サントス、ペレ氏の背番号「10」を永久欠番に?

2023.01.01 12:06 Sun
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サントスの背番号「10」は永遠に元ブラジル代表のFWペレ氏のものになるかもしれない。ブラジル『グローボ』が伝えている。
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ワールドカップ(W杯)を3度の優勝を誇るブラジル史上最高のレジェンドであるペレ氏。フットボール界でも歴史に残る偉人として崇められるが、12月29日に闘病の末に82年の生涯に幕を閉じた。そんなペレ氏が大きな功績を残したのがデビュー以来、プロキャリアの大半を過ごしたサントス。クラブに数多のトロフィーをもたらしたうえ、個人としても公式戦438試合に出場して474ゴールを記録した。
ペレ氏の死去を受け、サントスのアンドレス・ルエダ会長はブラジル『Radio BandNews』のインタビューに応対。長年にわたって着用しており、“サッカーの王様”のトレードマークだった背番号「10」を永久欠番にしたいとの意向を語った。

「私はずっと永久欠番化に賛成しており、素晴らしい敬意の示し方だと思う。なぜ今まで決まらなかったのかと疑問に感じる」
「フロントの判断が分かれるということは理解している。だから、今すぐに行うべき事ではないだろう。以前は他の選手が変わらず10番を背負うことこそが敬意の表し方だと考えていたクラブの役員も多くいた」

「この要望を取締役会に提出する。少なくとも決定があるまでは、管理上の措置として背番号10の着用は停止することにする」

ペレ氏はブラジル代表でも背番号「10」を着用。手にした数々の栄光や圧倒的なスター性から、いつしかその番号自体も特別な意味を持ち、今日ではサッカーにおけるエースナンバーとして扱われている。



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