20世紀のアジア男子ベストイレブン/六川亨の日本サッカーの歩み
2021.05.26 12:30 Wed
国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)という組織があるらしい。ウィキペディアによると「サッカーに関する様々な歴史や記録などを扱っている組織である。略称はIFFHS。1984年3月27日にライプツィヒにて発足。国際サッカー連盟(FIFA)は協力関係にないと明言している」そうだ。現在はクラブチームの世界ランキングのベスト10を発表していて、ザルツブルクが10位にランクインしている。
このIFFHSが今月8日、公式サイトで20世紀のアジア男子ベストイレブンを発表した。ジャーナリスト、元選手、専門家の投票に基づいて選定されたとある。フォーメーションは3-4-3で、選出選手を国別に見ると、日本から3人、韓国から3人、サウジアラビアから3人、イランから2人と、ほぼ順当な顔ぶれと言える。
「20世紀」と限定することで、日本は98年のフランスW杯の1回しか出場していないが、それはイラン(78年と98年の2回)とサウジ(94年と98年)も似たようなもの。この3カ国は21世紀に入ってW杯の出場回数を増やしているからだ。
それでは次に具体的な選手名をあげていこう。
GKはサウジのモハメド・アル・デアイエ。
日本は94年のアメリカW杯アジア最終予選の初戦でサウジと対戦した。高木琢也、ラモス瑠偉とヘッドでつないだボールを福田正博がボレーシュート。決まったかに見えた一撃をアル・デアイエは左手1本でストップし、0-0のドローに持ち込んだ。しなやかな身のこなしから好セーブを連発し、サウジのW杯初出場の立役者となった。
この3人は、今さら説明の必要はないだろう。ホン・ミョンボは90年イタリアW杯から02年の日韓大会まで4大会連続出場。00年のシドニー五輪にもOA枠で出場し、12年ロンドン五輪では監督として銅メダルを獲得。14年の南アW杯にも監督として参加した。
井原はホン・ミョンボと並び「アジア最高のリベロ」と評された。若くして代表入りし、クレバーなプレーなど共通点も多い。W杯は98年大会しか出ていないが、国際Aマッチ出場123試合と長期間に渡って日本のDF陣を牽引した。
難しいのは奥寺だ。W杯も五輪の出場もない。とはいえ当時は今と違い、2大会とも「狭き門」だった。しかし「アジア人初のプロサッカー選手」であり、当時は欧州で最もレベルの高かったブンデスリーガの1FCケルンでリーグ戦とカップ戦の優勝を経験。さらにチャンピオンズ・カップでもベスト4に進出した。いずれも日本人はもとよりアジア人としても初の快挙であるため、選出は妥当と思われる。
MFは右からサイード・オワイラン(サウジ)、キム・ジュソン(韓国)、アリ・パービン(イラン)、三浦知良の4人。オワイランとカズはウイングバックというポジションだ。
まずアリ・パービンという選手は残念ながら記憶にない。1946年生まれだから、健在なら75歳ということで、釜本邦茂氏らメキシコ五輪銅メダル組と同年代だ。しかし当時の対戦記録を調べてみても、彼の名前を発見することはできなかった。
オワイランは本来FWだが、チーム構成上MFに入れたのだろう。“ドーハ組"の1人で、GKデアイエとともにサウジのW杯初出場に貢献。アメリカでの本大会ではグループリーグのベルギー戦で60メートルのドリブル突破からゴールを決めて観客の度肝を抜いた。初出場でサウジをベスト16に導いたストライカーだった。
韓国のキム・ジュソンの選出には首をかしげざるをえない。スピードに乗ったドリブルを得意とするストライカーで、W杯もメキシコ大会から3大会連続して出場している。しかし彼を選出する前に、チェ・スンホという才能豊かなオールラウンダーがいる。86年メキシコ大会のグループリーグ、イタリア戦では強烈なミドルシュートを決めていて、90年イタリア大会はキャプテンを務めた。たぶんキム・ジュソンはIFFHSのアジア年間最優秀選手賞を3年連続して受賞しているから選出されたのだろう。
三浦知良、キング・カズはW杯も五輪も出場経験はない。しかし日本人として初めてブラジルでプロ契約を結び、アジア人で初めてセリエAでプレーしたパイオニアであることが評価されたようだ。さらに、いまもまだ現役である点もリスペクトされたのかもしれない。
最後にFWである。チャ・ブングン(韓国)、アリ・ダエイ(イラン)、マジェド・アブドゥラー(サウジ)の3人だ。
チャ・ブングンは奥寺がブンデスリーガ入りしたのに刺激を受けてフランクフルトへ移籍。UEFAカップ優勝2回を誇り、ブンデスリーガ通算98得点はアジア人最多である。308試合出場も20年6月に長谷部誠に抜かれるまで最多だった。
アリ・ダエイはイランが誇るスーパースターだ。国際Aマッチ通算109得点は世界記録である。93年のアメリカW杯予選第2戦では日本から決勝点を奪い(2-1)、98年フランスW杯の第3代表決定戦でも一時はリードする2点目を決めるなど“日本キラー"でもあった。バイエルン・ミュンヘンではリーガ優勝を経験するなどヨーロッパでも優れた得点感覚を発揮した。
最後はサウジのマジェド・アブドゥラーだ。オワイランが「砂漠のマラドーナ」なら、アブドゥラーは「砂漠のペレ」と言われたストライカーだ。84年にシンガポールで開催されたロス五輪予選アジア最終戦では日本と別グループだったため直接の対戦はなかったが、そのスピードは桁外れに速かった。ロス五輪とアメリカW杯に出場し、139試合67得点の記録を残しているが、これは現在もサウジ史上最多記録である。
こうしてみると妥当な人選だが、日本人ならもう1人、名前をあげたくなる。メキシコ五輪得点王の釜本邦茂だ。アリ・パービンに代わって釜本が入れば非常に攻撃的なチームが作れる。
ただ、ゲームを作る選手がいないのが難点でもある。木村和司を起用するか。それとも名波浩、中田英寿、小野伸二? 誰にするかは読者にお任せしたい。
【文・六川亨】
このIFFHSが今月8日、公式サイトで20世紀のアジア男子ベストイレブンを発表した。ジャーナリスト、元選手、専門家の投票に基づいて選定されたとある。フォーメーションは3-4-3で、選出選手を国別に見ると、日本から3人、韓国から3人、サウジアラビアから3人、イランから2人と、ほぼ順当な顔ぶれと言える。
それでは次に具体的な選手名をあげていこう。
GKはサウジのモハメド・アル・デアイエ。
日本は94年のアメリカW杯アジア最終予選の初戦でサウジと対戦した。高木琢也、ラモス瑠偉とヘッドでつないだボールを福田正博がボレーシュート。決まったかに見えた一撃をアル・デアイエは左手1本でストップし、0-0のドローに持ち込んだ。しなやかな身のこなしから好セーブを連発し、サウジのW杯初出場の立役者となった。
DFは3人で、右から井原正巳、ホン・ミョンボ(韓国)、奥寺康彦。
この3人は、今さら説明の必要はないだろう。ホン・ミョンボは90年イタリアW杯から02年の日韓大会まで4大会連続出場。00年のシドニー五輪にもOA枠で出場し、12年ロンドン五輪では監督として銅メダルを獲得。14年の南アW杯にも監督として参加した。
井原はホン・ミョンボと並び「アジア最高のリベロ」と評された。若くして代表入りし、クレバーなプレーなど共通点も多い。W杯は98年大会しか出ていないが、国際Aマッチ出場123試合と長期間に渡って日本のDF陣を牽引した。
難しいのは奥寺だ。W杯も五輪の出場もない。とはいえ当時は今と違い、2大会とも「狭き門」だった。しかし「アジア人初のプロサッカー選手」であり、当時は欧州で最もレベルの高かったブンデスリーガの1FCケルンでリーグ戦とカップ戦の優勝を経験。さらにチャンピオンズ・カップでもベスト4に進出した。いずれも日本人はもとよりアジア人としても初の快挙であるため、選出は妥当と思われる。
MFは右からサイード・オワイラン(サウジ)、キム・ジュソン(韓国)、アリ・パービン(イラン)、三浦知良の4人。オワイランとカズはウイングバックというポジションだ。
まずアリ・パービンという選手は残念ながら記憶にない。1946年生まれだから、健在なら75歳ということで、釜本邦茂氏らメキシコ五輪銅メダル組と同年代だ。しかし当時の対戦記録を調べてみても、彼の名前を発見することはできなかった。
オワイランは本来FWだが、チーム構成上MFに入れたのだろう。“ドーハ組"の1人で、GKデアイエとともにサウジのW杯初出場に貢献。アメリカでの本大会ではグループリーグのベルギー戦で60メートルのドリブル突破からゴールを決めて観客の度肝を抜いた。初出場でサウジをベスト16に導いたストライカーだった。
韓国のキム・ジュソンの選出には首をかしげざるをえない。スピードに乗ったドリブルを得意とするストライカーで、W杯もメキシコ大会から3大会連続して出場している。しかし彼を選出する前に、チェ・スンホという才能豊かなオールラウンダーがいる。86年メキシコ大会のグループリーグ、イタリア戦では強烈なミドルシュートを決めていて、90年イタリア大会はキャプテンを務めた。たぶんキム・ジュソンはIFFHSのアジア年間最優秀選手賞を3年連続して受賞しているから選出されたのだろう。
三浦知良、キング・カズはW杯も五輪も出場経験はない。しかし日本人として初めてブラジルでプロ契約を結び、アジア人で初めてセリエAでプレーしたパイオニアであることが評価されたようだ。さらに、いまもまだ現役である点もリスペクトされたのかもしれない。
最後にFWである。チャ・ブングン(韓国)、アリ・ダエイ(イラン)、マジェド・アブドゥラー(サウジ)の3人だ。
チャ・ブングンは奥寺がブンデスリーガ入りしたのに刺激を受けてフランクフルトへ移籍。UEFAカップ優勝2回を誇り、ブンデスリーガ通算98得点はアジア人最多である。308試合出場も20年6月に長谷部誠に抜かれるまで最多だった。
アリ・ダエイはイランが誇るスーパースターだ。国際Aマッチ通算109得点は世界記録である。93年のアメリカW杯予選第2戦では日本から決勝点を奪い(2-1)、98年フランスW杯の第3代表決定戦でも一時はリードする2点目を決めるなど“日本キラー"でもあった。バイエルン・ミュンヘンではリーガ優勝を経験するなどヨーロッパでも優れた得点感覚を発揮した。
最後はサウジのマジェド・アブドゥラーだ。オワイランが「砂漠のマラドーナ」なら、アブドゥラーは「砂漠のペレ」と言われたストライカーだ。84年にシンガポールで開催されたロス五輪予選アジア最終戦では日本と別グループだったため直接の対戦はなかったが、そのスピードは桁外れに速かった。ロス五輪とアメリカW杯に出場し、139試合67得点の記録を残しているが、これは現在もサウジ史上最多記録である。
こうしてみると妥当な人選だが、日本人ならもう1人、名前をあげたくなる。メキシコ五輪得点王の釜本邦茂だ。アリ・パービンに代わって釜本が入れば非常に攻撃的なチームが作れる。
ただ、ゲームを作る選手がいないのが難点でもある。木村和司を起用するか。それとも名波浩、中田英寿、小野伸二? 誰にするかは読者にお任せしたい。
【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた
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