フランツ・ベッケンバウアー

Franz BECKENBAUER
ポジション
国籍 ドイツ
生年月日 2024年01月07日(2歳)
利き足
身長
体重
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フランツ・ベッケンバウアーのニュース一覧

バイエルンは8日、背番号「5」を永久欠番とすると発表した。 これは今年1月に78歳で逝去したクラブきってのレジェンドOB、フランツ・ベッケンバウアー氏に敬意を示すもので、バイエルンの会長を務めるヘルベルト・ハイナー氏が年次総会にて明らかにした。 ベッケンバウアー氏の婦人であるハイジさん、息子のジョエルさんを 2024.12.09 12:46 Mon
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今回のコラムは昨日行われた第102回全国高校サッカー選手権の決勝、青森山田高対近江高の試合で書く予定でいた。しかし8日、「皇帝」と言われた西ドイツ(当時)のDFフランツ・ベッケンバウアー氏(78歳)の訃報が届いたので彼のエピソードを紹介したい。 それにしても訃報が続く。1月5日にはブラジル人のマリオ・ザガロ氏が9 2024.01.10 15:00 Wed
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本田圭佑が、8日に他界した元ドイツ代表DFのフランツ・ベッケンバウアー氏を追悼した。 8日、“皇帝”の愛称で親しまれたベッケンバウアー氏が亡くなっていたことが家族により発表された。 病を患っていた中で、7日に息を引き取ったとのこと。レジェンドの死にはサッカー界の多くの人から追悼メッセージが寄せられている。 2024.01.09 11:25 Tue
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フランツ・ベッケンバウアー氏が7日、78歳で死去していた。ベッケンバウアー氏の家族がドイツ通信社DPAに明かした。 声明にて「深い悲しみとともに、夫であり、父であるフランツ・ベッケンバウアーが昨日の日曜日(7日)、家族に見守られながら安らかに息を引き取ったことを発表します。静かに別れの時間を過ごすことをお許し頂き 2024.01.09 06:00 Tue
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新年、明けましておめでとうございます。 といったところで恐縮だが、やはり昨年末の29日に死去した“キング"ペレに触れないわけにはいかないだろう。 選手としてただ一人3度のW杯に優勝し、当時の優勝トロフィーだったジュール・リメ杯を永久保持する原動力となったことや、初めて1000ゴールを達成するなど「記録にも記 2023.01.02 22:00 Mon
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表彰見送りの「バロンドール」がドリームチームを発表!現役からはメッシ&C・ロナウドが選出

世界の年間最優秀選手に贈られる賞である「バロンドール」。今年は新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大の影響により表彰が中止となっていた。 しかし、主催する『フランス・フットボール』はバロンドールの審査員選定の「バロンドール・ドリームチーム」を発表した。 <div id="cws_ad">◆C・ロナウド、100試合出場のユベントスで決めたゴール集!<div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJ2NXR1dUdmeiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> 選定された11名はバロンドール受賞者に限らず、改めて『フランス・フットボール』の審査員が各ポジションから選出。[3-4-3]のシステムで選ばれている。 <span class="paragraph-title">GK:レフ・ヤシン(ソビエト連邦)</span> GKは唯一のバロンドール受賞者で“黒蜘蛛”の異名を誇った元ソビエト連邦代表GKレフ・ヤシンが選ばれた。1963年のバロンドールを受賞したヤシンは、GKとして唯一の受賞者。また、2019年からGK版のバロンドールと言われる「ヤシン・トロフィー」が創設され、唯一の受賞者として賞に命名されていた。 <span class="paragraph-title">CB:カフー(ブラジル)</span> 右のセンターバックはブラジル代表で活躍したカフー。バロンドールとは縁がないが、ローマやミランでプレーしセリエAで10年間プレー。1994年のアメリカ・ワールドカップ(W杯)、2002年の日韓W杯と2度のW杯制覇を成し遂げていた。 <span class="paragraph-title">CB:フランツ・ベッケンバウアー(ドイツ)</span> 中央のセンターバックはドイツのレジェンドであり“皇帝”と呼ばれたフランツ・ベッケンバウアーだ。1972年と1976年に2度バロンドールを受賞。DFとして3人しかいない受賞者のうちの1人であり、DFとして2度受賞した唯一の選手。最終候補にはさらに2度入ったこともある。 <span class="paragraph-title">CB:パオロ・マルディーニ(イタリア)</span> 左のセンターバックはイタリア代表として活躍し、ミラン一筋でキャリアを終えたパオロ・マルディーニ。バロンドールの受賞経験はないものの、ミランんで900試合以上プレーしたレジェンド。キャプテンとして長らくチームを牽引した。 <span class="paragraph-title">MF:ローター・マテウス(ドイツ)</span> ボランチの一角は“闘将”として知られる元ドイツ代表のローター・マテウス。1990年にバロンドールを受賞。ボランチ、そしてリベロとして活躍。ドイツ代表でも150試合に出場しているレジェンドだ。 <span class="paragraph-title">MF:チャビ・エルナンデス(スペイン)</span> もう1人のボランチはバルセロナで活躍した元スペイン代表のチャビ・エルナンデスだ。卓越したパスセンスを武器にバルセロナを長年支えるも、バロンドールの受章はなし。3位に3度選ばれた経験がある。 <span class="paragraph-title">MF:ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)</span> 攻撃的なミッドフィルダーの1人は、先日他界し世界中が悲しみにくれたアルゼンチンのレジェンド、ディエゴ・マラドーナだ。言わずもがな、サッカー界のレジェンドだが、現役当時はバロンドールの受賞資格がなかったために受賞はなし。しかし、バロンドール60周年を迎えた2016年に再評価。1986年と1990年の2度受賞したことになっている。 <span class="paragraph-title">MF:ペレ(ブラジル)</span> 攻撃的なミッドフィルダーの1人は、同じくサッカー界のレジェンドである元ブラジル代表FWペレだ。サッカー界No.1のレジェンドでもあるペレだが、マラドーナ同様にバロンドールの受賞資格はなし。しかし、再評価により7度の受賞が認められ、史上最多になっていたこととなる。 <span class="paragraph-title">FW:リオネル・メッシ(アルゼンチン)</span> 右ウイングはバルセロナのエースであり、史上最多6度のバロンドール受賞を誇るアルゼンチン代表FWリオネル・メッシだ。昨年のバロンドール受賞者であるメッシは、過去に4年連続受賞を誇るなど世界最高峰の1人。2位も5回経験がある。 <span class="paragraph-title">FW:クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル)</span> 左ウイングはメッシとともに現代サッカー界のトップに君臨するユベントスのポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド。メッシに次いで5度のバロンドール受賞歴があ理、2011年から9年連続最終候補3名に入っている。 <span class="paragraph-title">FW:ロナウド(ブラジル)</span> センターフォワードはバルセロナ、レアル・マドリー、インテル、ミランなどで活躍した元ブラジル代表FWロナウドだ。バロンドールは1997年と2002年の2度受賞。ケガに悩まされるキャリアだったが、“フェノーメノ”の愛称の通り、全盛期は誰も止められないプレーを披露し数多くのゴールを奪った。 ◆バロンドール・ドリームチーム GK:レフ・ヤシン DF:カフー、フランツ・ベッケンバウアー、パオロ・マルディーニ MF:ローター・マテウス、チャビ・エルナンデス MF:ペレ、ディエゴ・マラドーナ FW:リオネル・メッシ、ロナウド、クリスティアーノ・ロナウド 2020.12.15 10:40 Tue
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皇帝の訃報に思うこと/六川亨の日本サッカーの歩み

今回のコラムは昨日行われた第102回全国高校サッカー選手権の決勝、青森山田高対近江高の試合で書く予定でいた。しかし8日、「皇帝」と言われた西ドイツ(当時)のDFフランツ・ベッケンバウアー氏(78歳)の訃報が届いたので彼のエピソードを紹介したい。 それにしても訃報が続く。1月5日にはブラジル人のマリオ・ザガロ氏が92歳で逝去した。選手として、そして監督としても初めてW杯を制したザガロ氏。彼には、かつて東京ガスの招きでサッカークリニックに来日した際にインタビューしたことがあった。若気の至りで「74年のW杯ではクライフのオランダに完敗しましたね」と聞いてしまったが、通訳の方が気を利かして質問をスルーしてくれたので助かった思い出がある。 昨年10月にはボビー・チャールトン氏(86歳)も他界した。中学・高校時代に憧れた選手が次々といなくなるのは寂しいものだ。 ベッケンバウアー氏のプレーを初めてテレビで見たのは、三菱ダイヤモンドサッカーが放映した70年メキシコW杯だった。衝撃的だったのが準決勝のイタリア戦だ。 開始8分にFWロベルト・ポニンセーニャのゴールでイタリアが先制。試合中には接触プレーで倒されたMFベッケンバウアーが、右肩を脱臼しながらも包帯で腕を吊ってプレーを続行した。そして90分、DFカール=ハインツ・シュネリンガーのスライディングシュートで西ドイツが土壇場でタイスコアに追いついた。 ここから両チームは壮絶な点の取り合いを演じた。まず94分、FWゲルト・ミュラーが西ドイツの逆転ゴールを決めると、98分にはDFタルチシオ・ブルニチが同点ゴールをゲット。そして108分にイタリアはFWルイジ・リーバが勝ち越しに成功したが、110分に再びミュラーがゴールを決めて3-3のイーブンに戻す。しかし111分、MFジャンニ・リベラの決勝点でイタリアがファイナルへの出場権を獲得したのだった。 西ドイツにとって不運だったのは、準々決勝のイングランド戦に続いての延長戦だったこと。前回イングランドW杯決勝と同じ顔合わせとなった試合は、イングランドがMFアラン・マレリーとMFマーチン・ピータースのゴールで2点を先行した。 しかし西ドイツは68分にベッケンバウアーが1点を返すと、76分にFWウーベ・ゼーラー、108分にミュラーが決勝点を奪って前回大会の雪辱を果たしたのだった。「ゲルマン魂」という言葉を初めて聞いたのも、70年メキシコW杯だったと記憶している。 ザガロ氏に続いて、選手としても監督としてもW杯を制したベッケンバウアー氏(3人目はディディエ・デシャン)。選手としてバイエルン・ミュンヘンで頂点を極め、西ドイツ代表として72年のEUROと74年のW杯で王者となり、監督としてもバイエルンやオリンピック・マルセイユ、そしてドイツ代表を率いてチームを優勝へ導いた。バロンドールなどの個人タイトルも数え切れないほど受賞している。 そんなベッケンバウアー氏を、同じドイツ人ジャーナリストのマーティン・ヘーゲレ氏は「ミスター・パーフェクト。何をやっても成功する強運の持ち主だ」と感嘆していた。 「皇帝」の安らかな眠りを祈りたい。 2024.01.10 15:00 Wed
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元西ドイツ代表エースでハンブルガーSVのレジェンドであるゼーラー氏が85歳で他界

かつて西ドイツ代表として活躍し、ハンブルガーSVでキャリアの大半を過ごしたウーヴェ・ゼーラー氏が他界した。85歳だった。 ハンブルク出身のゼーラー氏は、地元クラブのハンブルガーSVのユース育ち。そのままファーストチームに昇格した。 1953年から1972年まで、20シーズンにわたってハンブルガーSVでプレー。580試合で490ゴールを記録し、偉大なストライカーとして名を残している。 西ドイツ代表としても72試合で43ゴールを記録。4度のワールドカップに出場し、1966年のイングランド大会では決勝でイングランドと対戦し敗れていた。W杯4大会では全て複数得点を記録しており、これは史上2人しか達成していない記録。もう1人は、同じドイツ人のFWミロスラフ・クローゼとなっている。 西ドイツ代表としてはキャプテンを務めた時期もあり、フランツ・ベッケンバウアー氏らともプレー。引退後には名誉キャプテンにも就任した。さらに1995年には古巣であるハンブルガーSVの会長に就任したが、1998年にスキャンダルの影響で関与はしていなかったものの辞任していた。 クラブ幹部のヨナス・ボルド氏は、公式サイトを通じて追悼のメッセージを送っている。 「ウーヴェ・ゼーラーは、善良な人間を特徴付ける全ての要素を兼ね備えていました」 「実直さ、忠誠心、生きる喜び、そしていつも親しみやすい人でした。彼はハンブルーがSVの典型的な例です」 「個人的には、彼の最後の誕生日を一緒に過ごしたことが特別な思い出になっています。彼は店で話をし、彼にとってのハンブルガーSVについて聞けば、私にヒントといくつかの格言をくれました」 「我々は彼のことを決して忘れることなく、ずっと大切にしていきます。今、我々は彼の家族に思いを寄せ、心から哀悼の意を表します」 2022.07.22 10:45 Fri
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“皇帝”が“王様”の死を悼む…ベッケンバウアー氏が急逝のペレ氏を追悼「唯一無二の友人を失った」

元西ドイツ代表DFで、“皇帝”とも称されるフランツ・ベッケンバウアー氏が、ペレ氏を追悼した。 29日、“サッカーの王様”と称されるブラジルのレジェンド、ペレ氏(享年82)が逝去した。 ワールドカップ(W杯)を3度制した唯一の選手であり、ブラジルサッカー界にとって神のような存在でもあるレジェンド。多くのサッカー選手のお手本となった。 王様と呼ばれるペレに対し、“カイザー(皇帝)”と呼ばれたベッケンバウアー。サッカー史に残る偉大なレジェンド同士は、引退後も関係が深く、サッカー界で大きな影響を及ぼしてきた。 ベッケンバウアー氏は、自身のSNSを更新しペレ氏を追悼。友人の死を偲んだ。 「今日、サッカーはその歴史上最も偉大な選手を失いました」 「そしては私は、唯一無二の友人を失いました」 「サッカーは永遠にあなたのものです。安らかに眠ってください」 2022.12.31 21:55 Sat
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選手&監督でW杯を制したデシャン監督、2026年の北中米W杯後にフランス代表監督を退任へ「頭の中ではとても明確」

フランス代表を指揮するディディエ・デシャン監督(56)が、2026年の北中米ワールドカップ(W杯)を最後に退任することを発表した。 現役時代はフランス代表としても活躍し、1998年のフランスW杯でキャプテンとして見事に優勝。引退後に指導者に転身すると、クラブチームを指揮した中、2012年にフランス代表の監督に就任。2018年のロシアW杯で見事に優勝に導き、マリオ・ザガロ氏、フランツ・ベッケンバウアー氏に続いて、選手と監督としてW杯を制する3人目の偉業を達成した。 また、2016年のユーロでは準優勝、2022年のカタールW杯でも準優勝と結果を残してきたデシャン監督だが、フランス代表としてのキャリをの終わりを口にした。 フランス『TF1』でのインタビューでデシャン監督は「2026年には終わるだろう。私の頭の中で、それはとても明確だ」と、自身の中で決断を下しているという 「私はフランスを最高レベルに維持するという同じ願望と情熱を持って、自分の時間を全うした」 「もう辞めよう、この後の人生もある。と言えるようにならなければならない。フランスにとって最も重要なのは、長年そうであったように、トップの座を維持することだ」 2026年北中米W杯の予選に関しては、ヨーロッパではまだスタートしていない状況。フランス代表も出場権を確保できるかは未確定だが、まずは3月のUEFAネーションズリーグの結果でグループが決定する。 2025.01.08 23:45 Wed