ペトル・チェフ
Petr CECH
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| ポジション | GK |
| 国籍 |
チェコ
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| 生年月日 | 1982年05月20日(43歳) |
| 利き足 | |
| 身長 | 196cm |
| 体重 | 87kg |
| ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
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“笑顔”が似合う稀代の天才、記録以上に記憶に残るロナウジーニョ
サッカー界にはこれまでも数々の天才と呼ばれる選手は存在した。 大半はその国を代表する選手であり、引退後もレジェンドとして大きく扱われ、事あるごとに駆り出されることが多い。もちろん、タイトルも獲得し、名実ともに世界的に名の知れた選手たちだ。 テクニックのある選手、多くのゴールを決めた選手、タイトルを数多く獲った選手など様々。中には、スタジアムや大会に名を残す人もいる。 数いる天才の中、最もサッカーを楽しみ、最も楽しませてくれた男と言っても過言ではないのがロナウジーニョだ。 <span class="paragraph-title">◆“笑顔”が似合う天才</span> ロナウジーニョの名前を聞いてまず最初に思い浮かべるのは何か。素晴らしいテクニック、あっと驚くパフォーマンス…どれも間違ってはいないが、やはりあの“笑顔”だろう。 ロナウジーニョ以上にタイトルを獲った選手も、ロナウジーニョ以上に功績を残した選手も多くいる中、あの笑顔でプレーを続けた選手はいない。誰よりもサッカーを楽しみ、それがどんな場面であっても崩れることはない。まるで遊んでいるかのようなプレースタイルは、一気にファンを虜にした。 その笑顔には歴代のレジェンドたちも称賛の言葉を残しておりミシェル・プラティニ氏は「あの笑顔でみんなを引きつける」と評価すると、最大のライバルであるアルゼンチンのレジェンドであるディエゴ・マラドーナ氏も「楽しそうにプレーし、その喜びをピッチにもたらしている」と称賛したほどだ。 そのロナウジーニョはブラジルのグレミオでキャリアをスタート。2001年にパリ・サンジェルマン(PSG)に引き抜かれヨーロッパへと渡る。 当時のPSGは今のクラブとは違い、多くの資金をバックに選手を獲得していたわけではなかった。それでも、その才能には多くのクラブが注目しており、アーセナルもPSGより前に目をつけていた。しかし、イギリスの労働許可証が取得できずに断念していた過去もある。 自身初のヨーロッパ挑戦となったロナウジーニョ。テクニックの高さはあるものの、激しいプレースタイルのフランスで当初は苦しむ。 しかし、徐々にサッカーに慣れると、得点を奪うようになる一方で、ブラジル人に有りがちなピッチ外での問題で監督との仲も怪しくなった。 <span class="paragraph-title">◆キャリアを変えたバルセロナへの移籍</span> 2003-04シーズンにバルセロナへと加入したロナウジーニョ。この移籍がキャリアを大きく変えることとなる。 バルセロナが当初狙っていたのはマンチェスター・ユナイテッドのイングランド代表MFデイビッド・ベッカムだったが、宿敵レアル・マドリーへの移籍が決定してしまう。そこで、バルセロナはユナイテッドが狙っていたロナウジーニョに手を出し、獲得に成功する。 バルセロナ加入当初もケガなどで苦しんだロナウジーニョだが、ここでも慣れると才能を発揮。高いテクニックを生かしたプレーや、緩急をつけたドリブル、ボディフェイントを駆使した突破など、対峙するディフェンダーを翻弄させ続けた。 現在バルセロナのエースであるアルゼンチン代表FWリオネル・メッシのキャリアスタート時にも共にプレー。メッシの凄さは説明するまでもないが、そのメッシを上回るほどの存在感を見せていたのはロナウジーニョだった。 バルセロナではラ・リーガで2度、チャンピオンズリーグで1度と数多くのタイトルを獲得したわけではない。しかし、印象に残るプレー、印象に残るゴールは数々残しており、バルセロナで大きな成功を収めている印象が強いはずだ。 その後はミランやフラメンゴ、アトレチコ・ミネイロ、ケレタロ、フルミネンセと渡り歩き、現役を引退している。 <span class="paragraph-title">◆記録よりも記憶に残る天才</span> ロナウジーニョのプレーは、挙げればキリがないほど記憶に残るスペクタクルなプレーが数多くある。 輝かしいキャリアとなったバルセロナでは、初ゴールが何よりも衝撃だった。 2003年9月3日のラ・リーガ第2節セビージャ戦。バルセロナ1点ビハインドの0-1で迎えた58分、GKビクトール・バルデスが左サイドのロナウジーニョに展開すると、ボールを受けたロナウジーニョはドリブルを開始。まずは相手MFホセ・ルイス・マルティを簡単にかわすと、追いかけてきたMFハビエル・カスケーロもフェイントでいなす。そして、スピードに乗ったロナウジーニョはゴールまでおよそ27mの位置から右足を一閃。矢のようなシュートは、相手GKアントニオ・ナタリオの手をかすめ、クロスバーを直撃してゴールに吸い込まれた。 <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJrWGVOMUc3NCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> これが、ロナジウジーニョ伝説のスタートとなるラ・リーガ初ゴール。いきなり見せつけた格好となった。 数々のドリブルスキルで翻弄されたDFもたくさんおり、多くの相手が止めるのに苦労したロナウジーニョ。本人はその試合中にも笑顔を絶やさず、常に楽しそうにプレーを続けていた。 その姿はありえない相手からの称賛を受けることにもつながる。 <span class="paragraph-title">◆ベルナベウでのスタンディングオベーション</span> それが起こったのは、2005-06シーズンの11月に行われた、レアル・マドリーとの“エル・クラシコ”だ。 前年の2004-05シーズンにはFIFA最優秀選手賞を受賞したロナウジーニョ。シーズン最初の“エル・クラシコ”で圧巻プレーを見せる。 リオネル・メッシのゴールで先制したバルセロナ。59分にロナウジーニョがまずは見せる。 ハーフウェイライン付近の左サイドからドリブルを開始したロナウジーニョは、対峙したDFセルヒオ・ラモスを簡単にかわして侵攻。そのままボックスに入り込むと、立ちはだかったDFイバン・エルゲラに対し全くスピードを落とすことなく、上半身のボディフェイントだけで何事もなかったようにエルゲラをかわしてシュート。ロベルト・カルロスが必死にブロックするも、間に合わずにゴールを奪う。 さらに、77分には、スペースがある中でロナウジーニョがパスを受けると、一気にスピードを上げてドリブル開始。再び対峙したDFセルヒオ・ラモスをあっさりかわすと、ボックス内左から冷静にシュート。2点目を奪ってみせたのだ。 <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJQZkNxdVk5YiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 圧巻の個人技で2発。若き日のセルヒオ・ラモスをいとも簡単にかわしてゴールを奪ったロナウジーニョに対し、サンティアゴ・ベルナベウに詰め掛けた8万7000人もの観客は、スタンディングオベーションでそのパフォーマンスを称えた。 永遠のライバルであるレアル・マドリーのファンにまでも、拍手をさせたロナウジーニョのプレーはこの世のものとは思えないと言えるだろう。 <span class="paragraph-title">◆ロナウジーニョらしさが凝縮した一撃</span> チームが敗れてもなおインパクトを残しているシーンもある。それがバルセロナ2シーズン目。2004-05シーズンのチャンピオンズリーグ ラウンド16のチェルシー戦でのゴールだ。 <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJHOHVITjdkSiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2005年3月8日に行われた試合。ホームでの1stレグで2-1と先勝していたバルセロナは、準々決勝進出に向けて敵地で対戦。しかし、開始19分でまさかの3失点という衝撃の展開となる。 逆転を許しているバルセロナだったが、ロナウジーニョはPKを決めて1点差とすると、39分に衝撃のゴールを決めた。 前線にロングボールが送られるもジョン・テリーがクリア。しかし、これを拾ったアンドレス・イニエスタが横パスを出すと、ペナルティアークでロナウジーニョがパスを受ける。 すると、リカルド・カルバーリョが立ちはだかるも、ロナウジーニョは左、右とキックフェイント。動じないカルバーリョだったが、一瞬の隙を突いたロナウジーニョは突然トゥキック。狭いコースを抜けたシュートはゴール左隅に吸い込まれた。 チェルシーの守護神であり、世界でも指折りのGKだったペトル・チェフも全く反応できない完璧なゴール。まるで時を止めたかのようなシュートはロナウジーニョを語る上で外せないゴールだ。なお、試合はチェルシーが追加点を奪い、バルセロナは敗退。しかし、ロナウジーニョのゴールの衝撃が強すぎる試合となっている。 記録以上に記憶に残る数々のプレーを見せてきたロナウジーニョ。引退後は何かとお騒がせなイメージもあるが、その時でも“笑顔”は忘れない。いつだって楽しむことを忘れない稀代の天才は、この先どんな凄い選手が現れようとも、その存在が薄れることはないだろう。 <div id="cws_ad"><hr>パリ・サンジェルマンやバルセロナ、ミランなどのクラブチームで活躍し、ブラジル代表としてもワールドカップを制したロナウジーニョが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せた誰もを魅了するスーパープレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。</div> <a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://ryan.onelink.me/C7cD/f7dd12&c=sega_20210715_2" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20210715.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> 2021.07.19 11:40 Mon2
アーセナルGKラヤが今季プレミアのゴールデングローブ賞確定 ローン加入の身ながら栄冠
アーセナルのスペイン代表GKダビド・ラヤが今季のプレミアリーグでゴールデングローブ賞を手にする見通しとなった。イギリス『BBC』が報じた。 ゴールデングローブ賞は1シーズンを通じて最も多くのクリーンシート数をマークしたGKに贈られ、28歳GKは第35節終了時点でトップとなる14回を記録。続くのは2試合差で追いかけるエバートンのイングランド代表GKジョーダン・ピックフォードで、唯一の対抗馬だった。 そんなエバートン守護神だが、第36節のルートンタウン戦で失点。残り2試合を無失点でやり切っても追いつくのが精一杯となり、アーセナルの選手として2015-16シーズンのペトル・チェフ氏以来となるラヤの受賞が確定した。 ラヤは昨夏にブレントフォードからローン加入し、残り3試合のここまで29試合に出場。第5節で先発の座を奪取すると、以降もイングランド代表GKアーロン・ラムズデールをベンチに追いやり、欠場は保有権を持つブレントフォードとの2試合だけとなっている。 2024.05.04 14:50 Sat3
クルトワのレアル・マドリー移籍が完了! 「この瞬間を子供の頃から常に夢見ていた」
▽レアル・マドリーは9日、チェルシーからベルギー代表GKティボー・クルトワ(26)を獲得したことを発表した。メディカルチェックをパスした同選手は2024年6月30日までの6年間の契約にサインした。 ▽なおスペイン『アス』の伝えるところによれば、移籍金は4000万ユーロ(約51億5000万円)となった。 ▽フロレンティーノ・ペレス会長と共にサンティアゴ・ベルナベウでのお披露目会見に臨んだクルトワは新天地での意気込みを語った。 「世界最高のクラブに加入することは決して簡単なことではないよ。僕はこれまで一生懸命に努力を続けてようやくここにたどり着いた。この瞬間を子供の頃から常に夢見ていたんだ」 「世界最高のクラブの一員になれたことを心から嬉しく思うし、ここでの新たなシーズンのスタートを心待ちにしているよ。できるだけ良いコンディションを整えたいと思っているよ」 「このクラブは3年連続でチャンピオンズリーグを制覇してきたけど、これからより多くのトロフィーを勝ち取りたいと思っているよ」 ▽また、クルトワはマドリー移籍を望んだ理由に関して以前から語っていたように、家族と一緒に暮らしたいという思いがあったと説明している。 「できるだけ家族の近くで暮らしたかったんだ。今回、その願いを叶えるために尽力してくれたすべての人に感謝したい。とりわけ、子供たちと母親には感謝しているよ。僕たちはもはや一緒の(婚姻)関係ではないけど、常に特別な人だと思っている。今では僕は別のマドリディスタだ。アラ、マドリー!」 ▽さらに、これから宿敵として対峙する古巣のアトレティコ・マドリーに関しては「アトレティコに敬意を表したい」と複雑な胸中を口にした。 「マドリーでプレーする他の人たちと同じようにアトレティに対して多くの敬意を抱いているんだ。彼らは僕に出場機会とチャンスを与えてくれた。そのすべてに感謝しているよ。ただ、今僕は昔からプレーしたかったクラブの一員となった。だから、彼らからの特別な扱いは期待していないよ」 ▽2009年にヘンクでプロデビューしたクルトワは、2011年の夏にチェルシーへ加入。しかし、当時のチェルシーには絶対的守護神の元チェコ代表GKペトル・チェフ(現アーセナル)が所属していたため、2011-12シーズンから3年間にわたってアトレティコ・マドリーにレンタル移籍。 ▽2014年夏からチェルシーに復帰すると、これまで在籍4シーズンで公式戦154試合に出場し58試合のクリーンシートを達成。昨シーズンもアントニオ・コンテ前監督の下で守護神として活躍し、プレミアリーグ35試合を含む公式戦46試合に出場していた。 2018.08.09 22:20 Thu4
アイスホッケー挑戦のチェフがデビュー! MOMに輝く
元チェコ代表GKのペトル・チェフ氏がアイスホッケー選手として華やかしい実戦デビューを果たした。イギリス『メトロ』が報じた。 昨シーズン限りでフットボールキャリアに終止符を打ったチェフ氏。今シーズンから古巣チェルシーのテクニカル兼パフォーマンスアドバイザーに就任したが、9日にイギリス2部リーグに属するアイスホッケークラブのギルフォード・フェニックスと契約を結び、アイスホッケープレーヤーとしてのキャリアもスタートさせた。 そのチェフ氏は、13日のスウィンドン・ワイルドキャッツ戦でさっそくプレー。敵のショットからゴールを守る“ゴールテンダー”として2つのペナルティをストップするなど活躍してみせ、チームの勝利に貢献するとともに、マン・オブ・ザ・マッチに輝いた。試合後、こう心境を振り返ったという。 「フェニックスというチームで試合を経験できて嬉しいよ」 「プレーチャンスがあればできるだけ多くの勝利に貢献して、この若いチームがシーズンの目標を成し遂げられるよう手助けしたい」 「プロのフットボール界に身を投じて20年、ここは私が子供の頃に見たり、遊んだりした舞台だ」 「ゲームでプレーできたことは素晴らしい経験になる」 2019.10.14 11:00 Monペトル・チェフの移籍履歴
| 移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
| 2019年7月1日 |
アーセナル |
引退 |
- |
| 2015年7月1日 |
チェルシー |
アーセナル |
完全移籍 |
| 2004年7月1日 |
スタッド・レンヌ |
チェルシー |
完全移籍 |
| 2002年7月9日 |
スパルタ・プラハ |
スタッド・レンヌ |
完全移籍 |
| 2001年7月1日 |
Chmel Blsany |
スパルタ・プラハ |
完全移籍 |
| 1999年7月1日 |
Vikt. Plzen U19 |
Chmel Blsany |
完全移籍 |
| 1998年7月1日 |
|
Vikt. Plzen U19 |
完全移籍 |
ペトル・チェフの監督履歴
| 就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
| 2019年7月1日 | 2022年6月30日 |
チェルシー |
監督 |

チェコ
アーセナル
スタッド・レンヌ
スパルタ・プラハ
Chmel Blsany
Vikt. Plzen U19