマス戦に向けた前日会見を欠席した。 突然の欠席の理由は同日にイタリアのレジェンドストライカーであるジャンルカ・ヴィアッリ氏が亡くなったため。 コンテ監督とヴィアッリ氏は1992年から1996年にかけてユベントスでチームメート 2023.01.06 22:40 Fri
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元イタリア代表FWのジャンルカ・ヴィアッリ氏が、すい臓がんとの長い闘病生活の末、58歳で亡くなった。イタリアメディアが一斉に報じている。 ヴィアッリ氏は2017年に膵臓がんと診断され、2018年11月に完治が発表されたものの、2021年12月に再発。2度目の闘病が自身の口から明かされていた。 昨年12月にはがん克 2023.01.06 19:55 Fri
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元イタリア代表FWのジャンルカ・ヴィアッリ氏(58)が、健康上の問題を理由にイタリア代表での仕事を一時的に中断することを決断した。 現役時代にサンプドリアやユベントス、チェルシーで活躍した生粋のストライカーだったヴィアッリ氏。現役引退後はイタリア、イングランドの両国でコメンテーターを務め、2019年10月からサン 2022.12.14 22:44 Wed
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▽かつてサンプドリアやユベントス、チェルシーで活躍した元イタリア代表FWのジャンルカ・ヴィアッリ氏(54)が、先日までがん治療を行っていたことを明らかにした。同氏がイタリア『コリエーレ・デラ・セーラ』で告白した。 ▽現役時代に強靭なフィジカルと抜群の得点感覚を武器にゴールを量産してきた生粋のストライカーだったヴィ 2018.11.26 19:52 Mon
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イタリア代表のニュース一覧

UEFAネーションズリーグ(UNL)準々決勝2ndレグ、ドイツ代表vsイタリア代表が23日に行われ、3-3で引き分けた。この結果、2戦合計スコアを5-4としたドイツがベスト4に進出している。 3日前の1stレグを2-1で逆転勝利したドイツは、1stレグのスタメンから4選手を変更。1stレグで先制弾を決めたクライン 2025.03.24 06:55 Mon
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イタリア代表を率いるルチアーノ・スパレッティ監督が23日にアウェイで行われるUEFAネーションズリーグ(UNL)準々決勝2ndレグのドイツ代表戦前日会見に臨んだ。 20日にホームで行われた1stレグでは先制する展開としながらも後半に2ゴールを許して逆転負けとなったイタリア。逆転突破を狙う中、スパレッティ監督は準決 2025.03.23 13:30 Sun
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ドイツ代表を率いるユリアン・ナーゲルスマン監督が23日にホームで行われるUEFAネーションズリーグ(UNL)準々決勝2ndレグのイタリア代表戦前日会見に臨んだ。 20日にアウェイで行われた1stレグでは後半に2ゴールを挙げて2-1の逆転勝利としていたドイツ。2006年ドイツワールドカップで苦杯を舐めた相手に対して 2025.03.23 12:30 Sun
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イタリアサッカー連盟(FIGC)は21日、イタリア代表に参加していたユベントスのDFアンドレア・カンビアーゾが離脱することを発表した。 カンビアーゾは16日に行われたセリエA第29節のフィオレンティーナ戦に69分から出場したが、プレー中に左足首を負傷すると、86分にFWサミュエル・バングーラと交代していた。 2025.03.22 08:00 Sat
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イタリアサッカー連盟(FIGC)は21日、イタリア代表に参加していたDFリッカルド・カラフィオーリが離脱することを発表した。 カラフィオーリは、20日にホームで行われたUEFAネーションズリーグ(UNL)準々決勝1stレグのドイツ代表戦に先発出場を果たしていた。 そのままフル出場かと思われた中、後半アディシ 2025.03.21 23:50 Fri
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イタリアの名ストライカー、ジャンルカ・ヴィアッリ氏ががん闘病を告白

▽かつてサンプドリアやユベントス、チェルシーで活躍した元イタリア代表FWのジャンルカ・ヴィアッリ氏(54)が、先日までがん治療を行っていたことを明らかにした。同氏がイタリア『コリエーレ・デラ・セーラ』で告白した。 ▽現役時代に強靭なフィジカルと抜群の得点感覚を武器にゴールを量産してきた生粋のストライカーだったヴィアッリ氏。また、プレイングマネージャーとしてチェルシーを率いた経験もある同氏は現役引退後、イタリア、イングランドの両国でコメンテーターを務め、趣味のゴルフにも興じるアクティブな生活を続けている。 ▽しかし、今回『コリエーレ・デラ・セーラ』のインタビューに答えたヴィアッリ氏は、1年ほど前からがん闘病をしていたことを明かした。 「今は本当にかなり元気だ」 「(闘病は)1年ほどだった。ただ、今では獣のような体格が戻って来ているよ。ただ、この闘いがいつどういった形で終わるのか確信が持てないでいる」 「(痩せた身体を隠すため)これまで自分のシャツの下にセーターを着ていたんだ。だから、誰も私の病気に気付いていなかったと思う。私は未だに有名人だからね」 「(今回の告白を決断した理由について)自分の物語が人生の重要な分岐点に差し掛かっている人たちに対して、少しでも刺激を与えられればいいと思っている」 「治療中に浮かんだ重要なフレーズは壁にポストイットで張り付けていたんだ。『人間は思考の産物だ』なんてね」 「大事なことは勝つことじゃない。勝者のような思考を持つことだ。人生に関しては自分たちに降りかかる出来事が10パーセントを占め、それに対処することに90パーセントが当てられていると思う」 「だから、私の物語が誰かの助けになることを望んでいる。そして、多くのことが自分の身に起きていることに正しい対処ができることを願っている」 2018.11.26 19:52 Mon
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ジャンルカ・ヴィアッリの訃報に接して/六川亨の日本サッカー見聞録

「訃報は続く」と言われるが、昨年末のペレに続いて1月8日には元ブラジル代表のストライカー、ロベルト・ディナミッチが腸癌のためリオデジャネイロの病院で死去した。68歳での他界は、やはり早いと言っていいだろう。 彼の名を初めて知ったのは78年アルゼンチンW杯だった。登録名(本名)はロベルト・ジ・オリヴェイラだったが、「ダイナマイトのような強烈なシュートを放つ」ことからジャーナリストがつけたニックネームがロベルト・“ディナミッチ(英語でダイナマイト)”だった。 ただ、78年アルゼンチン大会はCFにレイナウドがいて、ジーコもFW起用されるなど出場機会は限られ、スタメンに定着したのは2次リーグに入ってからだった(ブラジルは無敗だったが3位に終わる)。 そして4年後の82年スペインW杯もエースのカレッカ(元柏レイソル)の負傷により代表に招集されたものの、長身FWセルジーニョの控えに甘んじて、W杯ではニックネーム通りの活躍はできなかった。 そんな彼の訃報より衝撃的だったのが、1月6日に膵癌で死去した元イタリア代表FWのジャンルカ・ヴィアッリだ。まだ58歳という若さだった。 彼のプレーを初めて見たのは86年メキシコW杯の開幕戦、イタリア対ブルガリ戦の後半22分過ぎだった。ブルーノ・コンティに代わって出場したが、ポジションはCFではなく4-3-3の右ウイングだった。 まだ21歳と若く、荒削りな選手という印象を受けた。テクニックがあるわけではなく、どちらかというと屈強なフィジカルを生かし、相手をブロックしながら強引なドリブルでボールを運んでいた。 「イタリア人にしては下手な選手だな」というのが彼のプレーを見た最初の印象で、それは撮影していたカメラマンら同業者も同じ印象だった。そして誰が言うともなく、フリーライターの富樫洋一さん(2006年2月にアフリカ選手権を取材中にカイロで死去。54歳)の強引なプレーと「似ている」と意見が一致。 それを本人に伝えると褒められたと思ったのか、セリエA好きとも相まって後年は自ら『ジャンルカ・トト・富樫』と名乗るようになった。 前回覇者のイタリアは、グループリーグこそアルゼンチンに次いで2位で突破したものの、ノックアウトステージ1回戦でミシェル・プラティニ率いるフランスに0-2で敗れて姿を消した。そしてヴィアッリもこれといった印象を残すことなくメキシコを後にした。 しかしサンプドリアでは、FWロベルト・マンチーニやMFトニーニョ・セレーゾ(元鹿島監督)、DFペーター・ブリーゲルら実力者を揃え、ジェノバのプロビンチャを2シーズン連続して(87―88、88―89)コッパ・イタリア優勝に導いた。 さらに89-90シーズンはUEFAカップ・ウィナーズ・カップで優勝すると、90-91シーズンには初のスクデットを獲得すると同時に得点王にも輝いた。 ところが自国開催の90年イタリアW杯ではサルバトーレ(トト)・スキラッチやロベルト・バッジョらの台頭により活躍の場も少なく、その真価を発揮することはできなかった。 その後はユベントスやチェルシーといった名門クラブに移籍してチームにタイトルをもたらし、チェルシーではプレイングマネジャーとしても活躍。2020年には長年の友人であるマンチーニ代表監督のコーディネーターを務めてEUROの優勝に貢献。1968年の第3回大会の優勝以来、実に52年ぶりとなる欧州制覇だった。 しかし2018年に癌で闘病生活を送っていることを告白。19年には治療のため代表チームのコーディネーターからも外れて治療に専念したものの、残念ながら帰らぬ人となってしまった。 現役時代、全盛時を知っている選手の訃報に接すると心が痛むが、これも時の流れなのだろう。改めて2人の選手が安らかな眠りにつかれるようお祈りしたい。 2023.01.13 16:30 Fri

ジャンルカ・ヴィアッリの移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
1999年7月1日 チェルシー 引退 -
1996年7月1日 ユベントス チェルシー 完全移籍
1992年7月1日 サンプドリア ユベントス 完全移籍
1984年7月1日 クレモネーゼ サンプドリア 完全移籍
1980年7月1日 クレモネーゼ 完全移籍

ジャンルカ・ヴィアッリの監督履歴

就任日 退任日 チーム 種類
2019年11月11日 2022年12月14日 イタリア チームコーディネーター
2001年7月1日 2002年6月14日 ワトフォード 監督
1998年2月13日 2000年9月12日 チェルシー 監督

ジャンルカ・ヴィアッリの代表履歴

デビュー日 引退日 チーム
1985年11月16日 1992年12月19日 イタリア代表