野沢拓也

Takuya NOZAWA
ポジション MF
国籍 日本
生年月日 1981年08月12日(43歳)
利き足
身長 176cm
体重 70kg
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野沢拓也のニュース一覧

14日、元北朝鮮代表MF梁勇基(42)の引退試合がユアテックスタジアム仙台で行われた。 ベガルタ仙台で合計18年間、サガン鳥栖で2年間のプロ生活を過ごした梁勇基。昨シーズン限りで現役に終止符を打った。 手倉森誠監督率いる「ベガルタ仙台レジェンズ[2011-2013]」と平山相太監督率いる「梁勇基フレンズ」に 2024.12.14 16:10 Sat
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鹿島アントラーズは15日、本山雅志アカデミースカウト、岩政大樹監督、青木剛氏の3名にアントラーズ功労賞に認定された。認定者は合計24人目となった。 本山氏は東福岡高校から1998年に鹿島に入団。2015年までプレーすると、その後ギラヴァンツ北九州、マレーシアのクランタン・ユナイテッドでプレーし、2022年に現役を 2023.08.15 16:45 Tue
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鹿島アントラーズの元日本代表MF土居聖真が何気なく見せたワンプレーが反響を呼んでいる。 今季の鹿島でキャプテンを務め、ここまで明治安田生命J1リーグ22試合、YBCルヴァンカップ7試合、天皇杯4試合に出場している土居。10日に行われたJ1第29節の京都サンガF.C.戦にも先発し58分までプレーした。 試合は 2022.09.13 19:45 Tue
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鹿島アントラーズの功労選手賞が発表されたが、人選に疑問を呈する声があるようだ。 鹿島は9日、2020シーズンで現役を引退した曽ヶ端準氏、野沢拓也氏、内田篤人氏の3名にアントラーズ功労賞を授与することを発表した。 3名は誰しもが納得の受賞だが、選外となった鹿島のアシスタントコーチがぼやいた。 岩政大樹氏 2022.06.10 07:07 Fri
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鹿島アントラーズは9日、2020シーズンで現役を引退した曽ヶ端準氏、野沢拓也氏、内田篤人氏の3名にアントラーズ功労賞を授与することを発表した。授賞者は合計21人目となった。 曽ヶ端氏は、鹿島ユースから1998年にトップチーム昇格。小笠原満男氏、中田浩二氏、本山雅志氏らと同期入団となった。 2001年に正守護 2022.06.09 15:40 Thu
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鹿島や仙台でプレーしたMF野沢拓也が39歳で現役引退「サッカー、楽しかったです!」

FC TIAMO枚方は30日、元日本代表MF野沢拓也(39)の現役引退を発表した。 野沢は鹿島アントラーズの下部組織出身で、1999年に2種登録ながらプロデビュー。2020年に昇格した。 2012年にはヴィッセル神戸へ完全移籍するも、2013年には鹿島に復帰。2014年8月にベガルタ仙台へ完全移籍すると、オーストラリアのウーロンゴン・ウルブスを経て、2019年1月にFC TIAMO枚方へ加入していた。 卓越したゲームメイク力と、正確なキックでプレースキッカーを務めるなどした野沢は、J1通算384試合70得点、リーグカップ通算74試合8得点を記録。関西1部でも21試合で16得点を記録していた。 野沢はクラブを通じてコメントしている。 「2020年限りで引退することに決めました。近年は、いつかは訪れる『引退』について考え始めていたようで、全く考えていなかったような…でも、ずっと考えていたような、そんな毎日でした。だから、自分でも何が決め手になったのか、うまく説明できません。体力的なこととか、気持ちの部分で頑張れなくなったとか、そういった理由もどこかピンとこない気がします」 「でも、自分の心がここで終わりだと言っているので素直にそれを受け入れようと思います」 「ジュニアユース時代からお世話になった鹿島アントラーズ。野沢拓也を育ててくれた、親以上の存在でした。僕はアントラーズのおかげでプロサッカー選手となり、仲間と共に『タイトル』を目指して戦う面白さ、タイトルを手にする喜びを知りました。あの中盤でサッカーができたのは僕の宝物です。自分の中にアントラーズのDNAが流れていることを誇りに思います」 「初めての移籍を経験したヴィッセル神戸。自分の力を発揮できなくて、チームを助けられなくて申し訳なかったという気持ちは今も持っています。僕は神戸の街も、サポーターも、大好きでした」 「3年半、プレーさせてもらったベガルタ仙台。東日本大震災という大きな悲しみから立ち上がろうとする街、人たちに温かく迎え入れてもらい、自分にできることはサッカーしかない、サッカーで力になるしかないと改めて胸に誓って戦った時間でした」 「ウーロンゴン・ウルブス。ブラジル留学をした時以来の『海外』でしたが、Jリーグとはまた違う景色をたくさん見て、感じられて、言葉に変え難い経験をできたことは人生の財産になりました」 「FC TIAMO枚方。僕にとっては初めての社会人チームでしたが、純粋にサッカーを楽しめた2年間でした。仕事をしながらサッカーをする仲間の姿にたくさんの刺激をもらい、自分自身も改めてサッカーの魅力にとりつかれたような感覚にもなりながら中身の濃い時間を過ごすことができました」 「そして、サポーターの皆さん!ともに戦い、喜び、泣いて、時には厳しい言葉をかけてもらってボールを蹴ることができ、幸せでした。いろんなチームで掲げてもらったゲーフラも、チャントも本当に嬉しかった。ありがとう!」 「最後になりましたが、こんなにも長く、大好きなサッカーを続けられたのは、僕のサッカー人生に寄り添い支えてくれた家族や仲間、在籍したクラブでお世話になった皆さん、共に戦った選手、スタッフのおかげです。この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。サッカー、楽しかったです!ありがとうございました」 2020.12.30 13:10 Wed
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2020年引退の内田篤人、曽ヶ端準、野沢拓也が「アントラーズ功労賞」を受賞…通算21人

鹿島アントラーズは9日、2020シーズンで現役を引退した曽ヶ端準氏、野沢拓也氏、内田篤人氏の3名にアントラーズ功労賞を授与することを発表した。授賞者は合計21人目となった。 曽ヶ端氏は、鹿島ユースから1998年にトップチーム昇格。小笠原満男氏、中田浩二氏、本山雅志氏らと同期入団となった。 2001年に正守護神となると、その後は長年鹿島のゴールを守り、J1通算533試合に出場。7度のリーグ優勝など多くのタイトル獲得に貢献。現在は、GKアシスタントコーチを務めている。 野沢氏は、1999年に鹿島ユースから昇格。高いキックの技術と天才的なゲームメイク力でチームの主軸に定着した。 その後、ヴィッセル神戸やベガルタ仙台、オーストラリアのウーロンゴン・ウルブスでプレー。キャリア最後は関西サッカーリーグ1部のFCティアモ枚方でプレーしていた。 内田氏は、清水東高校から2006年に鹿島に入団。クラブ史上初となる高卒ルーキーの開幕スタメン起用。右サイドバックとして君臨すると、その後にはシャルケへと渡りここでもファンに愛される選手となる。 その後、ウニオン・ベルリンを経て、2018年に鹿島に復帰。しかし、ケガの影響もあり、2020年で現役をしていた。日本代表通算74試合2得点。現在は日本サッカー協会(JFA)のロールモデルコーチを務めている。 アントラーズ功労賞は、クラブの発展に寄与した人物をたたえるため2008年に制定されたもの。功労賞受賞者はカシマサッカーミュージアム内にある「アントラーズ殿堂」に掲額される。 ◆過去の受賞者(五十音順) 秋田豊 新井場徹 アルシンド 内田篤人 オズワルド・オリヴェイラ 黒崎久志 ジーコ ジョルジーニョ 相馬直樹 曽ヶ端準 ダニー石尾 トニーニョ・セレーゾ 中田浩二 名良橋晃 野沢拓也 長谷川祥之 ビスマルク 本田泰人 宮本征勝 柳沢敦 2022.06.09 15:40 Thu
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仙台の象徴、10番・梁勇基が直接FKなど計4得点! GKが忖度なしの好守連発も4-4の打ち合いで引退試合終える

14日、元北朝鮮代表MF梁勇基(42)の引退試合がユアテックスタジアム仙台で行われた。 ベガルタ仙台で合計18年間、サガン鳥栖で2年間のプロ生活を過ごした梁勇基。昨シーズン限りで現役に終止符を打った。 手倉森誠監督率いる「ベガルタ仙台レジェンズ[2011-2013]」と平山相太監督率いる「梁勇基フレンズ」に分かれ、前半は梁勇基がレジェンズでプレー。J1リーグを2位で終え、AFCチャンピオンズリーグにも出場した当時のメンバーたちとともにプレーした。 試合は早速、梁勇基擁するレジェンズの富田晋伍がミドル。梁勇基も積極的にボールに絡み、太田吉彰のシュートにも繋げていく。 一方、佐藤寿人や野沢拓也、安英学らが先発したフレンズは、今シーズン限りで引退の遠藤康がゲームメイク。しかし、8分にはレジェンズが太田の右クロスから赤嶺真吾がニアでボレー。惜しくも枠の左に外れる。 運動量で勝るレジェンズが主導権を握り、11分にはハイプレスから梁勇基にチャンス。ボックス手前から左ポケットへ持ち込み、左足を振るが、これは枠を外れてしまう。 関口訓充もシュートを打っていくなか、18分には攻勢のレジェンズが選手交代し、田村直也が登場。すると19分、こちらも今シーズン限りで引退の蜂須賀孝治がボックス手前やや左寄りの絶好の位置でFKを獲得。梁勇基が直接狙うが、ゴールに左に飛んだボールはGK高桑大二朗がセーブする。 23分にも梁勇基が直接FKを狙うが、またもGK高桑がファインセーブ。関口のヒールの落としから梁勇基がボックス内から右足シュートのシーンもあったが、ここもGK高桑が立ちはだかる。 赤嶺との一対一も高桑がセーブすると、フレンズにもチャンス。佐藤が最終ラインの裏へ抜け出すも、左ポケットからのシュートはサイドネットを外から揺らす。 フレンズは26分、平岡康裕以外の10人が交代。好セーブを連発した高桑もここでピッチを去ると、レジェンズもウィルソンらを投入する。 なかなかフレンズの守備を崩せないレジェンズ。40分にはウィルソンが自ら仕掛けてシュートも、右ポストをかすめて枠を外れる。直後には梁勇基のラストパスから中原貴之がシュートも吹かしてしまう。 ついに均衡が破れたのは前半終了間際。梁勇基がボックス手前フリーでパスを受けると、1人かわしてゴール右隅へ。試合の主役が先制ゴールを奪う。 後半は梁勇基がフレンズでプレー。それでも開始直後、レジェンズはウィルソンが強烈な左足シュートを放っていく。 フレンズも盛り返した後半は膠着状態が続くが、58分に転機。菅井直樹がボックス内で遠藤を倒してしまい、フレンズがPKを獲得。梁勇基がゴール右隅を狙ったが、GK関憲太郎が読み切ってストップした。 それでも62分に同点弾。一度は防がれながらボックス内で細かく繋ぐと、最後は梁勇基、遠藤と繋げて佐藤が左足でフィニッシュ。ゴール後にはフレンズの選手たちがピッチに寝転び、人文字で梁勇基の背番号「10」を形作った。 再び勝ち越したいレジェンズは、ウィルソンが再三のシュートもフレンズの六反勇治がストップ。しかし69分、右クロスに飛び込んだウィルソンがファウルを受け、レジェンズがPKを獲得。梁勇基がレジェンズのユニフォームを上から着用してキッカーを担当すると、今度はGK六反の手を弾いてゴール左下に成功させる。 さらに77分、赤嶺が左ポケットから中央へラストパスを送ると、待ち構えていたのはウィルソン。左足ダイレクトで合わせ、ゴール左上に突き刺した。 一気にオープンな展開となり、2分後にはフレンズがゴール。右ポケットへ抜け出した萬代宏樹がゴール方向へ持ち直してから左足で流し込む。 81分には、ゴール前に斜めに走り込んだ梁勇基がスルーパスをワンタッチで流し込み、ハットトリックを達成。フレンズが立て続けの2得点で追いつく。 追いつかれたレジェンズも、フィールドプレーヤーとしてピッチに立った林卓人が強烈なシュート。89分には林の左クロスのこぼれ球を斉藤大介が繋ぎ、ゴール前の関口がヒールで流し込んだ。 後半アディショナルタイムには最後の見せ場。フレンズがボックス手前でFKを獲得すると、キッカーはもちろん梁勇基。一度目のシュートはGK関の正面を突いたが、西村雄一主審が蹴る前に壁が動いたとしてやり直しを指示。今度はゴール左隅に決め、4得点目を記録した。 ゴール後には両チームの選手に胴上げされ、試合終了のホイッスル。梁勇基が4得点の活躍で、試合は4-4の引き分けに終わった。 ベガルタ仙台レジェンズ 4-4 梁勇基フレンズ 【レジェンズ】 梁勇基(前45、後26[PK]) ウィルソン(後32) 関口訓充(後44) 【フレンズ】 佐藤寿人(後17) 萬代宏樹(後34) 梁勇基(後36、後45+3) 2024.12.14 16:10 Sat