名波浩

Hiroshi NANAMI
ポジション 監督
国籍 日本
生年月日 1972年11月28日(53歳)
利き足
身長
体重
ニュース 人気記事 クラブ 監督データ

名波浩のニュース一覧

「今回の3試合の中でできるだけ全員にプレーしてもらおうと思っています」 森保一監督が選手たちに伝えた言葉に10日と11日の練習を加味すると、第2戦・中国戦の先発は、初戦・ホンコン・チャイナ戦から10人が変更になりそうだ。 基本システムは引き続き[3-4-2-1]になるだろう。中国戦に向けた練習ではその並びで 2025.07.12 12:00 Sat
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WOWOWは16日、UEFAチャンピオンズリーグ(UCL)の第7節に日本代表の森保一監督と日本代表コーチの名波浩氏が出演することを発表した。 2024-25シーズンのUCLもWOWOWが放送中。森保かのt区は。WOWOW初出演となり、苦戦しているビッグクラブの直接対決であるパリ・サンジェルマン(PSG)vsマンチ 2025.01.16 12:30 Thu
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Jリーグは25日、2024Jリーグ YBCルヴァンカップ「ニューヒーロー賞」に横浜F・マリノスのMF山根陸(21)が受賞したことを発表した。 横浜FMはプライムラウンドの準決勝で名古屋グランパスに敗れて敗退したものの、山根は3試合に出場。ニューヒーロー賞世代では唯一スターティングメンバーとしてプレーし、準々決勝で 2024.10.25 13:05 Fri
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大岩剛監督ら現場が望んだオーバーエージ(OA)枠の活用が叶わず、久保建英(レアル・ソシエダ)や鈴木唯人(ブレンビー)などパリ世代の面々も招集できなかった今回のパリ五輪に挑むU-23日本代表。欧州組は斉藤光毅(ロンメル)と三戸舜介(スパルタ・ロッテルダム)、藤田譲瑠チマ・山本理仁(シント=トロイデン)、小久保玲央ブライア 2024.07.05 16:00 Fri
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今夏のステップアップが噂されているロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズの日本代表DF町田浩樹(26)だが、行き先候補の1つであるイングランドでも評判は良いようだ。イギリス『TBR Football』が伝えた。 鹿島アントラーズの下部組織で育った町田はそのままトップチーム昇格。2022年1月にサン=ジロワーズにレン 2024.05.17 12:30 Fri
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日本代表のニュース一覧

FIFA(国際サッカー連盟)は日本時間12月6日、FIFAワールドカップ26(北中米W杯)の組み合わせ抽選を発表した。日本代表は、オランダ代表、チュニジア代表、欧州プレーオフ勝者(ウクライナ代表/スウェーデン代表/ポーランド代表/アルバニア代表)との対戦が決まった。 FIFAワールドカップ26組み合わせ抽選会グル 2025.12.06 06:46 Sat
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J3からJ2、そしてJ1へ。段階を踏むように成長してきたDF安藤智哉は、2025年の日本代表活動でついに日の丸を背負った。だが、そこでは手応えと同じだけ、国際基準の厳しさも突きつけられた。残念ながら出番を与えられなかった11月18日のボリビア代表戦後、ミックスゾーンを通った安藤に声をかけると「もっと日常を変えないとこの 2025.11.28 19:00 Fri
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キックオフ直後から、気合という燃料を積んでいることは明らかだった。このチャンスを、モノにしてやるんだ。攻守両面でのアグレッシブなプレーから、この試合に懸ける思いは全身から溢れ出ていた。タフに右サイドを守りながら、同学年のMF久保建英と一緒に決定機も演出した。サイドバックを本職とする選手が生み出すハーモニーが顔を覗かせて 2025.11.20 21:00 Thu
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ガーナ代表戦、ボリビア代表戦と続いた11月シリーズを、日本代表は2試合連続の無失点で締めくくった。その中心にいたのが、フィールドプレーヤーで唯一2試合フル出場を果たした33歳――谷口彰悟だ。2024年11月にアキレス腱を断裂。大怪我から戻ってきた男は、再び日本代表の最終ラインで存在感を放っている。2026年北中米ワール 2025.11.19 01:35 Wed
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ゴール前で輝く決定力と、中盤を支える戦術眼。その両方を併せ持つ“新しいボランチ像”を、日本代表のMF鎌田大地がボリビア代表戦で体現した。開始4分、MF久保建英のクロスを胸で収め、左足で冷静に流し込んだ先制点。ボランチでありながらペナルティエリアへ侵入し、フィニッシュまで持ち込む――。クリスタルパレスと日本代表では求めら 2025.11.19 00:45 Wed
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日本代表が初めて感じた世界の壁、ストライカーが認める“9番”ガブリエル・バティストゥータ

遡る事22年前──1998年の6月は日本サッカーが初めて世界を知った1カ月だった。 “ジョホールバル”の歓喜で初めてワールドカップの出場権を獲得した日本代表。プロリーグがスタートしてから初めて実感した世界のサッカーは、次元の違うものだった。 当時から攻撃力に秀でていた南米の雄・アルゼンチン代表がワールドカップ初戦の相手。日本はディフェンシブな布陣で臨んだが、一瞬の隙を突かれてやられた。 前半28分、クリアミスを拾われるとパスを繋がれる。現在はアトレティコ・マドリーで指揮を執るディエゴ・シメオネからの縦パスが入ったところで当時の10番・名波浩がアリエル・オルテガのスルーしたボールに対応できないと、これが絶妙なパスとなってしまい、そのままゴールを許してしまった。 日本代表のワールドカップの歴史に最初に名を刻んだ男。それが、アルゼンチン代表のエース、ガブリエル・バティストゥータだった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆日本を沈めた“バティゴール” </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> フィオレンティーナでキャリアの全盛期を過ごしていたバティストゥータは、エースとして日本戦に先発出場。FWクラウディオ・ロペス、FWアリエル・オルテガとともに日本ゴールを脅かしていた。 そして日本に少し疲れが見え始めた28分にゴールを奪う。 名波が対応をミスしたボールを受けたバティストゥータは、飛び出してきたGK川口能活の上を通す冷静沈着なチップキックでゴールを決めた。 ゴール前でのこの落ち着きは、今の日本にも必要な要素。意図しないこぼれ球であったが、しっかりと胸トラップでコントロールし、名波のプレッシャー、川口の飛び出しにも冷静に対処した。まさに、ストライカーらしいゴールだった。 <div id="cws_ad">◆日本を沈めた“バティゴール” も!バティストゥータのゴール集<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJzTmlYUDBZeSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div><div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://ryan.onelink.me/C7cD/1fb76a70&c=sega_20201028_1">バティストゥータ、サネッティ、ベロンが<br />「サカつくRTW」に登場!</a><hr></div><div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆フィレンツェの英雄</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 1988年に母国のニューウェルズ・オールドボーイズにてプロデビューを果たしたバティストゥータは、リーベル・プレートを経て加入したボカ・ジュニアーズで才能を一気に開花させる。 ここでの活躍からセリエAの強豪チームの1つであったフィオレンティーナへ加入。ロベルト・バッジョ氏の後釜としての加入だった彼に不信感を抱く者もいたが、デビュー戦となった1991年9月1日のユベントス戦でいきなりゴールを記録。その後も得点を量産し、フィオレンティーナの旗手としてチームを牽引し続けた。 1992-93シーズンにフィオレンティーナがまさかのセリエBに降格した際には、誰もがチームを離れる事を予想したが、バティストゥータはチームに残留。1年でのセリエA復帰に貢献するだけでなく、1994-95シーズンには26ゴールを挙げて得点王も獲得している。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ローマで日本代表戦士と共に悲願のスクデット</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_5.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> しかし、フィオレンティーナでは本人の夢であるスクデット獲得には至らず、その夢を果たすため2000-01シーズンにローマへ電撃移籍。シーズン途中にケガでの離脱がありながら20得点を挙げる活躍を見せ、移籍1年目、そしてイタリア10年目にして祈願のスクデットを獲得した。 このシーズンは、前年の途中にペルージャから加入していた元日本代表MF中田英寿もローマに所属。フランチェスコ・トッティとのポジション争いもある中で、中田もスクデット獲得に貢献。1998年のフランスW杯で敵として黒星をつけた男と、2年後にはチームメイトになっていたのだから、中田の凄さも計り知れないところだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ストライカーから認められる “ストライカー”</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> その後もローマでプレーしたバティストゥータだが、2002-03シーズン途中、ローマにて出場機会を失いつつあった彼はインテルへレンタル移籍。母国の後輩であり、ケガで離脱していたFWエルナン・クレスポの穴埋めと期待されたが、12試合で2ゴールと期待された結果を残せず。翌シーズンにはカタールのアル・アラビへと完全移籍。2005年3月に現役を退いた。 アルゼンチンに収まらず、1990年代最高のストライカーの1人であったバティストゥータだが、その姿は現代で活躍するストライカーたちの目にも焼き付いている。 ウルグアイが誇る現代屈指のストライカーであるFWルイス・スアレス(アトレティコ・マドリー)は、バティストゥータの同胞フアン・パブロ・ソリンとのインタビューでその強烈な憧れを明かしている。 「子供の頃からアイドルだったということを伝えたい。あなたは私が今まで見たサッカー選手の中で最も偉大な存在だった。子供の頃から真似してみたけど、だからこそ憧れてしまう。あなたは私にとってアイドルです」 さらには、ウルグアイ代表でスアレスの相棒であるFWエディンソン・カバーニ(マンチェスター・ユナイテッド)もバティストゥータに憧れを抱いた1人だ。 「昔から憧れているストライカーを1人選ばなければならないのなら、バティストゥータを選ぶよ。フィオレンティーナの9番を背負った彼は最強だった。9番は特別な数字で得点を挙げる人間を表す。よく似合っていた」 破壊的な右足とヘディングに高い決定力を備え、どこからでもゴールを貪欲に狙う姿勢。最もゴールにこだわり、ゴールを決めてきたバティストゥータこそ、"9番”の象徴であり、“ストライカー”の神髄と呼べる存在だった。 <div style="text-align:left;" id="cws_ad"><hr>日本代表を沈める“バティゴール”を決めた1990年代最高のストライカーの一人であるバティストゥータが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br /><br />さらに日本戦にもフル出場していたMFファン・セバスティアン・ベロンとDFハビエル・サネッティも同時に登場している。『サカつくRTW』で“バティゴール”を観たい方は是非一度チェックしよう。</div><hr> 2020.10.30 15:30 Fri
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「これが見たかった」「色んな意味で熱い」かつては確執も…日本代表で共に戦ったトルシエ監督と現日本代表コーチの2ショット実現にファンも驚き「まじで感慨深い」

アジアカップの舞台で実現した2ショットが話題を呼んでいる。 12日に開幕を迎えたアジアカップ2023。3大会ぶり5度目の優勝を目指す日本代表は、14日にグループD第1節でベトナム代表と対戦。かつて日本を指揮したフィリップ・トルシエ監督が率いる相手に一時は逆転を許す展開となったが、4-2で初陣を勝利で飾っていた。 試合直後には、トルシエ監督から日本の森保一監督に歩み寄り、ジェスチャーを交えて互いの健闘をたたえていた2人だったが、森保監督以外との2ショットも実現していた。 それは、日本代表の名波浩コーチとトルシエ監督の2ショットだ。アジアカップの公式X(旧ツイッター)が、トルシエ監督が笑顔で名波コーチの肩を抱き寄せる2ショットを披露している。 トルシエ監督が日本代表指揮官に就任した1998年頃に、代表の中心選手として活躍していた名波氏。1999年のコパ・アメリカでは試合後にトルシエ監督が名波氏を酷評し、その後名波氏が代表を辞退するということもあったが、2000年のアジアカップでは共闘を果たした。 すると、名波氏は大会最優秀選手に選ばれる大活躍で日本を優勝に導く。準々決勝のイラク代表戦で、中村俊輔氏のFKをダイレクトボレーで合わせたゴールは今でも語り草だ。 そんな2人の2ショットには、「犬猿の仲だったよね…」、「これが見たかった」、「これは胸熱」、「これは色んな意味で熱いな」、「2000年アジアカップ優勝時の監督と大会MVP」、「まじで感慨深い」とファンから多くの反響が寄せられている。 <span class="paragraph-title">【写真】トルシエ監督と名波コーチの2ショットが実現!</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet" data-media-max-width="560"><p lang="qme" dir="ltr"><a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A8?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#フィリップ・トルシエ</a><a href="https://twitter.com/hashtag/%E5%90%8D%E6%B3%A2%E6%B5%A9?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#名波浩</a><a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%972023?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#アジアカップ2023</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/AsianCup2023?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#AsianCup2023</a><a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BB%A3%E8%A1%A8?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#サッカー日本代表</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/SAMURAIBLUE?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#SAMURAIBLUE</a> <a href="https://t.co/70RseI1oaN">https://t.co/70RseI1oaN</a> <a href="https://t.co/EQHfrIplGC">pic.twitter.com/EQHfrIplGC</a></p>&mdash; #アジアカップ2023 公式 (@afcasiancup_jp) <a href="https://twitter.com/afcasiancup_jp/status/1747099476244795547?ref_src=twsrc%5Etfw">January 16, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.01.16 17:30 Tue
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J1最下位の磐田、鈴木秀人氏の監督就任を発表 ヘッドコーチからの昇格

ジュビロ磐田は1日、ヘッドコーチを務める鈴木秀人氏(44)の監督就任を正式発表した。鈴木氏は同日のトレーニングからチームを指導する。 名波浩体制6年目の今シーズンは、明治安田生命J1リーグ折り返しの17試合終了時点で3勝5分け9敗の最下位。6月30日に行われた第17節で川崎フロンターレをホームに迎え撃ったが、1-3の黒星を喫して、シーズン3度目の2連敗で5試合勝ちなし。同試合終了後、名波浩監督は成績不振の責任を取り、辞任を表明した。 鈴木氏は現役時代、ジュビロ磐田一筋の選手として活躍したクラブOBで、日本代表としてもプレー。2010年1月の現役引退後、磐田の育成コーチとして指導者キャリアをスタートさせ、2015年から名波氏の下でヘッドコーチを務めてきた。 鈴木氏の下で立て直しに期待がかかる磐田の新体制初陣は、3日に行われる天皇杯2回戦のホンダロック(JFL)戦。J1リーグでの初戦は6日、敵地で行われる第18節の鹿島アントラーズ戦となる。 2019.07.01 15:50 Mon
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サッカーは「生き甲斐」、世界をも熱狂させた“稀代のファンタジスタ”横浜に始まり横浜に終わった中村俊輔26年間のキャリア

「生き甲斐ですね。全てです。それに尽きると思います」 そう語ったのは日本だけでなく世界も沸かせたファンタジスタ、横浜FCの元日本代表MF中村俊輔。自身の生き甲斐でもあった“サッカー”から、プレーヤーとして身を引くことを決断。今シーズン限りで26年の現役生活に別れを告げることが発表され、10日の引退記者会見で晴々とした表情で語った。 ファンタジスタとして知られ、その左足のキックは多くの者を魅了。日本だけでなく世界でも称賛されるFKの技術は、サッカー史に残る1人として知られている。 その中村だが、常に明るいキャリアではなかった。2002年には背番号10を背負って戦うものと思われた日韓ワールドカップ(W杯)のメンバーから落選。その直後に海外移籍を決め、世界に名を轟かせた。 キャリアを通じて誇れることについて中村は「高校の時に桐光学園の方針もあってサッカーノートを書くようになり、漠然とですけど中期・長期と目標を書いていました」とコメント。部活の方針で常に目標や課題を書き記すサッカーノートだが、高校時代に掲げていた目標を達成し続けた。「その目標をどんどん超えていって、そこまでなろうと意識していたわけではないですが、代表で10番をつけて、ワールドカップに出る。そうやって目標に向かって単純に努力できたことかなと思います」と語り、誇れることを“努力”と語った。 横浜マリノスや日本代表でチームメイトでもあった先輩の川口能活氏も「天才が努力するとこうなるんだ」と語るほど。才能を磨き続けることがここまで多くの人に愛される選手になった要因と言えるだろう。 中村とサッカーの出会いは小学生の時。深園FCに入団したことがキッカケだ。中村は当時を回想し「僕は深園というクラブチームで若林(可夫)先生の下で始めました。小学5年生の時に横浜市の選抜に選ばれまして、それで6年生主体なのに5年で選ばれてしまいました」とコメント。すでに飛び級を果たしていたが、「本当はいけないことなんですが、先生が年齢は関係ないと言って入れてくれた」と、その能力に目をつけ引き上げてくれる大人に出会ったことが全ての始まり。その後プロとしてもプレーを続けた横浜市に対しては「御恩がいっぱいある」と感謝の気持ちしかないという。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_7_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">©J.LEAGUE<hr></div> そしてサッカー選手を志したのも横浜市。しかも、プロ入り後の本拠地であり、引退した本拠地でもあるニッパツ三ツ沢球技場での出来事だった。「初めて親と行った三ツ沢。今は凄く整備されていますが、スタンドの椅子もコンクリートだけで、初めて日産vs読売、木村和司さんvsラモスさん、カズさんがいて、あれで虜になって、自分もここでやりたいと」と、横浜でサッカー選手になることを決意。そして、努力の末に夢を叶えた。「今も三ツ沢でプレーできて、三ツ沢で終われたので、運が良いです。よかったなと思います」と、多くの思い出がある地に感謝を述べた。 その横浜の地を離れて最初に訪れたのがイタリア。当時はセリエAに所属していたレッジーナに移籍。すでに中田英寿がペルージャ、ローマ、パルマでプレーし、名波浩がヴェネツィアでプレーしていたが、日本人に馴染みのないレッジーナというクラブを選択。当時セリエAに復帰した1年目のシーズンだった。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_3_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Images<hr></div> イタリアへの挑戦についてはターニングポイントだったと語った中村。「イタリアに行く時は、日本を出なきゃと焦るぐらいでした」と当時の心境を明かした。2002年のW杯のメンバーから落選した中村だが、その1年前の2001年3月のフランス代表との親善試合で5-0と大敗。この大敗で危機感を覚え、イタリアへ行くことを望んだという。 「当時は世界最高峰だったセリエAに行くのを焦るぐらいでしたね。本場のサッカーに飛び込んだのは、良かったと思います。扉をようやく開けられたというか。サンドニで日本代表として0-5で負けた(フランス代表戦)、このままじゃ置いていかれるというのに気づきましたし、やっとこの舞台でやれるというので、凄く光が見えたっていう感じですね」 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_2_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Images<hr></div> 世界に飛び立ち、扉を開いた先には光があったという中村。レッジーナでもその左足は健在。FKはもちろんのこと、多くのゴールを決めると、2005年7月に移籍したセルティックではさらに大きく羽ばたいた。 当時の中村は世界にまだ日本人選手が多く出て行っていない状況を考え、自分を実験台だと語っていたという。その理由は「俺はこういうプレーヤーだというのだけではなく、こういうことしたらどうなのか、敢えて悪い方を通ったり」と、まさに試すことを色々し、リスクを負ったこともあったという。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_6_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Images<hr></div> ただ「結果として自分の良い結果が出なくても、これからの選手、チームメイト、これから指導者としての財産になることはたくさんあるので、悔いはなかった、良かったと思います」と、今振り返っても、様々なチャレンジは当時上手くいかなくても良かったと言えるまでになったようだ。そしてそれは「これから指導者としてというか、伝えていければというのはいっぱいあります」と、後輩たちに伝えていくつもりだという。 世界をも驚かせ、チャンピオンズリーグ(CL)でマンチェスター・ユナイテッド相手に2試合連続でFKを叩き込んだプレーは未だに思い出されるゴール。それ以外にも、見るものにとって数多くの印象に残るゴールを決め続けてきた。 その1つはジュビロ磐田時代のゴール。鹿島アントラーズとのアウェイゲーム(2017年4月22日)で決めたゴールだ。ボックス内で相手がクリアしたボールをバウンドして転がってきた中、左足一閃。ホップする強烈なミドルシュートがゴール上のネットに突き刺さった。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_1_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">©J.LEAGUE<hr></div> 圧巻のゴールだが、この時自分が取った行動は、中村にとって選手初めての思い出だという。 「アントラーズ戦のアウェイでゴールを決めた後に、名波さんのところに行って、みんなで抱き合った時ですね。選手として初めて監督のところに駆け寄りました」 キャリアを通じてゴールを喜んでも、監督のところまで行くことはなかったという。ただ、マリノスを退団する際にすぐに声をかけてくれた日本代表の元10番・名波浩監督には、人を惹きつける魅力があるという。 「名波さんはみんなから求心力もあるし、兄貴的存在で、サッカーを良く知っていますし、ああいう風になります。あの瞬間は新しい自分が出たというか、嬉しかったです」 <script>var video_id ="a6xzzZGKikI";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 同じ日本代表で左利き、ゲームを作るプレーが求められた2人は、選手と監督という立場が変わっても、何かでつながっていたのだろう。それだけ会心のゴールであり、喜びを分かち合いたくなるものだった。 今なお、チームの練習に参加し、サッカーを続けている中村。今後は指導者になることは予てから口にしていたが、理想の監督像は作らないようにしているという。 「選手の時はありましたが、それはあまり作らない方が良いのかなと。自分の感覚とか、物差しでやると、逆に伝わらなかったり、良いことがないかもしれないんじゃないかなという感じでもいます」 「演じなければいけない時もあるかもしれないですし、B級(ライセンス)を取るときも、自分は答えをわかっているから教えすぎだと言われて、なるほどなと思いました。そこを促して、気付かせるということも大事だと思います。まだまだ色々なことを勉強しなければいけないので、今のところ作らないようにしています 型にハマった指導をせず、向き合う選手や状況に対応していきたいという考えもあるのだろう。数多くの監督の下でプレーし、様々な世界を経験したからこその決意なのかもしれない。 その中村だが、自身も称された“ファンタジスタ”について、今後期待する選手の名前を挙げた。それは「小野伸二ですね。そこは変わらないです」。北海道コンサドーレ札幌に所属する43歳は、中村も日本代表としても一緒にプレーした仲。そして、“ファンタジスタ”が再び必要になる時代が来ると考えているという。 「今の時代という言い方はあまり好きではないですが、中央はプレッシャーが360度きますが、そのポジションの選手が必要になる時が自分はあると思いますし、そういう人を逆に潰さないようにしていきたいという気持ちがあります」 中村監督が育てる選手から“ファンタジスタ”が生まれてくるのか。自身の経験を伝承し、再び世界でインパクトを残す武器を持った選手、唯一無二の存在であった中村の後継者を生み出してくれることを、今後は期待したい。 取材・文:菅野剛史(超ワールドサッカー編集部) <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_4_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">©CWS Brains,LTD.<hr></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_5_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">©CWS Brains,LTD.<hr></div> <span class="paragraph-title">【動画】初めて監督に抱きつきに行った中村俊輔の衝撃弾丸ミドル</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="a6xzzZGKikI";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2022.11.11 07:20 Fri
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カタールW杯メンバー・町野修斗は第2次森保ジャパンの軸になれるのか?【新しい景色へ導く期待の選手/vol.4】

第2次森保ジャパンの初陣となる3月24・28日のウルグアイ(国立)&コロンビア(ヨドコウ)2連戦まで1カ月を切った。森保一監督や名波浩・前田遼一新コーチらの視察も熱を帯びている。今回は2022年カタール・ワールドカップ(W杯)の時とは違って選出人数が23人になると見られ、各ポジションとも激戦になるのは間違いないだろう。 とりわけ、FW陣は選考が難しい。というのも、カタールW杯で主力と位置づけられた前田大然(セルティック)と浅野拓磨(ボーフム)がともに所属クラブで大外を担っているからだ。前田大然は左FWとして快足ドリブラーへと変貌を遂げているし、浅野にしても2列目を柔軟に動きながらチャンスメークに関与することが多いのだ。 さらに言うと、もう1人のW杯メンバーである上田綺世(セルクル・ブルージュ)も2シャドウの一角で使われている。 「センターFWができていないのは、体の強さとか求められることの相違だとかが理由。そこには悔しさはありますけど、どこで出てもつねにゴールを目指すのが自分。点を取ることが一番信頼される」と本人はいい意味で割り切って新ポジションで今季11ゴールという結果を残している。 ただ、上記3人が最前線で日々、経験を詰めないというのは日本代表にとってはマイナス面もないとは言えない。そういう意味で普段からFWに入っている選手にはアドバンテージがあるという見方もできる。 そこで浮上するのが、W杯参戦組の第4の男・町野修斗(湘南)。ご存じの通り、ピッチに立つ機会はなかったものの、「W杯に行って、対人も相当すごかったし、スピード感も全然違った。攻守の切り替えもタテの速さもありましたし、スキがあればどんどんゴールに迫っていくスピード感というのはやっぱりJリーグとは比べ物にならなかった」と本人も世界基準を体感。それをイメージしながら今季J1に挑んでいる。 「Jリーグでは簡単にボールを失ってはいけない。国内でやる時はポストプレーで失う回数がゼロに近いくらいになりたい。これまではペナルティエリアで多少止まってしまうシーンが以前はあったので、動き出しだったり、入っていくスピードであったりはもっと改善できる」と開幕前に語っていた通り、シーズンスタート後はアグレッシブさが非常に目立つ。 小川航基との大型FW直接対決となった2月24日の横浜FC戦でも、町野は攻守両面で豊富な運動量を披露。ドリブル突破からパス出し、前線からのハードワークを含めて、非常に幅広い仕事ぶりを見せていた。それに加えて前半17分の今季初ゴールである。右サイドに開いた小野瀬康介のクロスを大橋祐紀がヘッドで落とし、そこに反応した町野が左にえぐって決めきった形だが、冷静さが際立っていた。 「個人的には取って当たり前だと思われていると思いますし、自分でもそういったプレッシャーの中で取っていきたい。1点じゃ満足できないです。実際、前半には2〜3点取れるチャンスがあった。本当にもったいなかった」と本人は満足するどころか、反省の弁を口にしていた。確かに彼が決めていたら、湘南が最終的に2-2のドローという結果に終わることはなかったかもしれない。エースFWというのはチームを勝たせてナンボなのである。 そういう自覚を町野が強めているのはポジティブな要素と言っていい。現地視察に訪れた森保一監督も「チャンスメーカー、フィニッシャーとして存在感を出していた」と前向きに評していた。ただ、やはり彼が競うのは世界で戦っている面々。上記の前田、浅野、上田はもちろんのこと、今季スコットランドで公式戦24ゴールを挙げている古橋亨梧(セルティック)もいるし、日本に目を向ければベテランの大迫勇也(神戸)も気を吐いている。彼らとの熾烈な競争に打ち勝って、23人枠を射止めるためには、もっともっと目に見える結果が必要。毎試合ゴールを重ねるくらいのことはやらないと、確実とは言い切れないのである。 だからこそ、本人も「今季J1得点王」という大目標を掲げ、貪欲に突き進もうとしている。開幕のサガン鳥栖戦でコンビを組む大橋がハットトリックしたこともあり、「このペースでは足りない」と危機感を募らせているはずだ。とりあえず、横浜FC戦で一歩を踏み出したが、3月15〜16日と言われる代表発表までの間に連続ゴールがほしいところ。特に3月4日の次節・川崎フロンターレ戦では是が非でも結果を残したい。 思い起こせば、昨年5月25日の敵地・川崎F戦で2点を叩き出したことで、町野は一気に勢いに乗り、そこからゴールラッシュを披露。E-1選手権の日本代表入り、そしてカタール行きという成功ロードを歩むことになった。今回も川崎という強豪を叩くことで、新たな希望が見えてくるのではないか。そんな期待を抱きつつ、彼の一挙手一投足を興味深く見守りたい。 2023.02.27 22:22 Mon

名波浩の移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
2009年1月1日 磐田 引退 -
2007年12月31日 東京V 磐田 レンタル移籍終了
2007年1月1日 磐田 東京V レンタル移籍
2006年12月1日 C大阪 磐田 レンタル移籍終了
2006年8月1日 磐田 C大阪 レンタル移籍
1999年12月31日 AC Venezia 1907 磐田 レンタル移籍終了
1998年7月1日 磐田 AC Venezia 1907 レンタル移籍
1995年1月1日 磐田 完全移籍

名波浩の監督履歴

就任日 退任日 チーム 種類
2023年2月1日 日本 コーチ
2021年6月21日 2023年1月31日 松本 監督
2014年9月25日 2019年6月30日 磐田 監督

名波浩の今季成績

北中米W杯アジア最終予選 0 0 0 0 0 0
国際親善試合 0 0 0 0 0 0
2026北中米ワールドカップ アジア2次予選 0 0 0 0 0 0
アジアカップ2023 決勝トーナメント 0 0 0 0 0 0
アジアカップ2023 グループD 0 0 0 0 0 0
合計 0 0 0 0 0 0

名波浩の出場試合

北中米W杯アジア最終予選
第1節 2024-09-05 vs 中国代表 ベンチ外
7 - 0
第2節 2024-09-10 vs バーレーン代表 ベンチ外
0 - 5
第3節 2024-10-10 vs サウジアラビア代表 ベンチ外
0 - 2
第4節 2024-10-15 vs オーストラリア代表 ベンチ外
1 - 1
第5節 2024-11-15 vs インドネシア代表 ベンチ外
0 - 4
第6節 2024-11-19 vs 中国代表 ベンチ外
1 - 3
第7節 2025-03-20 vs バーレーン代表 ベンチ外
2 - 0
第8節 2025-03-25 vs サウジアラビア代表 ベンチ外
0 - 0
国際親善試合
2024-01-01 vs タイ代表 ベンチ外
5 - 0
2026北中米ワールドカップ アジア2次予選
第1節 2023-11-16 vs ミャンマー代表 ベンチ外
5 - 0
第2節 2023-11-21 vs シリア代表 ベンチ外
0 - 5
第3節 2024-03-21 vs 北朝鮮代表 ベンチ外
1 - 0
第4節 2024-03-26 vs 北朝鮮代表 ベンチ外
0 - 3
第5節 2024-06-06 vs ミャンマー代表 ベンチ外
0 - 5
第6節 2024-06-11 vs シリア代表 ベンチ外
5 - 0
アジアカップ2023 決勝トーナメント
ラウンド16 2024-01-31 vs バーレーン ベンチ外
1 - 3
準々決勝 2024-02-03 vs イラン ベンチ外
2 - 1
アジアカップ2023 グループD
第1節 2024-01-14 vs ベトナム ベンチ外
4 - 2
第2節 2024-01-19 vs イラク ベンチ外
2 - 1
第3節 2024-01-24 vs インドネシア ベンチ外
3 - 1