ジョー・コール
Joe COLE
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ポジション | MF |
国籍 |
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生年月日 | 1981年11月08日(43歳) |
利き足 | |
身長 | 175cm |
体重 | 76kg |
ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
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イングランドの天才ファンタジスタ、ジョー・コール【ピックアップ・プレイヤー】
サッカーでは、GK、DF、MF、FWとそれぞれ役割の全く異なるポジションで、それぞれにスター選手がいる。今回の企画『Pick Up Player』では、現役を問わず各クラブを代表する選手たちをプレー動画付きで紹介していく。 今回は元イングランド代表MFジョー・コール氏(38)だ。 <div id="cws_ad">◆ジョー・コール、チェルシーでのスーパープレー集<br /><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiIwQVRIcjcySCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ロンドンで生まれ育ったコールはウェストハムのアカデミーに在籍。1998-99シーズンに17歳でトップチームデビューを果たすと、以降は“ネクスト・ガッザ”の愛称に相応しい卓越した足下の技術と攻撃センスを武器にすぐさま主力に定着。4年後には名門ハマーズの若きキャプテンを務めた。 その後、2003年にハマーズの2部降格に伴い、ロマン・アブラモヴィッチ体制1年目のチェルシーに完全移籍を果たすと、その翌年に指揮官に就任したジョゼ・モウリーニョ監督の下、右ウイングの主力としてチームのプレミアリーグ2連覇に貢献。伝統的に強さや速さが重視されるイギリスでは珍しい、ファンタジスタタイプの選手として人気を博した。 その後、チェルシーでの契約を満了すると、2010年にリバプールに移籍。ここでも10番を背負ったが、ロイ・ホジソン監督の戦術に馴染めず、期待されたような活躍は出来なかった。そのため、2011年夏にレンタル移籍でリール入りし、リバプールに戻ることはなく2013年夏にウェストハムに復帰。その後は、アストンビラ、コベントリーを経て、2016年からMLSのタンパベイ・ローディーズに加入していたが、昨年11月に現役引退を発表していた。 また、2001年にデビューを飾ったイングランド代表では通算56試合に出場し10ゴールを記録。2002年の日韓大会、2006年のドイツ大会、2010年の南アフリカ大会と3大会連続でワールドカップにも出場した。 現役引退後は指導者としての道を歩み始め、古巣チェルシーの下部組織でコーチの職に就いていたコールだが、6月にはコーチ職を辞していたことを明かし、コロナ禍が収まった際に再び指導者としての道に踏み出すことを明かしている。 2020.09.12 11:00 Sat2
アザール、チェルシー加入の理由はリール時代同僚のJ・コール
▽チェルシーに所属するベルギー代表FWエデン・アザールが、現役引退を発表した元イングランド代表MFジョー・コール(37)に感謝を伝えている。 ▽1998-99シーズンに17歳でウェストハムでトップチームデビューを果たしたJ・コールは、2003年にチェルシーに完全移籍。その翌年には指揮官に就任したジョゼ・モウリーニョ監督のもと、右ウイングで活躍してプレミアリーグ2連覇にも貢献した。2009-10シーズン終了後にチェルシーを退団したJ・コールは、その後リバプールやリール、ウェストハムなど複数クラブを渡り歩き、2016年からはUSLプロフェッショナルリーグ(アメリカ2部)に所属するタンパベイ・ローディーズでプレー。今月13日に現役引退を発表した。 ▽そんな中、2012年6月にリールからチェルシーに加入したアザールは、リール時代に共にプレーしたJ・コールからチェルシーに移籍することを勧められたことを告白し、感謝の言葉を告げている。チェルシーのツイッター公式アカウント(@ChelseaFC)が伝えている。 「チェルシーにサインする前に僕は彼と話をしたんだ。チェルシーが僕にとって最高のクラブだと言ってくれたんだ。毎日だよ」 「チェルシーはビッグクラブで毎シーズントロフィーを獲得できるクラブだとね。だからこのクラブと契約したんだ。ありがとう。ジョー・コール!」 2018.11.14 10:00 Wed3
実はチェルシーを辞めていた、ジョー・コールが指導者としての今後のプランを語る
元イングランド代表のジョー・コールが、自らの指導者としのキャリアプランについて語った。イギリス『ガーディアン』が伝えている。 国内でも有数のタレントを輩出してきたウェストハムの下部組織の中でも最高傑作として若くから注目を集めていたジョー・コール。2003年にチェルシーに移籍すると、当時世界中からスター選手たちを集めていたチームの中においてもその稀有な才能を発揮して活躍するなど、伝統的に強さや速さが重視されるイギリスでは珍しい、ファンタジスタタイプの選手として人気を博した。 <div id="cws_ad"><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiIwQVRIcjcySCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> 2018年にアメリカの2部チームで選手としてのキャリアを終えたジョー・コールは、指導者としての道を歩み始め、古巣チェルシーの下部組織でコーチの職に就いていた。 しかし、『ガーディアン』のインタビュー中でジョー・コールは、チェルシーでのコーチ職を最近辞していたことを明かし、今後のキャリアプランについて明かした。 「ロックダウン(都市封鎖)の直前、チェルシーでのコーチの仕事を辞めたんだ。コーチという仕事をとても楽しむことができたし、多くのことを学んだ」 「自分の指導者としての成長にとっても、とても重要だったけど、世界中の監督たちの下を訪れて研究したり、イングランドサッカー協会(FA)の中で勉強をする予定だったんだ。コロナの影響でその計画はおじゃんになってしまったけど、全てが元通りに戻った時にまた続けたいよ」 「チェルシーでの仕事は本当に良かった。何らかの形でいつかまた戻ってこれると強く思うよ。ただ今は自分の成長のために、世界中を回り色々なものを見たり聞いたりすることが自分にとってベストだと感じたんだ」 また、現代のクラブの育成方針についても言及。国内屈指の名門であるウェストハムのアカデミーで育ったジョー・コールから見ても現代のアカデミーの仕組みには驚かされたと語った。 「巨額のお金が動いている業界ではどこもそうだと思うけど、僅かな差をつけるために多くのことに取り組んでいる。アカデミーの選手たちに対するケアは信じられないものだった。度肝を抜かれたよ。フットボールの進化について多くのことを学ぶことができたし、指導の仕方についても学ぶことができた。コーチとしての仕事の大部分は教えることだからね」 「優れた教師たちが用いる基本的な考え方やテクニックを使うんだ。チェルシーアカデミーにいるコーチたちから本当に多くのことを学んだ。チェルシ-の下部組織から優れた若手選手が次々に生まれるのは決して偶然ではないし、その下には次の世代のタレントが詰まっているんだ」 2020.06.24 22:45 Wed4
ジョー・コールはW杯に良い思い出なし?「戦術がなかった」「反乱寸前」「何の意味が…」
元イングランド代表MFのジョー・コール氏は、自身が出場した過去のW杯にあまり良い思い出がないようだ。 現役時代にイングランド代表として2002年の日韓大会、06年のドイツ大会、10年の南アフリカ大会と、3度のW杯を経験したジョー・コール氏。今回のカタールW杯でコメンテーターを務める同氏は、イギリス『テレグラフ』のコラム内で自身が出場したW杯の苦い思い出を綴っている。 「W杯に参戦するのはどんな感じかって? もちろん素晴らしい気分になるし、誇らしいさ。だけど、緊張することも、イライラすることもあったっけな」 「私が出た3大会には共通して言えることがひとつある。それは、私はもっとうまくやるべきだったということ。選手として十分ではなかったんだ。イングランドがチームとして他国ほど戦術が洗練されていなかったことも挙げねばならない」 「2006年は優れた選手が揃っていた。だが、他の要因は私たちにとって不利に働いた。ウェイン・ルーニーのケガは甚大な影響を与え、チームに決まった『型』のような戦術はなかったと言える」 また、イタリア人指揮官のファビオ・カペッロ監督の下で臨んだ南アフリカ大会では、チームが空中分解の危機に陥っていたとも回想している。 「カペッロは選手を家族と切り離し、厳格な雰囲気の中で事前キャンプに臨んだ。だが、あまり収穫もなく、選手たちは反乱を起こす寸前だったよ」 「ルールも色々あったね。例えば、カペッロは朝食のトーストにバターを塗るのを禁じた。僕を含め、誰もが我慢できるものだが、ルールは些細なことだらけで、何の意味があるかわからなかった」 2022.11.18 20:43 Friジョー・コールの移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2018年12月1日 |
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- |
2016年5月9日 |
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完全移籍 |
2016年1月7日 |
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完全移籍 |
2016年1月3日 |
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レンタル移籍終了 |
2015年10月19日 |
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レンタル移籍 |
2014年7月1日 |
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完全移籍 |
2013年1月4日 |
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完全移籍 |
2012年6月30日 |
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レンタル移籍終了 |
2011年8月31日 |
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レンタル移籍 |
2010年7月19日 |
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完全移籍 |
2003年8月6日 |
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完全移籍 |
1998年7月1日 |
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完全移籍 |
ジョー・コールの監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2019年1月1日 | 2020年6月30日 |
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テクニカルコーチ |
2018年6月8日 | 2018年12月31日 |
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コーチ |