長沢が1G1Aの大活躍! 大分が磐田を破って史上初の準決勝進出《天皇杯》
2021.10.27 21:16 Wed
27日、第101回天皇杯準々決勝のジュビロ磐田vs大分トリニータがエコパスタジアムで行われ、大分が0-2で勝利した。
一方の磐田は36分にチャンスを迎える。自陣右サイドでボールを奪い、パスを受けた清田がドリブルでそのままペナルティアークまで運んでシュート。ボールは相手DFの手に当たり、絶好の位置でFKをゲットした。
そしてこのFKのキッカーを務めたのは清田。強烈なシュートを打ち、壁に跳ね返ったところを拾って再びゴールを狙ったが、これは惜しくも枠の上に外れた。
しかしゴールレスで迎えた後半、最初の決定機を迎えたのは大分だった。ボックス左に侵入した藤本がマイナス方向へクロスを送ると、これを受けたのは野村。後ろ向きの状態から反転しつつ左足を振り抜いたが、ボールはわずかに枠の右へ外れ、惜しくもゴールとはならなかった。
それでも65分にアウェイチームが得点。野村が蹴った右CKに対して、ニアサイドに飛び込んで合わせたのは長沢。強烈なヘディングシュートを決めて先制に成功した。
こうなると、ゲームプランを修正する必要があるのは磐田。ラインを高めに設定し、ボールホルダーへのプレッシャーを強めて攻勢に出る。すると80分ごろから大分もプランを変更。[5-4-1]のブロックを形成し、ボール保持を捨てて勝負を決めに行く。
そして91分、大分は決定的な2点目を決める。ハーフライン手前でボールを持った長沢が裏に抜けた藤本に絶妙なスルーパス。これを受けた藤本はボックス左に侵入してニアサイドに強烈なシュートを突き刺し、ワンチャンスをモノにした。これで大分が磐田を下して初の準決勝進出を果たしている。
ジュビロ磐田 0-2 大分トリニータ
【大分】
長沢駿(後20)
藤本一輝(後46)
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ラウンド16でヴェルスパ大分を破った磐田と、ザスパクサツ群馬を下した大分。準々決勝に残った唯一のJ2クラブである前者とクラブ史上初のベスト4進出を狙う後者の一戦となった。試合は序盤から大分がボールを握り、磐田はカウンターを窺う展開に。[5-4-1]のブロックで守る磐田に対して、大分は丁寧にボールを回しながら、守備の穴を狙っていく。そしてこのFKのキッカーを務めたのは清田。強烈なシュートを打ち、壁に跳ね返ったところを拾って再びゴールを狙ったが、これは惜しくも枠の上に外れた。
その後も大分が支配率を高めるも、ゴールへの積極的な意識はほとんど見せない。テンポを落とした省エネなパス回しを続け、前半はシュート0本で折り返している。
しかしゴールレスで迎えた後半、最初の決定機を迎えたのは大分だった。ボックス左に侵入した藤本がマイナス方向へクロスを送ると、これを受けたのは野村。後ろ向きの状態から反転しつつ左足を振り抜いたが、ボールはわずかに枠の右へ外れ、惜しくもゴールとはならなかった。
それでも65分にアウェイチームが得点。野村が蹴った右CKに対して、ニアサイドに飛び込んで合わせたのは長沢。強烈なヘディングシュートを決めて先制に成功した。
こうなると、ゲームプランを修正する必要があるのは磐田。ラインを高めに設定し、ボールホルダーへのプレッシャーを強めて攻勢に出る。すると80分ごろから大分もプランを変更。[5-4-1]のブロックを形成し、ボール保持を捨てて勝負を決めに行く。
そして91分、大分は決定的な2点目を決める。ハーフライン手前でボールを持った長沢が裏に抜けた藤本に絶妙なスルーパス。これを受けた藤本はボックス左に侵入してニアサイドに強烈なシュートを突き刺し、ワンチャンスをモノにした。これで大分が磐田を下して初の準決勝進出を果たしている。
ジュビロ磐田 0-2 大分トリニータ
【大分】
長沢駿(後20)
藤本一輝(後46)
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