日本サッカー歴代ベストマッチ5/六川亨の日本サッカー見聞録

2021.09.25 12:00 Sat
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今年の9月10日で創設100周年を迎えたJFA(日本サッカー協会)だが、サポーティングカンパニーの朝日新聞社は100周年を記念して、インターネット投票でファン・サポーターから「あなたが選ぶ、日本サッカー名勝負」を募った。前回は10位から6位までの5試合を紹介したので、今週はベスト5をお届けしよう。

まず5位は、もっと上位にランクされてもいいのではと思った試合であり、最も身近な一戦だ。2018年7月2日、現在は橋本拳人が所属するロストフで行われたロシアW杯決勝トーナメント1回戦、日本対ベルギー戦(2-3)、いわゆる「ロストフの悲劇」である。

この試合を現地で取材した際は、記者席の隣の隣にベルギー人記者3人が並んで座っていた。後半に入り原口元気と乾貴士のゴールが決まると彼らはすっかり意気消沈し、背中を丸めるようにして試合を見ていた。しかし2-2の同点に追いつくと途端に元気を取り戻し、背筋を伸ばして「どうだ」とばかりにこちらに視線を向けてくる。そしてアディショナルタイムに入り日本は左CKを獲得したが……。その続きは言うまでもないだろう。こちらは123ポイントを獲得しての5位だった。

4位は、5位とは10ポイント差で、オールドファンの投票が多かったのかもしれない。こちらは「マイアミの奇跡」と呼ばれた1996年のアトランタ五輪グループリーグ初戦のブラジル戦(1-0)である。各年代を通じて初めてブラジルを倒した歴史的な一戦でもある。GK川口能活が“神がかった"セーブを連発してブラジルの猛攻をシャットアウト。そしてGKジダとCBアウダイールの連係ミスから最後はMF伊東輝悦が決勝点を奪った。指揮官は、後に「ロストフの悲劇」を味わうことになる西野朗監督だった。

3位(151ポイント)は、今回のベスト10では最も古い試合となる1993年10月28日のアメリカW杯アジア最終予選、日本対イラク戦(2-2)である。初の外国人監督であるハンス・オフトに率いられた日本は、初戦でサウジアラビアと引き分け、続くイランには完敗と不安なスタートだったが、北朝鮮と韓国に完勝して初のW杯出場に“王手"をかけた。あとは最終戦のイラク戦に勝つだけ。試合は1-0、1-1、2-1と常に日本がリードしていたものの、試合終了間際、イラクの右CKからオムラムに同点ヘッドを許し、W杯出場は消滅した。世に言う「ドーハの悲劇」である。この敗戦で選手たちの受けたダメージは計り知れないと思ったものの、再開されたJリーグでは誰もが気迫のこもったプレーを見せたことに、“プロ"の魂を感じずにはいられなかった。

といったところで2位(175ポイント)である。こちらは正直意外だったが、改めて考えると納得できる選出でもある。今から10年前の2011年7月17日、ドイツW杯女子決勝の日本対アメリカ戦(2-2、3PK1)である。ショートパスによるポゼッションスタイルの日本女子サッカーが、澤穂希らピークを迎えた選手を擁して世界一になった試合でもある。1-2で迎えた試合終盤、日本は左CKからエースの澤が起死回生の同点ゴールを決めた。この大会の澤は、“キング"カズと同様に「何かやってくれるかもしれない」という期待感があり、見事それに応えた。未曾有の災害だった東日本大震災から4ヶ月後、明るい話題となった“なでしこジャパン"の快挙だった。

いよいよ残すは1位となった。ここまでくれば、1位の試合を想像できるかもしれない。176ポイントを獲得して1位となったのは、1997年11月16日、マレーシアのジョホールバルで開催されたフランスW杯アジア最終予選の第3代表決定戦、日本対イラン戦(3-2)である。先制したものの逆転され、同点に追いついて突入した延長戦。岡田武史監督から切り札として投入された俊足FW岡野雅行は決定機を何度も外した。そのたびに「岡野~!」とテレビの前で叫んだファンも多かったのではないだろうか。しかし、そんな岡野が中田英寿のシュートのリバウンドをスライディングしながら押し込んでVゴールを奪い、日本を初のW杯に導いた。「ジョホールバルの歓喜」とも言われた試合が1位になったのは当然かもしれない。

以上が、ファン・サポーターの選んだ「あなたが選ぶ、日本サッカー名勝負」のベスト10だ。ランキングには11位以下29位までにも興味深い試合が多々ある。ランキングされた試合で一番古いのは1985年のW杯予選で、逆に最も新しいのは2021年3月の国際親善試合だが、対戦相手はいずれも同じ国というのがヒントである。逆に彼らとの対戦がベスト10にランキングされなかったのも意外と言えば意外だった。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた


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W杯隔年開催が12月に決定か?/六川亨の日本サッカー見聞録

一部スポーツ紙によると、FC東京が元アーセナル監督のアーセン・ベンゲル氏にアドバイザー的なオファーを出したとあった。ベンゲル氏といえば、元名古屋の監督でチームを天皇杯優勝に導くなどその手腕は高く評価された。 1995年には加茂周監督の後継候補として磐田監督のハンス・オフト氏らとともに名前があがったものの、名古屋が辞退したため実現はしなかった。 そのベンゲル氏だが、すでに71歳を過ぎた。監督ではなくアドバイザーとして招聘し、どのようなメリットがFC東京にあるのかいささか疑問である。 確かにアーセナル時代は“監督業"としてチームを強豪に育て上げただけにとどまらず、若手選手の育成システムの構築やフランス人選手の獲得など“組織改革"にも手腕を発揮した。だからこそ2018年まで22年もの長きに渡って監督を務めた。 あまりプレミアリーグに詳しくないので恐縮だが、以前、「プレミアシップ・マガジン」という月刊誌を創刊した。これは現地で発行されている「Four Four Two」という雑誌と提携して、原稿と写真の提供をうけて発行していた。 そこで知ったのは、プレミアリーグの監督は練習を指導しないということ。練習の指揮を執るのはヘッドコーチの役目で、監督の仕事はスタメンを決めるのと、時には試合後に相手の監督と紅茶を飲むことだった(凄く大雑把ですが)。そういえば、稲本の練習試合(リザーブリーグ)を北ロンドンに見に行った時も監督はいなかった。 そうした土壌にベンゲル監督はヨーロッパ・スタイルを導入して成功を収めた。ところがJのクラブはすでに年齢別のアカデミーが組織されている。FC東京なら毎年のように下部組織から人材が育ち、さらに高校サッカーや大学サッカーからも優秀な選手を獲得している。 そんなクラブにベンゲル氏が来てやることがあるのかどうか疑問でならない。 むしろベンゲル氏と言えば、彼の提唱したW杯の隔年開催の方が気になるところだ。W杯は来年のカタール大会が終われば、次回26年からは48チームに規模を拡大する。そうなれば、日本が予選で負けることはまずないだろう。と同時に、W杯を開催可能な国も限られてくる。 2002年のW杯は日本と韓国と共催だったが、32カ国なら日本単独でも開催できるだろう。しかし48カ国となるとどうなのか。26年はアメリカ・メキシコ・カナダの3カ国による共催だ。たぶん世界的に見ても国土の広さとインフラ環境と経済力からW杯を単独で開催できそうなのはロシア、イングランド、フランス、ドイツ、イタリア(?)、スペイン、日本くらいだろう。 EUROですら2カ国の共催でないと開催できなかった例があり、スイスとオーストリアでの大会は、両国の列車の車輪の幅が違うため、国境を越える移動にはかなりの時間がかかったと聞いた。 こうして肥大化することで開催国が限られる上に、さらに隔年開催を推し進めるジャンニ・インファンティーノFIFA(国際サッカー連盟)会長の狙いがどこにあるのか理解に苦しむばかりだ。当然のことだが、UEFA(欧州サッカー連盟)もCONMEBOL(南米サッカー連盟)も反対することは火を見るより明らかだ。 それでもインファンティーノ会長は「12月までに最終決定を行う」と明言したという。決定方法として、限られた理事によるFIFA理事会で決を取るのだろうか。 JFA(日本サッカー協会)は21日の理事会後に須原専務理事が会見を行い、W杯の隔年開催の決定について「FIFAが日程を発表しました」と報告しつつ、「それに向けて情報を集めているところです。代表チーム、選手、クラブなど多面的な影響が出てきます。過去に例のない提案なので、どう意思決定をしていくのかも含めて法務委員会を含めて議論していきたい」と今後の見通しを話した。 先日の反町技術委員長の会見では、AFC(アジアサッカー連盟)はW杯の隔年開催に賛成のようだ。出場枠が拡大され、出場国には分配金がもたらされるのだから、発展途上国(地域)としては歓迎するだろう。問題は須原専務理事が述べたように、「どう意思決定をしていくのか」だ。 世界各国のFA(サッカー協会・連盟)の投票によるのか、それとも大陸連盟での合議になるのか。可能性としてはFIFA理事会での多数決による決定が高いだろう。なにしろ12月といったら、あと2ヶ月しかないからだ。むしろUEFAやCONMEBOLの反対により、決定が先送りされる可能性に期待したい。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.10.22 20:30 Fri
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日程問題はどうなるのか、技術委員会の報告にビックリ/六川亨の日本サッカー見聞録

JFA(日本サッカー協会)の技術委員会は10月14日に会合を開き、反町康治JFA技術委員長がズームでの会見に応じた。2時間弱の会議の内容は、「FIFA(国際サッカー連盟)とAFC(アジアサッカー連盟)から多くの提案があり、その報告と議論だった」ことを明かした。 反町委員長によると、FIFAはかねてから噂に出ているW杯の2年に1回の開催と、アンダーカテゴリーには現在U―17W杯とU―20W杯が2年に1回の開催となっているが、これを2025年あたりから毎年の開催に変更する考えがあるそうだ。 AFCからは、22年カタールW杯が終わると、次の大会からアジアの出場枠は8・5に増える。このためW杯の予選方式をどうするか。そしてAFCはW杯の2年に1回の開催を支持していることが報告された(JFAは結論を出していない)。 さらにAFCはACL(アジアチャンピオンズリーグ)のカレンダーの変更を検討しているものの、シーズン移行に関して反町技術委員長は「簡単には動かせない」と言いながら、「Jリーグの日程を変えていかざるをえなくなるかもしれない」と苦しい胸の内を明かした。 現状でも国内のサッカーカレンダーは飽和状態に近い。特にこの3年間はラグビーW杯と東京五輪のあおりでJ1リーグのチームはホームゲームを開催できなかったり、過密日程を強いられたりした。リーグ戦とルヴァン杯、天皇杯に加えACLと最大4大会に出場しなければならないチーム(現在では名古屋)は必然的に超過密日程になる。 これに加え、アンダーカテゴリーの大会が毎年開催になるということは、詳細は分からないが毎年予選もあるということだろう。さらにW杯が2年に1回の開催となり、アジアカップと五輪の予選と本大会があるなら、とてもじゃないがEAFF E-1選手権とアジア大会(とキリンカップにキリンチャレンジ杯)に参加している暇などないだろう。 これでは代表の試合を年がら年中やっているようなもので、どうやって海外組を呼ぶのか。まるで国内リーグは止めろと言っているようなものだ。FIFAもAFCも何を考えているのか理解に苦しむばかりだ。 反町技術委員長に対しては、森保ジャパンの今月の2試合に関しても当然ながら質問が出た。それに対する答えは「この2試合、技術委員からいろんな意見が出たし、団長としてチームについて行った。客観的かつ主観的に話をした。サウジアラビアには勝つことはできなかったが、全部にダメ出ししていない。いいところもあったが課題も出たのでシビアに話した」と率直に話していた。 さらに反町技術委員長は「サウジアラビアには勝てず、多くの懸念があり、皆さんの外圧もあった。しかし私はサポートする立場。内圧はまったくない。外圧は好き勝手言ってアクセスを稼いでいるけど、我々はそれに惑わされずにやるだけ」とも語った。 「外圧(マスコミ)は好き勝手言ってアクセスを稼いでいる」とは、まさにその通り! ウィットに富みながらもシニカルな反町さんらしい発言で、思わず感心してしまった。 オーストラリア戦後の田嶋幸三JFA会長の発言もそうだったが、まだ予選突破はもちろんのこと、予選敗退も決まっていない状況で、監督の進退に責任のある2人がネガティブな発言をするわけがない。全面的にサポートしなければ、監督らスタッフと選手とは溝ができ、不信感が生まれかねない。 その上で、「次の一手」も考えているのか。それは、その時になってみないと分からないだろうし、永遠にわからないこともありえる。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.10.15 22:00 Fri
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柴崎への思いやりと技術委員長の役目/六川亨の日本サッカーの歩み

オーストラリアとの試合を翌日に控え、日本代表の選手25人は埼玉スタジアムで17時より冒頭15分だけメディアに解禁でトレーニングを行った。森保一監督の挨拶も簡単なもので、その後はランニングで練習をスタートさせた。 サウジアラビア戦で決勝点のきっかけとなるバックパスを出した柴崎岳も普段通り練習に参加していたが、どうしてあのようなパスを出したのか。たぶん本人にも分からないかもしれない。毎日4人ずつのズームによる選手会見も、サウジアラビア戦後に柴崎が登場することはなかった。たぶんスタッフも気遣っていることは想像に難くない。 しかし、もしも森保監督がオーストラリア戦で彼を起用する意思がないのなら、サウジアラビアからスペインに帰してあげた方がよかったのではないか。柴崎自身、肩身の狭い思いをしているだろうし、チームメイトも“腫れ物に触るように”とまでは言わないが、どう接したらいいか困っているのではないだろうか。救いがあるとすれば「バブル」のため、接触する機会が少ないということくらいだろう。 本来なら明日の試合はホームだけに絶対に負けられない一戦だ。普段なら長友佑都あたりがランニングの前に「よっしゃー!」とチームメイトに気合いを入れたかもしれない。しかし柴崎がチームにいれば、盛り上げる方も気を遣わざるをえないだろう。ここらあたりの空気感というか、チームマネジメントを考えて、森保監督にアドバイスする――それができるのは反町康治JFA(日本サッカー協会)技術委員長くらいしかいないだろう。 その反町技術委員長が、まったくコメントを発していないのが気になるところである。サウジアラビアに敗れた後の8日の日本時間10時50分、田嶋幸三JFA会長は広報を通じてコメントを出した。ところが反町技術委員長は公式には何も発言していない。かといって代表の練習には参加しているので、外国人監督と交渉するため海外へ行っているわけでもないようなのは残念だった。 オーストラリア戦の結果次第では、森保監督の進退問題に発展する可能性は高いだろう。そのために反町技術委員長はどのような対策を立てているのか。そして、もしもオーストラリアに勝ったとしても、森保監督のままでいいのかどうか。技術委員会がやらなければいけない仕事は山ほどある。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.10.12 15:35 Tue
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W杯予選で2敗は前回大会の1回だけ/六川亨の日本サッカー見聞録

よいよ今夜は26時からカタールW杯アジア最終予選のアウェー・サウジアラビア戦である。直前になって堂安律がケガのためチームを離脱したが、森保一監督は26人の選手を招集して“万が一"に備えていただけに、彼の代わりは浅野拓磨や三好康児らが務めることになるだろう。 そのサウジ戦の詳細はさておき、改めてW杯予選の歴史を振り返ってみたい。 現地入りしている選手らは、口々に勝利を絶対条件にあげていた。例えば南野拓実は「今回は何が何でも勝点を取って帰らないといけない。それも勝点1ではなく勝点3。2試合とも勝たないといけない」と決意を語っていた。 やはり初戦でオマーンに敗れたことで、選手らの危機感はかなり募っているようだ。ただ、ベテランの吉田麻也は、勝ちに行っての引き分けならオーケーと余裕を見せる。アウェーでは引き分け、ホームで確実に勝つのが予選を勝ち抜くための鉄則でもある。その意味で、連勝中のサウジとオーストラリア相手に勝点を失うことだけは絶対に避けなければいけない。 で、W杯予選である。改めて振り返ると、日本は紆余曲折を経ていたことが分かる。初出場となったフランスW杯予選では、加茂周監督がわずか4試合で更迭された。初戦のウズベキスタン戦ではカズの4ゴールなどで6-3と圧勝した。第2戦のアウェーUAE戦は、9月の酷暑に「足が動かなかった」と加茂監督が振り返ったように0-0のドロー。そしてホームでの韓国戦は山口素弘の芸術的なループで先制しながら逆転負けを喫した。そして運命のカザフスタン戦。秋田豊のゴールで先制しながら、後半ロスタイムにヴィクトル・ズバレフのゴールで1-1の引き分けに終わった。 ホームで韓国に負けたのは痛恨だったが、アウェーでのドローは悪いことではない。しかし当時の長沼健JFA(日本サッカー協会)会長らは、「流れが悪い」として加茂監督の更迭を決断。残り4試合をコーチだった岡田武史に託した。今さらながら、この決断の早さには驚かされる。当時は長沼会長に加え川淵三郎JFA副会長、途中からは岡野俊一郎JFA副会長も現地に駆けつけたのだから、いかに中央アジアでの2試合を重視していたか分かる。 岡田監督は続くウズベキスタン戦は逆に終了間際に同点に追いついたものの、ホームのUAE戦は1-1で引き分けたため自力での予選突破が消滅。試合後の国立競技場の正面玄関前には興奮したサポーターが集まり、カズの愛車へ投石するなど暴徒化する一幕もあった。 しかしアウェーの韓国戦に2-1と勝利すると、最終戦のカザフスタンにも5-1と圧勝してイランとの第3代表決定戦に勝ち進んだのだった。 ジーコ・ジャパンが挑んだドイツW杯予選では、初戦の北朝鮮をホームで2-1と撃破するも、第2戦のアウェー・イラン戦は1-2と敗れ、早くも1敗を喫してしまう。10万人収容のアザディ・スタジアムは異様な雰囲気だったことを今でも鮮明に覚えている。 しかしその後はバーレーンにホームとアウェーとも1-0で連勝してW杯出場に王手をかける。続くアウェーの北朝鮮戦は、中立地のバンコクで、無観客で行われた。というのも北朝鮮はホームのイラン戦で主審の判定に怒ったサポーターがピッチに物を投げ込むなど暴徒化。それを重く見たFIFAは第3国での無観客試合というペナルティを科したからだった。 スタジアムには入れないものの、ウルトラスのメンバーはスタジアムの外から声援を送る。試合は柳沢敦と大黒将志のゴールで2-0と完勝。世界最速でW杯出場を決め、最終戦のイランにもホームできっちり2-1と雪辱した。 病に倒れたイヴィチャ・オシムからバトンを受け取った岡田監督は、最終予選の初戦でアウェー・バーレーン戦に3-2の勝利を収めると、ホームでのウズベキスタン戦は1-1で引き分けたが、アウェーのカタールに3-0、ホームのオーストラリア戦は0-0と、アウェーできっちり勝点3をモノにした。第5戦のバーレーンをホームで1-0と撃破してW杯出場にリーチをかけると、続くアウェーのウズベキスタン戦も1-0の勝利を収めて4大会連続しての出場を決めた。 田中マルクス闘莉王、中澤佑二という屈強なCBを擁し、左SBは長友佑都がレギュラーポジションをつかんだ。中盤は遠藤保仁、長谷部誠がコントロールし、中村俊輔こそケガで出番が限られたが、本田圭祐という“ゼロトップ"が機能して、02年以来のベスト16に進出。パラグアイとのPK戦ではパラグアイが5人全員決めたのに対し、日本は駒野友一のシュートがクロスバーに嫌われ3-5で敗れた。 予選に話を戻すと、W杯出場決定後のカタール戦(ホーム)は1-1で引き分け、最終戦のアウェー・オーストラリア戦は1-2と初黒星を喫した。 代表監督に就任して半年でアジアカップに優勝するなどアルベルト・ザッケローニはW杯予選でも好調な滑り出しを見せた。ホームの初戦でオマーンを3-0と撃破すると、続くヨルダンも6-0と粉砕。ライバルであるオーストラリアとのアウェーゲームも1-1で引き分け、ホームでのイラク戦は1-0、アウェーのオマーン戦は2-1と早くもW杯出場に王手をかけた。 しかしホームで6-0と圧倒したヨルダンだったが、彼らもホームでは意地を見せ2-1で日本から勝利を奪った。それでもザック・ジャパンはホームでのオーストラリア戦を1-1で引き分けてW杯出場を決めた。さらにアウェーのイラク戦も1-0で勝って有終の美を飾った。 こうして振り返ってみると、フランス、ドイツ、南アフリカ、ブラジルの4大会のアジア最終予選で、日本は1敗しかしていない(逆に無敗もない)。ところが前回のロシアW杯では、ホームの初戦でUAEに1-2と敗れ、さらにW杯出場を決めていたとはいえ最終戦でサウジアラビアに0-1で敗れた。予選で2敗を喫したのはロシアW杯が初めてだ。 果たして今夜のサウジ戦と、12日のオーストラリア戦はどのような結果になるのか。ちなみにW杯アジア最終予選でサウジと戦うのは今回で3回目(あとの1回はアメリカW杯予選)だが、直近の19年アジアカップでは1-0と勝利したものの、シュート数で5対15、ボール支配率でも23%対77%と一方的に支配された。ただ、オマーン戦を見るとかなり攻め込まれていたので、意外とサウジの守備は脆いかもしれない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.10.07 20:00 Thu
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長友佑都の“対抗馬"候補、旗手怜央を日本代表に!/六川亨の日本サッカー見聞録

今シーズンのJ1リーグで、ACLを始めすべてのタイトルの可能性を残しているのは名古屋だけだ。前年王者の川崎Fはルヴァン杯で2試合ともドローながらアウェーゴールで浦和に屈し、ACLでもPK戦で蔚山現代に敗れた。そのACLで舞台となった韓国から帰国後、新型コロナウイルスによるバブルでの隔離を強いられながら、中3日や中2日の過密日程でも5連勝を飾った。 9月29日の神戸戦では、アンドレス・イニエスタ、大迫勇也、武藤嘉紀のトリオによる先制点を許しながら、後半は3連続ゴールであっさりと逆転。勝点を78に伸ばし、2位の横浜F・マリノスとは1試合消化試合が多いものの勝点差12として首位を堅持している。残りは7試合となり、川崎Fの連覇はほぼ間違いないだろう。 その神戸戦で、改めて存在感を示したのが[4-3-3]の右インサイドハーフに入った旗手怜央だ。攻守に豊富な運動量で貢献し、GKへのプレスで決勝点となるオウンゴールのきっかけを作ったり、ペナルティエリア内で巧みなヒールキックから家長昭博の3点目をアシストしたりした。 これは元々から旗手のタレントなのか、それとも川崎Fの伝統なのか判断は難しいが、“状況判断の速さ"によるポジショニングの良さは秀逸だ。本来は攻撃的なサイドハーフだが、今シーズンは左サイドバック(SB)を始め、サイドハーフやボランチなどマルチな才能で川崎Fの躍進に貢献している。現代サッカーではGKやCB、1トップといった“専門職"をのぞけば、どのポジションでもプレーできるのが常識だが、それを実践しているお手本と言えるだろう。 その旗手、今夏の東京五輪ではグループリーグのフランス戦ではスタメンでフル出場を果たすなど5試合に出場した。今シーズンの川崎でもケガがあったものの23試合に出場し、4ゴールをあげている。 そこで本題である。昨シーズンのJ1リーグ優勝に貢献し、今夏の東京五輪でも存在感を発揮した旗手と、今夏移籍した三笘薫をなぜ森保一監督は日本代表が窮地にもかかわらず招集しないのだろうか。29日の神戸戦を取材して、改めて感じた疑問である。 Jリーグがスタートしてから、日本代表の左SBは都並敏史氏(ブリオベッカ浦安監督)、相馬直樹氏(鹿島監督)三都主アレサンドロ氏、駒野友一氏(FC今治)ら右利きの選手もいたがレフティー特有のアーリークロスを得意としている選手が名前を連ねていた。その系譜に現在の長友佑都がいる。 しかし、彼の後継者探しは長年の課題ともなっている。森保監督になってから代表に招集されているベテランの佐々木翔(広島)は“努力の選手"として称えたいが、国際舞台で戦えるインターナショナルの選手ではないと個人的に思っている。中山雄太は将来が期待されているものの、これも個人的な意見として安定感に不安を残す。 長友自身は「日本代表は若手選手を育てる場ではないんで」と言っていた。その意見には100%賛成だ。しかし代表監督は、そうしたベテランに“対抗馬"となる若手選手をぶつけ、切磋琢磨させるべきではないだろうか。 佐々木も中山も長友の対抗馬としては荷が重い。そこで推したいのが、旗手である。何よりも彼の技術の高さに加え、判断力の速さ・的確さによるゲームコントロールの巧さは群を抜いている。いますぐに長友の後継者になれるかどうかは別にして、いま一番長友に近いのは旗手ではないか。そう思った神戸との試合だった。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.09.30 17:15 Thu
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