なぜか日本での人気はイマイチのバイエルン/六川亨の日本サッカーの歩み

2023.08.02 18:30 Wed
©超ワールドサッカー
ドイツやスペインに勝つには、やはりカウンターしかないだろう。昨年のカタールW杯の話ではない。今後も日本が彼らに勝つには、劣勢に耐えながらカウンターを狙うしかない。そしてそれは、なでしこジャパンにも当てはまる。2011年のドイツ戦も、押し込まれながら交代出場の丸山桂里奈の決勝点で難敵を退けて世界の頂点に立った。
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その意味では、ニュージーランドとオーストラリアで開催されている女子W杯のグループリーグで、スペイン相手に次々とカウンターからゴールを重ねた試合は快哉を叫びたくなる一戦だった。とはいえ、本当の戦いは決勝トーナメントに入ってから。スペインのようにパスをつないでくるチームはなでしこジャパンも戦いやすい。
問題はアメリカやイングランドのようにフィジカルの強さを前面に出し、スピードと高さで勝負してくるチーム、1対1の個の強さで勝負を挑んでくるチームにどう対処するかだ。残念ながらWEリーグにもそういったチーム、選手はいないため、海外でプレーしている選手の経験値がモノを言ってくるのではないか。まずはノルウェー戦に集中して、前回フランス大会のベスト16の壁を突破して欲しい。

国内に目を向けると、先月中旬から始まったヨーロッパ勢を招待してのプレシーズンマッチも8月1日のインテル対パリSG戦で終了となった。マンチェスター・シティの人気の高さはすでに紹介したが、はやりバイエルン・ミュンヘンの人気は今ひとつなのだろうか。29日の川崎Fとの試合では空席も目立ち、試合後にチームバスを見送るファンも少なかった。

シティとの試合が行われた国立競技場では、「8月18日、スカパー!でブンデスリーガが帰ってくる」銘打って、「ブンデスリーガの60年」と宣伝していた。気付いていたファンは少なかったと思うが、Jリーグは今年で誕生して30年だ。前身であるJSL(日本サッカーリーグ)時代の27年の歴史を含めると57年となり、ブンデスリーガと大差はない。
JSLは64年の東京五輪の強化のため招かれた西ドイツ人指導者のデットマール・クラマー氏が、レベル向上のためにはリーグ戦での必要性を訴えたため、東京五輪の翌年の65年に三菱や古河、日立、東洋工業など8チームでスタートした。ブンデスリーガはその2年前、1963年に全国リーグとしてスタートしたのだから、リーグの歴史としては日本と大差がない。

ここらあたりが、100年以上の歴史を誇るイングランドやスペイン、イタリアの古豪クラブとの大きな違いだろう。そういう自分自身、ブンデスリーガの歴史が浅いことを知ったのは、1988年に西ドイツで開催された欧州選手権を取材したからだった。当時の書店で「ブンデスリーガ25周年記念」の増刊号を購入したことで、まだ25年しか歴史がないのだと気付かされた。

ただ、リーグの歴史は浅くても日本とは大きな違いがあった。全国リーグが創設される9年前の1954年、彼らは(当時は西ドイツ)スイスW杯で初優勝していた。第二次世界大戦後、FIFAから復帰を認められて予選を突破しての、2大会ぶり3度目の出場での世界制覇だった。

現在のバイエルンはリーグ11連覇に加え、欧州3大カップを制覇した数少ないクラブである。ブンデスリーガには多くの日本人選手がプレーしているものの、なぜか昔からドイツのクラブは日本での人気がイマイチだ。サッカー専門誌がシーズン前に発行する選手名鑑でも、掲載される順序はイングランドのプレミアリーグかスペインのラ・リーガが先で、3番目はW杯の出場を逃しているイタリアが続き、ブンデスリーガは4番手という位置づけだ。

これはもう、日本人の好みの問題なのだろうか。


【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた


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