日本代表も警戒が必要なバーレーンの194cmエース、チェコでのキャリアを自信に「僕を別のものにしてくれた」…日本戦は「最大限の力を尽くす」
2024.01.30 12:25 Tue
バーレーンのエースFWユスフ
194cmの長身ストライカーとして日本代表の前に立ちはだかるであろうバーレーン代表FWアブドゥラ・ユスフ・ヘラルが、ヨーロッパでのキャリアが自分を変えたと語り、日本戦へ意気込みを語った。アジアサッカー連盟(AFC)が公式サイトで伝えた。バーレーンのエースであるユスフ。母国でキャリアをスタートさせたのち、2018年7月にチェコへと渡り、ボヘミアンズ1905でヨーロッパのキャリアをスタートさせる。
その後、スラビア・プラハへと移籍すると、ボヘミアンズ1905やスロヴァン・リベレツへレンタル移籍を経験。インドネシアのペルシジャ・ジャカルタへの移籍を経て、今シーズンからチェコのムラダ・ボレスラフでプレーしている。
今シーズンはフォルトゥナ・リーガ(チェコ1部)で18試合4ゴール2アシストを記録しており、今回のアジアカップではグループステージ第3節で突破を呼び込む貴重なゴールを記録したユスフ。チェコでのプレーが自身を大きく変えたと明かした。
「大きなメリットだった。試合を見たことがある人なら誰でも、僕が自分の体を使ってどのような違いを生み出し、ボールをコントロールするのかが分かると思う」
「チームを助け、他の選手たちにも試合で出る勇気を与えることができたことは。僕にとって大きな経験となった。僕たちのチーム(バーレーン代表)にとって大きなメリットをもたらすことになる」
「時間はかかるけど、この大会では成果がますます出てきている。これからも自分ができることを示したい」
バーレーン代表ではユスフが唯一のヨーロッパ組。ほとんどの選手がバーレーン国内リーグでプレーしており、その他も中東のリーグでプレーしている。
ユスフはチームメイトたちにヨーロッパへの移籍を目指すように伝えているが、国民性から難しいことだと明かした。
「難しい。4年間努力してきたけど、メンタルのせいで難しくなっている。彼らは家族と家でのより快適な場所を好むんだ」
「より簡単なリーグだけど、僕はメンタリティを変え、彼らにやる気を出させ、それがどう違うのか、望むものに到達するには犠牲を払う必要があることを見せようと努めてきた」
「サッカーキャリアは短いし、掴まなければ後悔するだろう。これが今僕がやろうとしていることで、彼らが僕についてきたいと思っていることを願っている」
そのユスフは、31日にラウンド16で優勝候補筆頭の日本と対戦。2004年にベスト4入りした大会で敗れた相手でもある。
ユスフは難しい試合になるとしながらも、「フットボールは変わった。どのチームも簡単ではない。誰もがどのチームに対しても競争力を発揮できる」とコメント。日本がイラクに負けたことにも触れながら、難しい試合になるものの力を出し尽くすと意気込んだ。
「確かに厳しい試合になる。でも、どの選手も強いチーム、ヨーロッパでプレーする選手と対戦するのが好きで、僕たちは最大限の力を尽くすつもりなんだ。僕にとっては、その日のフィールドでベストを尽くした人が勝利を得ると思っている」
その後、スラビア・プラハへと移籍すると、ボヘミアンズ1905やスロヴァン・リベレツへレンタル移籍を経験。インドネシアのペルシジャ・ジャカルタへの移籍を経て、今シーズンからチェコのムラダ・ボレスラフでプレーしている。
「大きなメリットだった。試合を見たことがある人なら誰でも、僕が自分の体を使ってどのような違いを生み出し、ボールをコントロールするのかが分かると思う」
「僕はそこで4年間プレーしており、チェコでは5年目だ。ヨーロッパリーグやチャンピオンズリーグでプレーしているけど、それが僕を別のものにしてくれた」
「チームを助け、他の選手たちにも試合で出る勇気を与えることができたことは。僕にとって大きな経験となった。僕たちのチーム(バーレーン代表)にとって大きなメリットをもたらすことになる」
「時間はかかるけど、この大会では成果がますます出てきている。これからも自分ができることを示したい」
バーレーン代表ではユスフが唯一のヨーロッパ組。ほとんどの選手がバーレーン国内リーグでプレーしており、その他も中東のリーグでプレーしている。
ユスフはチームメイトたちにヨーロッパへの移籍を目指すように伝えているが、国民性から難しいことだと明かした。
「難しい。4年間努力してきたけど、メンタルのせいで難しくなっている。彼らは家族と家でのより快適な場所を好むんだ」
「より簡単なリーグだけど、僕はメンタリティを変え、彼らにやる気を出させ、それがどう違うのか、望むものに到達するには犠牲を払う必要があることを見せようと努めてきた」
「サッカーキャリアは短いし、掴まなければ後悔するだろう。これが今僕がやろうとしていることで、彼らが僕についてきたいと思っていることを願っている」
そのユスフは、31日にラウンド16で優勝候補筆頭の日本と対戦。2004年にベスト4入りした大会で敗れた相手でもある。
ユスフは難しい試合になるとしながらも、「フットボールは変わった。どのチームも簡単ではない。誰もがどのチームに対しても競争力を発揮できる」とコメント。日本がイラクに負けたことにも触れながら、難しい試合になるものの力を出し尽くすと意気込んだ。
「確かに厳しい試合になる。でも、どの選手も強いチーム、ヨーロッパでプレーする選手と対戦するのが好きで、僕たちは最大限の力を尽くすつもりなんだ。僕にとっては、その日のフィールドでベストを尽くした人が勝利を得ると思っている」
1
2
アブドゥラ・ユスフ・ヘラルの関連記事
バーレーンの関連記事
アジアカップの関連記事
|
バーレーンの人気記事ランキング
1
バーレーン戦で思い出す埼スタでのOG/六川亨の日本サッカーの歩み
1月28日から始まったアジアカップの決勝トーナメント1回戦、日本は31日に韓国でもなくヨルダンでもなくバーレーンと対戦する。グループE首位のヨルダンが3位のバーレーンに0-1で負け、なおかつ2位の韓国が2連敗中で最下位のマレーシアに3-3と引分けたためで、これには久保建英も「想定外」と驚いていた。 バーレーンという国の名前は知っていても、この国がアラビア半島のどこにあるのか知っている日本人は少ないのではないだろうか。かくいう僕も一度訪れたため知っているに過ぎない。ジーコ・ジャパン時代の2005年6月3日、ドイツW杯アジア2次(最終)予選で同国の首都マナーマを訪れた。 ペルシャ湾に浮かぶ王国で、面積は日本の琵琶湖ほど。そして隣国サウジアラビアとはキング・ファハド・コーズウェイという全長約24キロの橋で結ばれている。当時はレンタカーを借りてこの橋を渡り、サウジアラビアとの国境にあるイミグレーションや税関関連の施設前まで行って引き返した。 この橋を渡りサウジアラビア国内の海沿いを走ってカタールまで、クルマで3時間ほど、飛行機なら1時間もかからないという。このため日本戦には大勢のバーレーン・サポーターが訪れるかもしれない。 森保一監督は「イラク戦はアウェーをメチャクチャ感じました。乗せたらいけない。スタンドのサポーターも大きな力になっている。ほんと、アウェーでした」と“中東の洗礼”を体感しただけに、同じ轍は踏まないだろう。 そのバーレーン戦だが、過去の対戦成績はW杯予選とアジアカップの本大会と予選を含め、7勝2敗と大きく勝ち越している。この両国の対戦で最も印象深いのはジーコ・ジャパン時代の2005年3月30日、埼玉スタジアムで行われたドイツW杯アジア2次予選での一戦だ。 当時のバーレーンはフィジカルに優れた長身選手が多く、ロングボールを主体とした攻撃に日本は苦しめられた。前年の04年3月に行われたアテネ五輪アジア最終予選では、山本昌邦監督率いるU-23日本が、ダブルセントラル開催のUAEラウンドでは0-0、日本ラウンドでは0-1と敗れた。しかし西が丘サッカー場で開催された最終戦でバーレーンが最下位のレバノンと1-1で引分けたため、勝点2差で日本が五輪の出場権を獲得した。 そして埼スタでのバーレーン戦では、0-0で迎えた後半27分、ゴール前のこぼれ球をクリアしようとしたMFモハメド・サルミーンが自陣ゴールに蹴り込んでしまうまさかのオウンゴール。この1点が決勝点となり、日本は最終予選で2勝1敗と白星を先行させた(北朝鮮に2-1、イランに1-2だった)。 サルミーンは当時、「バーレーン史上最高の選手」と言われ、2次予選でチームは日本、イランに次いで3位になり、ウズベキスタンとの3次予選に進出。1-1、0-0のドローに終わったもののアウェーゴールでアジア地区5位となり大陸間プレーオフに出場したが、北中米カリブ海のトリニダード・トバゴに1分け1敗で初のW杯出場はならなかった。彼が現役だった00年代がバーレーンの黄金時代だったとも言える(04年のアジアカップ準決勝でも4-3と苦しめられた)。 現在のチームには1トップに194センチの巨漢FWアブドゥラ・ユスフ・ヘラルがいる。彼は空中戦だけでなく、ヨルダン戦ではストライドの大きいドリブルで抜け出し、GKの動きを冷静に見て決勝点を流し込んだ。まずは彼を自由にプレーさせないことが守備陣のタスクになることは言うまでもない。 2024.01.29 12:35 Mon2